任務に向かう途中。
燃えるような髪がなびく後ろ背を見かけた。
陽光の下では本当に炎をかたどっているようで、は僅かに足を早めた。
「煉獄さん、お疲れ様です」
「む、か。久しいな」
「ふふ、そうですね。煉獄さんはこれから任務ですか?」
「うむ。ここから南西の町にな」
「私もこの先の街道を南南西に下るところです。ご一緒しても構いませんか?」
「無論だ」
ーー掌中の珠ーー
「遅くなりましたが、炎柱へのご就任おめでとうございます」
「うむ、ありがとう。これからは益々精進せねばならんな」
「・・・」
こちらに向けた笑みがいつもと違う気がした。
そう思っただったが、どう違うかが分からない。
だが向けられた笑みに理由を尋ねる僅かな一歩が踏み出せないまま、肩を並べて先行きを急いだ。
「この先で崖崩れが起きたそうです。
目的の町にはここの使われなくなった山道を使って迂回するしかありませんね」
しかしその矢先。
向かっていた街道が使えないことで、その手前の藤の家で宿を取ることとなった。
縁側でもらった地図を見下ろしながらこれからの経路を確認する。
任務がある以上、移動に時間は取られるが街道を使えるまで悠長に待つことはできない。
「そうか・・・うむ、致し方あるまい」
自身が向かう道順を確認したは、向かいの相手を見やる。
だが、その目は地図に向いていても経路を覚えている風には見えなかった。
らしくない。
そう思ったは、道中ずっと気になっていたことに踏み込んだ。
「煉獄さん」
「む?」
「不躾を承知でお訊ねします。何があったんですか?」
一息で問えば、目に見えてぴしりと固まった。
何かがあったのは確かだ。
だから『何か』ではなく『何が』と問う。
の問いに、杏寿郎は軋むように視線を庭に向けた。
「・・・そんなに何があったように見えるか、柱として不甲斐ないな」
「私はそこらの平隊士とは違いますからね」
「うむ、そうだったな」
いつものようにふわりと笑って返せば、浮かない笑顔で返される。
その様子にますます眉を寄せる。
だが、人の目があるのに彼がここまで動揺を露骨に見せるとは相当だ。
となるとこれ以上自分が聞くには立場的にも不相応かもしれない。
「・・・申し訳ありません。聞き出すつもりはないので先ほどの事は忘れてーー」
「いや、なら構わん」
そう言った杏寿郎は深く息を吐いた。
まるで語るにも相当な労力がいるようだ。
そこまで神経をすり減らすようなら止めて欲しいが、彼が苛んでいる事情も何とかしたいのも本音で。
静かに続きを待っていれば、杏寿郎はゆっくりと口を開いた。
「先日、父上にご報告申し上げたんだが・・・一蹴されてしまってな」
「・・・」
「いや、まだまだ鍛錬が不足しているのは分かっていたのだ。
不甲斐ない私が報告したのも良くなかった、うむ」
努めて覇気ある声に戻そうとしているのが分かる。
は言葉を失った。
彼がどれだけ己を鍛えてきたか。
師でありかつての炎柱を父に持ちながら、突然その父は剣を捨てた。
剣士となる事を禁じ、鬼殺隊をなじっている場に居合わせたのも数度ではない。
それでも。
それでも彼は独力で辿り着いたのだ。
それを・・・
「・・・っ」
「だが殊の外、堪えているようだ・・・」
辛うじて笑顔で答える杏寿郎。
胸を締め付ける程のそれに見てられず身体が先に動いた。
「・・・こんな時まで笑わないで下さい」
腰を下ろしてるおかげで、普段は届かない頭を胸に寄せる。
かつて自分が、初めて人の温もりを教えてくれたあの人がそうしてやってくれたように。
は杏寿郎の頭を抱き締めた。
「不甲斐ないのは私の方です。
軽率に伺ってしまって申し訳ありませんでした」
掛けるべき言葉が見つからない。
私程度が見つけられるはずがない。
何とかしたいと思うなど、なんと浅慮で無神経なことを思ってしまったんだろうか。
そんな自分を潰すように、いつもより儚げな彼を引き戻すようには抱きしめる力を強める。
「私は・・・私は煉獄さんがどれほど鍛錬に打ち込んでどれほど鬼を狩ってきたか見てきました。
誰よりも一般人を隊士を守ってきた姿勢を私も倣ってます。
煉獄さんがこれまでやって来たことが無駄な筈がない。
間違いなく鬼殺隊の、皆の支えになっています。
少なくとも私がそんな事、絶対に言わせません!」
震える声を叱咤する。
自分以上に傷付いている杏寿郎を前にしてそんなことできるはずない。
慰めの代わりにただただ、腕に力を込めた。
杏寿郎にしては自分の力など大したことないものだろうそれに、僅かに張りつめた空気が和らいだ呟きが零れた。
「・・・納得だな」
「はい?」
「が屋敷を訪ねて来てくれた時も、こうしてよく千寿郎をあやしてくれていただろう」
「・・・それはありましたが・・・今、あやしてるつもりは・・・」
「いや・・・母上を思い出す」
その言葉に僅かに腕の力が緩む。
同じことを千寿郎からも聞いたことがあった。
自分にはその感覚は分からないが、少しでも笑顔が戻ることが嬉しかったのは覚えている。
「私に強さと優しさを説いて下さった方だ」
「そうだったんですね・・・煉獄さんと千寿郎くんを見れば素晴らしい御仁であったでしょう。
ご存命の間にお会いしたかったです」
「ひたむきでしなやかな強さはと通ずるものがある」
「それは大変光栄ですね」
穏やかさを帯びる杏寿郎の声に、も肩の力を抜いた。
と、鍛え抜かれた腕が腰に回される。
それにややは驚いたが、先に杏寿郎のくぐもった声が届いた。
「今暫く、このまま時間をくれるか?」
「はい、勿論です」
僅かでも平穏が訪れるよう、もまた抱きしめる力を強めた。
長いので一旦、ここで区切ります
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2020.5.30