不思議だった。
あの人から言われた言葉は正しいのに、心が跳ねつける。
まるで神経が麻痺したように手足の感覚がないのに、高熱のような倦怠感が身体を包む。
五感が狂ってるようだ。

『こんなに身体冷やしてどうする、馬鹿たれが』

すみません、そうですよね。
ついこの間までそう言っていた記憶がある。
へらりと、軽く笑い飛ばせる筈だったのに、うまく笑えなくて。
ただ先生の表情の皺だけが、深まった印象を受けた。

『結論から言う。
はっきり言ってこの先どうなるか分からん』

そうではないかと、覚悟はしていた。
なのに届いた言葉は胸を抉るもので、すっと心が冷えた。
現実主義の人が淡々と話す言葉を私はとても落ち着いて聞いていた気がする。

『・・・そうですか』
『希望的観測を語るのは主義じゃない』
『そんな事、誰より知ってますよ』
『だが、世の中には奇跡があるのも事実だ』
『医者とは思えないお言葉ですね』
『この世にはな、医者なんかの手に届かない奇跡なんざ、ザラにある』
『でも、滅多に起きないから奇跡なんですよ』
『・・・』

その言葉に沈黙が返る。
あぁ・・・私はつくづく人の厚意を足蹴にする。
嫌な奴だ。
奇跡?
そんなもの起きて欲しいに決まってる。
元に戻るなら、その方法を教えて欲しい。
だが、現実はそんなに甘くない。
嫌という程、経験してきた。
期待がどれほど踏み躙られてきたか痛感している。
だから、自分だけにそんな都合のいい奇跡が来ないことも知っている。

『そうだな・・・確かに奇跡は滅多に起きん』
『でしょ?』

苦しいんだ。
同じ顔で、同じ声で、その顔で向けられる見慣れない表情、聞き慣れない言葉。
違和感は拭えないのに、無駄に期待してしまう自分が嫌で仕方ない。
だから、いっそのこと・・・

『だがな、その奇跡を願う自由は誰しもある。
自棄になるんじゃねぇぞ』

・・・聞きたくないんだ。
もう、いい加減・・・諦めさせて欲しい。
誰か早く・・・















































































































ーーSnow meltーー














































































































黄昏の街、ダングレスト。
約半月ぶりに帰ってきた は、以前と同じくその扉を開けた。

「ハリー、ただいまー」
!丁度良かった、レイヴンは大丈夫だったのか?」
「治癒術もかけたし、意識も戻った。
問題ないだろうって医者が言ってたわ」
「そうか・・・」

安心したようなハリーは気が緩んだように、長々と息を吐いた。
腰を下ろしたまま動かないハリーに、 はしばらく見下ろしているとツカツカと距離を詰めた。

「脱力してるところ悪いんだけど、こっちの話いい?」
「ん?ああ、何だ」
「レイヴン宛の仕事、全部私に回して」

ポカン、と呆気に取られた顔が を見上げる。
対する は先程と表情は変わらない。

「・・・正気か?」
「その頭が寝ぼけてなければ正気。そもそも私が冗談好きじゃないこと知ってるでしょ。
この半月で溜め込んだ依頼、期限がヤバそうなのから片づけるから」
「片づけるって・・・その間のお前の依頼は?」
「どういう意味の質問よ。こなすに決まってんでしょ」
「おまっ!・・・はぁ・・・」

怪訝顔で言ってのけるそれに、再びハリーは深々と脱力した。
から見えない位置で項垂れる年下の上司。
その表情がありありと推測できた は同情するように呟いた。

「今からそんな辛気臭い顔してるとハゲるわよ」
「誰のせいだ!」
「男が責任転嫁なんて、みみっちいの極みよ」
「なんーー」
「さっさとして。
こっちは急いでるの。それとも依頼不履行でギルドの信用落としたいわけ?」
「ぐっ」

勢いよく顔を上げたハリーの眼前にピシッと指が突きつけられる。
事実だったこともあり、渋々といった呈でハリーは依頼の詳細が書かれた紙束を に渡した。
受け取った早々、内容にざっと目を通していく は素早く目で追っていく。

「すでにいくつかは別のギルドに振ってる。残りは10件だ」
「・・・マンタイクとノードポリカも入ってるのか。
こりゃ、移動に時間食いそうね。先にヘリオードとカプワノールの3件片づけるわ。
混成部隊の件は副隊長に代理やらせるか、他の部隊の隊長に兼任させて。
問題あるなら騎士団長殿と話詰めるようにしてよね。
それと、私がトリム港に向かっている間に凛々の明星のジュディスに連絡つけておいて」
「それは構わんが・・・」
「ジュディスさえ捕まれば後は楽勝ね。オルニオンが片付いたらそのまま帝都にいるから。
依頼は緊急以外受付ないように回しておいて」
!お前本気で一人でーー」
「じゃ、ハリー。後まかーー」
ーーバタンッーー

開けようとした扉は、背後から伸びた手に阻まれた。
いつの間にか抜かされた背。
最近はその風格にも、首領らしさが漂う。
しかし、それを貫くような鋭い視線で はハリーを睨み返した。

「・・・どういうつもり?」
「こっちのセリフだ、どういうつもりだ?」
「溜まった依頼を片付けるって意味が分かんないほど、あんたの頭はカラな訳?さっさとどいて」
「お前だけが事情を知ってると思うな」

ハリーの手元には、皇帝の封蝋印が押された封筒。
レイヴンの今の状況を書かれた内容な事は容易に想像がついた。
しかし、 は表情崩さず続けた。

「・・・だから何?」
「仕事の事はこっちでなんとでもできる。
お前はレイヴンを看てやれ」
「公私混同もいいところね。
私がそれを一番嫌ってるのをあんたが知らないとは幻滅したわ。
次はないわ、どいて」

ハリーに背を向け、扉を再度開けようとする に堪らずハリーは声を荒げた。

「意地張ってんなよ!お前がいれば、もしかしたらレイヴンの記憶もーー」
ーーパァン!ーー

乾いた音が元首室に響く。
異様な静けさに耳が痛くなるほどだ。

「っ・・・」
「仮にもギルドを束ねる元首が、構成員一人に取り乱してるんじゃないわよ」
!」
「依頼の件、頼んだから」
「おい!」
ーーバタンッーー

ハリーと顔を合わせる事なく、 はするりと扉から出て行った。

「あいつ、勝手に突っ走りやがって・・・」

熱を持つ頬を押さえながら、ハリーは舌打ちをつく。
性急過ぎたか。
それとも余りにも向こうに余裕がなかったのか。

(「ジジイだったら、って・・・
またこう何度考えりゃいいんだよ、くそッ!」)

乱暴に頭を掻いたハリーは深々とため息をついた。
こんな時、いつもなら飄々としたあいつからフォローを受けていたというのに。
もうそれが受けられないことが、酷く胸の内を騒つかせた。







































































































潮騒の町カプワトリム。
とある茶店の店先。

「はあぁぁぁ・・・」

港の喧騒を遮るような、盛大なため息が響く。
周囲の温度を10度は下げているような雰囲気で水平線を眺める。

(「・・・さすがに、張り手はやり過ぎたよな・・・」)

咄嗟に出てしまった手。
あれは、ハリーをたしなめる為ではなかった。
聞きたくなかったんだ、自分が・・・
公私混同が一番嫌い?
その口で言っておいて、この体たらく。

(「ドンが相手だったら、逆に言われてたわよね・・・」)
「久しぶりね」

かけられた声に視線を上げた。
そこにはこちらにやって来る妖艶な美女。
目が合う男共をことごとく手玉にとってしまう、ある意味羨ましい仲間に は笑みを返した。

「うん。久しぶり、ジュディス」

数ヶ月ぶりだろうか。
今では世界各地を文字通り飛び回っているジュディスに対し、こちらは主に陸伝いがメイン。
世界情勢的にも向こうが忙しいだろうに、こちらの都合に合わせて貰えたのは有り難い限りだ。

「早速で悪いけど、仕事の話に移っていい?」
「構わないわ」

挨拶もそこそこに、 の前に座ったジュディスに手早く説明を始める。

「可能な限り早くノードポリカへ。
そこで依頼を3件片付けてくるからそのままマンタイクに運んで貰える?
で、そこで4件片付け終わったらオルニオンで野暮用片付けて、そのまま帝都に行ってもらいたいの」

ジュディスが来るまでの間に流し読みした依頼の概要を説明すれば、
聞かされた内容にジュディスは珍しく呆気に取られた表情を浮かべた。

「世界半周ね」
「ギルドの鑑でしょ〜?特急料金+αで報酬は弾むからさ、お願い!」

パンッと両手で拝む にジュディスはいつもの妖艶な笑みを浮かべた。

「ユニオン代行直々の依頼でもあるもの。
引き受けるわ」
「助かる〜、流石はジュディス♪」

指をパチンと鳴らした はじゃあ早速出発だと、席を立ち港へと並んで歩き出す。
そしてジュディスの呼びかけに、上空から巨大な鯨のような始祖の隷長バウルが船を大空へと運んだ。
潮風とは違う、上空の少し冷えた澄んだ空気が頬を撫でる。
久しぶりの感覚を堪能する間も無く、 は手近な壁に背を預け残りの依頼内容の紙束をめくり始めた。

「到着するまで休んでたら?」
「そうしたいけどさ、実は依頼内容よく知らないまま出て来ちゃってるから。
ノードポリカに着くまでに目を通しておきたいんだ」
「無理すると怒られるわよ」
「もうハリーには怒られた」

出がけを思い出し若干気分が沈む。
いかんいかんと、首を振り は再び紙面に視線を落とした。

「・・・幸福の市場ギルド・ド・マルシェとの折衝は内容にもよるけど、メアリーがいることを期待、と。
あとはほぼ、魔物討伐か。
ノードポリカで道具の補充しとけば何とかなるかな」
「魔物討伐なら手を貸すわよ」
「ホント!?」
「荷運びだけじゃつまらないもの」
「やーん、ジュディス素敵すぎっ!」
「それに早く帝都に行きたいでしょ?」

ジュディスの言葉に はギクリと固まる。

「・・・知ってた?」
「代行から簡単な経緯は聞いたわ」
「そっか・・・」

かつて一緒に旅をした仲間だからか。
他者の機微や洞察力が鋭い彼女にそもそも隠し通せるものでもないか。
は深々と嘆息すると、観念したように小さく呟いた。

「ごめん。
あんまり、みんなには心配かけたくなかったから・・・」
「実際の所、おじさまの具合どうだったの?」
「身体的なケガは問題ないよ、エステル含めね」
「治癒術、使ったのね」
「まーね。能力は有効活用しないとさ」

ひらひらと手を振りながら軽口を叩く。
そして、それまでの軽口が消えた。

「あとは・・・私にできる事はないから、時間に任せるしかないわ」

それしか無い。
それ以上の手立てがもう無い・・・
そう言葉にはせず、 はどうにもならない思いを誤魔化すように大海のような空に視線を移す。
そんな の肩に気遣うような手が置かれた。

ーーポンッーー
「?」
「こっちでも調べてみるわ。リタなら何か良い方法知ってるかもしれないし」
「・・・天才魔導士様は分野関係なさそうだしね」
「そういうこと。
少し休んで。ノードポリカに着く頃に起こすわ」
「なら、ご厚意に甘えますか」

確かにダングレストを出てから強行軍でろくに休んではいなかった。
空中移動の今なら、魔物の襲撃は殆ど無い。
それにこれからの依頼の内容と数を思えば休む必要は確かにある。
せっかくの申し出を はありがたく受け取ることにした。
そして船室に入る直前、 は相棒と話しているその背中に声をかけた。

「ジュディス」
「なぁに?」
「ありがと」
「どういたしまして」

は船室へと消えた。
しかしそれを見送ったジュディスの表情は、先ほどよりも沈んでいた。

(「かなり、無理してるようね・・・」)

礼を述べた顔が無理して笑おうとしているのが分かった。
かつて一緒に旅したあの時、彼女は常に周りを気遣っていた。
そして己の事を気遣わせない自分と似た所もあったからか、それが表面に無理しているのが分かるのは心配の一言に尽きた。
何より、あんな姿を見るのは2度目。
痛々しいそれに打開策を打てないかと、ジュディスは簡単な経緯をまとめた手紙を書こうとペンを持った。






































































































帝都ザーフィアス。
辺りはとっぷりと日が暮れた。
人通りが少ない廊下に軽い靴音が響く中、目的の扉を静かに開ければまだ仄かな灯りが灯されていた。

「あれ?まだ起きてたんだ」

ドアからひょっこりと顔だけ出した に目を瞬かせたレイヴンが読んでいた本から顔を上げた。

・・・」
「まだ病み上がりなんだから、無理して起きてちゃダメじゃない」
「仕事だったんじゃないのかい?」
「まね、片付けて来たとこ〜」

お土産あるんだよね、と明るい声で はレイヴンの隣の机に品々を置いていく。
と、 のハンドグローブから覗く包帯が見える腕にレイヴンは咄嗟に手を伸ばした。

「ケガをーー」
「っ!」
「!す、すまない!」
「あはは、ごめん。
さっき手当てしたばっかりでさ。
そんなに大したケガじゃないから大丈夫だよ」

触れられる直前に身を引いた は誤魔化すように明るく笑う。
まだ起きているというレイヴンに は紅茶を淹れる。
しばらく話し相手になっていると、日中この部屋にいた人物に話題が移った。

「ユーリから話を聞いたよ」
「そ?気晴らしになったなら良かった」
は腕が立つって言っていたけど、やっぱり女性が外で仕事をするのは危ないんじゃないのかい?」
(「女性って・・・」)

きょとん、と は目を丸くした。
今まで聞いてた中で聞き慣れないフレーズ上位。
だが、そのまま固まっている訳にもいかず、 は慌てて話を続けた。

「だ、大丈夫。今日はちょっとだけ油断したからだし」
「今日は?」
「あ・・・」

しまった、墓穴を掘った。
どう言ったものだろうか・・・
そうこうしている間にもこちらを見る心配気な顔。
あまり見たことがない露骨なソレを打ち消すように、 は軽い調子で続けた。

「いやー、ちょっと急に仕事が立て込んでさ。
ジュディスに手伝ってもらったんだけど一気に捌いてたら油断しちゃったの。
あ、プロ失格発言だから、他の人には内緒ね」

悪戯を隠すような仕草で笑った は顔の前に指を立てる。
その仕草に、心配顔から柔らかく表情を緩めたレイヴンに安心したような は席を立った。

「顔見れて良かった。じゃ、ゆっくり休んでね」

ゆっくりと離れていくその背中。
今日まで聞いた事、こちらの不安を何でも優しく消してくれる彼女。
何故そこまで、と浮かんだ疑問がレイヴンに問わせた。


「ん?」
「どうして君はそんなに私の事を気遣ってくれるんだい?」
「・・・」

離れようとした背中がピタッと固まる。
しばしの沈黙の後、 は背を向けたまま小さく話し始めた。

「・・・私はね記憶を失う前のレイヴンに借りがあるの」
「借り?」
「そう。
昔のあなたは私を支えてくれた、助けてくれた・・・救ってくれたの。
だから、今度は私が返す番。それだけよ」
「そうか・・・」

納得したようなレイヴンの声に、振り返った は柔らかく笑って手を振った。

「だから、まずは身体を万全にして、その後のことはそれから考えましょ。
じゃまたーー」
ーーパシッーー
「!」

再び振り返った は驚いたように振り返る。
無意識に掴んでしまったことにレイヴンは慌てたように謝った。

「あ、すまない!」
「う、ううん。じゃ、ね」

の方も慌てたように扉から姿を消し、部屋には静寂が訪れた。
レイヴンは先ほど伸ばした自身の腕を見つめた。

(「借りを返すだけ・・・なら、さっきの顔は・・・」)































































Next
Back
2020.4.5