「・・・・・・」
「どうかしましたか、カンタビレ?」
「・・・いえ、なんでもありません」
そうイオンに答えたカンタビレは、やや厳しい視線を目的地に向ける。
僅かに鼻につくすえた臭い。
風に運ばれる油と鉄臭にこれからの行き先が不穏に包まれている予感が拭えなかった。
ーーNo.13 黒煙をあげる軍港ーー
カイツール軍港に到着すると、出迎えたのは凄惨たる光景だった。
動かないライガの死骸、無惨に食い殺されているキムラスカ兵、海に生える赤。
むせ返るような血の臭いの中、導師を連れて行くには憚られるほどだ。
「うっ・・・」
「ひどい・・・」
惨状を目にしたルークとティアの呟きをカンタビレは聞き流し、ずっと握っていた柄を握り剣を抜いた。
「警戒しろ。
イオン様お下がりください。アニス、イオン様を」
「うん、分かってる」
「さて、どうするかね」
「ひとまず、埠頭まで進む。
船が無事ならさっさとこの場を離れた方が安全だ」
「それが最善ですね」
各々が警戒しながらゆっくりと進む。
しかし、魔物の襲撃や戦闘はなく死体をどんどん後にしながら埠頭へと到着した。
そこには男と少女が対峙していた。
見覚えのある姿に、アニスが高い声を上げる。
「やっぱり根暗ッタ!人に迷惑かけちゃダメなんだよ!」
「アリエッタ、根暗じゃないもん・・・アニスのいじわるぅ!」
弾かれたように言い返す少女に、対峙していた男はこちらに視線を投げる。
「お前達か・・・」
「何があったの、兄さん?」
妹の問いかけに、ヴァンは柄から手を離した。
「アリエッタが魔物に船を襲わせていた」
「どうだか・・・」
聞こえるようなカンタビレの呟きにヴァンは反応を示さない。
代わりにアリエッタがぬいぐるみを抱き寄せ言った。
「総長・・・ゴメンナサイ、アッシュに頼まれて・・・」
「アッシュだと・・・」
驚愕を見せる男に、カンタビレはますます渋い顔を向ける。
これがただ本当に驚いているだけなら、こっちが憂慮することはないのだが・・・
と、こちらが油断した隙に、アリエッタの使役する魔物が少女を空へと運んだ。
「船を修理できる整備士さんは、アリエッタが連れて行きます。
返してほしければ、ルークとイオン様がコーラル城へ来い・・・です。
二人が来ないと・・・あの人、殺す・・・です」
言い終えた少女は魔物と共に飛び去った。
その方角を確認したカンタビレは追跡は無理だな、と剣を鞘に収めた。
「あぁ!逃げるなぁ!」
「ヴァン謡将、船は?」
「・・・すまん、全滅のようだ。
機関部の修理には専門家が必要だが、連れ去られた整備士以外となると訓練船の帰還を待つしかない」
ガイの問いに答えたヴァン。
すると話題を変えるようにジェイドが訊ねた。
「アリエッタが言っていたコーラル城というのは?」
「確か、ファブレ公爵の別荘だよ。
前の戦争で戦線が迫ってきて放棄したとかいう・・・」
「へ、そうなのか?」
一人、キョトンとするルーク。
持ち主の当事者に近い人物の反応にガイの盛大なため息が零れた。
「お前なぁ・・・七年前にお前が誘拐された時、発見されたのがコーラル城だろうが!」
「ぜんっぜん覚えてねーんだ、しょうがねーだろ!
行けばなんか思い出すかな・・・」
ルークの言葉にジェイドの視線が伏せられたのをカンタビレは見逃さなかった。
しかし、会話に割り入るようにヴァンが声を上げた。
「その必要はなかろう。訓練船の寄港を待ちなさい」
アリエッタの事は私が処理する、というヴァンにイオンが言い募った。
「・・・ですが、それではアリエッタの要求を無視する事になります」
「今は戦争を回避する方が重要なのでは?」
「それは・・・」
ヴァンの尤もな切り返しにイオンは言い淀む。
確かに優先度を考えればそれが筋だ。
が、コイツが言うとどうにも腑に落ちない。
カンタビレの不審感を隠さない視線が刺さっていることに気付きながら、ヴァンはまったく意に介さずルークの肩に手を置いた。
「ルーク、イオン様を連れて国境へ戻ってくれ。
私はここに残りアリエッタ討伐に向かう」
「は、はい、師匠!」
嬉しそうに返事を返すルーク。
それを目にしたカンタビレは、言いようのない不安が胸を掠めた。
「・・・まるで傀儡だな」
自分の考えなどなく、指示されたままに動く道化。
気に入らなければ怒り、褒められれば喜ぶ幼子同然の姿。
それはまさしく、ヴァンの手の平で踊る操り人形だ。
「カンタビレ、どうかしましたか?」
不思議そうに見上げたイオンに、カンタビレはいえ、と首を振った。
ここで口を挟んだ所で、どうにもならない。
「ところでガイ、コーラル城は遠いのですか?」
「ん?いや、そうでもないはずだぜ。ここからやや南東の岬の突端にあったはずだ」
イオンの問いかけにガイは不思議そうな顔を浮かべながら答える。
するとコーラル城か、と小さく呟くルークの声をジェイドの耳がばっちり拾った。
「興味が尽きないのは分からなくもないですが・・・」
「わ、わーってるよ!師匠も行く必要ないって言ってたしな」
別に行きたいなんて言ってねーっつの、と肩を怒らせルークは港の出口に歩き出す。
その後を追うように思案顔のイオン、アニス、カンタビレも続く。
そんなルークの後背を見つめていたガイがぽつりと漏らした。
「でも、ちょっと見るぐらいはいいかもしれないぜ?
ルークの奴、何か思い出すかもしれないし」
「・・・思い出さないかもしれないでしょう?」
「それは、そうだけどな」
ジェイドの返答に反論できないガイはそれ以上言葉を見つけられず仕方なく皆に続く。
と、
「お待ちください!導師イオン!」
二人の男が行く手を遮ってきた。
作業着を着ている所を見ると、船の整備士らしい。
「導師様に何の用ですか?」
イオンを庇うようにアニスが前に出る。
皆が事の成り行きを見ていると、男達は跪き必死に訴えた。
「隊長は預言を忠実に守っている、敬虔なローレライ教の信者です。
今年の生誕預言でも、大厄は取り除かれると詠まれたそうで安心しておられました」
「お願いします!どうか・・・!」
縋るような二人。
それを見たカンタビレは眉を寄せた。
ああ、またこれか。
また預言に踊らされ、預言が救いだと疑わない。
ただ状況に手を拱いている彼等に預言がどう救うというんだ?
本当に救ってくれるのは預言などではなく、救うと信念を定め行動を起こす人だろうに。
カンタビレは小さく舌打ちをついた。
と、整備士達の話を聞いていたイオンはゆっくりと歩み寄る。
「・・・分かりました」
「そんなイオン様!」
「よろしいのですか?」
非難するようなアニス。
静かに問うジェイドに首肯が返った。
「はい、アリエッタは私に来るように言っていたのです」
「わたしもイオン様の考えに賛同します」
「冷血女が珍しいこと言ってら・・・」
「『厄は取り除かれる』と預言を受けた者を見殺しにしたら、預言を無視した事になるわ。
それではユリア様の教えに反してしまう。
それに・・・」
「それに?」
「な、なんでもない・・・」
ばつが悪そうにティアはルークから視線を逸らした。
「ご主人様も行くですの?」
「行きたくねーな。師匠だって行かなくていいって言ってたろ」
「アリエッタはあなたにも来るように言っていましたよ」
「隊長を見捨てないで下さい!隊長にはバチカルに残したご家族もーー」
咎めを含ませたイオン、整備士の必死な言葉にルークはしかたねえな、と肩を落とした。
「・・・わかったよ、行けばいいんだろ?
あー、かったりー・・・」
「コーラル城はここから南東の海沿いにあります。
どうぞお気をつけて」
「だ、そうです。行きましょうか」
あっけらかんとしたジェイドの言葉に、今までのやり取りを聞いていたルークは首を傾げた。
「ん?あんたはコーラル城に行くの反対してるんじゃないのか?」
「いいえ、別に。私はどちらでもいいんです」
「なんじゃそりゃ。変な奴」
「カンタビレ、あなたも力を貸してくれますか?」
期待を込められたイオンの視線を向けられたカンタビレは膝をつき、降頭した。
「恐れながら、俺は反対です」
その言葉にイオンだけでなく、他の皆からも驚きの反応が返る。
一番の衝撃を受けているようなイオンは言葉に詰まりながらも続けた。
「し、しかしそれでは人質が・・・」
「人質は問題ではないんです」
「え?」
「イオン様が危険を冒す必要はない、そう申し上げているのです。
ご命令いただければ、俺が単身乗り込み人質を奪い返せば済む事」
「ですが・・・」
なおも言い募るイオン。
分かっていたことだが、やはりこのような結果となったか。
教団のトップに立つには、いささか難のある性格。
いや、自身の存在を省みないその行動は共に行動すれば、やはり危うさが目立って仕方ない程だ。
カンタビレは諦めたように小さく嘆息した。
「しかし、俺が反対した所で、行かれるのでしょう?」
「すみません・・・」
困ったように笑うイオンに、カンタビレは了承の代わりに肩を落とした。
自分も信念に基づいて行動している。
それは預言などで縛られたものではない、紛れも無い己の意志だ。
そのままコーラル城に向かうこととなったが、到着を前に日が落ちその日は野宿となった。
遠い視線の先、海岸線と共に僅かに見える城の輪郭を焚き火越しに見つめながらカンタビレは見張りをしていた。
「まだ気がかりなのかい?」
「何がだ」
「港で随分、考え込んでたろ」
焚き火越し、斜め前に陣取ったガイ。
次の見張り役からの問いに、一瞥を返したカンタビレは、月光に照らされた朧げな輪郭を再び見つめながら口を開く。
「『アリエッタが襲わせていた』っつってたのはあいつが言っただけで、俺達はその瞬間を見ていない」
「どういう意味だ?」
「アッシュに頼まれたからと言って、自らイオン様の不興を買うような行動を取るのは、妙だと思ってな」
「?」
疑問符を浮かべるガイに気付いたカンタビレは、目的地から視線を剥がす。
「一応、俺はそれなりに彼女の事を知ってるつもりだ。
どんな歪んだ形であれイオン様を敬愛しているアレがわざわざ足止め役となった。
それなりな理由がなけりゃ、そんな真似はしないだろ。
だとすれば・・・」
「謡将を疑ってるってのか?」
「あらゆる可能性のうちの一つだ。
アリエッタだろうが誰だろうが、イオン様に仇なすなら俺は容赦するつもりはない」
険ある視線を正面から受けても、カンタビレはひたとした視線を射返す。
何者にも屈しない強靭な意志を宿す紫電の瞳。
まるで自身の奥底の思惑を見透かされそうなそれに、ガイは僅かにたじろいだ。
相手の様子にカンタビレは、ふいと視線を外すと話を変えるように焚き火へと薪を投げ入れた。
「ガイは違うのか?」
「俺?」
「主人に牙剥く相手には、自身の持て得る力で守るもんじゃねぇのか」
再び視線を上げたカンタビレの瞳に先ほどの眼光はなく、無意識に詰めていた息を吐いたガイは表情を緩めた。
「そうだな。
ルーク坊ちゃんの腕じゃまだまだ目が離せないのは事実だしな」
「それには同感だ。しっかり面倒見てくれ」
「ははは、そうする」
「兎も角だ、ご指定のコーラル城には何かあると思った方がいい。
整備士をダシにして俺達を誘い込んだ回りくどいやり方も少々気になるしな」
苦虫を噛み潰したような表情でそう言ったカンタビレは、離れた所で横になっているイオンを見つめる。
その横顔には、イオンと接した時にだけ見せる柔らかい面差しがあった。
と、自身に返される視線に気付いたらしいカンタビレは先ほどの柔らかさとは打って変わった胡乱気な表情を返す。
「?何だ」
「いや、カンタビレは優しいと思ってさ」
「・・・寝惚けてるのか?」
「おいおい、酷い言い草だな。
イオンの事をそれだけ大事に思ってる証拠だろ?」
「俺自身がそれに値すると思ったから剣を捧げると誓っただけの事だ。
そうでなければ、んな僻地まで共には来んだろ」
そりゃそうだ、と笑うガイにカンタビレは後は任せるとばかりに後ろ手を振ると、イオンの眠る側の幹へと寄りかかり目を閉じた。
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2018.2.6修正
2017.1.3