越えるべき背中の一つ。
いつからかそう思っていた。
師と仰ぐのはたった一人。
その背だけを越えられれば良いと思ってた。
だが、いつの間にかそいつは師の隣に、目の前に存在していた。
顔を合わせれば腹が立つ事しか無かったのに、妙に真理を常に突いてくるのがさらに腹立たしくて。
『それで、今のお前に何が出来る?』
焦りで見えなくなった視界を、そいつはいとも簡単に切り開いたあの時からか。
見透かされたその言葉に、あの時は何も言えなかった。
ーーNo.39 崩壊 中ーー
ーーカラーン・・・ーー
濡れた手から剣が滑り落ちた。
味気ない床には鮮やかな模様が描かれる。
後から後から、それはどんどん大きく広がっていく。
「はぁ・・・はぁ、はぁ・・・っ・・・」
乱れる呼吸。
耳朶を覆う鼓動。
末端から冷えるような感覚に、カンタビレは無意識に笑いがこみ上げた。
「はは・・・奴らを、笑えた義理じゃ・・・ねぇな」
血の海に倒れる神託の盾兵を見下ろしたカンタビレは呟き、自身の脇腹をキツく縛りながらぼやける頭を振った。
このままここにいては不味い。
これがヴァンによるものだとすれば、別行動したイオンの身が危ない。
奪われた剣を神託の盾兵から奪い返し、カンタビレは歩き出した。
しかし毒が抜けきっていないようで、壁伝いにしか進めない。
くそっ、と悪態を吐きながら歩みを止めずに進むと前方から鎧のぶつかる音が走り寄ってきた。
「貴様っ!」
「逃がすか!」
面倒だ、とばかりにカンタビレは深く息を吐くと敵に向かって手をかざす。
「アイシクルレイン!」
「「ぐっ!」」
氷に貫かれ、敵は沈んだ。
荒い息を吐いたカンタビレは、先ほどの二人が守っていた扉を伺い見る。
と、そこに居た人物に思わず声が漏れた。
「ティア?」
「カンタビレ教官!?」
どうしてここに、という教え子に構わずカンタビレは扉を開ける。
そしてカンタビレの姿を見たティアは驚愕の声を上げた。
「教官!どうしたんですか!?」
「・・・俺のことは、いい・・・」
「しかし、その傷はーー」
「聞け!」
強い口調の遮りにティアは口を噤む。
そして壁に身体を預けたカンタビレは、そのままズルズルと座り込み再び話し出した。
「・・・イオン様が危険だ、すぐに向かえ」
「イオン様が?どうして・・・」
「ヴァンが・・・何か、企んでる・・・」
兄さんが、というティアにカンタビレは首肯する。
「何かは分からん。
だが・・・胸騒ぎが、治まらん」
早く行け、というカンタビレにティアはおずおずと頷いた。
そして、歩き出そうとしたがすぐに戻り、カンタビレの前に膝をつく。
「おい何をーー」
「清純なる命水よ・・・メディテーション」
心地良い第七音素が身体を巡り、毒に侵された身体が軽くなったのを感じた。
かつての教え子の行動にカンタビレは呆れたように溜め息をつく。
「・・・お前は・・・」
同じ教え子でも、命を脅かす者にもなればこのように救う者にもなる。
指導者としての技量を見せつけられたようで、カンタビレは僅かに表情を緩めた。
「・・・助かった、鍛錬は怠ってなかったようだな」
「あ、いえ///」
赤くなるティアの頭をくしゃと撫でたカンタビレは表情を改めた。
「行け、時間が惜しい」
「はい!」
走り去るティアを見送り、しばらくしてカンタビレは立ち上がった。
もはや自分の体調云々を言っている場合ではない。
ヴァンが何を考えているのか分からない以上、ここでのんびりしている暇はない。
引き摺るように足を進める。
と、その時。
近づいてくる足音に物陰へ身を潜めた。
(「くそっ・・・時間がないってのに・・・」)
一歩一歩近づいてくる足音に、カンタビレは剣の柄を握る。
そして、躊躇うことなく一気に振り下ろした。
ーーガキーーーン!ーー
「!」
「お前は!」
視界を掠めた紅にカンタビレも、そして相手も目を瞠った。
「アッシュ・・・どうしてお前がここにいる?」
「こっちの台詞だ!」
剣を降ろしたカンタビレにアッシュの不機嫌そうな顔が向けられる。
が、カンタビレの姿を見るなりすぐに表情が変わった。
「お前、その格好・・・」
「御託はいい!答えろアッシュ!ヴァンはどこだ!!」
肩を荒々しく掴み、普段らしからぬカンタビレの焦燥に駆られた様子に、只事ではないと悟ったアッシュは素直に答えた。
「おそらく、セフィロトだ」
「入口は?」
「・・・付いてこい」
そう言って走り出すアッシュに倣いカンタビレは後を追った。
目の前には幾何学模様の扉が脈打つように淡い光を放っている。
まるで大地の鼓動のようだ。
瘴気までもが、それを恐れるようにこの辺りにはない。
「・・・」
もうすぐ。
もうすぐだ。
長かった計画もいよいよ、陽の目を見る。
愚かしく汚らわしい我が手駒によって。
「・・・ふっ」
見ているか?
絶対的な世界にしたモノよ。
見ているがいい。
己が定めたモノによって絶対的世界が壊される様を。
「師匠!」
さあ、いよいよだ。
開幕の足音が走り寄ってきた。
何も知らない駒が、ようやく踊り出す。
もうすぐ。
もうすぐだ。
貴様が世界を壊すことで、ようやくこの世界の救済が始まる。
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2020.12.5