ーーもう一つの選択ーー
夜が明けた昼時。
広がっていた薬品類は粗方が片付けられ最低限の機器が並んでいる中で前腕部のガーゼを交換しながら、
はもうしっかりと意識を取り戻した傑に訊ねた。
「目が覚めたついでに一つ、確認したいことがあるのですが」
「何だい」
「私が目を覚ますまで手当をしてくれた方は誰ですか?」
「どうしてそんなことが気になるんだい」
「気になるというか、あなたの指示とはいえ助けたくもない相手の手当をしてもらったんですから呪詛師とはいえ礼を言うのは人としての礼儀じゃないですか」
「殺し合いをする相手に礼か」
「私は手を下すことになる相手にも礼くらい言います。減るもんじゃありませんから」
話しながらも、処置を続ける手は素早く迷いがない。
積み上がっていく変色したような褐色と蜂蜜を煮詰めたような濃い橙、そして鼻につく僅かな腐敗臭。
それらが全て自分から出ている成れの果てだとは思えないながらも、処置が行われている感触は間違いなく自身のものであると示している。
と、傑が反応を見せなかったことで、作業していた
の手が止まった。
「・・・」
「聞こえてますか?」
「ん?あぁ・・・私が回復したら伝えておくよ」
作業しつつも回復具合を図られていたらしく傑が取ってつけたよう答えたが、
が求めていた回答にはそぐわない返答に作業の手は本来のスピードに戻った。
「・・・教えるつもりは無いってことですか、結構なことですね」
ーーギュッ!ーー
「っ!・・・・手荒いね」
「死にはしませんよ」
ささやかな意趣返しにしては、結構な激痛で傑の視界はにじむ。
そんな傑の様子を知りながらも、気に留めた様子をみせない
は最後の仕上げである包帯を巻き終えた。
「では今日一日様子見して問題なさそうならもう大丈夫でしょう。
熱は少しありますが、数日安静にしていればあなたなら回復するでしょうしね」
「そうか」
「じゃ、廊下で待機している方にーー」
ーーパシッーー
腰を上げようとした
の手首が包帯が巻かれた側の手で掴まれた。
まだ機敏な動きをするにはまだ時間を要すると思っていた
は驚いたように振り返る。
そこには病み上がりながらも、力強さを見せる瞳が
を見据えていた。
「食事が運ばれるまで下がらせてる。伝えるのはあとでいいよ」
「・・・不用心極まれりですね。私は丸腰ですけど、今のあなたより身体の自由は利くんですけど」
「君に殺されるのも悪くない」
「・・・」
「けど、殺すなら君こそ体調を万全にするべきだろう」
「私より重症な怪我人が他人の心配するなんてバカじゃないですか?」
「ろくに寝てないだろ」
「あなたの所為ですけどね」
「だからだよ。もう心配ないなら少し休んだらいい」
「今日一日ははまだ様子見とお伝えしたはずですが」
「それは念の為だろう。君の腕は信用している、ならもう問題ないだろう」
「それが素人判断だって言ってるんです」
売り言葉に買い言葉のような応酬。
何を言おうとも両者譲らないことに、先に折れた
は埒が明かないとため息を吐いた。
「はぁ、分かりました。
そんなに死に急ぎたいならこの点滴が終わったらあとは素人判断でどうぞご勝手にしてください」
荒く言い捨て、
は追加の点滴の準備を手早く終わらせる。
その後、後でやるつもりだった洗濯が終わった包帯を一つ取り出すと、目標の時間まで黙々と巻き直し始める。
近くでその作業を見ながら、今は口出ししかできない傑はどのような会話で作業の手を止めようかと思案を巡らせるのだった。
ぱちっ、と意識が弾けたように覚醒した。
どうやらうたた寝をしていたらしい、と思ったが障子戸から見えるはずの陽光は無く代わりに室内を小さな照明が照らしているだけ。
普通、陽が出ているなら照明は付けずこんなに薄暗くなるはずはない。
「・・・え!」
勢いよく起きてみれば、日はとうに暮れているらしいことが分かる。
ベッドの周りも医療機器は片付けられ、薬品が所狭しと並べられていた机の上には、まだ昼過ぎに
が巻き直していたはずの大量の包帯がきれいな円柱形で並んでいた。
そしてその隣には椅子に沈み込むように眠っている
の姿。
まだ記憶が残っていた時よりも身体の調子が軽いが、短時間でこうなるとは思えない。
予想ができたはずだったが、自身の甘さを痛感した傑はやられた、とばかりに額を押さえた。
「しまった、点滴に睡眠薬でも仕込まれてたか・・・」
厳重に包帯が巻かれ盛り上がっていたはずの腕は、今は本来の腕の太さ分のみの包帯が巻かれているだけ。
どうやら眠っている間にまた交換されたらしい。
『許可するまで外さないこと』というメッセージ付きなのが笑えてしまった。
再び傑は
を見る。
薄暗い中でも分かるほどくっきりと付いた目元のクマはここ数日、ほとんど睡眠を取っていない何よりの証拠だ。
傑は自身に掛けられていた上掛けをかけてやり、眠ってしまう直前のやり取りを思い返した。
ーー礼を言うのは人としての礼儀じゃないですかーー
「君はまだ私を人として扱ってくれるんだね」
手当をしたのは他でもない傑自身だった。
敵対している呪術師の手当を他の者に任せることはできなかった。
それが今、家族と呼び慕われている自覚はあっても尽くしてくれている忠義心から手を下す可能性は否定しきれなかったからだ。
だが、反転術式を持たない自分ができるのは、かつての同期から教わった応急処置だけ。
手当の際に目にしてしまった、服の下に隠されていた無数の傷跡。
何故、彼女がここまで傷を負わなければならないのか。
心にも深く傷を負っているはずなのに、何故、呪術師を続けるのか。
聞いてみたいが答えてくれるとは思えず苦笑が浮かぶ。
「そもそも辞めろと言ったところで、頑固な君は頷かないんだろうな」
傷を負わせている一因が自分にもあることは自覚していた。
いっその事、恨み言でも言えばいいものをそれをぶつけず。
こちらの事情を汲んでか叶わぬことを知ってか、自分勝手な願望を口にすることすらせず。
かつての先輩後輩の関係がそうさせるのか、敵対しているはずの相手に優しすぎる。
それは負わせた傷による歪みか、彼女の弱さゆえなのか。
どちらにしろ、自分が引き込んだ今の状況は最初に手を出した時から想定を大きく外れてしまっていた。
ーーどうして助けたんですか?ーー
「・・・どうしてだろうね」
小さく呟いた傑は
の顔にかかった髪を払った。
身体が勝手に動いていた、というのは言い訳かもしれない。
見つけた時、あのまま見捨てていれば良かったのかもしれない。いや、近くの医療機関に運ぶだけでも良かった。
それが本来の対峙している者同士の、かつて同じ道を歩んだ者同士のせめてもの情け。
取るべき選択だったはずなのに。
血塗れで意識を失った
の姿を目にした瞬間、気付けば取り込む予定だった呪霊を祓い、気付けば連れ帰ってしまっていたのだ。
(「誰の手にも触れさせたくなかった、なんて言ったら君はどういう顔をするのかな」)
薄闇に響く独白は誰に聞かれることなく、ただ静かに静寂の波間に消えていった。
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2025.05.30