ーーもう一つの選択ーー
翌日の深夜。
傑が倒れてから約60時間が過ぎた。
「・・・っ」
「気が付かれましたか?」
ちょうど点滴薬の追加作業をしていた
は、目覚めたてらしい緩慢な動きをする傑を見ろしながら声をかけた。
すると、ゆっくりながらも
を見ようと首を動かした傑に脇に置いた診療録に時刻と追記を加えながら続ける。
「油断が過ぎたんじゃありません?呪霊から手傷を負わされた上にあんな雑な手当なんて、あなたの方が死にたいみたいですね」
「・・・君が手当を?」
かすれ気味の問いに答えず、血圧計で血圧を測りながらまた診療録へと書き加えながら
は再び口を開いた。
「組織として今後も活動するつもりなら、もっと医療体制を充実させるべきですよ。
硝子さんレベルの医療者も無く万が一の搬送先も無いなんて、自滅宣言しているも同然です。お粗末過ぎて笑う気も起きませんよ」
「はは・・・耳が痛い」
「そう思うなら、早く完治させてくださいよ。仮にも組織を束ねている立場にーー」
「どうして逃げなかったんだい?」
の言葉を遮った傑に、遮られた方の
は不満げに睥睨の視線で見下ろす。
しかし、見下された側の傑は臆することなく続けた。
「私がこんな事になって、あの部屋から簡単に抜け出せたはずだ。
わざわざ犯罪者の手当なんてする必要無かっただろう?」
あえて選んでいるとしか思えない言い回しに
はさらにすいと目を眇めると、傑に背を向けつっけんどんに言い返した。
「・・・答えたくありません」
「死の淵を彷徨った怪我人相手に酷いこと言うね」
「ご自身の失態を恩人になすりつけないでください」
「じゃあ、今もこうして甲斐甲斐しく居てくれるのは何故かな?」
病み上がり特有の弱々しい声。しかしその内容は底意地が悪い。
小さく舌打ちをついた
は手元に苛立ちをぶつけるようにしながら低い声で答えた。
「そんなの、どんな容態になっても対応できるのが私だけしか居なかったからです。
誰かさんの人望が無いのと人材補充の怠慢のせいです」
「今の状況の説明には足りないんじゃないか?」
「今だけはかつて尊敬していた先輩にたくさんいただいた借りを返してるだけです。
それに、あれだけ周囲から心配されているのを見たら放っておくなんてできないですよ」
もはや苛立ちを隠すことなく、記入の手を一旦止め、用を終えた空の点滴薬をゴミ箱へと勢い良く放り投げる。
まるで当人に向けたい拳を別のものに向けていることが分かるようなそれに傑は苦笑しながら動き続ける
の背に続けた。
「人が良いね」
「普通です」
「付け込んでしまいそうになる」
「人心掌握の相手違いです」
「助かったよ」
不意打ちの言葉に一瞬、呼吸を忘れた。
身動きを止め固まってしまった
に言い聞かせるように傑は続けた。
「ありがとう」
「・・・お礼を言われるほどのこと、してませんから」
どうにか内心の動揺を押し隠し、かろうじて悪態を返す。
そんな
に苦笑を返す様子がわかったことで、傑の行動一切を視界から締め出すようにそっぽを向くと、これ以上の会話を打ち切るようにつっけんど
んに告げた。
「まだ眠ってください。
応急処置が遅れましたから、しばらくの間は毒の影響を覚悟してくださいよ」
それだけ言うと、
はベッドのそばを離れる。
気配から廊下に控える部下と話す声が聞こえ、自身のことについて話しているのだろうと分かった。
まるで、高専の時のように唯一尊敬する先輩へと、安心しつつも声量を抑えた様子で電話をかけていた姿と重なる。
しかし現在において、その行為が示すのは自ら滅びの道を招くことと同義。
(「自分の立場を悪くするだろうに」)
傑が意識を取り戻したことは廊下で待機していたラウルに告げた。
すぐに部屋に入ったラウルだったが、すでに傑は再び眠りについていた。
誰に周知するかは任せるが、まだ面会謝絶なことには変わりないことだけを告げ、
は再び枕元の計器類と患者の顔色を伺う位置へと腰を落ち着かせていた。
今は等間隔で刻まれる電子音は眠気を誘うもので、かといって患者の顔を見続けることはなんだが癪で、意識を変えるべく
は障子張りの窓を少し開け、手近の柱に頭を預けた。
(「あー・・・どうしたもんだろ」)
時刻は草木も眠る丑三つ時。
空にかかる繊月からの光は弱く、手入れの行き届いた庭はどれもこれも暗い影に覆われていた。
まるで自身の先行きを見せられているようだ。
『私がこんな事になって、あの部屋から簡単に抜け出せたはずだ。
わざわざ犯罪者の手当なんてする必要無かっただろう?』
短い目覚めでの指摘の通り、敵を助けたなんてバレた日には召喚程度で済む話しにはならない。
傍目に見れば歴とした反逆行為。
呪詛師から逃げるでもなく手当てをし、あまつさえ今後のアドバイスまでしている。
当然ながら、上層部に嫌われている自分の首を自分で絞める行為だ。
(「何やってんのかな、私は・・・」)
自身の先に待ち受けるものはだいたい決まっている。
そして選べる道もそう多くはない。
これから自分はどの道を選択するのだろうか。
ただ、今だけは何も考えたく無く、
は嘆息と共に静かに目を閉じた。
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2025.05.30