ーーもう一つの選択ーー
その後、僅かながら食事に手を付け始め、睡眠も取るようになってしばらく経った。
負傷した怪我もゆっくりと回復の兆しを見せ、最近では開き直りつつある
は隙きを見ては呪力の訓練を行っていた。
そんなある日。
術式によって隔離してあるはずの和室の一室まで届く何やら慌ただしく音が響いてきた。
(「騒がしい・・・」)
軟禁されていることもあり、暇を持て余している
は騒音の元へと足を進める。
とはいえ、術式によって本来の場所から隔絶されているため、廊下を歩き回ったところで目的の場所へとたどり着くことはできない。
だが今日に限っては妙な違和感があった。
(「いつもより、気配が・・・!」)
壁に手を当て壁伝いに歩いていれば、いつもはループするはずの景色が目の前に慌ただしく動き回る人の往来が映る。
術式から抜け出した、そう理解しつつも、そうなった原因についても察しがつき周囲に指示を出している女の後ろから声をかけた。
「何かあったんですか?」
「何かって!夏油様が倒れーー!あなた!どうしーー」
「御託は要りません、彼の所へ案内してください」
「はあ!?なんであんたをーー」
ーーグイッ、ドンッ!ーー
それ以上の問答を打ち切るように
は素早く後ろへ回り込むと相手の両手を後ろ手に捻り上げ、壁に押し付け身動きを封じた。
「っ!よくも!」
「私は反転術式を使える上に医療知識もある。ならず者集まりのエセ知識で彼を殺す気ですか?」
「なっ!?」
「私を連れて行きなさい」
和装の建物に似つかわしくない喧騒は未だ続いていた。
その発生源である一室には、仲間の到着を待つ男が表面上は冷静を装いながら今か今かと待ちわびていた。
「真奈美、遅かっ・・・」
引き戸が開かれたことで、ラウルが振り返ったそこには、後ろ手を捻られているのか痛みに顔を歪めた待ち人と、その後ろから軟禁していたはずの
が部屋へと入ってくるところだった。
自身が注目されるのが分かったのか、
は拘束していた真奈美を開放するといち早く口を開いた。
「私に対する質問は後で、彼の症状と直前の行動を端的に答えられない人は出て行って下さい。治療の邪魔です」
「はあ!?あんたなんかを夏油様に近づかーー」
ーーパシッ!ーー
傑に近付こうとした
の肩を掴んだ菜々子の手を
は容赦なく跳ね除ける。
当然、怒り心頭の様子を見せた菜々子は声を荒げた。
「っ!何すんーー」
「何度も言わせないで下さい。
カルテを、それとここで用意できる薬品一覧も持って来て下さい」
布団に寝かされた傑の横に腰を下ろした
は首元に指を添え脈を計る。
その場に居合わせた面々が互いに顔を見合わせ戸惑いをみせる。
当然だろう。
呪詛師の集まりでそれを率いるトップが臥せ、それの治療をすると言い出したのは拘束中の敵である呪術師だ。
無防備な背を向けている今にもトドメを刺されても文句を言えない状況。
逆の立場であれば
はこの部屋に入った瞬間に行動に移していたかもしれない。
困惑の渦中、
が再びせっつこうとした間際に、この部屋でずっと留まっていた男が口を開いた。
「傑ちゃんはある呪霊を狩りに行くって言っててね」
「ちょ!ラウル!」
「その呪霊の詳細は?」
「特に言って無かったわね」
「っ〜〜〜!」
「なるほど、分かる範囲でこれまでの状況と症状は?」
「戻ってからちょっとして急に倒れて、腕が腫れてたからとりあえず冷やしていたみたいだけど・・・」
挟まれる文句を聞き流し、
は傑の袖を捲ると痛々しく腫れ上がった患部が顕になった。
周囲はたじろぐが
は臆することなく患部を観察し、原因となった箇所を見据えた。
(「咬み傷のような2つの穴・・・」)
毒々しい色の原因の穴からは、濁った組織液が未だに滲み出していた。
原因の予測はいくつか心当たりがついたが、まだ情報が足りない。
不足分を補うように、歯茎の確認、リンパの触診、瞳孔の開きなどできうる限りの身体所見情報を集めていく。
厳しい表情を見せていた
は今度は部屋の周囲を見回す。
私室とは違うようだが、何度か見た五条袈裟の服がかけられているところをみると着替えに使用しているらしい部屋だろうか。
と、かけられた服の横に置かれた鎌倉名物の土産袋を見留め、原因の当たりを推察した
は自身の浴衣の袖を捲った。
「応急処置をします。
メスもしくは切開できるナイフ、ありったけのガーゼか布、消毒薬と縫合用の糸と針、患部を縛る紐、大量のペットボトルの水、濃い目の緑茶か渋茶、手桶と人
肌程度のお湯。
可能なら生食の点滴とカテーテルの用意と挿管器具も一式あればすぐここへ、それが無理なら話がつけられる医療機関に連絡を。
あ、念のためそこの方と同じくらいの腕力に自信がある方を3名待機させてください」
淡々と指示を出していく
だったが、室内に残ったメンバーからはいまだに戸惑いと疑いの反応ばかりで動く様子を見せない。
しかし、容態を診た限りまごついている暇は無かったことで、
は尻を叩いた。
「聞こえなかったんですか?それとも彼をこのまま見殺しにしたいんですか?」
「は、はあ!?あんたなんか信用できるわけーー」
「すぐに用意するわ」
「ラウル!」
「文句言うなら処置の邪魔です。出て行ってください」
「あんたこそ出てーー」
激昂する菜々子がスマホを手に
に詰め寄ろうとしたが、それを逞しい腕が阻んだ。
「ラウル!離してよ!」
「今は傑ちゃんが優先よ」
「だからって!あんな女の!」
「彼を今手にかけるつもりはありませんよ、その点は信用してください」
怒鳴り散らす菜々子に対して、置かれた薬品を確認しながら
は面倒そうに返す。
周囲がラウルの指示で慌ただしく動く中、憎しみ孕んだ声で若い呪詛師は絞り出した。
「・・・夏油様に何かあったら殺してやる」
「楽しみにしています」
時刻はとっぷりと日が暮れ日付が変わった頃。
メモリの下降と聴診器の音を見据えていた
は、どうにか次の段階に進める値となったことで脱力したように深く息を吐いた。
「はぁ・・・なんとか、か」
ーーコンコンーー
「どうぞ」
振り返ることなく応じると、
は聴診器を耳から外し時間ごとに計測してきた結果を書き足していく。
取り急ぎで用意された白紙には、時間ごとの症状に投与された薬・投与量、血圧や体温などが事細かに並んでいる。
昼過ぎから休むことなく動き続け、今なお血圧計を片付けつつ残りの薬の分量を確認しながら次の行動に備えている
の後ろ背を見下ろしながら、入室したラウルは薬品が並んだ一角へ運んできたものを置いた。
「点滴と追加の薬が来たわよ」
「ありがとうございます、確認するのでそこにまとめて置いて下さい」
言うが早いか、
はすぐに手を止めると持ち込まれた点滴とアンプルの確認を始め小さく呟きながら点滴スタンドへ持ち込んだ点滴薬をひっかけていく。
部屋の装いは昼時から一変していた。
布団に横になっていた主は、部屋の中央に運び込まれたベッドに横にされ、身体から伸びた管はその周囲には用意できた医療機器へと繋がっている。
といっても、一般的な病院で揃えられる電子機器は少ない。
の診察の結果、すぐに病院に運んだほうがいい、という話になったが、話し合いの末にこの場での治療を行うこととなった。
急遽揃えられた治療機器はお世辞にも自分達を率いるリーダーを手当するにはお粗末な代物ばかりで、実際に治療を行う側としては文句が出てもおかしくなかっ
たが
は何も言わず追加された道具が出てくるたびに治療を続け、揃えられないものについては代替となる道具の指示を飛ばし続けた。
治療の途中、軽度の錯乱を見せたことにより一時騒ぎになったことでこの場に立ち入りはラウルと限られた者のみとしている。
しかし錯乱した相手を目の前にしても
は動じることなく、騒ぎ出した面子を叩き出し、最初の指示通り腕っぷしのあるメンバーに身動きを封じさせて治療を続けた。
無論、腕っぷしはあっても動揺で動けないと知れば
は即座に叩き出したのだが。
初対面で抱いた印象通り、いやそれ以上に上書きされたが相当肝が座っている。
自身は丸腰で、下手をすれば命を奪われる立場であるのに、その相手に向かって邪魔だからとっとと出てけと言い放ったのだ。
痛快、といえば聞こえは良いが、叩き出された仲間うちからは不穏な言葉も漏れているのも事実だった。
とはいえ、やらかした当人は聞こえてもどういう反応をされるかも全てを承知してなお、こうして未だに動き続けている。
時間にして約半日。
外科的な処置も行ったため、
の装いは傍目に見ても褒められるような格好ではなくなっていた。
「酷い格好ね」
「もう少し容態が落ち着けばちゃんと整えて他の方にも見せれる状態にしますよ。ただしばらくはここに人の立ち入りはこのまま制限した方がいいですね。じゃ
ないとーー」
「違うわよ」
「違いませんよ。彼を殺したいなら別に止めませんけど」
「だから傑ちゃんのことじゃないわ」
「なら誰の話です?」
「あなたの事よ」
「は?」
その言葉で点滴薬に数字を書き込んでいた手が止まり、視線がラウルへ移った。
作業の邪魔になる浴衣の袖はたすき掛けで留められてはいたが、浴衣前部分は処置の際の返り血でなかなかの惨状だ。
その上、とりあえず結われた髪もずっと動きつけていることもあり乱れ、極めつけはまだ怪我人から脱していないこともあり、深手となった箇所からは傷口が開
いたことが分かるようにじんわりと鮮やかな花が咲いていた。
だが
は単なる格好のことだけだと思ったらしく、自身の格好を一瞥すると手元の作業を続け呆れたように応じた。
「別に私のではありませんし」
「女の子がそんな血塗れでいるもんじゃないでしょ。ちょっと待ってなさい」
(「女の子て・・・」)
なかなか言われ慣れないフレーズに筆先を誤りそうになる。
気を取り直し、誰も居なくなった部屋で作業を続けていた黎馨だったが、再びラウルが戻ってきた。
その手には着替えらしい新しい浴衣一式が乗せられていた。
「はい、このサイズなら問題ないでしょ。ついでにお風呂の準備もしたから入ってきたら?」
「危機意識の欠如も甚だしいですね」
呆れ果てるしかない行動に
は、メスや鉗子の医療器具が並んだ台に手を置き眇めた視線を返した。
「目を離した隙にこの人が危険に晒されるとは考えなかったんですか?」
「だって、あなたは傑ちゃんのこと助けてくれたじゃない」
「企みがあるからかもしれませんよ」
「それに傑ちゃんはあなたの事、随分心配してるみたいだしね」
「・・・」
予想外のフレーズを返されたことで
は返答に窮した。
しかしすぐに苦虫を噛み潰した表情へと変わり、重々しくため息をついた。
「はぁ、馬鹿馬鹿しい。所詮、呪術師と呪詛師は殺し合う仲ですよ」
「それは間違いないわね」
「ま、着替えはありがたく」
正直、衛生的にも着替えたいと思っていたので
はその場でスルッと腰帯を外して脱ぎ始める。
だが目の前で着替えだした途端にラウルは悲鳴のような声を上げた。
「きゃー!ちょっと!女の子はもう少し慎みを持ちなさい!」
「?女の裸に興味はないのでは?」
「そう言う問題じゃないでしょ!」
ってかあんたが叫ぶんかい。
この場に傑が居るからか、ラウフは声量は抑えながらもまるで子供に言い聞かせるようにくどくどと女子たるものはと口上を続けていく。
その後、
を風呂場へと連れ出すと再三服はちゃんと着ろと言い含め、出口の扉を締めた。
気配からどうやら風呂場のドア前でそのまま待機しているようだ。
そんな暇があるなら計器類の数値に変化が無いかを気にするべきだろうに。
とはいえ一応、心が女であるなら別にあの場で着替えても問題なかったはずだというのに、ここまで連れてきたのは心境の変化なのかそれとも女であることに気
を遣ってなのか・・・・
(「分からん・・・」)
当人にとっては謎な行為であることには変わらなかったが、厚意には変わりないことでさっさと済ますべく腰紐を解くのだった。
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2025.05.30