毛先から雫が落ちる音さえ遮られる雨音の中、はスマホから一つの番号をかけた。
すると、まるで待ち受けていたかのように間を置くことなく相手から応答が返された。

「お疲れ、伊地知くん。
・・・そー、さすがだねもう知ってた?
山道が一つしかないらしくてさ、復旧作業は早くて明日だって。
でもこの豪雨だから詳しい目処とかは日が昇んないと分からないらしいことまでは聞いたんだ」

もはや雨宿りになっていない樹の下で雨を避けながら、災難となった空を見上げながら小さく息を吐いた。

「どちらにしろ明日また連絡するよ。
近くに宿あるみたいだし、山道が復旧しないなら迎えに来てもらえる所まで自力で出るから。
うん、スケジュール調整だけよろしくね。じゃあまた」












































































































ーー一夜限りのーー












































































































ずぶ濡れとなりながらやっとの思いで民宿へとたどり着いた。
暗くて見える外観は限られたが、品のある宿だ。
内装や調度品も来訪者をもてなすような、調和の取れたものばかり。
雨でなければ、きっと都会の喧騒とは切り離された心地よい静寂の宿だと思えただろう。
プライベートでゆっくりと羽を伸ばすには最適な立地と趣だな、と内心独りごち・・・もとい現実逃避したは恐縮顔の男の話を右から左へと流した。

「申し訳ございません。本日はご予約のお客様で埋まっておりましてお部屋のご用意は・・・」
「あー・・・急だとやっぱりそうですよね」

あわよくばの期待が薄ーっすらあったが予想通りの答えが返される。
乾いた笑みを返すだったが受付の男はフォローするように続けた。

「ただ、土砂崩れの連絡は当方でも受けておりますので、ロビーでよろしければご利用いただけますがいかがでしょうか?」
「それで十分です。雨宿りさせていただいた上にご無理をーー」
「その人は私の連れだよ」
「!」

割り入ってきた声に硬直した。
聞き覚えのある声に振り返れば、記憶に違わないその人が立っていた。
宿の備え付けだろう落ち着いた色合いの浴衣に身を包み、記憶よりも高くなった身長に伸びた髪。
驚き固まるを他所に、傑は受付の男に向け口を開いた。

「オーナー、申し訳ないがもう一人分用意してもらえるかな?」
「かしこまりました」

従業員に指示をするためか、オーナーと呼ばれた男がその場から消える。
そして互いの視線が邂逅を果たした。
こうして互いにはっきりと対峙するのは何年振りか。
表情を変えぬままは腰元へと手を伸ばしながら、半身を引き、すぐに他の呪具へと届く距離へと足をにじり寄らせた。

「や、奇遇だね」

まるで旧友との再会を喜ぶような気安さで手を振り返される。
全身で警戒を強め、緊張を解かないが口を開こうとした時、それを遮るように傑は唇の前に人差し指を立てた。

「今は話しを合わせた方がお互いのためじゃないかな?そんなにずぶ濡れじゃ風邪もひいてしまうしね」
「・・・どういうーー」
「お待たせ致しました、お部屋へご案内致します」

出鼻を挫かれるとはこのことか。
戻ってきてしまった第三者の介入に、いつもは返せるはずの咄嗟の返しが浮かばない。
表情を強張らせ身動きを止めてしまったにオーナーからは不思議そうな視線が返され、もう一人からは相変わらずの余裕ぶり。
は仕方なくこの場は言う通りにするか、と足元の呪具を担ぎ上げた。

「・・・ありがとうございます」

部屋に案内されたは早速、温泉へと向かい浴衣へと着替え終える。
ひと心地はついたが、色々問題だ。
呪具回収の任務は空振り。
通り雨でずぶ濡れになるわ、山崩れで帰り道が絶たれるわ。
トドメに特級呪詛師と会敵どころか同じ宿に居合わせている。

(「ホント何なの私の遭遇率・・・」)

こういうのも呪いか?
いや、もう引きが良すぎると思ったほうがいいんだろうか。
気重にため息を吐きながら廊下を歩き、案内された部屋に戻った。

「お帰り、温泉はどうだった?」
「・・・おかげさまで、乾いた服をいただけただけで快適です」

そうだった、同じ宿どころか同じ部屋だった。
ずかずかと大股でテーブルに座る傑の前を通り過ぎ、は窓辺の椅子へと荒々しく腰を下ろした。
可能な限り距離を置きたかったが、室内では限界がある。

「それにしても、こういう偶然ってあるんだね」
「喜べることじゃないんですけど」
「運命、とでも言うのかな?」
「止めてください」

刺々しさが抜けないの返しに傑は首を傾げる。

「随分と機嫌が悪いね」
「貴方がいるからです」
「以前負った怪我の具合はどうだい?」
「誰かさんのお節介の所為でご覧の通りです。その後の顛末もお伝えしましょうか?」
「それについては謝罪済みだから遠慮しておくよ」
「それは残念です。
そちらこそ、呪物の回収は無事に済んだんですか?」
「まぁね。まさか君が派遣されているとはね」
「それはこちらのセリフです。特級呪詛師自らが足を運んでくるとは、そちらはよほど人手不足のようですね」

痛烈な皮肉を返すだったが、傑は気に病んだ様子もなく会話を続ける。

「実は家族から少し骨休めするように言われてね。伝手で猿が来ないここを選んだんだ」
「なら受付のオーナーは・・・」
「ああ。彼も一応は呪術師だよ、高専に登録されてないだろうけどね」

含みのある言い回しに、思惑が看破されてることが分かり、は苦々しく呟いた。

「その口ぶり、彼を尋問してもあなたにつながる情報は得られない、ということですか」
「相変わらず察しが良いね、昔より磨きがかかっているようだ」
「馬鹿にしてるんですか?」
「さっきから何を怒っているんだい?お腹が減っているのかな?」
「んなわけ無いじゃないですか」


再会して初めて呼ばれる名に一瞬、呼吸が止まった。
そんなの方を見る事なく、手元の湯呑みに視線を落としたまま傑は続けた。

「今日だけは、肩書も立場も忘れないか?」
「脅しですか?」
「そんな風に感じたかい?」

困ったように傑はへ笑い返す。
対して、は敵意を隠す事なく頑なに棘を返した。

「あなたにその気がなくても私は丸腰、そちらは呪霊操術で攻撃し放題ですよね」
「君だって呪具は持っているだろう?」
「あなた相手では丸腰同然です。
それにこの状況であなたの言葉が脅しじゃないと素直に信じられるほど私は呪詛師相手に殺し合いをしてきていませんから」
「手厳しいね。でも、私は君に嘘をついたことは無いんだ。信じてくれないかな?」

真っ直ぐ注がれる視線。
直視に耐えられなくなったの方が先に視線を外し、不機嫌なまま言い捨てた。

「どうせ私の命はあなたの手の平の上です、従うしかないですよね」
「これはまた会わない間に随分と捻くれてしまったね。
でも感謝するよ。さて、そろそろ食事にしようか」

しばらくして、食事が運ばれてくる。
一目見ても高級なことがわかる、一品一品の繊細な盛り付け。
こんな状況じゃなければきっと舞い上がっていただろう。

「・・・」

そして、箸を運べばやっぱり美味しい。
表情もつられて緩みそうになるも、目の前の存在にそんな反応してやるものかという反発心が起こりどうにか押し留める。
と、難しい表情のままパクパクと食事を口へと運んでいる自身を凝視する傑に気付いたはさらに眉間の皺を深くした。

「・・・なんですか?」
「いや、敵だと言いながら普通に会話してくれたりこうして食事したりって、度胸あるよね」

どの口が言うんだ。
思わず手にしている箸を折りそうになる。
食事が運ばれてくる前に聞かされた言葉を繰り返してやろうとも思ったが、どうせはぐらかされることが長い付き合いの面倒な類友を知ってるだけにはふん、と鼻を鳴らした。

「食べ物に罪はありませんので」
「毒を仕込まれてるかもしれないのに?」
「敵にならない格下相手にそんな回りくどい手をあなたは使わないでしょ」
「そういうところ、たまに見せるけど肝が据わってるよね」
「嬉しくないです」

褒められてるのか馬鹿にされているのか分からない賛辞を聞き流し、は山菜の天ぷらを口に放り込む。
仲居が運んでくる食事も終わったことで、はさっさと済ませてロビーで明日まで過ごそうと目の前の料理を片付ける。
が、

(「あ、しまった・・・」)

我に返ったの手が止まる。
今置かれている状況を差し引いても、食事は文句なしに美味しく、目の前に置かれた飲み比べだろう並んだお猪口の一つも流れるように口にしてしまった。

(「・・・いや、早く片付けたくて苛ついてつい飲んじゃっただけだし」)

誰に対してかの言い訳を内心で留める。
そして言うまでもないが美酒である。
残りも飲み干すべきかを逡巡していれば、葛藤を見透かされたのか傑から声がかかる。

「そういえば君も硝子ほどじゃないけど飲めたね」
「・・・酔わせて良からぬことをお考えでも?」
「いいや、最近はこうやって誰かと酌み交わすことが無かったから嬉しくてね」

含み笑いを隠さない傑に、苛立ちをぶつけるように次の一つを手にし一気に流し込んだは、空いた器を勢いよくテーブルに叩きつけた。

「身内に弱音を見せられない組織のようですね」
「さっきからトゲがあるね」
「気の所為では?」

不機嫌なと対照的にのんびりとお猪口を傾けた傑は、味が気に入ったのか追加の冷酒を手酌で注ぐ。

「今はやることが多くてね、余裕がないだけだよ」
「それはご愁傷様です」

苛立ちが消えぬまま、残りをさらに煽ろうとしただったが伸ばした手は止まり、代わりにお冷を手に取った。
その様子が意外だったのか、傑は首を傾げた。

「もう飲まないのかい?」
「ええ」
「もしかして気分が悪いのかな?」
「少し寒いだけです」

いや、これ以上はもう無理だと思った。
酔えば少しは気分が晴れるかと思ったが、この程度で酔えるはずもなく、状況からしてきっと自分は飲んでも酔えないことが分かった。
そして命を奪い合う者同士が、実力差が明確な強者と弱者が対峙しているというのに、態度が変わらない相手と自分だけがただ苛立っている虚しい構図が耐えられない。

「嫌いなんですよ、寒いのは」

そうだ、最初から向こうの思惑に乗ったのがそもそもの間違いだった。
もうこれ以上、この場に居たくない。

「先に休ませていただきます」

口早に告げ、席を立とうとしたの細い手首は素早く掴まれた。

ーーパシッーー
「一夜限りの過ちでも犯してみるかい?」
「わざわざ私を選ぶなんて趣味悪いですね」

まさか邪魔されると思わなかったは苛立ちを隠さぬまま冷たい視線で見下ろし続ける。

「この宿、貸し切られてますよね?それほど資金に余裕があるならあなた好みの方をいくらでも抱けばいいじゃないですか」
「そんなに軽薄な男に見えてたとはショックだね」

言うと同時に傑は手首を掴んだの手を引き、同時に自身も距離を詰めた。
互いの息がかかりそうな距離で片や睨みつけ、片や真っ直ぐに見つめ合う。
テーブルの上の器は倒れ、液体がこぼれる音、足元に転がる音が雨音にかき消されていく。

「これでも一途な方なんだけどな」
「他人本意な癖に説得力ありませんから」
「なら、説得力を見せてあげようかな」

僅かな距離が更に無くなる刹那、囁くような最後通告がに告げられる。

「嫌なら殺す気で抵抗してくれ」
「・・・」

しかし抵抗はなく、僅かな間を置いて離れた傑の耳に震える声が返された。

「刻みつけてください」
「止める気は無いよ」


























































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2024.3.12