ーー一夜限りのーー
優しく髪を梳かれているような気がして微睡から覚めた。
ぼんやりとしているような
の耳に落ちてきた髪をかけた傑は口を開いた。
「雨は小降りになってきたね。これなら朝にはあがるんじゃないか」
「・・・そうですか」
やや掠れた声で応じた
は聞かされた話を確かめるように背を向けていたまだ暗い外を見る。
耳に届く雨音は確かに弱まっていた。
これなら夜が明ければ移動できそうだ。
「体は大丈ーー」
「問題ありません」
気遣われる言葉を聞きたくなく、
が被せるように言い返せば状況を見透かしている傑は苦笑した。
「すまない、無理をさせたね」
「・・・大丈夫だって言ってーー」
「月が綺麗だね」
前置きもなく、
の首元に顔を埋めた傑の小さい呟きに
は目を瞠る。
「このまま一緒に見れていければいいんだけどね・・・」
「・・・」
後ろから回された逞しい腕が身体を引き寄せる。
緩い拘束、だが
は動けなかった。
(「この人は・・・」)
意味を分かって、分かった上でこの人は言っている。
立場を忘れてと言っておきながら、酷く残酷な答えを求めてくる。
いや、立場なく互いに顔が見えないからこそ言われたのかもしれない。
「・・・私にとっては、ずっと綺麗だったんですよ。
命を賭けたって、構わないかもしれないって・・・
暗過ぎる夜空に堕ちなければ、私だって・・・」
「そうか・・・ごめんね」
痛みを堪えるように唇を噛む。
答えを分かっていたような声に、どちらにも痛みを与えると分かった上での問いに。
じわりと滲んだ視界に声だけは震わせまいとするも、起き上がった傑が
の肩を引く。
咄嗟に顔を背けようとするが、それより早く口付けが深くなった。
まるで先程のやり取りを忘れさせるかのように、深く深く。
そして互いの息が乱れると再び二人の身体は重なり合っていった。
「ん・・・」
眩しさに小さく呻けば、髪を掻き上げられ優しい手つきで撫でられる。
ゆっくりと目を開けば、先に起きていたらしい傑が
を見下ろしていた。
「雨は上がったよ」
「そうですか」
一言だけそう答え、
は起き上がる。
昨日はやるだけやってあのまま寝てしまったらしい。
脱ぎ散らかした浴衣を羽織った
は、傑を振り返ることなく部屋に備えつけられたシャワーを浴びる。
身体が、というか腰が酷く重いが迎えが来る。
さっさと準備してしまおうと手早く身支度を済ませる。
「高専に戻るんだろう?」
「ええ、任務失敗の報告をしないといけないので」
「心苦しいね」
部屋へ戻れば、まだ布団に居る傑からの言葉に淡々と返しながら乾いた服へと袖を通す。
そして最後に髪を結い終え、呪具を肩に担いだ。
(「やっぱり山の中を歩く羽目になるけど、仕方ないか」)
「送るよ」
いつの間に起き出したのか、浴衣を着直した傑が背後に立ったのが分かった。
は振り返ることなく声音を尖らせた。
「もう私達は敵同士ですよ」
「失態の報告を上げるせめてものお詫びとして受け取ってくれないかな?」
「・・・そうやって、いつまで優しくするんですか?」
苛立ちを隠すことなく
は吐き出す。
「これじゃあ、いつまでも・・・昨日みたいにきっと最後まで甘えてしまうじゃないですか」
はキュッと唇を噛む。
言わないつもりだった。
だが、これが本当に最期になるかもしれないと思えば心の内がポロポロと、こぼれ出す。
「私はあなたを殺す力がない自分に嫌気が差すと同時に、あなたを殺すのはあの人じゃないとダメだとも思うのに、二人には殺し合いなんてして欲しくないっ
て・・・矛盾だらけの思考迷路で迷惑してるんです」
揺れる視界を必死に耐える。
ここで泣いたら、きっとこれまで保ってきたモノが崩れる気がした。
だからここでは絶対に泣けない。
「あなたの優しさは私には残酷過ぎる、だから・・・」
勢いで続きそうだったが、深く息を吐いた
はやっと振り返った。
心に渦巻く想いを押し殺して精一杯の笑顔を浮かべた。
「敵らしく冷徹に、優しくなんかしないでくださいよ夏油さん」
「やっと名前を呼んでくれたね」
と同じような、苦しそうな笑みを浮かべた傑が
を力強く抱き寄せた。
「ごめんね、これは私から君への呪いだ。
最期の最期まで付き合ってくれ」
「・・・初めて、自分本位の答えが聞けました」
傑の胸を押し出した
は離れる。
と、そのまま部屋を出るかと思ったが振り返った
は小さく呟いた。
「次会った時、今よりやつれてたら許しませんよ」
軽い足音はあっという間に消える。
再び布団へと腰を下ろした傑は、もう僅かしか残っていない隣にあった温もりに手を当てる。
去り際の言葉、あれは高専で散々聞いた。
任務に行く前にかけられた気遣いの言葉。
二度と聞けるはずのなかった、自分は捨てたはずのそれは今までひた隠しにしていた後悔を呼び起こすには十分だった。
「はは・・・君の優しさも十分、残酷だね」
雨上がりのぬかるんだ道なき道を歩き進めること小一時間。
どうにか舗装されたアスファルト道へとたどり着いた。
そして昨日の約束通り高専へと連絡を取り、しばらく道沿いに歩いていれば前から見慣れた車がやってきた。
ゆっくりと減速する車の運転席側へ近付くと
は送迎相手へ手短な挨拶を交わす。
「迎えありがとうね、伊地知くん」
「いえ。それよりお怪我は?」
「無いよ、泥だらけってだけ。
汚しちゃうから車乗る前に軽く洗いたいけど無理っぽいね」
「そんな事お気になさらず、どうぞ乗ってください」
「ありがとー・・・はぁ・・・」
後部座席に呪具が入ったバッグを放り、続けて身体も投げ出すように乗り込むと同時に酷く疲れたため息をこぼす。
そんな
の様子をミラー越しに伺った潔高は気遣わし気な表情で訊ねた。
「大丈夫ですか?」
「・・・ったく、散々な目に遭った」
「そうですよね、でもお怪我が無くて何よりでしたよ」
「・・・」
車が方向を変え、ゆっくりと走り出す。
こちらの気を紛らわそうと、明るく返す同期の声を聞き流しながら
は窓に頭を預けた。
そう、怪我は無い、確かにそうだ。
戦闘などなかったんだから。
「まぁ・・・そうだね」
潔高にただそれだけ呟くと、流れていく景色を無味に見送る。
代わりに負った心の痛みは、本当のことを言えない代償。
もう昨日のことは忘れてしまおう。
は無理やり身体を起こすと、ハンドルを握る潔高に向け口を開いた。
「そうだ。今日、任務は?」
「午後に1件のみですが・・・」
「?なに?」
「いえ、いつもならメールを確認されていたので珍しいなと」
「あぁ、昨日はなんか疲れてて確認してなかったや。
ごめんね」
「そんな!こちらこそすみません!」
「悪いけど高専に戻らず現地に行ける?さっさと片付けてまとめて報告書上げたいから。ついでに直帰にして欲しい」
「分かりました、スケジュール調整は任せてください」
当たり障りのないはぐらかしへの追求はないことで、小さく潔高へと詫びながら内心ほっとする。
はスマホを取り出しながらふと、車のサイドミラーが目に入りあの民宿の外観が映されたことで思わず手が止まった。
「・・・はぁ」
悪い夢だったんだ。忘れてしまえ。
思い出すのはもうこれっきりだと決意するように最後にため息をつくと、視線をスマホの画面に戻しこれから向かう任務概要に目を通し始めた。
車はスピードを上げ、背後の景色はあっという間に樹々の間に埋もれて見えなくなった。
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2024.3.12