ーー9本の薔薇と共にーー
都内某所。
任務を終え、補助監督の迎えを待つはすぐ横の人通りが多い大通りを、狭い路地から眺めていた。
「・・・」
変わり映えない、非術者の当たり前の『日常』がそこにある。
自分には眩しい気さえするその『日常』に手を伸ばせば届きそうだが、伸ばす気にはなれなかった。
自分もしっかりとイカれた側だな、と自嘲が浮かぶ。
「2級に昇格したんだね、おめでとう」
「!」
耳を疑った。
突然響いた声に反射的に思わず腰のホルスターを掴んだが、それ以上の身動きが取れなかった。
「そうそう、抜かないのは賢明な判断だ。あまり汚い景色は見たくないだろ?
任務後なんだし、迎えが来るまで座ってたらどうだい」
声からして、彼が大通りに居るのが分かった。
そして彼の実力が分かっているからこそ、その言葉が持つ脅しに今は屈せざるを得ない。
は一気に疲れが襲ってきたように、深々とため息と共に腰を下ろした。
「・・・はぁ、こんな所で何をなさってるんですか?」
「ちょっと散歩だよ」
「・・・」
「ごめんごめん、怒らないでくれ。
偶然久しぶりに会えたから少し意地悪をしたくなっただけなんだ」
「ご用件は?」
この人が『偶然』でこんな所に居るはずがない。
しでかした事も知っている以上、この再会は手放しで喜べるものではなかった。
「機嫌が悪いね?怪我もなく任務も終わったというのに何かあったのかい?」
「あなたがそれを言うんですか?」
「ははは、それもそうだね」
朗らかに笑う声。
ギシリッと胸が痛んだ。
『敵だ』と、親友だったあの人にそう言わせたんだ、もう引き返せないところまで来ているのに、分かっているのに、共に高専で過ごした日々が胸に痛みを突き立てる。
「七海は高専を離れたそうだね。伊地知は別任務?それとも呪術師は諦めたのかな?」
「随分とお詳しいですね。
私に高専関係者にスパイを送り込んでいる可能性を報告させたいんですか?」
「そんなつもりはないよ。ちょっとした世間話だ。
久しぶりに会ったら近況報告するものだろ?」
「なら、そちらの話を聞く権利が私にありますね。
どこに拠点を置いているんです?構成規模は?最近起こってる任務のーー」
「ぷはっ!それは近況報告じゃなくて敵情視察って言うんだよ」
軽快に笑う。
まるで高専でのやりとりが蘇るようだ。
過去の懐かしさを握りつぶし、は冷ややかに続けた。
「最初からそのつもりです。あなたは討つべき敵となった」
「理想のためだ」
「呪術師だけの世界なんてーー」
「私は雄や君が猿なんかの犠牲になるような世界が正しいとは思えない」
「っ・・・その目的で殺しを正当化するのはーー」
「ちゃん。一つだけ、答えて欲しい」
の言葉を遮り、傑はゆっくりと続けた。
「君は足掻くと言ったね。
元々、呪いさえ無ければその足掻くことすら必要なかった。
君の両親が呪霊に殺される事も、君は虐待されることもなく、雄は今でも妹と楽しく生きて、誰もかれも身も心も擦り減らすこともなかった」
・・・ああ、そうだ。
この人の言っていることは正しい。
「その元々の原因を取り除こうとしている私の行為は、果たして悪と言い切れるかい?」
「・・・」
「君は私の手を取れる位置に居るんだよ」
一気に語られる弁舌。
どれもこれも耳触りがいい話だ、正しい。
でも、正しいけど・・・
そのためにすでに100人以上が死んでいる。
差し出される甘美な話は確かに惹かれるが、差し出している人が血に塗れてはそんな話、受け入れることなどできない。
「私を引き入れるつもりで待ち伏せですか?」
「おや、バレてしまったか」
「私がその選択をするとでも?」
「反転術式も身に付けた君なら普通に味方に欲しいね」
「嘘」
「ああ、嘘だ」
相変わらず、はぐらかすばかりだ。
その問いに私が選択する答えなど分かっているくせに。
この人はどうしてわざわざ分かっている、私が選ばない答えを言わせようとするんだ。
・・・ああ、悔しい。
「・・・夏油先輩」
「なんだい?」
「ここに私じゃなくて五条先輩が居たら、ちゃんと本音で話してくれましたか?」
「悟とはもう話は終わってるよ。
それにちゃんには嘘をついた事はないんだけどね」
どの口が言うんだ。
人を馬鹿にするのもいい加減にしてくれ。
長く息を吐いたは、腹を括ったように腰のホルスターを握った。
その時、
「さて、そろそろお迎えが来そうだね。質問の答えはまた別の機会に聞かせてもらおうか。
私は目的も果たせたし、これで失礼するよ」
「手ぶらで返すとーー」
「警告は素直に受け取るものだよ」
ーードオーーーンッ!ーー
「な!?」
突然響いた轟音に悲鳴が上がりは大通りに飛び出した。
警告を現実のものにされてしまったら、自分だけでは手に負えない。
最悪の事態を覚悟したが、大通りに怪我をした人は誰も居なかった。
ただ自販機からは残穢が残り、煙が上がっているだけ。
「・・・なんで・・・!」
と、足元に当たった軽い音に下を向けば、そこにあったのは小さな手提げ袋に入った花束と『卒業祝い』と書かれたカードだった。
ーー私は目的も果たせたし、これで失礼するよーー
「なん、で・・・こんな・・・」
置かれた袋の前には力なく座り込んだ。
どれもこれも嘘ばかりのはずなのに、どれが本当なんだ。
やっと固めた決心を容易く揺らし、そして揺れている自分に心底嫌気が差した。
「敵なら敵らしく、してくださいよ・・・」
絞り出すようにそうこぼし、流し尽くしたはずの涙が流れた。
後日譚 Part.1
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2021.10.29