ーー約束ーー
初春。
山間に建つ呪術高専でも寒さが僅かに緩み、日中は春の訪れを少しずつ感じ始めていた。
呼び出しを受けた
は肌寒さが残る木張りの廊下を歩き、連絡があった指定の部屋のドアを軽くノックし、ドアを押し開いた。
「硝子せんぱーい、急いで来いって用件は・・・」
と、その場に居たのは呼び出した人物だけではなかった。
その人と同級生でもあり、自身のもう一人の先輩でもある五条悟の姿に、
は隠すこと無く怪訝な表情を浮かべる。
正式な入学前だがとんでもない実力者であることはすでに理解していた。
が、性格的な問題と得意な相手でないことで
のテンションは目に見えて下がった。
「何で五条先輩もここに居るんですか?」
「あん?俺が居て文句あんのかよ?」
「おい、秒でケンカ始めんなよ」
「絡んできたのはーー」
「
」
「何ですか?」
「お前、料理得意だって言ってたよな?菓子は作れるか?」
「お菓子・・・簡単なのであればほどほどにできますけど、手の込んだものになると難しいです。
何を作るんですか?」
「ケーキだよ」
ドヤ顔を向けてくる悟に硝子と共に呆れ顔を返した。
これは自分が突っ込まないといけないんだろうか。
それを視線で訊ねれば、まるでお前に任せたとばかりな硝子の様子に仕方なく悟に問い返した。
「あの、ドヤられているところ申し訳ありませんが、ケーキと言ってもこの世にはごまんと種類があるんですよね。
何のケーキですか?」
「誕生日ケーキだよ」
「・・・」
いや、だから・・・いかん、頭痛くなってきた。
ドヤ顔を再び向けられても困る。
埒が明かない、と
は話が分かっているだろう硝子に再び視線で説明を求める。
すると、意を汲んでくれた硝子は一口煙を吐き出し口を開いた。
「夏油の誕生日に手作りでケーキを作りたいんだと。キモいだろ?」
「そうですね」
「聞こえてんぞ」
「で、色々買ったはいいが詰んでる状況だ」
「でも今まではコンビニで買い占めたりとか財力にものをいわせたりして買ってたと仰ってませんでした?」
「おい、ちょいちょいディスってくんな」
「それが、たまたまテレビで観たから今年は自分でやってみたいんだと」
「はあ、それでコレがその成れの果て、と」
「シカトとはいい度胸だ」
「少し黙ってろ五条」
話しを邪魔してくる悟に硝子はぴしゃりと返す。
事情をなんとなく理解した
は部屋に入ってからあえて視界に入れなかったキッチンを見やる。
大量に積み上がっている黄色の塊、ゴミ箱からはホットケーキミックスと書かれた大量の空箱、そしてそこかしこに飛んでいる粉や焼かれる前の飛び散った生
地。
大惨事な状況に閉口だったが、一応、突っ込まないとダメだろうと一つ一つ指さしていく。
「何ですかこれ?」
「失敗作の成れの果てだ」
「何作る気だったんですか?」
「ああ、スポンジケーキってのが全然出来ないらしくてな。
材料が底をつきそうだったからお前を呼んだんだ」
「スポンジ・・・ってことは、ショートケーキにする予定ですか?」
「らしいぞ」
ようやく、最終的な目的を聞けたことで
は過去のうろ覚えな記憶を引っ張り出す。
「結論から言って、素人がスポンジケーキを焼くのって結構、高難易度なんですが・・・
種類を変えるつもりはーー」
「はあ?最強に出来ないとか無いから」
「・・・」
事実できてないからここに自分が呼ばれたのでは?
まるで余計な世話だとばかりな態度に、小さくため息を吐いた
はキラキラとした笑顔を硝子に向けた。
「硝子せんぱーい、五条先輩はお一人でやる気のようでーす。
では、私は失礼しまーー」
ーーガシッーー
「おい五条。
意地張ってんな、夏油が帰ってくるまで時間ないだろ」
「ぶー」
「じょ、硝子せんぱ、首・・・って、え?ちょ!ま
さかこんな状態なのにこれから作ってお祝いもする気ですか?」
「は?だからお前を呼んだんだろうが」
「・・・」
そうじゃない。
何で当日のわざわざ時間制限があるタイトスケジュールで呼んだんだって意味で言ったんだよ。
もっと計画性とか事前準備とかあるだろうに。
何で思いつきや勢いだけで何とかできると思ってるんだこの人。
本当に歳上なのか?
という言い尽くせない思いを込めた視線で硝子を見れば、その人から返されたのは諦めろとばかりなもの。
呼び出された時点で拒否権は無いのも、入学前にも関わらず既に刷り込まれている
は深々と重いため息を吐いた。
「ちなみに、アレを積み上げてそれっぽくするつもーー」
「却下」
「今らかでもデパートとかの市販ひーー」
「論外」
「スポンジだけでも買っーー」
「いいからさっさと作れよ」
「・・・」
助っ人はどっちでしたっけ?
呼び出された時間経過と共に面白いくらいにテンションは右肩下がりに下降を続けていく。
そんな
を見かねたのか、硝子が同じ言葉を重ねた。
「
、時間の無駄だ諦めろ。
そいつの思いつきは今に始まった事じゃ無いんだ、高専の数年で今更矯正できるわけないだろ」
「褒めてないよね?」
「褒める要素ないだろ」
「酷っ!」
どこがじゃ、と言葉に出さずとも内心で硝子と同じようにツッコミを入れた
は不承不承を隠すこと無く諦めのため息を吐いた。
「分かりました。
部屋から使える道具持ってきます」
「いや、もうお前の部屋行った方が早いだろ。道具揃ってんだし」
「え・・・」
「なら材料は持ってくか。良かったな五条、苺にロウソク突き刺す必要無くなったぞ」
「うるせ」
「ちょ・・・」
本来の部屋の主を置き去りに、二人の先輩は無事な荷物を持って部屋を出ていった。
引き止める術を持たない
は、行き場のない手を彷徨わせるだけで為す術なく見送るしかできない。
「・・・・・・」
いや、分かってる。
分かってはいるのだ。
入学前の僅かな接触しかないにも関わらず、三年の先輩がどういう人達か、後輩としてどういう選択肢が残されているか、聡い自分には分かっている。
だからここで反論しても反抗しても無駄だし徒労に終わる。
分かってはいるんだが・・・
あまりにも自分勝手が過ぎる状況に文句の一つも言いたくなるが、相手がいなくなった部屋でできることはため息をつくだけとなり、自身の部屋が訪れた部屋と
同じ惨状になる前に終わらせようと、
も自身の部屋へと戻るのだった。
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2024.08.20