(「はぁ、やっちゃったな・・・」)
高専の医務室のベッドで天上を見上げながら、は深々とため息をついた。
通い慣れたと思ってしまうほど情けない現状と、つい先程の任務で負ってしまった負傷に自己嫌悪が止まらない。
同期は避けれていた呪霊の攻撃を自分は回避できなかった。
非術者を庇って、と言えば聞こえは良いが、某先輩に言わせればそれは言い訳に過ぎず、単にトロくて雑魚い、らしい。
(「また心配かけちゃったよね」)
辛くも呪霊を倒せたし任務は完了した。
とは言え、祓い終えた後の向こうの焦り具合が伝染し、最後は漫才よろしくなお互いに心配し合う始末。
補助監督が口を挟まなかったらあの不毛なやり取りが続いていたことだろう。
だが今思えば、別れ際の顔色が優れないような気がしたが・・・
(「硝子さんは軽症だって言ってたけど・・・」)
診断を疑う腕でもないことは確かなので、単なる気の所為かもしれない。
それか他に気がかりなことでもあったのだろうか。
療養が終わったら話しを聞けばいいか、とこれからの予定を決めたは気怠い体調の訴えを受け入れるように目を閉じた。
先の任務から数日が経った。
タイミング悪く、療養明けに単騎任務が入ってしまい高専に戻れたのはとっぷりと日が暮れた時間になってしまった。
これでは先日考えていた予定がパァだが、自身の実力を考えれば情けないが致し方ないと思うしかない。
「大丈夫ですかさん?」
「大丈夫です、掠めただけですから」
任務で額に負ってしまった負傷に布を当てながらは車を降りる。
しかし、隣に並んだ補助監督はなかなか退かずさらに続けた。
「ですけど、念の為にも家入さーー」
「いや、本当に大丈夫です。ちゃんとした治療は明日受けますから」
こういう時、潔高が居れば角が立たないようとりなしてくれるが、自分にはまだ苦手だった。
心配性な補助監督に、面倒さが勝ってストレートな言葉が出かかったが、もう以前のような内心をさらける振る舞いをしないことを決めていたは安心させるように微笑を返しながらやんわりと断る。
するとその反応が功を奏し、今にも硝子を呼びに行きそうな補助監督の方が折れ、妥協案として応急処置だけはさせてくれという申し出を受け入れ医務室へと向かうこととなった。
そして、大した時間を要さず手当てを終えたは医務室を後にした。
(「はぁ、こんな軽症で硝子先輩呼ばれたら、私の心が重症になるところだった。早く部屋で包帯外・・・?」)
と、部屋へ戻ろうとした廊下の先に誰かが立っていた。
こんな遅い時間に誰だ、と思ってみればそれは会おうと思っていたその人だった。
「・・・あ」
「あれ、伊地知くん?」
まさか、心配して待っててくれたのか?
だがそれにしては向こうも驚いた表情を浮かべているところを見ると、自分と会うのは予想外だったのだろう。
自意識過剰な考え過ぎを脇に置き、偶然ならちょうど良いと、こっちの用事を済まさせてもらおうと口を開こうとした。
が、
「あ、あの、さん・・・」
「なに?」
「・・・その、実はお話しがあるんです」
出鼻を挫くように、潔高が発っした言葉に、は話しを先に譲るべく口を閉じる。
すぐに続くかと思ったが、なかなか続きが聞こえてこない。
どう声をかけたものか迷っていれば、意を決したような潔高と視線がぶつかった。
瞬間、覚えのある不安に襲われた。
あぁ、これは・・・知ってる。
(「・・・嫌だ」)
これから聞かされる話は痛みを伴うものだ。
過去の経験が耳元で囁く。
あの時のようなと同じ夜、自信を失っている現状、そして高専を去ったあの人と同じ顔。
(「聞きたく、ない・・・」)
覚悟を決めた相手を前に、この場から逃げ出したい気持ちが勝る。
ダメだ、今の自分はきっと冷静に聞けない。
きっと以前のような感情に振り回されるだけの弱い自分に戻ってしまう。
そう思った瞬間、続く台詞が飛び出す前に反射的に言葉が出ていた。
「ごめん」
相手を拒絶する言葉。
出し抜けのそれは相手に衝撃を与えるには十分で、潔高はショックを受けたように立ち尽くしていた。
罪悪感が募るが、それ以上に今は過去の傷が重なりすぎて声を震わせまいとすることで手一杯だった。
「え・・・」
「今日は任務の負傷が酷くて、話しは明日にして」
「あ・・・そ、そうですよね、すみません気が回らずに」
「んーん、じゃぁ」
「・・・おやすみなさい」
口早に自分の事情だけ告げれば、いつもは返せるはずの挨拶も返せず逃げ出すように部屋へと駆け出していた。
ーーバダンッ!ーー
後手に入り口のドアを力任せに閉じれば、ズルズルと寄りかかるように座り込んだ。
最低だ。
会う前はこの間の任務の時のことを、気がかりでもあったのかと尋ねるはずだったのに、それがどうしてこうなるんだ。
以前に比べれば術師としての技量も鍛え上がっているはずで、単騎任務もなんとかこなせるようになってきたはずで、喪失に立ち向かえるように強くなったはずなのに。
「私、あの時から何も変わってない・・・」
薄っぺらい嘘で逃げ出した自分が情けなく、定めたはずの呪術師として歩む足元が酷く危うく、目の前の滲んで歪む世界に暫く立ち上がることができそうになかった。
翌日。
陽の光を浴びたからか、昨夜ほどの不安は薄れ精神状態も落ち着いた。
昨日は何もする気が起きずそのまま眠ってしまった。
とりあえずシャワーを手早く浴びると硝子が来る前に額の包帯の交換をしようと部屋を出た。
早朝故の清々しい空気。
今日は授業はあっただろうか、とつらつら考えれいれば・・・
「「あ」」
まさかのエンカウントに言葉が詰まったが、どうにか絞り出す。
「お、おはよう」
「おはよう、ございます」
昨夜の気不味さが引きずってどう言葉を続けようかと思っていたが、先に口を開いたのは潔高の方だった。
「具合はどうですか?」
「う、うん。大丈夫。
あ、昨日はごめんね、話しってなんだったの?」
肩を並べて歩きながらいつもの調子に戻そうと明るい声でが問えば、数呼吸だけ間を置いた潔高が口を開いた。
「さん」
「なに?」
「私は・・・呪術師の道を諦めます」
気付けば、歩みが止まっていた。
今、聞かされた言葉がうまく処理できない。
いや、昨夜に比べれば、冷静になれている今なら、なんとか理解できている自分がいた。
だから受け入れたくない感情より先に、以前の弱い自分とは違う咄嗟の返しができた。
「そっか」
そうだ、ここで感情的になってはいけない。
呪術師として、誰かに縋るような弱い自分は捨て、誰かの負担にならないようせめて心配はかけないようになると決めたんだ。
「はい、すみません・・・」
「謝らないでよ、伊地知くんが自分で決めたことでしょ?」
「はい・・・?」
(「大丈夫、今までが甘え過ぎてただけなんだから・・・」)
だから、相手の決意にショックを受けて自分を揺らしてはいけない。
心の痛みを表に出して相手に傷を与えてはいけない。
震えそうになる唇を噛み、開いていた距離を詰める。
(「ここで引き止めたら、私はきっと弱いままだ」)
だから、その決意を尊重しなければ。
彼が定めた道を歩んでいけるように。
彼の足枷にならないように。
「ありがとう」
「・・・え」
強くなった自分で見送れるように、心残りを残さぬように感謝を示そう。
潔高にゆっくりと手を差し出したは落ち着いた声音で続ける。
「伊地知くんが一緒だったから、私も頑張れたこと多かったから。
だから・・・ありがと」
おずおずとかわされる握手。
共に肩を並べた任務で支えてくれたこの手が、先輩を失って立てなかったときに支えてくれたこの手が今日、離れていく。
「・・・」
ぬくもりはあっという間に去っていった。
それでいい。
このような血生臭い世界のことなど忘れて、どうか幸せに生きて欲しいから。
こんな頼りない自分のことなど早く忘れられるように。
不安を残すこと無く去れるように、笑顔で見送るのがせめてもの・・・
「いいえ、こちらこ・・・」
そう思ったのに、精一杯浮かべた笑顔は自身でも分かるほど酷く歪だったことが分かるものだった。
再び襲われる情けなさと、この場に留まれない居たたまれなさに潔高の顔が見れなくなったは、医務室へと駆け出していった。
Next
Back
2023.04.16