物心ついた頃から、周囲と見えているものが違うと気付いた。
幸運だったのは家族はそれを受け入れてくれたこと。
だから常々思っていた。
息苦しい学校生活も、ソレに怯える日々も、いつかは解放される。
そして自分は他の人とは、大半の非術者とは違う世界で活躍する日が訪れる、と。
だが、現実はそう上手くいかなかった。
入学した新たな学校は、自身と同じく呪霊が見えるのは当たり前で、さらにその上に術式と呼ばれる特別な力を持った人の集まり。
自分は特別でも何でもなく、囚われていた世界では価値ある一人ではなく、平凡と呼ぶにふさわしい人間だった。
ーー凡である故ーー
「はあぁ・・・」
何度目か分からないため息をついた。
すでに通い慣れた医務室の帰り道の足の運びは重い。
今回の任務でも呪霊を倒したのは自分ではない。
傷を負いながら彼女は自分の心配をする。
どう見ても痛いのは自身だろうに、軽症の自分の負傷を目にしてさらに辛そうにしていた。
ーーパタンッーー
「はぁ・・・」
部屋に戻り、再びため息が口をつく。
心中を埋めるこの気持ちは己がずっと目を背けてきたものだ。
惨めさと悔しさと嫉妬と恐れ。
男なのに守ることができず逆に守られ、呪霊を倒す力がない己との実力差を目の当たりにし、いつ自分が無惨な死を迎えるのかと怯える日々。
入学前に描いていた姿はこんなはずではなかった。
だのに、現実が突きつけてくる事実。
ーー自分は呪術師にはなれないーー
必死にしがみついつきたが、もはや逃れられない。
このまま術師を目指しても、大した呪力もなく術式も持たない自分では先が見えていた。
ならばさっさと身の振り方を決めるべきだ。
常に落命と隣り合わせの任務では、いつ死ぬか分からない。
だが・・・
(「・・・彼女に何て言えば・・・」)
医務室で今も休んでいる同期の姿がチラつく。
もし伝えたらどう思い、何と言うだろうか?
呆れる?失望する?引き留める?賛同する?
・・・いや、彼女はきっと何も言わない。心内はどう思うか分からないがきっとそうな気がした。
一つ上の先輩が殉職した任務から戻ってからというもの、彼女は変わってしまった。
いや、正確には二つ上の先輩が高専から離反したことも影響しているだろう。
以前は任務外では気軽に話しかけずらい物難しく一線を引いた空気を常にまとっていたが、今はぎこちなさは残るものの常に笑顔を見せている。
まるで本心を笑顔で隠しているようだ。
「っ・・・」
しかし何も言わずに去る事は、彼女に対するさらなる裏切りのような気がした。
だが、そうは思っても臆病な自分は、なかなかその決意を踏み出すことができずにいた。
数日後。
傷付けるにしてもきちんと言葉にしようと潔高は心を決めた。
しかし、その当人が戻ってこない。
今日は単独任務だったが、戻る予定の時間はとっくに過ぎている。
時刻はすでに深夜だ。
まさか、何かあったのかと、部屋に留まるのも落ち着かず、気付けば医務室へ向かう廊下を歩いていた。
歩みを進める度に何かあったのではという不安と、相手との距離が近付いて行く現実に、定めたはずの決心がだんだんと揺らいでいくのを感じた。
と、医務室から出てきたらしい頭に包帯を巻いたと鉢合わせた。
「・・・あ」
「あれ、伊地知くん?」
また、負傷したのか。
同行したとしても、大して力にはなれなかっただろうが、やはり本人を前にすると喉が張り付いたようで言葉が出ない。
「あ、あの、さん・・・」
「なに?」
「・・・その、実はお話しがあるんです」
だが決めたはずだ。
何も告げずに去る事が、どんなに彼女の心を傷付けたかを一番身近で見てきた。
だから・・・
「ごめん」
しかし、一大決心は音になる前に相手から砕かれた。
呆けてしまった自分にはあのぎこちない笑顔で続けた。
「え・・・」
「今日は任務の負傷が酷くて、話しは明日にして」
「あ・・・そ、そうですよね、すみません気が回らずに」
「んーん、じゃね」
「・・・おやすみなさい」
何事もなかったように彼女は隣を通り過ぎた。
誰も居ない暗い廊下に一人立ち尽くす。
その時に分かってしまった。
そうか、その程度の事なのか、と。
勝手に構えて勝手に緊張していたが、自分の存在価値は彼女にとっては些細なものだった。
当然だ。
任務で傷を負うのは彼女ばかりで、自分は今まで何の役に立っていたことがあるのか?
今更ながら平凡である事実を突き付けられ、滑稽な己に呆れ果てることしかできなかった。
翌日。
昨夜はよく眠れず、いつもよりかなり早く目が覚めてしまった。
そのまま眠る気になれず、何か飲み物でも買いにいこうと部屋を出れば、とばったりと出くわした。
「「あ」」
昨日の今日。
だがの表情に苦味が含んでいる気がしたが、どうやらそれは気の所為らしく向こうから挨拶が返される。
「お、おはよう」
「おはよう、ございます」
張り付いていたと思っていた喉から言葉はすんなりと出た。
昨日と違い、後ろめたさも少ない。
「具合はどうですか?」
「う、うん。大丈夫。
あ、昨日はごめんね、話しってなんだったの?」
医務室へ向かうというので、途中まで一緒に行こうと肩を並べて歩く相手からの明るい声。
自分程度が居なくても問題ないと思えるそれに、潔高は僅かに深呼吸した。
これなら問題なく伝えられる、そして相手はきっと驚きもショックも受けないだろう。
そう思えば伝えるべき言葉が音にして紡がれた。
「さん」
「なに?」
「私は・・・呪術師の道を諦めます」
一息で告げられた言葉に反応は無い。
だがしばらくして隣にあったはずの姿が無いことに気付き、振り返れば彼女の足が止まっていた。
足は止めてくれるのかと、少し驚いたが予想していた罪悪感は少なかった。
どれほど時間が過ぎたのか、彼女はまたあのぎこちない笑みを返した。
「そっか」
「はい、すみません・・・」
「謝らないでよ、伊地知くんが自分で決めたことでしょ?」
「はい・・・?」
罪悪感は少なくとも顔を直視できず俯いていれば彼女の足が視界に入った。
空いた距離を詰めたは潔高に向け手を差し出す。
意味が分からず首を傾げればはゆっくりと呟いた。
「ありがとう」
「・・・え」
「伊地知くんが一緒だったから、私も頑張れたこと多かったから。
だから・・・ありがと」
「・・・」
の言葉に潔高もおずおずと手を出して握手を交わす。
自分よりも小さく華奢な手は、日々の鍛錬でマメや傷だらけになっている。
この手を、今日から離すことになる。
「いいえ、こちらこ・・・」
この時、潔高は初めての顔を見た。
懸命に苦しさを出すまいとしているのが分かる、同期だからこそ気付ける無理をして笑おうとしている顔。
心を定めたはずなのに、襲いかかる後悔。
しかしさらに言葉を重ねようとしても何も浮かばず、その間には潔高の隣を歩き去って行った。
視界の端に光ったのは、果たしてどちらのものか分からなかった。
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2023.04.16