遠くから響く、猛々しい声。
どうやらジャンは上手いこと上司に連絡をつけたようだ。
となれば、参加者及び使用人は全て捕縛されるのも時間の問題。
残るは主犯の身柄を押さえるだけ。
(「とはいえ、アレが素直に出口に向かうとは考えにくい。
軍が地下水路の出口を固めている位、簡単に予想はしてるず・・・」)
地下から上の階へと移動してきたは、使用人に見つからないよう屋敷内を駆ける。
気休めだがドレスを裂いた布で右足首の応急処置はした。
だが万全ではない今、目標までは無駄な戦闘を避けたいのが本音だった。
(「・・・もし、こちらの包囲を出し抜けるとしたら・・・」)
過去の経験則から、元上司が取るだろう逃走経路を予測する。
頭に入っている屋敷の見取り図、突入時の部隊の配置、あえて穴を開けている誘い出しの出口。
暫く考え込んだは、近くの窓から外を確認するとより高い建物の一角へと移動し始めた。
屋敷の各所へ部隊が突入して暫く時間が過ぎた。
あちらこちらで参加者の悲鳴が響く。
そんな中、屋敷の裏口に通じる出口に向かう一つの足音。
壮年に差し掛かる程の男が唯一の脱出口に向けて、息を切らしながら走っていた。
「じょ、冗談じゃない・・・ここで軍に捕まる訳にーー」
「あらあら、素敵なタキシード姿でどこかにお出かけですか?」
その声に男の足が止まった。
進もうとしていた先、違う回廊へと通じる角から現れた人物に男は息を呑んだ。
「こんばんは、ドクター」
「ひっ!お、お前は・・・始末されたはずだ!」
現れたに男は動揺を隠せずに叫ぶ。
それをあざ笑うようには、ふっと不敵に笑んだ。
「お生憎様でした。人の命を救う本分の医者が人攫いに加担とは。
逃げられると思ったら大間違いですよ。
さて、投降していただきましょうか」
両者の距離は10Mほど。
は無警戒なまでに男に近づいていく。
男はそれまで怯えていたが、相手が丸腰なのと今の状態を思い出し強気に返した。
「ふ、ふん!手傷の女が男に勝てるとーー」
ーータッタッタッタッタッ、ゴスッ!ーー
残り5Mの距離で素早く走り出したの膝蹴りが、男の顎にクリーンヒットした。
男は声を上げる間もなく倒れ、軽やかな着地音がかき消された。
ーードサッーー
「言い忘れてましたけどーー」
綺麗な着地を見せたは、伸びる男に向かって言い捨てた。
「ーー私、普通の軍人じゃないので」
夜風が喧騒を運ぶ。
屋敷で一番高い建物の屋上。
そこには軍の包囲からどうにか逃げ出した男二人が言い争っていた。
「おい、どういうことだ!
医者の話じゃあの女はもう動けないんじゃなかったのか!
どうして軍が突入してくるんだ!」
「黙れ!何もできないくせに私に指図するな!」
ラーダの威圧に、伯爵はぐっと言葉に詰まる。
しかし耳に届く不穏な音はどれも自身には破滅のカウントダウンにしか聞こえない。
このままこの男と残っても自身の辿る道は落ちぶれる未来しかない。
伯爵はラーダに背を向けると走り出した。
「も、もう付き合いきれん!わ、わ、私は逃げーー」
「させませんよ」
「!」
突然響いた、第三者の声に伯爵の動きが止まった。
瞬間、
ーードシュッ!ーー
「がはっ!」
喉元に手刀が叩き込まれ、息ができない伯爵が悶える。
そして、
ーードッ!ーー
ーードサッーー
踞った男の鳩尾に、鋭い一発が叩き込まれ伯爵はその場に倒れた。
は立ち上がると、この場に居るもう一人に向き直った。
「改めまして。お久しぶりです、ラーダ隊長」
その視線と声音に憎しみと嫌悪感が乗る。
それは相手から返されるものも同様だった。
「自分の身が危なくなれば誰よりも先に逃げる能力だけは相変わらず、大したものですね。
おかげで、いつもうちの部隊は死人が多かった」
蔑む表情を隠さず、はラーダを睨みつける。
対するラーダものお世辞にも人前に出れるような服装でないそれを嘲り笑う。
「ふん、随分と良い格好だな。腕が落ちたか」
「あなたと違って、私は外面より実用性を重視してるもので」
「貴様にこの私が捕まえられると思っているのか?」
「愚問ですね。すでに一回捕まってるじゃないですか」
「ふん、邪魔な将官がいたからだ」
「姑息な手で逃げる奴の常套句です」
淡々と返すにラーダは苛立たしげに舌打ちをついた。
「あの時とは違うぞ。
貴様の右足は使い物にならんのだろう?薬も切れてるだろうしな。
であれば、腑抜けた東方軍を出し抜けるなどたやすい」
「あなた如きを捕まえるのに、五体満足である必要はありませんよ」
「ふっ、そうか。
だが・・・」
ーービュッ、ビュッ!ーー
ナイフを手にしたラーダが、素早くの急所めがけ切っ先を繰り出す。
それをはどうにか素手でいなしながら捌いていくが、踏ん張りが利かず上体が安定しない。
「余裕ぶる割りにふらついているぞ!」
「っ!」
ーードサッ!ーー
脇腹近くの攻撃を避けた瞬間、はバランスを崩しそのまま倒れこむ。
絶好の好機と、の顔面めがけラーダは大きくナイフを振り下ろした。
「もらっーー」
ーーガッ、ドダァン!!ーー
一瞬だった。
それまで緩慢だったはずのは、隙を見せたラーダへ足払いをかけ立ち位置が逆転した。
そして、冴え冴えとした視線で見下ろしラーダの喉元へナイフを突きつける。
ーーチャキッーー
「あんな分かりやすい軌道、避けられるに決まってます。
卑怯なあなたと私とでは実戦経験の数が違いますよ」
「ぐっ・・・」
悔しげに顔を歪めるラーダ。
しかし、その表情からまだ諦めの色がないことを見ると、はナイフをさらに首筋へ押し付けた。
「これ以上の抵抗は無駄です。
殺してやりたいところですが、今の上官がそれでは納得しないでしょうしね」
「ふん。随分、肩入れしているな」
「あなたよかマシってだけの話しです。
すでにマスタング大佐があなたの手下を全て捕まえているでしょう。
いい加減、諦めーー!」
ーーパァン!ーー
咄嗟に上体を逸らしたが、銃弾は眉下を掠めた。
は背筋を使い、後方へバク転しラーダと距離を取る
「形勢逆転、だな」
(「銃まで持ってたのか、こいつ・・・」)
ドロリと肌の上を生暖かい液体が流れ、左眼の視界が奪われる。
片目で対峙するに、銃を構えたままのラーダは忌々しそうに吐き捨てた。
「あの距離で避けるとは・・・化け物め」
「腕がない人の弾ですから」
ーーパンッ!ーー
「っ!」
再び発砲したラーダの銃弾は右足、気休めで固定していた右足首を抉った。
襲われた激痛には思わず片膝を付いた。
「悲鳴も上げんとは見上げた根性だ」
「・・・あなたなんかに褒められても嬉しくありませんよ」
「ふん、冥土の土産はやらん。貴様はこの手で殺してやる」
「できるものならやってみてください」
「いいとも・・・」
ラーダはぴたりと照準を顔へ向ける。
対するもその引き金から視線を逸らさない。
両者、睨み合ったまま時間がゆっくり過ぎていく。
そして、
ーーパァン!ーー
重なる銃声。
自分に吸い込まれるように向かってくるだろう銃弾に、は身体を捩る。
が、
ーードン!ーー
「!」
瞬間、勢いをつけた何かがにぶつかった。
そして、それは慣性の法則に従いぶつかった何かの勢いの方向へ飛ばされる。
視界の端に、ラーダが手から血を流しているのが見えた。
狙撃だ、と頭で理解した。
と、身体を包むのは浮遊感。
ふいに思い出した。
ここは屋上。
建物5階分の高さから落ちれば、いくら自分でもただでは済まない。
「え!?な、ちょーー」
ーーバキバキバキバキ!ーー
盛大に枝葉が折れる音。
どうやら屋敷に植えられた木に引っ掛かって、最悪な状況は免れたようだ。
「ふぃ〜、大丈夫か?」
抱きかかえられるようにして、近くにあの顔があった。
参加者の捕縛部隊に加わっているはずの人物が目の前にいることで、は驚きを隠せない。
「・・・ハボック少尉、どうして・・・」
「いや、屋上に着いたらお前が銃つきつけられてたからよ。思わずな」
答えになっていない。
「助けていただき、感謝します。
それと・・・」
「?」
言葉が続きそうなことに、ハボックは疑問符を浮かべる。
そして、
「余計なお世話ですよ」
特に表情を変えることなく淡々と言い放たれる。
ジャンは一瞬、言葉の理解に時間を要した。
「・・・は?」
「私が何の考えもなく、屋上にいるとでも思われたなんて心外もいいところです。
作戦上、リザが狙撃するだろうと思ってましたし、元上官の弾は避けれてました」
「なっ!?お、お前なーー」
「言い訳無用です。簡単に捕まった人が、借りでも返したつもりですか」
「うぐっ・・・!」
「バカですよねーー」
ぐぅの音も出ない反論に続いて返されたのは・・・
「ーーハボック少尉が肩に傷を作る必要はなかったというのに」
まるで自分が傷を負ったかのような痛みが宿った顔。
初めて自分にも理解することができた、こちらを慮る感情だった。
「・・・」
「でもまぁ・・・ありがとうございました」
出鼻を挫く感謝の言葉に、ジャンはその先を口にできなかった。
と、二人の引っかかった木の下からロイの声が響いた。
「2人とも無事か?」
「無傷じゃないっすけど、どうにか無事っす」
「よし、なら2人は手当を受けてこい。今日は直帰で構わん」
「え"!?明日は仕事っすか!?」
「医者の判断次第だ。ただし、報告書は速やかに提出するように」
「・・・鬼だ」
どんな時でも変わらないサボり魔上司にうんざりとジャンは呟く。
そして、未だに腕に抱えている相方に問うた。
「降りれるか?」
「馬鹿にしないでください、よっと!」
するりとジャンの腕からは抜ける。
そのまま相当な高さをものともせず飛び降りると、危なげなく左足で着地を決めた。
そして続いて飛び降りてきたジャンに、いつものすまし顔を返す。
「これくらい、怪我のうちに入りませんよ」
「でも顔のとこと右足、早く医者が必要だろ?」
その言葉に左眼を押さえていたは目を瞬き、右足に視線を落とす。
被弾したそこは未だに流血中で、素人目で見ても止血に専門家の治療が必要なのは明白。
とは思いながらも、は気重げに呟いた。
「医者は要らないので痛み止めが欲しいところですね」
「おいおい、そんなに酷いのかよ・・・」
「いえ、大したことありませんよ」
辻褄の合わない言葉にジャンはを見つめる。
「・・・・・・」
どう見ても顔色は良いとは言えない。
それに地下で脱出の際、肩の関節を外し素人の自分が手を貸したとはいえ治療は必要だろう。
「んじゃ、医者に行くか。よっと」
「ぅわっ!」
まさか横抱きされるとは思わず、から驚きの声が上がる。
「ハ、ハボック少尉!?」
「んな驚くなよ。家に帰るまでが任務だろ、?」
「任務と遠足は違います」
きっちり訂正を返すが、ジャンはただ笑うしかしない。
何がおかしいんだと、の据わった視線が返されるがそれを意に介さず屋敷の出口付近、中庭のベンチには下ろされた。
「そう言うなって。それにその格好じゃ、ここに居ても仕事の邪魔だろうしな」
「?」
ジャンにそう言われてから改めて自身の格好を見下ろす。
超絶ミニから覗くガーターベルト、戦闘を物語る破れた所から見える素肌。
恥ずかしい、とは思わなかったが、確かに周囲の視線は集めていた。
「・・・ま、正直なところ、こうなるとは思わなかったですよね」
ーーパサーー
「?」
その格好を見てか、ジャンは自身の上着をかける。
自分よりも大きなそれはすっぽりとの体を包み、夜中の寒さからじんわりとした人肌の温かさを伝えてくれた。
「車、探してくるわ。ちょっと待ってろな」
「え?ええ」
他の隊員にジャンが声をかけていくのを、は遠巻きに見る。
何とはなしに夜更けの空を見上げる。
未だ喧騒は止まない。
だが、それもしばらくすればいつもどおりの夜の静寂が訪れるだろう。
事件の黒幕もはっきりしている。
(「終わったのか・・・」)
この後のことを思うと、面倒は終わっていないのだが事件としてはこれで終わりだろう。
は小さく息を吐く。
そして少しの時間を要して、車が回されてきた。
再び横抱きされそうなのを断り、は後部座席に乗り込むとジャンもそのまま運転席へと乗り込んだ。
「ハボック少尉が運転するんですか?」
「ああ。なんだよ、不満か?」
「いえ、だって怪我されてるじゃないですか」
「お前に比べたら擦り傷だ。それに直帰なのに、他の奴らに頼んでも悪いだろ?」
「それもそうですね」
尤もなことに納得し、はそのまま発進を待つ。
と、車を出そうとしたジャンと鏡越しに視線が合った。
何かあったか?と思っただったが、ジャンは振り返りチーフでの目元を押さえてきた。
「あーあ、顔に怪我までして・・・」
「傷は勲章でしょう?」
「男ならな。女は顔に作るもんじゃないだろ」
それって、男女差別ですか?と普段なら言い返していただろう。
だが、はそれ以上言えなかった。
なぜなら自分以上に痛そうな顔をするハボックの顔が目の前にあったからだ。
「・・・筋金入りのお人好しですね」
「は?」
チーフを受け取ったはジャンに微笑を返した。
「お人好しが過ぎますよ、ジャン?」
「!」
不意打ちの言葉と、初めて見た柔らかい笑み。
呆然としたままジャンは顔に熱が集まってくる。
が、は何事もなかったように会話を再開させた。
「さて、じゃあ病院までお願いします」
「・・・お、おう!」
赤い顔を隠すよう勢いよく前を向き、上ずる声で返したジャンは慌てて車を発進させた。
病院に向かう道中、車内に会話はなくただエンジン音の低い音が響く。
「な、なぁ!」
「はい?」
「足、治ったらよ・・・」
そこまで言ったジャンは言葉を区切る。
続きを待つは疑問符を浮かべた表情のまま続きを待つと、意を決したようにミラー越しにジャンは言った。
「教えてもらったダンス、相手してくれねぇか?」
「?任務は終わってますよ?」
「い、いや・・・俺結局、踊らずに終わっちまったし。
せっかくなら、その最後に・・・と・・・」
言い訳のような尻すぼみになるジャンの言葉。
それを聞いていたは、しばらくして肩を竦めた。
「ま、私で良ければ」
「!や、約束な!」
(「そんなに社交ダンス気に入ったのかな・・・」)
当人の心情を知るべくもなく、は簡単にそう返すのだった。
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2020.1.12