現れたのは、小柄な女性だった。
表情の半分を隠す薄布、肩ほどに切り揃えられた漆黒の髪。
髪からのぞく金輪に、感情が読み取れない表情。
『主、人間ではないな・・・』
警戒を滲ませた険ある声に、
は不敵に笑い返した。
「流石、相変わらず気配を察するのはズバ抜けてるわ」
そう言って、瞬き一つで
は原始の姿へと変わる。
それを眉一つ動かすことなく見ていたラファエルは、やはり動揺を見せることなく続けた。
『・・・主のように戦う力が秀でてない分な、ウリエル』
ーーハートの正体ーー
は目を瞬いた。
予想通りというか、相変わらずというか、昔と寸分変わらないラファエルの言葉を聞いた
は拍子抜けた声を上げる。
「驚かないのね、私が生きてたってことに」
『そのような事、我には関わりない』
「変わんないわねぇ、その無関心っぷり。
で、あんたもしかして結界張ってた?
レメクが私を庇うなんてあり得ないことをやったのって、あんたの能力しか考えられないし」
敵前だというのに、旧友に会った気安さで
は聞く。
そう、目の前にいる女性は人間ではない。
遥か昔、天界で主神を補佐していた四大天使の一人。
がかつてウリエルと呼ばれていた頃の、いわば同胞だ。
その能力は他の3人の天使のような攻撃力を持たない。
代わりに彼女が有しているのは『治癒』
あらゆる病もたちどころに癒し、悪に染まった心さえも善なる心を取り戻させる。
なぜ、レメクが
のことを庇ったのか?
それはラファエルの能力が発動された結界の中に入ったことに気付かず、少しずつ以前の心を取り戻したからだ。
『・・・この地上において、いつの世も諍いを起こすのは邪なる心。
我にはそれを癒す術を持つ者だっただけのこと』
「あっそ。
まぁ、流石だとは言えるわね。相当集中しないと結界の存在に気付けないもの」
感心した風に
は言うが、すぐに表情を引き締めた。
「な〜んて、久々の再会を喜ぶつもりはないの。
単刀直入に言う、ハートを渡して」
の言葉を受けたラファエルは押し黙る。
無言の睨み合いとなったが、しばらくしてラファエルは目を閉じると語調を変えずに言った。
『できぬ。これは主神の求める欠片。我は持ち帰れねばならん』
「なら、どうしてそいつを殺して奪わないの?」
『・・・・・・』
言い逃れなどできない指摘にラファエルは再び黙する。
かつての同胞の後ろ、ビロードのカーテンの向こうのベッドに眠っているだろうハートを宿している者。
が近づこうと足を踏み出せば、ラファエルは険ある視線で威嚇を見せた。
明らかな戦力差の前にも関わらず、彼女は
がそれ以上近付くことを許さない。
まるで後ろにいる者を命を賭しても守ろうとするその姿に
は、まさか、と目を瞠る。
「・・・驚いた。
愛したの?散々、地上世界に関心すらなかったあんたが・・・?」
『主には関係ないことだ』
「そうはいかない。主神はこの事を知ってるのかしら?」
『・・・・・・』
立て続けた
の問いに、ラファエルは苦し気に顔を歪めた。
はますます驚きを大きくした。
「マジ?言ってないんだ?それ、主神への立派な裏切りよ?」
『・・・知られたからには、主をただで返すわけにはいかぬ』
身構えるラファエルに、
の瞳がすっと細くなる。
「正気?あんたは私と違って戦う力はないでしょ」
『だからとて、このままハートを渡すつもりはない』
「死ぬと分かっているのに?」
『諄い!』
声を跳ねさせるラファエル。
一方、
はどうしたものかと面倒そうに出方を待つ。
その時、
「・・・アール」
『!』
「?」
嗄れた弱々しい声に、ラファエルは弾かれたようにカーテンの奥に消えた。
敵前逃亡なそれに呆気に取られる
だったが、後を追うようにカーテンをくぐる。
そこにはベッドに沈むように横たわる一人の老人、それを支えるラファエルの姿があった。
「アール、もう良い・・・」
『ルカ!起き上がっては!』
起きることを制するようなラファエルの手にシワだらけの手が重ねられ、老人はゆっくりと首を振った。
「お主のお陰で、この力を使うのも苦ではなくなったが・・・
もう、次代に譲る時なのかもしれん」
『だが・・・』
「とても満たされた時間だったよ。お主と同じ時間を過ごせたことはな・・・」
『っ・・・』
まるで言い聞かせるそれに、ラファエルは悔し気に俯いた。
そして、起き上がった老人ーー教皇は、目の前に立つ
に話し出す。
「御使い殿、一つ聞かせてくれぬか」
「なんです?」
「ハートを手に入れた後、どうするおつもりか?」
老いたとはいえ、長くその地位に就ていた風格を持つ者の瞳。
こちらの真意を探るそれに、
ははぐらかすことなく真実を口にした。
「この世界の人々が、自分達で選択できる世界となるために使うわ。
誰かの支配下にあるのではない、自分達の意思の下、自分達の手で造っていける世界へ」
それが7000年前に始まったこと。剣を手にした動機。
長く続いてしまった。
数え切れない者を苦しめ、生きる者に悲しみを与え、傷付けた。
戦いの発端を引き起こした自分の罪を清算するためにも、この戦いは自分自身の手で幕を引く。
「そうか・・・ならば貴殿に託そう」
肩透かしな教皇の言葉に
は目を瞬く。
実は、相当抵抗されるんじゃないかと、後味が悪くなる戦いだと思っていたからだ。
「あっさり言うわね。ホントは世界征服に使うかもしれないわよ?」
不敵に言ってやれば、教皇はさも楽しげに笑った。
「世俗な理由を持つの若者が、そんな意志の強い目はしまい。
神へ挑むには、それなりな理由と覚悟が必要じゃろう?
人間が背負えぬ命運を背負うならば、尚のこと」
「若者、ね・・・」
私、あんたよか遥かに年上なんだけど、と続くはずだった言葉を
は呑み込む。
何しろラファエルの射殺さんばかりの鋭い視線が突き刺さってきたからだ。
の面倒そうな表情に気付いたのか、教皇は忘れていたとばかりに口を開く。
「おお、すまぬな。
アールと同じく見た目がそう若いと、どうも年寄り地味てな。
どうぞご容赦を、御使い殿」
頭を下げる教皇。
最初から調子を崩されっぱなしの
は、気を取り直すように話を変えた。
「私らの正体を知っても動じない人間がいるとはね」
「何、つまらぬ話よ。
心優しい天使に惚れた弱みというヤツでしてな。
愛の前には理屈も種族も御使いでさえも関係ないのかもしれん」
懐かしい記憶を辿っている教皇は幸せそうに語る。
そんな教皇の様子に
は悪戯っぽく笑った。
「へぇ・・・20億の信者の指導者が辿り着いた答えが『愛』とはね」
「可笑しいですかな?」
教皇からの問い。
傍目に見れば、若人に人生の答え合わせを求める老人という姿なのだから違和感がある。
だが、今までの経験に置き換えてみれば
の方が圧倒的な経験を積んだ記憶を有している。
求められた人間からの問いかけをどうしてやろうかと、
と教皇の視線は交錯する。
そして、しばらくして
は肩を竦ませた。
「ま、人間らしくていいんじゃない?」
「この地に生きる感情ある者は、愛の前に等しく平等だと儂は考えております。
その信仰が皆に伝わりきらなかったのは無念じゃな・・・」
教皇の無念さが伝わるようだった。
シワに刻まれた一つ一つに、今日に至るまでの苦しみや葛藤、悩みが現れているようだ。
押し黙った
はどう声をかけるべきか分からなかった。
自分はこれから奪うのだ。
恐らく、今ではこの老人の生命線とも呼べる命の根源である『ハート』を。
そんな相手に相応しい言葉を
は知らなかった。
昔の記憶や経験があったとしても、それは天使ウリエルとしてのもので、人間として培った記憶はこの世界に生まれてからの20数年しかない。
の困惑を他所に、感傷から抜け出した教皇はゆっくりと腕を上げ、目の前にいる
へと伸ばす。
「ウリエル殿、この世界を・・・お任せする」
教皇の伸ばされた手を
は取った。
それを痛ましい表情でラファエルは見ていたが、もう邪魔をしようとはしなかった。
そうだ、自分にできる選択は限られている。
今の迷いは人間だった名残りだ。
これから果たすべき使命のケジメをつけるために、この力は不可欠。
は教皇の手を握り集中を深くする。
すると自分の中に、強大な力が流れ込むのを感じた。
激流のようなそれが奥へと押し込め終えた
は、教皇を見下ろしながら口を開いた。
「貴方が神を盲信してない人で良かったわ。
教皇ルカ・・・」
それに教皇は力なく笑う。
もう、先ほど言葉を交わした時のような顔ではなく、心底疲れきった感じだ。
はそれだけで去ろうとしたが、そんな言葉では言い足りないような気がして感謝を示すように頭を下げ言い直した。
「・・・いえ、sanctissimus pater」
「御使い殿にそう仰っていただけるとは、老いた身には余りある光栄です」
返された穏やかな言葉に、
は抱いた決意をさらに固いものとした。
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2014.4.26