あの大洪水の3日間より、長い年月が過ぎた。
数多の命が失われたが、今では以前のような世界に戻りつつある。
それは生み出した人間の世界でも同じだけの時間が経ったことを意味する。
だが、天使にしてみればそれはほんの瞬きほどでしかない。
しかし白銀の光にかざした手を見上げれば、それはうっすらと光を透過する。

「残された時は、少ない、か・・・」

地平線に沈みゆく大きな月が告げる事実に、小さな、悲しい呟きはあっという間に消えていった。


































































ーー回顧〜再生された世界、別れ〜ーー





































































「ジョイド、話がある」

翌日、よく晴れた空の下にウリエルはジョイドを連れ出した。
そして訪れたのは、この地上世界が滅ぼされる前。
ウリエルがお気に入りの場所としてよく通っていた、あの湖畔に似た景色の場所だった。
そして、それを見下ろせる場所でウリエルは腰を下ろし、ジョイドもそれに倣った。
しかし誘ったウリエルは口を噤んだまま。
その上、表情もどこか思い詰めているように見えた。

「どうした、ウリエル?辛気くさい顔してよ」

口火を切ったジョイドが訊ねる。
だが、それに答えはすぐに返らず、ウリエルは不意に立ち上がった。
そして後ろ手を組んだウリエルは、ジョイドに背を向けたまま話し始める。

「恐らく、主神は遠い未来、同じ事を繰り返すだろう。
再びこの世界が主神の意に適わぬ姿に傾けば、迷う事なく世界を滅ぼす。
・・・お前達が心穏やかに暮らすには、主神を倒す以外に道は残されていまい」
「まぁ、そうだろうな。
俺らが生きてるかもしれないっつー可能性、神サマなら考えてるだろうしな」

んなこと分かってるよ、とジョイドは軽く応じるが、ウリエルの話しはまだ終わらなかった。

「私が分け与えた力。この先も消える事なくその血に宿り続ける。
この先、再び主神がお前達を滅ぼそうとしたのなら・・・その力で自分達の世界を取り戻すといい」
「おいおい、冷てぇな。そんな他人事みたいに言うなんてよ」

冗談めかして返せば、冗談めかす言葉が返るはずだった。
そう、いつもなら・・・
しかしジョイドの予想とは裏腹に、ウリエルの真剣な声音はさらに続く。

「・・・もしその来るべき日に私が傍にいる事ができなかった時、私が持っていたもう一つの力がお前達の力となるようにしておいた。
我が子供達が扱うには強大すぎるだろうから、少々、効力を落としてあるが・・・
全てが集まればお前達には心強い力となるはずだ」

一方的に進められる話しに、さすがに訝ったジョイドがその名を呼ぶ。

「おい、ウリエル?」
「その子供達と力を合わせ、主神を倒せ。
そして、お前達だけの本当の自由な世界を取り戻し、その世界で幸せにーー」
「待てって!」

ついに耐えかね立ち上がると、ジョイドはその肩に手を伸ばす。

「さっきから、何一人で語ってんだよ。まるで、お前ーー!」

しかし、その手が肩を掴むことはなかった。
見えているのにまるでそこに何もないように、存在しないように通り過ぎる。
ジョイドは目を疑う。
次いでウリエルの困ったような笑い顔が向けられた。

「すまないな・・・私には、もう時間がないのだよ・・・」

数歩離れ、振り返ったウリエルが初めてジョイドと視線を合わせてそう言う。
その笑顔を見た瞬間、悟ってしまったジョイドの唇が震えた。

「なん、だよ・・・」

そしてたった今見聞いた全てを振り払うかのように、現状を拒むように、ウリエルに言葉を叩きつけた。

「っ!!なんだよこれ!?
お前、天使なんだろ!俺達とは住む世界も流れる時間も違うって、そう言ってたじゃねぇか!
だからお前が消える事なんてーー」
「私には主神より賜りし『神格』が与えられたことで神と同等の席に身を置いていたのだ。故に強大な力を行使できた。
だが、身の丈以上の力を使い続ければ存在を蝕み、いずれ消える。神格を堕とされてもまた然り」
「!」

淡々と紡がれる言葉。心当たりはいくらでもあった。
先の主神との戦い。
ノアの一族に力を分けた与えたことが彼女の負担になるだろうことに、どうして疑問を持たなかった?
神の社から地上へ逃れる時、取り囲んだ伏兵を満身創痍の彼女が突破口を開けたことにどうして疑問を持たなかった?
地上を再生している時、ウリエルの力に頼りきりだったことにどうして疑問を持たなかった?
彼女は俺達と違うと言い切ったあの時から、気付くべきだったんだ。
彼女がーーウリエルが本当の心の内を簡単に言葉にする者ではないということに。
ジョイドは悔し気に拳を握り締めた。
安心しきっていた自分に殺意すら沸く。
ウリエルが隣に居る現状に満足し、こんな事になるなど夢にも思わなかった。
話し終えたウリエルは胸に手を置き、ほぅ、と息をつく。
まるで一言を紡ぐことすら、相当の力を要しているようだ。

「まぁ、地上に暮らすお前達よりは長いだろうと、踏んではいたのだが・・・
どうやら、私の考えが甘かったようだよ・・・」

そう言ってウリエルは再び湖畔を見下ろす。
その後ろ背に、絞り出すような声がかかる。

「ウリエル・・・冗談、だろ?」

否定してくれ。
タチの悪い冗談で、からかってやっただけだと。
いつものように『やっぱりお前は阿呆だ』と、楽しそうに・・・

「なぁ、ジョイド」

しかしその問いに答えは返らず、ウリエルは湖畔を見下ろし後ろに立つ男の名を呼ぶ。

「この世界は、再びあの美しい光を取り戻すよ」
「・・・分からねぇよ」
「きっと我が子供達はこの世界を己の力の限り、生きるのだろうな」
「そうならねぇかもしれねぇ」
「本当の自由な世界で、子供達はその尊い命を輝かせていくんだ素晴らしいよ」
「見たいんだろ!」

それ以上の言葉を遮るように、何より聞きたくないジョイドは声を張り上げた。

「お前は自分で見たいんだろうが!だからーー」
「見れるさ」

静かに紡がれた一言に、ジョイドはそれ以上の言葉を失う。
顔を上げれば振り返ったウリエルは、とても穏やかで満ち足りた笑顔だった。

「私の代わりにジョイド、お前が見てくれるだろう?」
「・・・お前が、居ないのにか・・・」

その言葉に、初めて悲しい表情を浮かべたウリエルは、痛みを押し殺すようにきゅっと下唇を噛み締める。
だが、暫くしてゆるゆると首を振った。

「私に悔いなどないよ。
このような想いを抱けたのも、今がこんな穏やかな気持ちなのも・・・」

と、ウリエルの髪が風に揺れる。
そして、遊ぶ髪をそのままに向けらたウリエルの表情は、笑っているのにまるで泣いているようだった。

「きっと酔狂なお前に出会えたおかげだろうからな」
「!」

まるで光に溶けるように、ウリエルの姿が消えていく。
ジョイドは必至に手を伸ばした。
しかし、掴めたのは虚空ばかり。

「ありがとう、ジョイド・・・」
「ウリエル!!」
「・・・きっと、私はーー」
「っ!」

駆け寄り、腕に閉じ込めようとしたそれは光の粒となって消えた。
まるでそこには最初から何もなかったように。
ジョイドは支えを失ったように崩れ落ちた。
最後の言葉が耳に、身体に、心に、魂に深く刻まれたから・・・

「バカ野郎・・・そう言う事は、同じく生きている時に言えよ」


























































ーーきっと私は、お前の事が一番愛しかったよーー


















































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2014.1.14