(「ここまでの、力だったとは・・・」)
悔し気にウリエルはぎりっと歯を噛み締めた。
肩口からは押さえてもなお、出血は止まらない。
そして自身の前にはこちらを睥睨する主神が、大剣を紅に染めて見下ろしていた。
ーー回顧〜敗走、倒れる者と遺される者〜ーー
天界を喧騒が包んでいた。
それは主神の間にも響いていたが、それは勝利を確信した閧の声が大半を占めている。
(「くっ、ネアは失敗したか・・・」)
ウリエルは肩を掴む手に力を込めた。
作戦は見事と言うほどに失敗。
主神の使いで居ないはずの3人の天使も、その共で同行するはずだった軍勢もすべてが天界に残っており、ウリエルとノアの一族を出迎えた。
(「何故だ、主神に予知できるほどの力はないはず。しかしまるで計画が事前に漏れていたようではないか・・・」)
だが、そんなことを考えてももう遅い。
敵を退け、主神の間に辿り着いたと言うのに、多くのノアの一族が命を散らしたと言うのに。
一矢も報えず、自分はただ主神の前に踞ることしかできない。
「ウリエル・・・役目を果たさず、吾輩に楯突く愚か者め」
「主神、貴方のやり方はあまりにも一方的だ。私は地上が滅ぶなど望まない!」
「越権も甚だしい。滅ぶがいい」
そう言った主神は剣を振り上げる。
これまでか、とウリエルは俯いた。
その時、
ーーガキィーーーン!!ーー
響いた金属音に、ウリエルは顔を上げる。
そこにはここにいるはずがない、だが自分がよく知る男の後ろ姿があった。
「レメク!?」
「この戦いは我々が望んだもの。ウリエル様に手出しは許さん!」
「・・・ノア如きが、神に刃向かうか?」
主神はレメクを弾き飛ばす。
咄嗟にウリエルはレメクを抱えたが、主神の力を相殺する事ができず二人一緒に壁に叩きつけられる。
ーードガーーーンッ!ーー
「っ!」
「ぐっ」
崩れ落ちる二人を興味薄に見据えた主神は、再び剣を手にし歩み寄る。
どうにか起き上がったレメクも応戦するように腰を落とし構えた。
視界が定まらないウリエルもゆるゆると上体を起こした。
そんな彼女の目に、ぱたぱたと血の池が大きく広がっていく。
レメクから作り出されるそれにウリエルの意識は覚醒し、なぜレメクがこの場に来たのかを理解してしまった。
「レメク、なんという無茶を・・・」
「ウリエル様、ここは私が」
「ならん!お主では主神にーー」
そう言いかけたウリエルに、レメクは肩越しに笑ってその先を遮った。
「分かっております。ですから、我が一族をどうか・・・」
その言葉に、ウリエルはやるせなさに顔を歪める。
何もできない無力さに、ウリエルは拳を握り締めその場を後にするしかなかった。
逃げ出したウリエルを追いかけることなく、倒れて動かないレメクに背を向け歩きだした主神はドカッと玉座に座る。
そして、隣に控える男に尊大に言った。
「合図を出せ、ガブリエル」
「よろしいので?」
確認するガブリエルに、主神はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「地上諸共、ノアを滅するにはちょうど良い。あやつもあの手傷ではすぐに朽ちよう」
「御意」
頭を下げたガブリエルは踵を返すと、目的の場所へと歩き出した。
(「悪く思うなよ、ウリエル」)
かつての同胞に、ただその言葉を送って。
主神の間からどうにか逃げ出し、満身創痍となったウリエルは生き残ったノアの一族に指示を飛ばしていた。
「退け、恐らく地上は海に呑まれる。その前にーー!」
しかし、突然その続きが失われた。
目の前に白銀の翼を持つ者が降り立ったからだ。
視界の邪魔することなく後ろに結われた自身より濃い金糸、その額に光る御使いの証したる金輪、気難しい表情たる眉間に寄せられる皺、片手に握られた大剣。
新手の登場に、ウリエルを庇うように二人のノアが立った。
「ウリエル様!」
「ここは我らが!」
決意の言葉を受けたウリエルだったが、彼女は首を横に振った。
「いや、先に退け。ボンドム、マーシーマ」
「ですが!」
言い募る二人を諭すように、ウリエルはその肩に手を置き静かに言った。
「レメクと約束した。お前達を守らせておくれ・・・」
「・・・分かり、ました」
「どうぞご無事で」
「ああ、すまないな」
二人を送り出したウリエルは、立ちはだかる敵と対峙した。
「随分、久しいか。ミカエル」
穏やかに、微笑を浮かべてウリエルは問うた。
すると相手は抜き身の剣を握り直し、怒りの視線と共に切っ先を向ける。
「ウリエル・・・なぜ主神を裏切った!」
まるで叩きつけるようなそれ。
動じることなく、それを聞いていたウリエルはその言葉を噛みしめるように聞いた後、困ったように口を開いた。
「裏切った、か・・・やはりお主にはそう見えるのだろうな」
「答えよ!」
言い逃れを許さぬ詰問に、ウリエルは調子を変えず穏やかに続ける。
「簡単な事だよ。滅ぼされる世界が愛しくなった。
もう地上は神の手から離れるべきだと判断したまでの事」
「!それしきの事で、主神に背いたと言うのか!?」
ミカエルのその言葉に、初めてウリエルが纏う全てが鋭くなった。
「訂正しろ」
その一言だけで、辺りはピンと張り詰める。
空気も植物も建物でさえも、ミカエル自身もその場に縫い止められたかのように動きを封じられる。
「それしきの事ではない。それ故に、私はこの身を投げ打ってでも守りたいと思ったのだ」
ウリエルの話しにミカエルはぐっと言葉に詰まる。
だが、抗うように続けた。
「気紛れだ!」
「そうかもしれん」
「貴様の行動は何の意味も為さぬ!」
「ああ、そうかもしれんな」
「神格を・・・堕とされるのだぞ?それではーー」
「ミカエル」
「!」
優しく紡がれた呼び名に、ミカエルは何も言えなくなった。
飛び込んできたのは全てを悟り、覚悟を決めた目。
そして戦場にはとても不釣り合いな美しい微笑をウリエルは浮かべた。
「すべて分かっている。その上で、私はこの選択をしたのだよ」
ウリエルの言葉を聞いたミカエルは俯き、剣先が下ろされた。
それを不審に思ったウリエルは問う。
「どうした、私を屠れと言われているのではないのか?」
「主神からは何の命も賜っておらん」
返された答えに、ウリエルは訳が分からず問いを重ねる。
「なら、なぜ・・・?」
「正門は、主神が指揮した兵が控えておる」
「!」
「第3側門の兵を下がらせた。そこなら地上へ一番近い道だ」
淡々と紡がれる言葉に、ウリエルは相手の意図を計りかねた。
「ミカエル・・・主神への敬愛が深い其方がなぜ・・・
これは明らかな背信だ。下手をすればお前も・・・」
「主神の行うことを、私は誰よりも信じ付き従う覚悟」
心配気なウリエルの言葉を拒むように、視線を合わせぬまま語気を荒げぬようにミカエルは言う。
そして、再び視線を上げたミカエルは悲し気な表情を浮かべていた。
「ただ、何度も私を救ってくださった貴女に、いつか報いたいとも思っていました」
そう言ったミカエルは剣を鞘に収め、ウリエルに頭を下げた。
「これが最初で最後です」
「そうか・・・」
その姿を見たウリエルはミカエルに歩み寄る。
自身に近付いてくる足音を聞きながら、ミカエルはぐっと拳を握った。
「再びまみえる事があれば、私は貴女を躊躇う事なく・・・屠る」
「あぁ、そうだな・・・その時は私も全力で相手になろう」
嬉しそうにそう言ったウリエルは、頭を下げてもなお自分より背の高いミカエルを抱きしめた。
「ありがとう、ミカエル。我が愛しい教え子よ」
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2014.1.14