ウリエルは再び、地上へと降りた。
『方舟製作の指示』という名目は立っているので、怪しまれることはない。
そして、ウリエルとノアの一族は来るべき戦いに向けて準備を始め、月日は瞬く間に過ぎていった。


































































ーー回顧〜決戦前夜、揺れる思惑〜ーー





































































ウリエルは丘から湖畔を見下ろしていた。
ノアの一族に力を分け与え、その扱い方を教えた日々は遥か昔のようだ。
いよいよ明日が運命の日。
方舟完成の報告と同時に、神の社へと攻め入る。
限られた時間の中で戦力が心許ないのが正直な所だが、それを覆す作戦は立てられている。
敵勢が少なくなるよう、打てる策も全て打った。

(「後は皆の動き次第、か・・・」)

ウリエルは内心で呟く。
と、

「戦いが始まるんですね」

後ろからかけられた声にウリエルは振り返る。
そこにあったのは、ノアの一族を率いるレメクと似通った面差し。
ただ違うのは、瞳が深い青ではなく緑だということ。

「ネア・・・」

名を呼べば、その青年は人当たりの良い笑みを浮かべ会釈を返す。
そして、座っているウリエルへと歩みを進めた。

「レメクが一族を率いたばかりにこんなことに・・・僕が率いていれば、こんなことにはーー」
「よせ」

それ以上のネアの言葉を遮ったウリエルは立ち上がる。
そして、たしなめるように言った。

「それははるか昔に決着しているだろう?主神の裁定だ」
「でもその裁定を下した神と僕達は戦おうとしています」
「それは・・・」

尤もな指摘に、ウリエルは悲し気に俯いた。
それを見ていたネアはウリエルの前に跪き、忠誠を示すように胸に手を当てた。

「ウリエル様、選ぶべきは僕だったのではありませんか?」

ネアの言葉に、視線を上げたウリエル。
鮮紅と深緑が交錯する。

「・・・恨んでいるか、私を?ならそうすれば良かろう、この戦いだとて臨む必要はない」

寂しさと悲しみを押し隠すように、ウリエルは一気に言いきった。
だが、そんなウリエルの手を取ったネアは柔らかく笑う。

「まさか。こんな素晴らしい力を与えて下さった貴女に感謝こそすれ恨むなど。
この力があれば、僕は兄を守る事ができる」
「そうか・・・」

そう言って、手の甲に唇を落としたネアはその場を後にする。
暫くその背中を見送っていたウリエルだったが、男の足が止まり振り返った。

「一つだけ聞かせてください」
「?どうした?」

普段、口数が多くないネアには珍しいそれ。
ウリエルが促せば、言葉を探すようにしていたネアがようやく口を開いた。

「・・・なぜウリエル様は、神の意向に背いてまで我らノアの一族に力を貸してくださるのですか?」

思わぬ問いに、ウリエルは目を瞬いた。
確かに、傍目に見ればさぞおかしく映っているのだろう。
本来なら、自分はこの世界を導く主神の右腕。従うことはあっても反旗を翻すなどありえない。
だが、それには確固たる答えを持っていた。

「失われるのが嫌になった。それほどこの地上世界が愛おしくなったのだ」

そう、悠久が約束された天界より。
限られた命を懸命に、必死に生きている地上が、代わりなど利かないとてもかけがえのないものに見えた。
そんな生命の煌めきを教えてくれたのだ。

「お前達のおかげだよ、ネア」

ふわりとウリエルは微笑みを返す。
それを正面から見たネアは目を瞠った。
そして、

「・・・そう、ですか」

ぽつりと呟くとすぐに顔を背け、今度こそ背中を向け歩き去っていった。
そんなネアと入れ替わるようにジョイドが現れる。

「今のネアか?まさか口説かれてたんじゃ・・・」
「阿保め。話をしていただけだ。方舟は完成したそうだな」
「まぁな。従順なフリしとかねぇと、攻め込まれちゃ終わりだしな」

軽口で応じたジョイドは、ウリエルの隣に立つと同じように湖畔を見下ろす。
沈黙が二人を包む中、先に破ったのはウリエルだった。

「この地上も戦禍に呑まれてしまうのか・・・私のせいだな・・・」
「違う、俺達が選んだことだ。遅かれ早かれ、こうなってたさ」

即座に否定の言葉を返したジョイドに、ウリエルは苦笑する。
本当にこの男はとんだ酔狂者だ。

「私にできる事は少ない」

ぽつりと言ったウリエルは、自身より高い位置にある男の顔を見上げた。

「だが、せめてお前達一族は守らせてくれ」
「・・・それ普通は俺が言いたいセリフなんだけど?」
「そうか、機微に疎くてすまんな」

















































こうして、ウリエルの力を分け与えられたノアの一族と主神との間で地上世界を巡る戦いが始まることになる。
後に、これは『ハートとの戦い』と伝承されるのである。

















































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2014.1.14