「ーー以上が主神より下された命だ」
ノアの一族を率いるレメクに会えたウリエルは、早々に人払いの済ませた一室で主神の意向を伝えた。
ーー回顧〜躊躇い、葛藤、そして・・・〜ーー
「方舟・・・しかし、どうしてそんなものを・・・」
レメクの疑問にウリエルは返す言葉に迷った。
突然の、あまりにも一方的過ぎる話なのはこちらとしても分かっていた。
「・・・主神からは、この先世界を破滅に導く天災が地上を覆うと申しておられた」
「しかし、この世界を統べるほどの主神がどうしてそのような事態を防ぐ策を講じないのです?」
「それは・・・」
尤もな意見に、ウリエルは言い淀む。
その姿を見たレメクはウリエルを心配そうに見つめる。
「ウリエル様、貴女の様子もおかしいですよ。
地上に降り立った時はいつも喜びに満ちていると言うのに、今日はまるでその感情を忘れたかのようだ」
「・・・・・・」
「何が待っているのです?この先に、この世界は・・・?」
レメクの真摯な視線を受けたウリエルは、観念したように息をついた。
「そう、だな・・・選ばれし汝らには話すべきだろうな」
そう判断したウリエルは、方舟を作らなければならない理由を説明した。
地上の世界が悪に染まってしまった事に、主神は滅ぼすことを決めた事。
唯一、ノアの一族と主神に従順なもの達を新たな世界に導く事。
「神が・・・本当に、そのようなことを・・・」
「諌めたが、私ではその意志は覆せなんだ」
「・・・ウリエル様も地上は滅んでいいとお考えですか?」
悲し気に呟かれる男の言葉に、ウリエルははっきりと告げる。
「言ったろう、レメク。諌めたと。
私はこの世界を愛おしく思っているよ。
時が止まったまま悠久の世界となった天界に比べ、命の煌めきに溢れている地上はとても美しいのだから」
「でしたら・・・」
「だが、いくら私が申し上げても、主神は・・・」
悔し気に俯くウリエル。
それを見たレメクは沸き上がる感情を、静かに語り始めた。
「確かに、この世界を主神は統べておられる。従うのが道理というものかもしれません。
ですがこの世界で営みを続けているのは我々です。
我々はこの世界を歩み、耕し、繁栄を自らの手で築き上げてきた。
主神の意向に添わぬというだけで滅ぼされるならば、この世界はただの箱庭ではありませんか!
我々は主神の意のままに動く人形ですか?今まで紡いできた歴史は虚構だと仰るのですか?」
「・・・・・・」
レメクの痛切な訴えに、ウリエルは返す言葉を持たず口を噤む。
「我々は道具ではありません、都合のいい駒でも傀儡でもありません!
我らからこの世界を、数多の生命までも奪う権利がどうして!
・・・・・・っ、どうして主神にあるというのです・・・?」
力なくうな垂れたレメク。
そしてそれまで黙して聞いていたウリエルは、重い口を開いた。
「・・・ああ。本当にその通りだな、レメク」
滅びを前にすれば当然の反応かもしれない。
だが、彼は主神に選ばれ新たな世界で生きることを約束されている者。
黙って従えばこの先は保障されている。
それを蹴ってまでの訴えは聞き流せようもなかった。
「私もこの世界の滅びは望んでいない。
もう、世界は神の手から離れる時なのかもしれんな・・・」
そう言ったウリエルは立ち上がり、失意に打ちひしがれる男を見た。
「しばし、時間をくれぬか?もう一度、主神に奏上しよう」
「ウリエル様・・・!」
「だが、もし主神の考えが変わらなかったら・・・」
でも分かっている。
恐らく、主神の考えは変わらないだろう。
そして、この地上世界は・・・
「その時は、我々の手でこの世界を主神の手から取り戻します」
決意を湛えた深い青い瞳がウリエルの鮮紅の瞳と交錯する。
それを受けたウリエルは問い返した。
「・・・理解しておるか?
主のその行動は神に弓を引くと言うことなのだぞ?」
この地上において最も禁忌とされている事。
神への反旗。
それを創世から最も神に従順だった者がその行為に手を染めようとしているのだ。
「この世界を滅ぼす者などもう神に在らず。我らに手を差し伸べてくださる貴女こそ慈悲深き神です。
このままでは方舟に乗れぬものは皆滅びる運命。
ならば我らの手にこの世界を取り戻す為にどのような犠牲も払いましょう。
どうか、貴女様の御力を我らに」
レメクはウリエルに跪き、深々と降頭する。
その男の姿を見た天使も心を定めた声音で応じた。
「ああ。持てる限り、な」
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2014.1.14