数十年ぶりに足を踏み入れたそこは、荒屋と言うに相応しい外観だ。
屋根には穴が空き、外壁はボロボロ。扉も窓もなく、室内は埃や蜘蛛の巣ばかり。
崩れていないのが不思議な位の荒れ放題。
しかし、はそれを懐かしむでもなく、目的の入り口を探し始めた。
さすがのクロスも地下室への入り口までは知らなかった。まずはそれを見つけなければならない。
ーー半時間後
「だあっ!面倒くさっ!!」
ーードゴーーーーンッ!!ーー
それらしい場所を見つけられず、苛立ったが弦月を発動させ、辺りに光の矢が降り注ぐ。
あっという間に瓦礫となった中を歩きながら、は暖炉の底が抜けているのに気付いた。
「・・・ここか」
身体が通れるように、底を蹴り崩す。
薄暗がりに現れたのは、さらに地下深くへと続く階段だった。
ーー御使いとの邂逅、継がれた契りーー
ランタンを手に、下へ下へと進む。
そしてようやく階段が終わると、広い空間に出た。
そしてさらに奥へと進めば、布のような物の下から鈍い光が漏れていた。
は迷うことなくそれを取り払うと、現れたモノに目を見張る。
「これ、弦月?でも同じものが存在するとは思えないけど・・・」
見た目はそっくりだ。自分で持ってなければ間違っても仕方ないほどに。
だが、今使っているものよりこちらの方が新しい気がする。
が、そんなことはあり得るはずがない。
今まで弦月が壊れたことは一度もないし、同じ形のイノセンスが存在するとも思えない。
(「それにこれ・・・何かの力が込められているような・・・」)
まるで誘われるように、はゆっくりとそれに手を伸ばす。
そして指先が触れた瞬間、視界が光に埋め尽くされた。
視界が戻ってくると、そこは真っ白な空間だった。
周りを見回しても何もない。
「・・・罠?」
だが入り口は10年近く封じられていたのだ。
こんな人間離れな技を持っているのはノアぐらいだが、今彼らがこのタイミングで邪魔をする理由が分からない。
と、背後に感じた気配には振り返った。
すると、それまで何もなかったそこに、玉座に腰を下ろす人物がいた。
まるで眠るように。
流れるような金糸、長いまつげ、装いは古代の神々が纏うそれ。
はその人物にゆっくりと近付き始める。
そして、その歩みが止まると同時に相手の目が開いた。
交錯するは、暗紫と鮮紅の瞳。
「貴女が・・・ウリエル?」
初めて見たというのに、その人だという確信があった。
そしての問いに、相手は柔らかく笑って肯定した。
『そうだ、我が血を引く子よ』
紡がれる言葉が身体の奥にまで届くように心地いい。
しばらく、失礼を承知ではまじまじと相手を見つめた。
(「気のせいか、自分を見ているような気がしないでもない・・・かな?」)
の不躾な視線を咎めもせず、ウリエルは話を始めた。
『よくぞ、この場所へ辿り着いたな』
「まぁ、父のおかげで・・・」
『だがここは人間が長居する場所ではない。お主がここに来た目的は何だ?』
表情を改めたウリエルの言葉に、この場所が異空間であろうということは分かった。
方舟と同じようなものか、と判断したは問いに答える。
「知りたいと思ったの、自分の事。
覚えのない記憶とか、秘められた力とか、諸々全てを。
それは貴女に通じる事だと知る事ができたから、ここに来た」
よどみなく答えた。
それを黙って聞いていたウリエルは、表情を変えることなく問い返す。
『知ってどうする』
突き放す答え。
それにカチンときたは詰め寄ろうとするが、ウリエルは続けた。
『人間とは限られた短き命しか持たん。知る必要がないこともこの世には多い。
特に今、お主が触れようとしているものはそうだ』
分かったら帰れ、とばかりな態度。
だがとて、「はい、そうですか」と簡単に引き下がるつもりはなかった。
散々、調べ尽くしてここまで来た。
こちらの疑問が解決していないのに帰るつもりはさらさらなかった。
「ねぇ、知ってる?今この世界では戦争があちこちで起こってるの。
千年伯爵やノアの一族によってね」
話しを変えたを咎めるでもなく、それを聞いたウリエルの目は悲しげに伏せられた。
『・・・ああ、知っているよ。
口惜しいが、我には見ている事しかできなんだ。遥か昔に存在を失ったからな』
「貴女には戦争を止める力があるらしいじゃない?」
『そうだな・・・この武器があればできなくはないよ。そやつらを止める事もな』
そう言ったウリエルの手に、ふわりと弓が現れる。
が持っている弦月と同じ弓が・・・
古代の伝承で彼女がずっと携え、自らの手で隠したというその武器。
「本当、だったんだ・・・」
は思わず呟く。
本人にああ言ってはなんだが、まさか事実だとは。
いくら遺跡で調べたこととはいえ、それが事実かどうかは怪しかった。
まして、昔の言い回しは誇張してあることが多い。だから最後まで確信を持てないでいたのだが・・・
『ああ。今は遠い昔だが、そやつらと我との因縁は深くてな・・・』
「なら、その武器ーー」
『無理だ、これは我にしか扱えん。7000年の永きに渡り我と共に在ったのだ』
の言葉を最後まで聞くことなく、ウリエルはきっぱりと断言した。
その答えに、むっとしただったがすぐに切り返す。
「なら、どうしたら今の私に扱えるの?」
『どうしてそこまで力を欲する?』
まったく退こうとしないに、決して揺れることのない鮮紅の瞳が見据え問う。
まるで自身の底すら見透かすそれ。
自分が暴かれるような錯覚に、は動けなかった。
(「どうする?尤もらしいことを言うべきか、それとも・・・」)
だが、ここで偽りを言っても簡単に見破られるだろう。
そんな直感があったは、ウリエルの問いの答えの感情をゆっくりと言葉に紡いでいく。
「・・・この世界が失われるのが嫌になったの」
『!』
その言葉に、今まで表情を変えなかったウリエルの顔に感情が走った。
まるで記憶の彼方に置き忘れた、大切な何かを見つけたような・・・
は続けた。
「最初はどうでも良かったんだと思う。
戦争で人間なんて簡単に死んでいく、それこそ替えの利く駒のように。
どうせ自分も駒の一つ。消えたとしてもまた違う駒が用意されるだけだってそう思ってた。
でも・・・一度、私はこの世から消えかけた」
その時の事を思い出す。
足から上って来る寒さ。すべてを覆い尽くされる闇。強烈に自覚した死。
こんな奴にやられてやるか、と足掻いた自分。
あっけないものだ、と生きることを手放した自分。
そんな矛盾の中、最後に見たのは光だった。
まるで生きる光明を指し示してくれるような・・・
「そしてどう言う訳か命を取り留めた。それは貴女の血を引いているからだと後で分かったけど・・・
それから世界が少しずつ変わり始めたの。
・・・まぁ、戦争以外の世界を見る事ができたこともちょっとはあるかな」
ティキと過ごしたあの時間。敵同士だったのは分かっていた。
だが戦場しか知らない自分が過ごすことができた、穏やかな時間でもあった。
世界はこんなにも広く、美しいのだと知れたことで、どうでも良かった世界がとても愛おしいものに変わっていった。
「そしてこの戦争が自分と無関係じゃないって分かった事も大きい。
正直、もうこれ以上、私の知っている人が傷付いたり悲しんだり苦しんだりするのは見たくないわ」
仲間意識が低いのは自覚している。
だから原則二人で当たる任務も一人以外のものは蹴っていたし、バックアップであるファインダーも必要な情報提供が終われば邪魔だからととっとと帰していた。
足枷なんて要らない。
弱者は戦場に立つべきではない。
傷を負うなら自分だけで十分だから。
だが、科学班で見たエクソシストへのバックアップの数々。
悲しみを押して、戦争終結の為に奔走する姿。
そして犠牲を強いられてきた、自分と関わりの深かった者との永い離別。
もう、嫌なんだ。
ぐっと拳を握り、想いの丈を言い切った。
それを受けたウリエルは、俯くと小さく息を吐いた。
『・・・お主の思いは分かった』
そしてウリエルは手を上にかざすと、弓がふわりと宙に浮いた。
『この武器をお主が使える方法はある』
「どんな方法?」
すぐさま聞き返したに、ウリエルはたしなめるように言った。
『先に言った通り、本来、人間ならこれは知る必要がない事だ。代償が必要だぞ?』
「使うなら、でしょ?聞くだけなら問題はないはずよ」
『・・・この武器は大空神から賜りし、大いなる空の弓、ウェルキンボウ。
これは我が7000年前より遥か前に契約を結んでおる。契りを継げばこの武器はお主の力となろう』
ふんふん、とは話しを聞きながら肝心の部分を問う。
「で?代償というのは?」
『7000年前の・・・我の記憶を受け入れることが代償だ』
ウリエルの言葉には目を瞬かせた。
「それだけ?」
『容易い事ではないのだぞ』
ウリエルの鋭い視線と忠告に、は息を呑む。
敵相手にだってそんな風になったことはないというのに、やはり人間の手に及ばない存在なのだと痛感した。
身動きを止めたに、鋭い視線を緩めたウリエルは続けた。
『記憶は謂わば、その人物そのもの。違う人格を受け入れると言う事だ。
人間のお主には、膨大なものだろう。
ことあるごとに己が経験すらしていない感情に襲われ、過去の記憶を追体験することになる。
自分か我かの境は曖昧となり、今まで作られた人格は失われるかもしれぬ。
最悪は己を見失い、人としてすら生きる事叶わん』
「・・・・・・」
黙って聞いていたは返す言葉がない。
脅しともとれるそれだが、事実なのだろう。
ウリエルの話しは続く。
『我の血を引いているのだ。片鱗はあったのではないか?』
「ええ、まぁね・・・」
『はっきり言って、そんなものの比ではない』
思い出されるのは方舟の時に襲われた、過去の記憶の断片。
身動きがとれず、その後の記憶は曖昧だが、強大な力を振るえた覚えはあった。
・・・ま、その後の反動のことを思えば多用できるものではないとは思うが。
もし記憶を受け入れれば、その時以上の試練が待ち受けているということになる。
下手すれば廃人。
だがそれを受け入れる覚悟がなければ、あの弓を扱える資格はない。
そう言外にウリエルは言っているのだ。
しかし、は大した間も置かずに口を開いた。
「でも、それを乗り切れば力が手に入る。
ついでに貴女が見聞きしてきた7000年前の経験と大昔に失われたと言われる世界の真実も」
『・・・善し悪しに関わらず、な』
再び悲しげな表情となったウリエルは呟く。
そして、に問うた。
『答えを聞こう、我が愛し子よ』
その声にはすっと背を伸ばす。
そして覇気のある声で告げた。
「私の意志は変わらない」
恐れなどなく、真っ直ぐにウリエルを見返して。
「受け入れるわ、貴女の記憶」
きっぱりと告げられたそれ。
その答えを予期していたのか、ウリエルが浮かべるのは嬉しいような悲しいような現しがたい表情だった。
『我は、もう苦しめたくないのだがな・・・』
「この戦争のケジメはつけるべきだわ。
因縁が深かったのに何もしなかったなんて、実際にやってる奴よりタチが悪い」
『逞しい限りだな、我が血を引く子は』
返された棘に、ウリエルは困ったように笑った。
「あ、一つ聞いてもいい?」
『何だ?』
「私が使っている弦月とそのウェルキンボウ・・・だっけ?
どうして同じ形をしているの」
それだけが引っかかっていた。
父がいつも持っていたものだから、何かしらの意味あるものだろうとは思っていたが。
まさか、それが7000年前の武器と同じ形をしているのはどういう訳なんだ?
『お主が使っているのは、このレプリカだからだよ』
事も無げに言われたが、は驚きのあまり固まった。
「・・・え?何それ?じゃあイノセンスじゃないっていうの?」
『厳密に言えば違う。が、性質は変わらぬ』
「?なら私はそもそもエクソシストじゃないってこと?」
『そんなことはない。
今まで扱っていたのも間違いなく、神の力だ』
朗らかに言うウリエルの言葉をどうにか理解しようとしていただったが、しばらくして憮然とした面持ちで呟いた。
「・・・なんだか、腑に落ちない」
『まぁ、口での説明は難しい。
我に言えるのは扱いも呼び名も、これまで通りで構わんということくらいか。
だが、振るえる力はこれまでとは一線を画するとだけは言っておく』
「ふ〜ん・・・
ま、ヘブラスカも他の人と違うって言ってたし。そういうもんだと思っとくわ」
世の中は兎角、謎だらけだし、などと一人ぶつぶつ呟く。
それを暫く眺めていたウリエルは玉座から立ち上がった。
そして、まるで体重などないようにふわりとの前に降り立つと、そのまま抱きしめられる。
身長は大して変わらないと思ったのに、まるで自分が子供になったような感覚になった。
(「・・・母親って、こんな感じなのかしら?」)
『すまぬな、我が仕損じた事をお主に背負わせてしまうことを許しておくれ』
「?それ、どういうーー」
しかし、が言い終わるのを待たずに、視界が白く染まった。
光が収まると、そこは訪れた家の地下室だった。
足元にはランタンもある。光の加減から、時間はたいして流れていないように感じた。
そしての手には、本物の弦月が握られていた。
流れ込んでくる、ウリエルだった記憶の全て。
「そう・・・そう、だったんだ・・・」
やっと分かった。
ティキと戦った時、伯爵と対峙した時、リンクを助けたあの時の記憶の意味。
そして7000年前にあったこと、自分がこれからやるべきこと、できること。
は長く、息を吐いた。
その時、
ーードックンーー
「!」
久々に心臓が跳ねる。
はそれが伝えた方角に目を向けた。
今ならこの意味が分かる。
ノアの、自分が与えた力が覚醒し鼓動を打った音だ。
この時期に覚醒があると言ったら、あの少年しかないだろう。
「・・・・・・」
だがは視線を引き剥がし歩き出した。
今は、行動の時。
まずは確かめなければならない。
遥か昔、共闘したあの者の意志が7000年前と同じかどうかを。
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2014.1.14