アレクのメモを手に、はローマ市街のとあるホテルにいた。
そこはローマでも指折りの高級ホテルであるだけに、ロビーの床から大理石、内装も細部まで凝った作りだった。
そんなロビーを見渡せるラウンジで、は紅茶を傾けながら、新聞を開き優雅にくつろいでいた。
だが視線だけはロビーを通る全員を見定め、とある人物が来るのを待ち構えていた。
フロントに確認すれば、1960号室には確かに客がいるらしい。
そして、その部屋はオーナーの指示で長年、他の客の宿泊を断っていたという。
ますます怪しいと、はその宿泊客を待つ。
今日は普段のようなラフな格好ではない。
傍目に見れば、間違いなくどこぞのいいところの貴族のお嬢様、なドレスアップ姿。
好きな格好ではないが、目的を果たすためなら安いもの。
この格好のおかげで男が何人か近付いてきたが、そこはエクソシストとして培った経験を活かし、丁寧にお帰りいただいた。
(「さっさと来ないかな・・・」)
座り始めて5時間。
そろそろ夕方だ。今日は空振りか、と予約した部屋に戻ろうとした。
その時、入り口のベルボーイが扉を開けたことで、の視線がそちらに向く。
「!」
現れたのは焦げ茶のストレートの髪を結った壮年の大柄な男。メガネ姿に、質のいいタキシードをその身に纏い、自信に満ちたその足取り。
見た目は探している人物と全く違う。
だがメガネ越しにある、あの他人を見下すような目、それにこの覚えのあり過ぎる気配。
忘れる訳がない、何より自身が嫌っているあいつをが見間違えるはずがなかった。
向こうはこちらに気付いていない。はこれから起こす仕返しにうっそりと笑った。
「見ぃつけたぁ〜」
ラウンジの隅での小さな黒い呟きは、誰も聞き留めることはなかった。
ーー往生しろーー
宵の口も過ぎた頃。
一室の扉のノック音が響く。
ーーコンコンーー
『ライナー様、ルームサービスです』
暫くしてしてドアが開けられ、チェーンロック越しに訝しげな顔が現れる。
「頼んでねぇが?」
「はい、当ホテル支配人から宿泊されている皆様にとのことです」
人当たりの良い笑顔を浮かべたホテルマンの返答に、男はまるで値踏みするように上から下まで見る。
「ほぉ〜・・・」
その視線は台車に乗せられたワインクーラーに移り、再び帽子を目深に被ったホテルマンに戻る。
二人の間に流れるのは沈黙だけでドアを開けようとしない男に、促すようにホテルマンは口を開く。
「お客様?」
「何者だ、てめぇ」
その言葉にホテルマンの動きが止まる。
そして、帽子に手を伸ばそうとした。
瞬間、
ーードゴォンッ!ーー
扉が粉砕された。
間一髪、男は飛び退さって回避し、辺りは土煙が立ちこめ両者の視界を遮る。
男は早々に逃げることを決め、窓枠に手をかけた。
と、
ーードシュッーー
「!」
男は僅かに目を見張った。
手をかけたスレスレに、見覚えのある光の矢が突き刺さっていたからだ。
そして自身の背後、入り口から不機嫌さを隠そうともしない声が響いた。
「出かけるならドアから出るのが礼儀じゃないの?」
土煙に映るのは、光る弓。その武器を使い、高い精度で放てる腕を持つ者を男は一人しか知らない。
誰が来たのか分かった男は、ふっと笑った。
「そのドアをぶっ壊すのは礼儀か?」
「あんたに払える最大の礼儀よ」
口の減らない返答に男は喉を鳴らして笑いながらも、気配を殺しゆっくりと床に手をつこうとした。
が、
ーードシュッーー
「危ねぇな」
まるでその行動を読んでいたように、手を置こうとしたその場所に光の矢が突き刺さる。
そのまま手をついていたら、間違いなく床に縫い付けられただろう。
そして、土煙を越えてホテルマンだった人物が、とても座った目で男を見下ろした。
ドア越しに向けられた笑顔がまるで嘘のようだ。
「マリアで逃げる前にこっちの質問に答えてもらう」
「嫌だと言ったら?」
尊大に男は返す。
それを聞いたホテルマンは、眉間のシワを深くした。
そして帽子を脱ぎ捨てると、しまわれていた長い髪が薄暗い部屋に踊る。
男の記憶と寸分も違わない、かつて親友だった者と同じ美しい暗紫の髪。
暫しの睨み合いの後、は弦月を瞬く間に剣へと変え、ピタリと男の喉元に突きつけると場違いな、美しい黒い笑みを浮かべた。
「分かりきった事、聞くんじゃないわよ」
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2013.12.22