分かっていた。
人の儚さは戦いに身を置く道を選んだあの時から。
覚悟をしていた。
人の命は限りあるものだということは。
でもその話を聞いたとき・・・
『なぁ、聞いたか?』
『ああ。アジア支部の刀匠が倒れたって話だろ?』
『エクソシストが少ないって時に、また人が減ってくな・・・』
まるで流れ出す水のように、身体から力が抜けていってしまった。
分かっていた、はずだったのに・・・
ーー人の儚さーー
北米支部の襲撃から2ヶ月が経過した。
この2ヶ月、教団が大きく変わったかといえばそんなことはない。
むしろ変化はない、といえた。
エクソシストがいきなり4人消えたとしても、世界にはAKUMAが増え続け、各地に奇怪現象は起こる。
それはまるで悲しむ暇すら使徒にはないのだと、突きつけられているようだった。
の体調も落ち着いていた。まるで最初からそんな不調などなかったようだ。
不意に心臓が跳ねることもなくなったため、自身にある不可思議な力の習得に日々を費やし、手帳の謎解きも順調に進んでいた。
そして、冒頭の話を耳にした数日後。
「あの〜、本部室長から支部長あての書類をお持ちしました。
バク支部長はどちらにいらっしゃいますか?」
使いっ走りなんて、いつもなら内心でこれでもかと悪態をつくところだが、今回それがないはアジア支部を訪れていた。
通りすがりの研究員に聞けば、その研究員は言いにくそうに言葉を濁す。
「あー・・・支部長は・・・」
その反応を予想していたは人当たりの良い笑顔を浮かべる。
「あ、事情は承知してます。戻られるまで待たせていただいてもいいですか?」
「ああ、悪いね君・・・」
いえいえ〜、と研究員に言っておきながら、は支部内を歩き始めた。
何より、ここは自分の勝手知ったるところ。
目星をつけて歩き目的の部屋を見つけた。
が、その足が止まる。
(「先客、か・・・」)
中にある人の気配に、入口近くの物陰に身をひそめた。
聞こえるのはすすり泣く小さな声。
『少し休んで来いよ、バク』
『・・・あぁ、そうだな・・・』
聞き慣れた、だが掠れた声が届く。
しばらくしてその部屋から二人が出ていくと、はするりと部屋に入った。
そこにはベッドに沈むように横になっている一人の老人。
最後に顔を合わせたのはだいたい半年くらい前か。
そんなに長い間会っていないわけではないのに、随分と小さくなったように見えた。
メガネを外したは、ベッドに横たわる老人に声をかける。
「はぁい、ズゥ爺。久しぶりね」
アジア支部にいた時と変わらぬ調子。
すると閉じられていた目が開けられ、こちらを見つめると少し迷ったようにその口から言葉が紡がれる。
「・・・なのか?」
「ええ、そうよ。元気そうで何よりだわ」
にっこり、と笑顔を返す。
本物なのか、とばかりに目を見開くズゥだったが、見まごうことないその姿に深く息を吐いた。
「教団を、抜けたと・・・」
「ちょっと事情ができたのよ、だから格好もこのままで勘弁してもらうわよ」
悪びれないにズゥは言葉を探しているのか、そのまま口を噤む。
そして、長い沈黙が過ぎた時だった。
「・・・すまない」
ポツリと、小さな呟きが零れた。
「すまなかった、・・・」
まるでそうするのが課せられた義務であるかのように繰り返す老人に、黙っていたは言い聞かせるように言った。
「謝る必要ないわ」
「儂は罪深い・・・贖いきれるものではない」
「ズゥ爺・・・」
まるで懺悔のようなそれに、の方が返答に迷う。
独白は続く。
「あいつはワシの過ちを止めようとした、最後まで・・・
過ちを引継ぐしかなかったトゥイ達さえ、あいつは救おうと・・・先に諦めたのはワシの方だ。
そんな友の命を奪い、あまつさえ、その孫であるお前まで戦争に巻き込んだのは・・・ワシだ」
涙を流すズゥに、はただ黙って耳を傾ける。
甦る、9年前の記憶。
目の前で散った多くの命、両手を赤く染める泣き虫だった少年、祖父の言葉、青空の中にある小さな背中。
ちくりと心を刺す痛みを紛らわすように、は数呼吸の間、目を閉じた。
そして心の内深くに痛みを押し込め、まだ懺悔を続けるズゥを見下ろす。
「許しを、乞うなどーー」
「許すよ」
それ以上の言葉を言わせず、はきっぱりと口にした。
それにズゥは目を見張り、続く言葉を失う。
「過去に囚われ過ぎないでよ。
この道は私が選んだ道、ズゥ爺が背負うべきものじゃない」
そう、確かにあの惨劇によって自分は正式なエクソシストとしての道を確固たるものにした。
だが自分はその前から、イノセンスを手にしてしまっていたのだ。
だから今立っているこの道は、貴方が選ばせたものじゃない。
私自身が、選び歩むと決めた道。
「きっと、ハーシェルもそう言うわ」
いつもふざけているばかりだったあの祖父が、唯一の友と言わしめたのがこの人。
誰にでも心を開いているような祖父だったが、その実、誰にも踏み込ませる事をしなかった。
一緒に過ごす時間は少なかったが、親友を何よりも大事に思っていて、自分ができる限りのことをする事にただ必死だったのは幼い自分にも分かった。
微笑を浮かべたの台詞に、ズゥは再び口を開いた。
「頼みを・・・聞いてくれるか?」
「なに?」
「神田を・・・あの子に、六幻を・・・」
「!」
ズゥの言葉に、は神田がまだ生きていると言う事が分かった。
それを耳にできたのは素直に嬉しい。
だが・・・
「どうして渡したいか、聞いていい?」
それまでより声音を固くしたは聞き返す。
「私は今まで教団がやっていた事、許すつもりはないわ。
それは身内が死んだ一因が教団にあるからじゃない。
自分達の手は汚さないくせに、『世界の命運をかけている』という大義名分の下に、他人の人生を弄ぶような事を平然とやっているのが許せない」
病床にあるという人物に向けるべきではない鋭い視線を、はズゥに向ける。
「六幻を渡すって・・・また、ユウにエクソシストになれって、そう言う事?」
はぐらかすことは許さない、という言外のの視線を正面から受けていた老人はゆっくりと語りだす。
「・・・あの子は死した後もこの六幻と共にあった」
老いた手が傍らに置かれた、まるで錆び付いたようなモノに伸びる。
これが六幻、なのだろう。
が記憶しているのは、神田が手にした美しい刀身と流れる残光だったが・・・
「これから生きるために・・・自身を守る力とするために、渡してやりたいのだ」
「・・・・・・そう・・・」
ズゥの言葉を聞いたは、ただそれだけ呟く。
そして一つ溜め息をつき、続けた。
「伝言は伝えるわ。
でも決めるのはユウだから。ただ、探すとなると少しだけ時間をもらうわよ」
「そう、だな・・・それまでは・・・」
視線を外し、困ったように笑うズゥ。
その仕草から残された時間と、求める人物が来るまでの時間とは交わらないのだとは悟った。
そんなズゥの傍には近付くと、
「・・・頑張ってもらわないと、困るわよ。
ユウの文句、聞いてもらわないといけないでしょ?」
そう言い、ズゥの皺だらけの手に自身の手を重ねる。
そして、すっと目を閉じた。
すると淡い光がを包み、それは手を伝ってズゥをも包み込む。
間を置かず、まるで身体に乗せられた重しを取り除かれた感覚に、老人は驚きの表情を浮かべた。
「まさか、監査官が助かったのは・・・」
「あら、さすがはお爺様のご親友。他の面子より頭が切れるわね」
にやり、とは笑う。
だが、その表情の端に疲労の色が見て取れた。
「、お主は・・・」
ズゥは起き上がり、真相を確かめようとした。
が、はその肩に手を置き、起きる事を押しとどめると、滅多に見せない気弱な顔を向けた。
「人間じゃ・・・ないんでしょうね、きっと。
もしかしたら、ノアと同じく世界の敵なのかも・・・」
そう言ったは、眼鏡をかけるとズゥに背を向け部屋の出口に向かう。
そして、
「じゃあね、ズゥ爺」
支部にいた頃のようにそう言って部屋を後にした。
それは今のが口にできる、唯一の別れの言葉だった。
部屋を出たは歩き出す。そろそろ、用事を済ませて戻らなければ不審に思われるかもしれない。
最悪、書類は誰かに押し付けてしまえばいい。
何しろこれは支部長に直接渡す必要などない書類なのだ。
倦怠感に眉をひそめながらも、足早にゲートに向かう。
と、
「このままあたしに挨拶も無しに帰るつもりか?」
後ろからかかった声に、ピタリと歩みが止まる。
ゆっくりとが振り返ってみれば、そこには腕を組んで仁王立ちする少女がいた。
しばし睨み合う両者。
そして、は小首を傾げみせると、
「・・・どちらサマ?」
「てめぇ・・・」
「冗談よ」
悪戯っぽく笑ったはそう答え、手近の部屋でその少女と対峙した。
「久しぶりね、フォー。やっぱりこんな格好じゃ騙せなかった?」
すでにバレてしまっているため、素に戻ったが白衣姿を見せつけるように言えば、返されたのは眇められた目と呆れ返った声。
「ったりめぇだ。方舟でこっちに入った時から気付いてたっつぅの」
「あら。気を利かせたお礼を言わないといけないのかしら?」
「んなもん要るか。に礼言われる日はこの世の終わりだ」
「酷い言い草〜」
まるで支部にいた時と変わらないやり取り。
だが、長く留まるつもりがなかったはフォーに背を向けた。
「んじゃ、やらなきゃいけないことできたから行くわ」
「」
フォーの呼びかけに再びの足が止まる。
「事情は、あたしにも話せないのかよ」
まるで、非難するようなそれを背中で受けた。
きっと彼女は悔しげな顔をしているだろう。
だが決めたんだ、これは自分でやると。
事実が分かるまで、教団関係者の手を借りるつもりはない。
「話せないよ」
はそう呟き身体ごとフォーに振り向き、
「まだ、ね・・・」
と、付け加えた。
にやりと笑うとは対照的にフォーは渋い顔をする。
いかにも、不服だと言外に示しているそれに、はフォーに近付くと・・・
「おりゃ!」
ーーガバッ!ーー
「うわっ!」
正面から抱きしめた。
身長ではこちらが勝っているため、フォーはもがき暴れるしかできない。
「何しやがる!」
「人間って嫌だね・・・」
ぽつりと紡がれた言葉に、フォーの動きが止まる。
「神様も大概な奴よ」
ぶつけようのないやるせなさには唇を噛む。
この子はどれだけの人を見送っていったのだろう?たったひとりで何百年も・・・
あの時だって・・・
本当に神が存在してこの世界を創造したのだったら、こんな悲しみが満ちる世界にしないことぐらいできただろうに。
創造主などと、よく言ったものだ。まぁ元々、そんなものの存在など、信じてはいないが。
窮地を救うのも、悲しみを背負うのも、神ではなくこの地に立つ者達だ。
救うことも、手を差し伸べることもしない奴なんて、最初から居なければ良かったのに・・・
しばらくそのままだっただが、ぽんぽん、とフォーの背中を叩くとようやく離れた。
「バクちゃんは任せたよ」
「おぅ」
いつもの不敵なの笑顔に、しかたねぇな、とばかりなフォーの笑顔が返された。
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2013.11.4