ーー扉越しの約束《7》ーー
足元から突き上げられるような震度は地下へも届いていた。
「おいおい、生き埋めは勘弁だぞ・・・」
「藤本!」
尋常でない揺れに獅郎が僅かな焦りを見せた時、再び慧が戻ってきた。
が、すぐに背を向けると襲いかかってきた屍目掛け札を放つ。
「散っ!」
ーーギャァァァァ!ーー
「お前、何しに」
「早く出ろ!生き埋めになりたいのか!」
獅郎を遮り、扉の前で小さく呪を呟いた慧によって拘束も解け完全に解放された。
だがそんな慧の装いは、つい先ほど見た整ったものではなく、いかにも戦闘後ですといわんばかり。
その上、あちらこちらの和服越しにじんわりと紅が滲んでいた。
「おいおい、手当てぐらいしろよ」
「悠長な事を言っている暇があるならさっさと受け取れ、捨てるぞ」
「悠長ってお前な・・・」
「ふん、外に出ればその軽口も出んだろうがな」
辛辣に言った慧の様子に、装備を受け取った獅郎は確認しながら問うた。
「状況は?」
「御影が厄介なモノを喚び出した、張り直した結界のおかげで屋敷の外には出ていないが・・・」
「厄介なモノだ?そりゃ」
「砕破っ!」
突如、角から現れたのは小型(と言っても成人大だが)ながらもつい昨日見た屍鬼だった。
胴体から分断されてもなお、こちらに向かってくる屍鬼へ厳しい視線を送る慧に、獅郎は襲撃者が何なのかを理解した。
「・・・まさか屍鬼か?」
「それより悪い。御影は屍鬼が住まう根の国の入り口を喚んだんだ」
「入り口だ?そんなもんできる訳が」
「御影家当主ならば可能だ。
あの男は力だけなら家当主でさえ・・・」
尻すぼみになった慧の表情は悔し気に歪む。
それ以上語らずとも理解できた。
それほどまでに敵の力が強大ということだ。
「ちっきしょー!奴ら夜中になりゃもっと力を増すぞ!
どーにかできねぇのか、よ!!」
「奴は出来上がった屍を供物に入り口を開いた。
今更術者を殺した所でもう入り口は閉じん」
屍鬼を斬り捨てる獅郎に、背中合わせで戦う慧も札を投じながら応じる。
進路の敵を殲滅し歩き出した慧に獅郎も続いた。
「おいおい、なんとかしろよ!」
「俺には無理だ」
「んだよそれ!冗談じゃねぇぞ!」
「・・・できるとすれば・・・」
「あ?」
「ならば、或は・・・」
「本当か!?」
「・・・」
と、急に立ち止まってしまった慧に衝突しそうになった獅郎は、体勢を崩しながらもどうにか立ち止まった。
「とっ!!おい、どうし」
「頼みがある」
庭先では闇が支配していた。
手を伸ばした先の視界がやっとの中、後から後から襲いかかって来る屍鬼を沙門はを守りながら斬り伏せる。
『くっ、埒があかん!』
「入り口、なんとかしないと・・・」
『だが数が多すぎる!』
応じる沙門は再び薙刀を一閃させた。
耳障りな断末魔を残して、屍鬼は瘴気の闇に消える。
だが、分かっていた。
この闇がある以上、屍鬼はいくらでもいくらでも湧いてくる。
これではいずれ消耗してこちらが倒れるのが目に見えていた。
「・・・なら」
『何?』
小さな呟きを拾えず、沙門は聞き返す。
すると、は小さく息を整えると沙門を見上げもう一度言った。
「・・・四大のみんなの力なら、なんとかできるよね」
『だがお前の状態では!』
言い募る沙門に、は裾を掴む手を離した。
「だいじょうぶだよ・・・」
『・・・』
「・・・だいじょうぶ」
闇の中、傷を負いながらも淡く微笑む幼き姿。
の真っ直ぐな瞳の中に宿る悲しげな色に、沙門が出来ることは一つしかなかった。
一際濃い瘴気の只中。
闇を纏う男の前で、片腕を失った男は肩口を押さえ蹲っていた。
「瑪瑙・・・貴様、堕ちたか・・・」
「幕引きとするか、縢忠」
「ぐっ・・・」
歯軋りする縢忠に、瑪瑙がすいと指を突き付ける。
するとそれは人ならざる瘴気を発する刃と化す。
ぴたりと切っ先が喉元に突き付けられ、長年の宿敵であった男の命を容易く断てると思われた。
その時、
「おやおや、流石は忠犬だな」
現れたのは、薙刀を手にした最強の闘将。
そしてその後ろに控える、それを従える幼き主。
無意識に口元が弧を描いた。
「主に連なる者はやはり助けるか」
『此奴の為に助ける訳ではない』
「沙門、貴様・・・」
『我が名を呼ぶ事、許した覚えはない』
冴え冴えとした視線で縢忠を射返した沙門は、再び瑪瑙に対峙した。
『・・・御影瑪瑙』
「最後の温情だ、そこを退け」
『我が刃を尽くし、主の命は完遂する』
「ほぉ、面白い」
耳元まで裂けた口元を歪ませ笑った瑪瑙は急に笑みを止める。
そして、かつては人間の手であったはずの場所から生える瘴気の刀を沙門にぴたりと突き付けた。
「理に縛られし哀れな天将よ。主の前で嬲り殺しにしてやろう」
『戯言を』
一言呟くと、沙門は地を蹴った。
目の前で沙門と瑪瑙が斬り結ぶ中、はその間に小さな呟きと結印を組み上げていた。
「ナウマクサマンダボダナン・・・」
しかし、瘴気の中力を増した瑪瑙は喜々とした表情で天将であるはずの沙門に押し勝っていく。
刻まれていく傷に、沙門の表情が苦痛に歪む。
それを恍惚とした表情で刀を振り回していた瑪瑙は、沙門の首を斬り飛ばそうと刀を振り上げた。
「ふはははは!これで終いだ!」
『させんっ!』
「・・・カシュウマハラジャ」
結印が完成した瞬間、辺りに閃光が走った。
「何っ!?」
先ほどまで闇底であったそこは、瘴気が薄まり月光と星明かりが差す。
そして、新たに現れた者らは淡い光を発し、主の元へと参じていた。
『息災であったか』
『・・・久しぶり』
『またお会いできて嬉しいですよ』
自身に話しかける者らに、も弱々し気ながら笑みを返す。
『馬鹿者が、無茶しおって・・・』
そして、最後に現れた沙門はの身体を支えながら悪態をついた。
それに小さく謝ったは全員を見渡した。
「帝釈、水分神、閻羅、沙門。
・・・四大王天衆の力、わたしにかしてください」
『是』
『仕方ないね』
『無論です』
『当然だ』
その返答に頭を下げたは、瑪瑙に向き直る。
かつて人間であったはずの瞳は瘴気のように闇に染まり、姿形さえ屍鬼と見紛うばかり。
すでに『人間』と呼べなくなった男に、悲しげな表情で呟いた。
「・・・おわらせます」
「やってみろ、餓鬼が」
言い捨てた瑪瑙はに斬りかかるが、その刃を沙門が受け止める。
そして、他の天将が屍鬼を片付けていく中、小刀で薄く指先を切りその血を刀身に乗せたは柏手を打った。
「・・・伏して、願い奉る・・・」
耳に届く音を自身の声だけに集中し、言の葉に乗せる神呪ははっきりと紡がれていく。
「・・・神の声を以って魔を灌ぎ、神の力を以って邪を祓い、神の血を以って、黄泉平坂に門を降ろす・・・」
の声に、瘴気は徐々に退き始めた。
が、それにいち早く気付いた瑪瑙は、憎悪を滾らせる。
「させるかぁぁっ!」
ーーギィーーーーーン!!ーー
『
!!』
弾き飛ばされた沙門が叫ぶが、それで瑪瑙を阻む事はできない。
瞬く間に距離を詰められていくが、それでもの神呪は止まない。
「・・・絶つは邪なる妖し、吹くは神々の息吹、齎すは穢れなき高天ヶ原の地・・・」
逃げもしない標的に勝利を確信した瑪瑙は、迷う事なく刃を振り下ろした。
『ギャハハハハハッ!死』
ーーガウンッ!ーー
その時、一発の銃声が瑪瑙の刀を砕いた。
僅かに怯んだ瑪瑙だったがそれでも尚、幼い首を絞め潰そうとの細い首に手をかけた。
「っ!」
『死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネエエエッ!!』
が、は小刀を瑪瑙の腕に突き立て最後の神呪を紡いだ。
「・・・吹け、この息吹・・・神の息吹と成さん!」
『馬鹿ナ、コノ私ガ滅ブハズガァァァッ!!』
を掴んだ瑪瑙の手はボロボロと崩れる。
そして、辺りは先ほどとは比べ物にならない白光で埋め尽くされた。
しばらくすると光は東の空から射し込む朝陽に変わった。
沙門が周囲を見ても瑪瑙も屍鬼の姿もなく、瘴気の煩わしい気配も感じない。
ただ、そこに在ったのは、光明によって照らし出された自身の主の姿だけだった。
終わった。
そう思いに歩み寄ろうとした。
が、
『!ぐっ・・・』
「おっと」
ーートサッーー
崩れ落ちるの身は、危なげなく侵入した男の手によって助けられる。
いくら手傷を負ったとはいえ、自身の手が届かなかったことに苛立ちが募った。
そんな沙門の気持ちを知る由もない獅郎は沙門に呆れた視線を向けた。
「お前な、んな怪我で無茶してんじゃねーよ」
『要らぬ世話だ・・・』
「へーへー、そうかよ。
おら、手当受けさせに行くぞ」
『・・・ああ』
従うのは癪だったが、主の事を思えばそれが道理。
そのまま身を起こした沙門は獅郎に続く。
が、向かおうとしているの進路に沙門の声は低くなった。
『・・・待て、貴様どこへ行くつもりだ』
「どこって、医療設備が整ったとこに決まってんだろ」
『巫山戯るな!
にはこの屋敷から離れられぬ禁呪が』
「あーうるせぇ、そいつは解決してる」
『な、に・・・』
「こいつの兄貴のお陰でな」
『長兄が・・・』
信じられず、立ち止まってしまった沙門に獅郎は焦れたように言った。
「ほれ、今のどさくさに紛れねぇと連れ出せねぇだろうが。
さっさとしろよな」
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2015.7.6