『そこまでだ』
男の声に、人影は動きを止めた。
そしてゆっくりと、優雅とも思える仕草で男の声に向き直る。
「こんな闇底の夜に子連れで歩くのは危ういぞ。
特に、屍鬼が彷徨くこのような所ではな」
『貴様を消せば済むことだ、御影瑪瑙』
男の言葉に瑪瑙と呼ばれた男は口端を上げた。
その妖しさに、僅かばかりの光源だった下弦の月までもが怯えその姿を隠した。
ーー扉越しの約束《4》ーー
「ふん、の下僕風情が。
頭が高いぞ、に取って代わる御影家当主に向かって過ぎた口を聞くな」
『寝言を聞く気はない』
怒りを隠さぬ男に瑪瑙はさも楽しげに喉を鳴らした。
「直、それが現実となる。我が門下生を多く殺してくれた罪、それをの血で贖わせた後にな」
『戯言を!けしかけたのは全て貴様の謀りだろう』
「は落ちぶれた。
現当主も次期も、私の足元にも及ばん。
代々強き者が治めるのが正しいのならば、は朽ちるが宿命というものよ。
それに・・・」
庇われる子供を見た瑪瑙はニヤリと厭らしく笑った。
「噂によれば、強大な力を持つ実の娘を飼い殺しているそうではないか」
『・・・』
「仮初めの主に従うしかない気分はどうだ?」
『・・・れ』
「主を人質に取られ、ただ襤褸のように使われるしかない様を指を咥えて見ている様は・・・滑稽だな」
『黙れ!』
一喝と共に、瑪瑙の喉元に薙刀の切っ先がつきつけられる。
僅かでも押し出せば間違いなく、それは肌を破るだろう。
だと言うのに、瑪瑙は窮地の顔を見せず嫌悪を込めた蔑みの視線で男を睨み返した。
「ふん、闘将が聞いて呆れる」
『何!?』
「無能な駒は私には不要だ」
「・・・ぁ」
小さな呻きに男が振り返れば、屍鬼に宙吊りにされた子供が苦しそうにその拘束から逃れようとしていた。
『
!!』
「沙、も・・・」
小さな手が伸ばされると同時に、漆黒の刃が男を貫いた。
『ぐっ・・・』
「この程度か、たわいもない」
「や、め・・・沙門・・・」
「恨むなら己の非力を恨め。
貴様が無力だから、貴様の駒が苦しむのだ」
「・・・わた、しの・・・」
『!聞く・・・ぐぁっ!』
傷口を更に屍鬼に抉られ、身動きを封じられた沙門の苦悶の声に、見せつけられるように拘束されたは身を捩るが、幼い力ではそれから逃れることはできない。
「そぉら、貴様には何も出来ない。
貴様が生まれなければ、あの駒も苦しむ事はなかったのになぁ」
「・・・わたしが、うまれなければ・・・」
『止めろ!!』
「おっと、動くな」
「あう!」
『っ!?』
瑪瑙がの片腕を掴み上げた事で、沙門はそれ以上動けなくなった。
と、その瑪瑙の瞳がすい、と細くなりうっそりと笑った。
「・・・もうすぐ十になると聞いていたが。
なるほど、血が繋がっても所詮は妾の子供か」
その言葉に、沙門はまるで射殺さんばかりの視線を瑪瑙に投げるがそれがさらに面白い事のように男は笑みを深めた。
「軽いな、まるで貴様らの命のよう」
「・・・紫雷招来」
ーーバギバギバギィーーーン!!ーー
天を割く、紫電の落雷。
寸前の所で気付いた瑪瑙だったが、無傷とはいかず片膝を付いたままそれをしでかしたを睨みつけた。
「ぐっ・・・このガキ、舐めた真似を・・・」
『!なんて無茶を・・・』
「・・・けが、だいじょうぶ?」
『・・・馬鹿者が』
満身創痍の沙門は、同じ様なを抱き抱える。
それを憎しみに満ちた目で捉えた瑪瑙は、まるで呪詛を吐くように連ねた。
「殺してやる!貴様ら皆殺」
「おっと、そこまでにしとけや」
その時、瑪瑙の背に硬い何かが突き付けられた。
第三者の介入に瑪瑙は低く呟く。
「何者だ?」
「夜中にこんな暴れられちゃ近所迷惑なんだよ。遊ぶなら人様の迷惑のなんねぇ所でやれや」
「その紋章・・・正十字騎士団か」
「ほー、どっかの礼儀知らずよか礼儀知ってんじゃねぇの」
『貴様・・・』
「この抗争に正十字騎士団は部外者だ。退いてもらおう」
「おー、そーかい。そりゃ邪魔したな・・・」
獅郎はそう言って、背中に押し付けていた銃を瑪瑙の後頭部に突き付けた。
「なーんて、言うと思ったら大間違いなんだよ」
「・・・何の真似だ?」
「話は粗方聞かせてもらった。
正十字騎士団が口出しする事でもなさそうなのも分かった」
「だったら」
「ガキを甚振るてめぇの言葉を間に受けっかよ。
それにこの近辺に悪魔をけしかけてたのはてめぇだろ。
同行してもらう」
「断る」
即答した瑪瑙に、獅郎は鼻を鳴らした。
「ならカミサマの御許に導いてやんよ」
「貴様如きには無理だな」
「そーかい」
ーーガウンッ!ーー
容赦なく弾かれた引き鉄は瑪瑙の頭を吹き飛ばす・・・はずだった。
が、そうはならず瑪瑙の姿は揺らめいて漂っているだけ。
「なっ!?」
『次会うときは貴様ら皆殺しだ。覚えておけ、に連なる者共よ』
「んだよ、負け犬の常套句言いやがって」
瑪瑙の姿が消えると同時に、足元に砕け散った石を踏み付けた獅郎は、未だ蹲っている沙門に手を差し出した。
「おい、大丈」
ーーパンッ!ーー
「・・・あ?」
『何故邪魔をした』
行き場をなくした片手を上げたまま、予想外な返答を突き返され、獅郎の口元はひくりと痙攣した。
「してねぇだろ!誰がどう見ても助けてやったんだっつー」
『貴様が邪魔をしなければ、
が倒せたのだ!』
「ボロッボロのお前に言われても説得力皆無だ!」
『部外者は引っ込んどれと、我が』
「が、はっ!」
突然、が血を吐き苦しみ出した。
その量は幼い存在など、あっという間に失わせるほどの量を物語るように、足元にどす黒い大きなシミを広げていく。
『!!』
「貸せ、早く手当」
ーーパァンッーー
少女に一瞬触れた獅郎の手は、再び宙空に跳ね除けられた。
『触れるな』
まるで手負いの獣のような、全てを拒絶するソレ。
だが、じんと痛む手を握った獅郎も負けじと声を張り上げた。
「〜〜〜っ!あのな!今は意地張って」
『すぐに屋敷に戻らねば、本当に命を落とすのだ』
「はぁ?何言って」
獅郎は怪訝な顔をするが、男は険しい表情でを抱き上げると、苦しみを押し殺す声で絞り出した。
『・・・そういう禁呪なのだ』
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2015.6.7