ーー事の終わりと新たな始まりーー
「・・・ふぅ」
パソコンの前で疲れたため息が零れる。
先ほどから文字を打っては消し、打っては消しの繰り返しで作業は全く進んでいなかった。
(「やっと落ち着いたと思ったのにな・・・」)
あの地震から一週間。
怒涛と言っても遜色ない時間だった。
奇跡の生還劇と騒がれ、周囲の心配から病院に担ぎ込まれ、警察から事情聴取までされる始末。
とはいえ、説明しようにも説明できない事情に、大部分ははぐらかすにとどめるしかなかった。
(「・・・事実を言ったところで、違う病院に回されそうだったし」)
絶体絶命のあの状況で助かったのは一緒に同行してくれた彼のおかげに他ならない。
しかも、彼から言われた言葉。
『これからの事、他言無用に願います』
(「助けてくれて感謝だけど・・・大丈夫だったのかな」)
本来なら明るみにしてはいけない事実を晒してまで助けてくれた。
彼の言葉からはそれは簡単に推測できた。
知られてならないはずのソレを私が知ってしまった。
そのことで彼は何かしらのペナルティを負ってしまったのではないだろうか。
(「あの日から、大学には来てないみたいだし・・・)」
と、そこまで思い当たってふと気付いた。
(「あれ?そもそもここの大学生なのかも聞いてなかった。
教授も客人としか言ってないし、ここの大学ならそんな風には言わないよね?」)
教授に確認してみるべきだろうか。
とはいえ、聞いて逆にその理由を聞かれて自分は答えられるだろうか。
(「うーん、助けてもらったお礼がしたいので、って?
彼と一緒だったし、それなら変に詮索はされないかな・・・」)
しかし教授が彼の居場所まで知っているとは思えない。
となれば、聞きに言っても空振りかもしれない。
(「でも逆に迷惑かな・・・他言無用ってなんか繰り返し言ってたし。
自分に関わるなって遠回しに言いたかったのかもだし・・・
でも、私の所為で迷惑かけてたら・・・」)
思考がループ状態だ。
目の前で見たあの現象。
一言で表すなら『魔法』
まるで物語や小説の出来事。
だが、現実だ。
もし仮にそのような話の筋書きなら・・・
(「秘密を知られたら力を失うとか、その一族から追放だとか・・・最悪ーー」)
「
君!」
「!」
肩に置かれた手に我に返った。
驚いて振り返れば、そこには心配顔の教授が立っていた。
「大丈夫かね?何度も呼んでたんだが・・・」
「す、すみません!」
「調子が悪いなら帰っても構わないよ?」
「いえ、大丈夫です。
先日の調査があんなことになってしまいましたし、途中経過だけでもまとめておかないと」
「気持ちは分かるが、根を詰め過ぎるのも禁物だよ」
「まぁ、そうですね」
教授の言葉にあいまいに返事を返した。
気遣いは素直に有難いし、本音を言えばそれに甘えたい。
が、校内プレゼンの目玉であった調査が頓挫したとあっては、代替案で何とかするしかない。
とはいえ事前の段取りも協力してもらえる先方とも順調に進んでいた油断か、代替案など考えていなかった。
(「不覚を取った、ってこういうことを言うんだろうな・・・」)
深いため息が零れる。
と、教授がいる。
さっきまで考えていたことを聞けることにやっと思い至った。
「日向教授!実は伺いたいことがーー」
だが、振り返ってもその姿はない。
どこかに行ったのだろうか?
そんなに長く物思いに耽っていないはず。
今から追えば廊下で捕まえられるはずだ。
ーーガラッーー
「きょうーー」
ーードンッ!ーー
前方不注意。
予想外過ぎる衝撃で後ろによろけた。
「っ痛〜〜〜」
「大丈夫ですか?」
痛すぎる鼻を押さえながら涙目で見上げれば、そこには悩みの種が立っていた。
「く、鎖部さん?どうして・・・」
「日向教授に所用がありまして」
「そう、なんですね・・・」
本人に会えたことで、肩の力が抜けた。
最悪の推測の一つはとりあえず外れたことになる。
「ところで、日向教授はどちらに?」
「私もちょうど探しに行くところでした。研究室でお待ちになりますか?」
「いえ、直接言付けるよう言われてますのでご一緒します」
人通りの少ない廊下を歩く。
とりあえず教務課にスケジュールの確認をすることになった。
今日は外出する予定は聞いていない。
が、急な用事だと教務課が行き先を把握している場合が多いのだ。
「すみません、日向教授って外出されてますか?」
「日向教授なら学長と打ち合わせされてますよ」
「学長と打ち合わせ?でも、今日はそんな予定あるとは・・・」
「なんでも日向教授からの依頼とか。
ちょうど学長も予定が空いていたので組まれたそうですよ」
「そうなんですね・・・どれくらいかかるとか聞いてますか?」
「さぁ・・・恐らく長引くんじゃないかしら。
日向教授、結構思いつめたような顔されてたし・・・」
これは待つのは得策ではないようだ。
教務課の職員に礼を述べ研究室へと戻る。
「すみません、無駄足になってしまって」
「構いません。また日を改めます」
「はい、お願いします・・・」
「・・・」
「・・・」
会話が途切れる。
話を切り出そうにも、そのとっかかりを見つけられない。
そしてついに無言のまま外への出口に差し掛かってしまった。
「では、私はこれで」
「は、はい!」
男は会釈をし、そのまま歩いていく。
どうしよう。
また彼は来ると言っていた。
「・・・」
けど本人が必ず来るとも限らない。
それにタイミングよく捕まえられるかも分からない。
「あの!」
そう思ったら、思わず声を上げていた。
「はい?」
「そ、その・・・良ければお茶でもいかがでしょうか!」
苦しい口実な気がした。
でも、今の自分に思い浮かぶ手はこれくらいしかなかった。
「えっと、以前のお礼もちゃんとしたいので・・・
その鎖部さんの都合が良ければなんですけど・・・」
「先日の件でしたら、お気になーー」
「それじゃあ、私の気持ちが収まりません!」
結局、押し切る形で近くの喫茶店へと入った。
とはいえ、内心は盛大に落ちていた。
(「お礼したいのにゴリ押しで誘うって・・・私の馬鹿」)
「わざわざありがとうございます」
「あ、いえ!ですからそれは私の方ですから!」
心情を読まれたのか、向こうからの返しに慌てて表面を繕う。
そして、ここまで来た当初の目的には居住まいを正した。
「改めて、先日は助けていただきありがとうございました」
「いえ。それはお互い様と思ってくださればと」
「鎖部さんはそう仰りますけど、私にとって命の恩人に変わりありません。
なので、素直に受け取ってください」
強引にそう言えば、向こうは困ったように笑う。
(「こんな顔もするんだ・・・」)
本人に対して失礼なことを思いながらカップを傾ける。
通い慣れたコーヒーの味に心がほぐれる。
そのおかげか、この一週間気がかりだったことを口にした。
「あの、鎖部さん確認したいことがあるんですが・・・」
「お答えできることなら」
彼の声が僅かに硬くなるのが分かった。
自分自身もその意味を理解している。
カップをテーブルに置き、覚悟を決め口を開いた。
「私を助けたことで、鎖部さんにご迷惑がかかってませんか?」
「・・・は?」
「その・・・あなたが私を助けたことで、鎖部さんが負う必要のない責任とか、罰則的なのとか受けてないのかなと」
「・・・」
「例えが失礼かもしれませんけど、よく小説とか物語とか、秘密を知られると力を失うとか、最悪命を奪われるとかあるじゃないですか・・・」
無言の返しがかえって現実味を帯びてしまい、捲くし立てるように喋る。
杞憂であって欲しいと思いながらも、無知である故にその確証がない不安。
もし理不尽な仕打ちにあっているのなら、その責は彼だけが負うのは間違っている。
自分が負えるものなど、たかが知れる。
でも、それでも・・・
「もし、私ができることがあるならーー」
「ふっ!」
「え!?」
どこに笑うところがあっただろうか?
それともそういう考え自体が高慢だ!的な?
「あの、ごめんなさい。私何か失言を・・・」
「いえ、申し訳ありません。少し驚いたものですから」
「はい?」
驚く?どの辺りが突拍子もないポイントになったんだろう。
疑問符を大量に浮かべるに、夏村は小さく息をついた。
「失礼しました。
てっきり不気味がられると思っていたので、まさか心配されるとは予想外でした」
「・・・そんなに予想外ですか?」
「ご自身の体験したことを考えれば察しがつくと思いますが」
「?手段はどうあれ、鎖部さんが助けてくれた事実は変わらないと思うんですけど・・・」
その言葉に夏村の方が驚いた顔をする。
大して、は首を傾げるばかりだ。
「あの、そんなにおかしいでしょうか・・・」
「変わり者の部類かと思います」
「そ、そうですかね・・・」
面と向かって、しかも異性から変わり者と言われたのは初めてだ。
どう反応すればいいんだろう・・・
「恐ろしいとは思いませんか?」
下手をすれば聞き逃したかもしれない。
目の前の青年はこちらに目を合わせることなく問うた。
小さく静かな、だがきっと重い問い。
「思いません」
その一言は簡単に出た。
それ故か、再び驚いた表情が返ってきた。
「そんなに驚きますか?」
「・・・随分、簡単に仰りますね」
「そうですか?でも本音ですし。
鎖部さんを恐ろしいとは思いませんよ。
そもそも恐ろしいと判断する材料が見当たりませんから」
「一般人の及ぶ力ではないと思いますが」
「それはそうでしょうが、私自身が危害を加えられたという訳でもないですし・・・」
彼は何が言いたいのだろう?
どうしてか、わざと悪く言われたいような気がした。
人助けをしておいて、どうしてそう思われたいんだ?
「あなたはその力を向けられたらと考えないのですか?」
「向けるつもりですか?」
「仮定の話です」
「向けられる程の事をした責が私にあるのなら話は別ですが・・・
鎖部さんは理不尽にそんな事する人には見えません」
思っていることを言えば、彼は困惑顔だ。
どうしよう、お礼をしたいだけなのに困らせるのは本意じゃないのだが。
「すみません、何か困らせてしまって・・・」
「いえ、あなたのような反応をする方が初めてでして・・・正直戸惑っています」
「んー、その力についてどう思うか強いて挙げろと言うのであれば・・・
ちょっと、羨ましいってことでしょうか」
「・・・は?」
困惑顔から一転。
キョトンとする彼には表情を緩めた。
困り顔よりよっぽど良いか。
「『人間が想像できることは人間が必ず実現できる』」
「?」
「ジュール・G・ヴェルヌというフランスの小説家が残した格言です」
今でも諳んじることが出来る。
繰り返し読んでいた文字の海の中に漂い、身体は動かなくても心だけは別の世界に行けたあの時の。
「私、一時期入院していまして、その時にその本に出会ったんです。
だから、と言いますか。
自分がやりたいと思ったことは、結果はどうあれやってきました。
でも、鎖部さんの力はどう逆立ちしても私には手にすることができないものですから・・・
嫉妬と羨望が半々です」
そう、本当なら死んでいたあの時。
死を阻んだ彼の力はどうしようもなく力強くて。
どう望んでも手に入れられない自分には恋焦がれた。
「本当に変わってますね」
「そうですか?現実主義なだけだと思いますけど?」
「自覚した方が賢明かと愚考します」
「目の前で起こったことを否定するほど、頑固でもありませんし、
精神論だけを信じている訳でもありません。
ただ両者善し悪しある事実だけは変わりません」
そう、目の前で起こった事実。
それを否定するのは主義では無い。
あるがままを受け入れる。
それが自分にとって良いことであれ悪いことであれ、事実は変わらないのだから。
「だから、鎖部さんの力もそれ単体は善悪で判断するものではないと思います。
その判断は使い手の心に拠る所というのが私の考です」
「なるほど・・・よく分かりました」
「納得いただけた所で、私の質問に答えていただけますか?」
「質問?」
「だから、鎖部さんが要らぬ罰的なやつを受けてないかって事ですよ」
「お気遣い感謝します。
そのようなものはありませんし、力が消失するなどということもありません。
他言無用とお伝えしたのは、単に無用な混乱を招かぬ為です」
ようやく聞けた答えに、ほっとした。
今までそれがずっと気がかりだったのだ。
「そうですか・・・良かった」
目に見えての安堵が露骨だったのか。
夏村は小さく頭を下げた。
「要らぬ心労をかけたことはお詫びします」
「そ、そんな事は!私が勝手に妄想して思い違いしてただけの話ですから!」
「その割に顔色が優れないようです。
推察するに、救出された事情や私の事情を汲んでのことでしょう」
「う"っ」
鋭い・・・
「そ、それも多少はあるんですけど・・・
お恥ずかしながら、先日の調査が頓挫した代替案が全く思いつかなくて・・・」
それは事実だ。
割合は逆だが。
「では、お詫びとして今後の調査のお手伝いをさせてください」
「え?」
「私が出来る範囲は少ないですが、いかがですか?」
その申し出に鼓動が跳ねた。
「はい、お願いします」
>おまけ
「それと苗字で呼ばれるのが不慣れなので、可能なら下の名で呼んでいただけると助かります」
「あ、なら私も下でお願いします。
それと今更なんですけど、おいくつなんですか?」
「21です」
「なら私の方が歳下ですし、敬称不要で構いません。
とは言え、おいおいで構いませんけど」
「承知しました」
「では改めて。
これからよろしくお願いします、夏村くん」
「こちらこそ、殿」
喫茶店を後にし大学へと戻り出す。
今回の調査が中止になって痛手は被ったが、気分は軽い。
それは間違いなく、彼との距離が近くなったからだろう。
「『いつか、あなたの里に連れて行ってください』って言ったらどんな顔するだろう」
学術的欲求が強いのは確かだが、そこに見え隠れする違う欲求に若者はまだ気付かない。
と、見覚えのある後ろ姿に声をかけた。
「日向教授、打ち合わせ終わったんですね」
「君!良かった、君に連絡があったんだよ」
「連絡?」
「次のプレゼンだが、開催がひと月後ろ倒しが決まってね」
「ホントですか!」
「学長も了承済みだ、間違いない。
ちょうど良いからゆっくり身体を休めなさい」
「はい、ありがとうございます!」
教授に一礼しは荷物を取りに駆けてゆく。
その後ろ姿を満足げに見送りながら、老躯は研究室へと戻っていく。
(「これで可愛い研究生がゆっくり休めるなら何よりだ」)
(「早速、夏村くんに調査手伝ってもらおう!」)
両者、正反対の思いを胸に抱きながら互いに晴れやかな気持ちで目的地へと向かうのだった。
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2019.12.10