軽い足音が響き、目的の調剤室で目的の人物を見つけたしのぶは難しい顔で計量をしている
に声をかけた。
「
さん、噂を聞いたのですがーー」
ーードンッ!ーー
「違います!」
条件反射のごとく怒鳴り返された。
両の拳を机上に落とした振動で調剤に使っていた平たい皿がいくつか落ち、乾いた音を上げて床の上をからからと回る。
その音がようやく止まった時、しのぶの可笑しそうな声が上がった。
「あらあら、まだ何も言ってませんよ?」
「・・・すみません」
我に返った
はバツの悪い表情を浮かべると、深々とため息を吐き落ちた小皿を拾い上げた。
床の掃除を終えた
は、最近の恒例行事となっている蝶屋敷の玄関へと向かう。
そこには、昔話にあるような山積みの宝。
もとい反物、着物、洋装、小間物、米俵、味噌、甘味などなどが占領していた。
どれも日を追うごとに量が明らかに増えてきている。
おかげで要らぬ噂が立ち、尾ひれがついて、何故か自分が訂正をする羽目になってほとほと辟易し・・・を通り越し腹立たしかった。
どこぞの資産家に求婚を受けただの、政府高官の輿入れが決まっているだの、勝手な噂は正直、いい加減にして欲しい。
「・・・」
「今日も相変わらずすごい量ですね」
「・・・目眩を通り越して吐きそうです」
本当に頭痛がする額を押さえ、
は苦々しく呟く。
そして痛みそうな物は仕方なく受け取ることにし、それ以外は送り返す手配を取ってもらうよう隠に指示を終えると
は気重なため息をついた。
「はあぁ、もう・・・」
「寵愛の現れではないですか?」
「こんなハタ迷惑な寵愛は勘弁です。代わってくださいよ、しのぶさん」
「お断りです」
「・・・ですよね」
調剤室へと戻りながら美しい笑顔での返しに、
もげんなりと肩を落とす。
事の起こりは2週間前。
蝶屋敷の買い出しに街に降りていた時、西洋人と店先の店員が口論している現場を目撃し仲裁したのが始まりだった。
他愛もない理由だったこともあって、
が通訳し話は丸く収まってそのまま帰ったのだが、翌日から妙な荷物が届き始めたのだ。
「私、二度と他人に親切心を発揮しません」
「まあまあ、これだけ熱烈な男気を見せて下さっているんです。
いっその事、お会いしてみては?」
「私が何に所属しているか、しのぶさんご存知ないなら説明しましょうか?」
びっしりと西洋の文字で書かれた分厚い手紙を調剤台の上に放り出した
は、もう何度目かも分からないため息をついた。
「はあ・・・しのぶさん、何とかなりません?強力な薬で記憶飛ばすとか」
「そんな物騒な方法ではなく、いっそのこと式を挙げてみてはいかがですか?」
「論外です」
「では諦めてもらう別の方法を考えなくてはいけませんね」
しのぶの言葉に、
は腕を組んで考え込む。
「鬼をけしかけるとか?」
「隊律違反です」
「なら鬼の仕業に見せかけて夜襲、という手ですか?」
「違いますよ。どうして刃傷沙汰にするんですか」
「残るは・・・闇討ち?」
「・・・」
いつもならそんな不穏な発想をしないだろうに、表情は真剣そのものだ。
本当に切羽詰ってる
の様子に、しのぶは小さく嘆息するとぴっと指を立てた。
「要するに
さんに相手がいないから迫られるんです」
「・・・はい?」
「ですから、相手を作りましょう」
にーっこり、と分かりましか?という表情のしのぶに
は顎に手を当てた。
「・・・もうこの際、同性でもーー」
「蝶屋敷関係者に手を出せば、二度と敷居は跨がせませんからね」
「・・・」
美しいながらも有無を言わせない圧を乗せたしのぶの言葉に何かを閃いたのか、
の表情が晴れやかに変わる。
「
さん?」
ーーガダッ!ーー
「それです!!」
どこが解決策へと至ったのか分からないしのぶは盛大に首を傾げた。
しかし、当人はさも全てが解決したとばかりな笑顔でしのぶに笑いかける。
「あの、
さん?」
「そうです!その手がありましたよ!相手は西洋人、なら諦めさせるにはそれしかない!」
「何処にーー」
「悲鳴嶼さんに用事が出来ました!」
善は急げとばかりに、
は颯爽と調剤室から出ていった。
理由は分からないまでも解決するならこれ幸いと、しのぶはもう蝶屋敷が要らぬ贈り物で埋まらないことに胸を撫で下ろすのだった。
ーー不告ーー
蝶屋敷を出発した
は、岩柱邸へとやってきた。
そして屋敷に入って早々、庭先に見つけたその人へ飛びついた。
「悲鳴嶼さん!」
「どうーー」
ーードンッーー
「出家させてくださいっ!」
「・・・」
突拍子もない内容に、行冥は固まるしかない。
が、勢いが収まらない
はさらに続ける。
「お願いします!今すぐに出家したいんです!」
「兎も角、少しおちーー」
「年齢制限ありませんよね!?あ、髪ですか?丸めてなれるならこの場で切りますから!」
「
、待ちー」
「あれ?そもそも戒名が必要なんでしたっけ?
どこでもらえるんですか?やっぱり山籠りの修行とかして俗世とのつながーーうわっ!」
突然、
の身体が宙に浮く。
行冥に抱き上げられ驚いた
の口がやっと止まった。
「落ち着きなさい」
「・・・はい、すみません」
行冥の低い声に小さく謝った
の足がプラーンと頼りなく揺れ、しばらくしてからようやく地面へと降ろされた。
場所を屋敷内に移し、冷静になった
の前に腰を下ろした行冥は用件を問うた。
「さて、そもそもどうして出家などという話になっているのだ」
「え、えーと・・・」
やってきた当初の勢いが完全に萎んだ
は言葉を探すように視線を流す。
「どうした?」
「その・・・個人的な事情がありまして」
「そうか。ならば深くは聞くまい」
「お心遣い感謝します」
深く突っ込まれないことに感謝した
を前に、行冥は自身が知り得る話を語る。
「尼僧になるのは可能だが、尼寺での修練を積まねばならぬぞ」
「・・・やっぱりパッとなれるものではないですよね」
「修練を積むなら鬼殺隊を辞める必要もあるな」
「そんな事できるわけ!」
「鬼殺隊を抜けずに尼僧になりたいのか?」
墓穴を掘った。
の目的は尼僧になることではないだけに、行冥が説明したやり方では本末転倒というか、鬼殺隊を抜けるつもりは毛頭ないから本来の手順を
踏むわけにはいかない。
「や、その・・・本気で尼僧になりたい訳ではなくてですね・・・」
しどろもどろと返すしかできない
に、事情を察したような行冥はふむ、と手元の数珠を鳴らした。
「事情が分からぬ以上、私が言えるのはここまでになってしまうな」
「・・・」
ですよねー、と内心同意しながらも、
の表情はどうしたものかと思い悩む。
と。
二人が話している部屋に備えられた窓へ、羽音が舞い降りた。
『カァー!蟲柱ヨリ伝令!貢ギ物ヲ至急処分セヨ!貢ギ物ヲ至急処分セヨ!!』
「貢ぎ物?」
「・・・・・・」
(「しのぶさん、なんて間の悪い時に・・・」)
もはや確信犯とも言えるタイミングでの伝令と内容に、
は頭を抱えるしかない。
当然、そんな報告を聞いた行冥は、当然の問いを
に投げる。
「尼僧の話と関係があるのか?」
「・・・実はですね・・・」
話すしかない状況に、観念した
は事の顛末を話し始めた。
かいつまんで話し終えた頃、ようやく
の屋敷に来た時の取り乱し様に納得したのか行冥は唸るように呟いた。
「なるほどな」
「すみません、お恥ずかしい話で・・・」
「その気がないなら断れば済む話だと思うが・・・」
「お断りはしてるんですけど・・・その、諦めてくれなくてですね」
「それだけか?」
ジャリッと行冥の手元の数珠が音を立てる。
「はい?」
「本当にそれだけの理由で出家までの話になるとは思えんな」
「・・・・・・」
行冥の指摘に
は閉口した。
どうして、この人は誰にも言っていない事情までをこうして見透かしてしまうのだろうか。
目の前からは本当の事情を話せ、とばかりな無言の圧。
どう転がっても隠し通すことは無理な状況に、
は仕方なく諦めた。
そして、ここだけの話にして欲しい、と前置きし重い口を開く。
「実は・・・その方は貿易に携わっている方でして。
中でもまだ日本で取扱いの少ない点滴などの医療器具の大店と取引をしている方で、鬼殺隊の後衛部隊とも繋がりが深い方なんです」
の説明に返されるのは無言。
「その、それで・・・なるべく事を荒立てずにというか、穏便に済ませたい、と考えてまして・・・」
「考えついたのが出家か」
「はい・・・西洋では、尼僧になった者は一生身を固めないとされていますから」
「・・・・・・」
沈黙の痛さに耐えられず、
は言葉を詰まらせながら続けるもついに行冥からの返答さえ無くなる。
呼吸さえはばかられる程の静寂に、ひとおもいに楽にして欲しいとさえ思ってしまう。
長い長い沈黙を経た後、行冥から低い声が這い出た。
「
」
「・・・はい」
あ、これ本気で怒られるやつ。
精神をごっそりと抉られた経験済みの感覚が思い出され、
は顔を上げられぬまま続く宣告を待った。
「一つ、考えがある」
「・・・・・・はい?」
数日後。
は行冥を伴い、深い森の近くに建つさる洋館へと足を踏み入れた。
「 Oh! So really miss you my Ms.Nadeshiko! 」
「・・・」
「・・・」
途端に大柄な体躯が両腕を広げ、嬉しさ全開の大きな声に出迎えられる。
当然、行冥は首を傾げるしかないが、
のほうはすん、と表情を落としていた。
「
、すまんが訳して貰えるか?」
「意味はありませんのでお気になさらず」
「Finally, will you accept my love today? 」
「 Please stop stupid! 」
ピシャリと声を張り上げた
に、その場に居合わせた2名の肩が跳ねた。
「Thank you Mr.Jon 」
「・・・」
の剣幕に行冥は呆気にとられるも、それをしでかした
は深々と嘆息した。
そして居住まいを正ように一息つくと、行冥に振り返った。
「悲鳴嶼さん、こちら薬の大店・武田製薬問屋のお相手、貿易商のジョン・アストラル。
Mr.Jon this is my boss Gyomei Himejima 」
手短に紹介を済ませると、ジョンは恭しく頭を下げ、すぐさま
との距離を詰めた。
が、行冥に視線を向けると何かを思いついたように、パチンと指を鳴らした。
「 This meeting mean is boss's official approval? 」
「 Hey... 」
「 Oh my dear just kidding, don't angry your cute face is ruined 」
「・・・」
無遠慮な距離を開かせるように、
がジョンから離れるように腕をつっぱる。
そのやり取りを終始見ていた行冥は、仕方ないとばかりに一つ頷いた。
「単刀直入に話した方が早そうだな」
「ええ、そのようです」
疲れ果てたように
が首肯すると、こちらの話を分かっていないジョンは首を傾げる。
と、
はジョンに向き合った。
「 I came here reason is to tell the last story 」
「 Last story? What is it? 」
「 I can't married 」
「 You're kidding again, right? 」
話を聞き入れなそうもないジョンに
は淡々と語る。
「 My mission is only to defeat the demons 」
「 The demons? What's the talking about? 」
「 You can't believe my story, and also understand, right?
That's why I can't be with you 」
ーーガシャーーーンッ!ーー
が告げ終えた直後、洋館の窓ガラスが割れる甲高い音が鳴り響く。
ガラスが床に跳ねる音を上げながら、侵入してきた影は天井へと躍り出た。
「W, what's the hell!? 」
『シネェ、人間ドモーーー!』
「Nooooo!!」
ーーザンッーー
ジョンの悲鳴が上がるが、すでに身構えていた
の抜刀の前に鬼の頸があっという間に斬り飛ばされる。
ボトリ、とジョンの前に鬼の頭が転がると、男は心底怯えたように震え上がった。
「 You understand, right? 」
今起きたことが信じられないような男に、冷たい声がかかる。
腰を抜かしたようなジョンが見上げれば、抜身の剣に鬼の血を付けた
が佇んでいた。
「 Our encounter is not destiny.
It's just coincidence, just an accident. I can't be with you,
forever
」
剣を振り、血を払った
は日輪刀を鞘に戻す。
「私の居場所は生まれた時から鬼殺隊にしかないんですから」
微かな呟きを零す。
青白い顔のまま動けないジョンを見下ろし、目的は達したと
は踵を返した。
「行きましょう、悲鳴嶼さん」
「 W, wait! Ms.Nadeーー 」
「 Stop it 」
ジョンの続きを阻んだ
は振り返ることなく続けた。
「私は鬼殺隊隊士、
。
Don't call me another name,
never 」
その後、洋館を後にしたが後を追う者はなかった。
帰路に着いた途中、茶屋で一息入れようという行冥の誘いに応じた
は糸が切れがように勢いよく椅子に腰を下ろした。
「茶番に巻き込んでしまい、すみませんでした」
「特に何もしていないがな」
「鬼を生け捕りにしてくださった上、彼を守ってくださいました。
これで何もしていないなんて、謙虚を通り越して卑屈じゃないですか?」
よほど余裕がないのか、普段とは違う棘のある物言い。
膝に肘を付いた
は先程から重しが乗っているような頭をどうにか支えている。
「はあ・・・ドッと疲れました」
「本当に良かったのか?」
の隣に腰を下ろした行冥は、運ばれてきた湯呑を傾け問う。
その言葉に反応はないが、気配が徐々に刺々しいものに変わっていくが行冥は尚も続けた。
「お前の居場所は、鬼殺隊の他にもあったのではないかと思ってな」
行冥の言葉に、重い沈黙が二人の間を駆け抜ける。
そして、空気が震えるような激情を湛えた
が顔を上げると絞り出すように呟いた。
「・・・鬼殺隊を抜けろと?」
「そうではない」
即座に打ち消し、行冥は穏やかな語調で続けた。
「己の幸せを願う権利は誰にでもある」
「・・・」
「お前は酷く自身を貶めていると思ってな」
行冥の慈しみに満ちた顔を見た
は面食らったのか、小さな嘆息を溢す。
それにより重い空気は霧散すると、
は晴れ渡る空を見上げて言った。
「もし・・・
仮にもし、私が自分の幸せを願うとするならば、それは鬼舞辻を倒し皆が幸せになった姿を見届けてからです」
出会った時と変わらない言葉。
頑な過ぎるほどのそれに心配が尽きたことはない。
そして長い付き合いから、己のことに対しては頑固者で自らが折れる事もしないのも知っていた。
半ば諦めたように、仕方ないとばかりに行冥は嘆息した。
「・・・そうか」
「なので、それまではあなたの隣が居場所だと思っても構いませんか?」
出し抜けの言葉に行冥は言葉を失った。
そんな驚き顔で隣を見れば、いつものような柔らかい笑みで
は続ける。
「剣士として私を最後まで戦わせて下さい」
「・・・うむ、勿論だ」
ぎこちない動きで再び湯呑を傾けた行冥の横で
も同じように湯呑を傾けた。
暫くして、休憩を終え再び帰路へと着く。
珍しく動揺を見せた相変わらず頼もしい後ろ姿。
身に余るほど心を砕き、言葉をくれるその人に向け
は囁くように小さく呟いた。
「 But someday, when this long long battle is over...
Can I tell you the feelings hidden in my heart? 」
こんな状況に巻き込んでしまった。
失わなくても良かった日常を奪ってしまった。
この世の誰よりも罪深い私にさえ優しいあなたに、身の程知らずなこの気持ちを・・・
ーー I love you ーー
Back
2021.05.05