重い体を引き摺り、壁伝いに進む。
そして目的の人物を探し出せた事で、はほっとしたように僅かに肩の力を抜いた。
「ご無事でしたか、愈史郎さん」
壁を支えに足引き摺りながら、力なく笑ったは可能な限り頭を下げた。
「ここまでのお力添えに感謝します。
できればもう暫くお付き合いいただけませんか?
治療の手が足りないはずなので」
「それはあんたもだろう」
「ええ、そうですね。でも腕がある者が寝ていては犠牲が増えますから」
ずるずると、その場へとへたり込んだは血の気のない笑みを返す。
笑えるような状況でないはずのに、愈史郎は呆れたようにため息をつくと、手持ちの応急処置の道具を手にした。
「生きているのが不思議な怪我だな、死に損ない」
「ふふ、まだ治療が必要な人が居るのに・・・死ねませんよ」
大腿の怪我をキツく止血した愈史郎に軽口を返す。
相当な痛みがあるはずなのに、表情を変えないに愈史郎は怪訝さを深める。
麻痺か感覚が失われている。
恐らく無惨の毒の所為かそれとも・・・
「ふん、珠世様からの命だからな」
「ありがとうございます」
そっぽを向いた愈史郎には再び深く頭を下げた。
日陰を辿りながら、と愈史郎は蝶屋敷へと辿り着いた。
鎹鴉によって無惨打倒の連絡は聞いていただろう。
慌しい騒ぎの中、愈史郎に肩を貸してもらった傷だらけのに玄関に居た雛鶴がさっと顔色を変えた。
「
!」
「雛鶴さん、手伝ってください・・・」
「駄目よ!あんたこそ休んでーー」
「縫合糸、ガーゼ、麻酔薬を予備を含めもっと用意して下さい、それと止血剤と強心剤もです」
自分を介抱しようとする手を拒み、は隣の愈史郎を手短に紹介する。
「これから、負傷者が・・・運ばれてきます。
死なせるわけには、いかない・・・」
ーー繋ぐ為にーー
胸がまだ動いているのを確認しながら、は手元を狂わせる事なく処置を続けていく。
もう何人目か分からない。
でももうすぐ縫合が終わる、その直前にの視界がついに歪んだ。
(「やばい、目がかすん・・・」)
ーートサッーー
「馬鹿野郎が」
ああ、聞き覚えがある声だ。
そう思いながら、は視線だけをそちらに向けた。そこには、いつもより疲労は見えるが相変わらずこちらに怒っている視線を向ける男。
「本当は絶対安静だろうがよ」
「後藤さん・・・」
「でもよ・・・今はお前の腕が頼りなんだ」
それ以上、言葉は続かない。
悔し気に顔を歪める後藤に、はうまく笑えない笑顔を向けた。
「ふらついて上体を起こしてられないんです。
後藤さん、そのまま支えててくれますか?」
「ああ、任せろ」
後藤に支えられながら、は手当てを終えた。
さらに数人の手当てを終えるとは深く息を吐いた。
「よし、次の患者の所へ・・・」
「おい、お前熱が・・・」
「これは大丈夫です。早く、私の意識がまだ保てるうちに」
(「何だ?こいつの首元・・・痣?」)
包帯を巻かれた下から首筋に伸びるように滴のような痣が現れていた。
支えるように次の負傷者の所へ付き添った後藤に、は問う。
「他は?」
「こいつで最後だ」
「なら隣部屋へ、アオイさんが一人で踏ん張ってるんです」
「
!もういい!お前はもう休め!」
「後藤さん」
弁明を許さない、そもそも聞き入れるつもりもない真っ直ぐな視線。
そんな顔を向けられては、取れる行動など限られるじゃないか。
「あーもー!分かったよ!」
「こちらの部屋はやっと落ち着きましたね」
「替えの包帯の準備と薬の補充を急いーー」
ーーカクンーー
「アオイさん!」
ーーポスッーー
「おっと」
膝から力が抜け倒れたアオイは背後から抱き抱えられる。
ゆるゆると振り返れば、頭にというか身体中に包帯を巻いたが疲れた笑みを浮かべていた。
「お疲れ様でした、アオイさん」
「
さん!あなたはまだ安静にーー」
「うん、分かってます。
包帯も薬も追加の手配は済んでるから安心してください」
へらっと笑うの装いは未だに隊服なことに、アオイはギョッとしたように身体を起こした。
「まさか!その状態で治療されてたんですか!?」
「深手の人が多過ぎましたから。
向かいの部屋は全て終わったので、こちらの手伝いをと思ったんですけど・・・流石はアオイさんですね」
信じられない、とばかりなアオイ。
怒りたくても怒りが頂点に達し過ぎて言葉もないアオイは放心するしかない。
呆れて何も言えないというような少女を前に、は小柄な身体を弱々しく抱きしめた。
「ひとまずお疲れ様でした、よく頑張りましたね」
「そんなこと・・・」
「頑張りましたよ。感情に流されずよく耐えました」
「・・・っ!」
の言葉に、腕の中でアオイは首を振る。
まるでその言葉を拒むようだが、からの労いの言葉は止まらない。
「ありがとうございます、負傷した隊士を救って下さって・・・
命を取り止めてくれて・・・救ってくれて、ありがとう」
今頃になって、涙が溢れる。
終止符を打った。
あまりにも多大過ぎる犠牲を払って。
ボロボロのは、アオイを抱きしめながら礼を繰り返す。
これで少しは報われただろうか。
多くの戦友を失った悲しみが、長い長い囚われた楔から解放されたという事実が今になって堰を切ったように溢れた。
「もう我慢しなくて、いいですから」
「わぁぁぁっ!!!」
暫くして泣き止んだアオイは、鼻をすすりながらの胸から頭を上げた。
「さん、あとは私たちが代わりますので」
「でもまだ少しならーー」
「ふざけんじゃねぇぞコラ」
低い声にその場、全員の肩が跳ねた。
一人動じていないは不満気な表情を返した。
「宇髄さん。暇してるなら手伝ってださい」
「散々してんだよ。つーか、お前はいい加減にしやがれ」
天元に襟首を掴まれたは怨めしげに隻眼の長身を見上げた。
「じゃ、これは回収しといてやるよ」
「はい。お願いします」
「えー、アオイさん見捨てないでくださいよ」
「さん」
軽口にいつも以上に真剣なアオイの声がに語りかける。
「犠牲者は増やしません」
「・・・」
「ですから今度はあなたが休んで下さい」
「アオイさん・・・」
「しのぶ様とあなたに教えていただいたんです。
任せてください」
涙で濡れても、揺るぎない瞳。
これでは自分が口をこれ以上挟むのは野暮というものだ。
「・・・アオイさんが優秀な事は知ってますからね。
あとはお願いします」
アオイのサポートを後藤に任せ、は小さく息を吐いた。
「ったく、てめぇの頭はド派手にぶっ飛んでんな。
重傷者がなんで怪我人の治療してだよ」
「・・・手が足りなかったんです」
「雛鶴から聞いたときは幻聴かと思ったぞ」
「敗因は雛鶴さんに見つかったからですか」
げんなりと呟いたに、天元は廊下に腰を下ろしたままのを抱き上げた。
「よく踏ん張った。今度はお前が休む番だ」
「もう峠は越してるんですけどね・・・」
「止めろ」
鋭い声と怒りの視線。
どうやら自分の言葉の意味を理解しているらしい相手に、軽はずみな自身の発言をは悔いた。
「ちゃんと休め。隠も総出で治療に当たってる。
重傷者はお前と神崎が手当てし尽くしてんだ」
「・・・お館様は、ご無事なんですか?」
「元だが炎柱と水柱が付いてる。問題ない」
「そう・・・よ、か・・・」
やっと緊張から解かれたように、意識を手放したはぐったりと天元の腕の中で静かになった。
首元の痣が薄く引いていくのを見た天元も、安心したように嘆息した。
「ったく・・・本当に馬鹿野郎が」
目を覚ました時、辺りは夜だった。
どれくらい時間がたった?
最後に覚えているのは、元音柱に休めと怒られた所だが・・・
と、部屋の隅、見覚えのある相手と目が合った。
「愈史郎さん、身体の具合はいかがですか?」
ちゃんと喋れる所を見ると、やはりそんなに時間は経っていなさそうだ。
の問いに心底呆れ顔となった愈史郎はの隣の椅子に腰を下ろした。
「鬼にそんな事聞くのは炭治郎とお前くらいだぞ」
「いや、怪我されてましたし、関係ないですよ」
「変人だな」
「言い方」
本当に歯に衣を着せない物言いだな。
ま、元々友好な関係でもなかったし当然か。
目が冴えたは愈史郎が抱いていた茶々丸を撫でさせてもらう。
手触りとフォルム、ゴロゴロと喉を鳴らすのを聞いているだけで癒される。
誰もこれが鬼だなんて思わないだろう。
「・・・お前が菅原の血を引いていた人間とはな」
突然の呟きにの手が止まった。
今更動かせない事実。
だが、いまだに重くのしかかるその言葉には困ったように眉を下げながら口を開いた。
「ご存知だったんですね」
「珠世様から聞いただけだ」
「私はあなたにも謝らなければなりません」
全ての元凶だ。
この人から最愛を奪ってしまった。
そんな自分が手を貸してくれなんて厚かましい願いさえ、この優しい鬼は叶えてくれた。
罵詈雑言を受けるくらいは当然だろう。
「ふん、要らんなそんなもん」
ばっさりと愈史郎は突き放した。
あまりにも呆気ない言葉には反応に困った。
愈史郎はそれにな、と続ける。
「あの方はお一人で長い時を過ごされた。
俺も同じ道を辿るのも悪くないと思っているんだ」
「それは人間に戻らずに、という事ですか?」
「・・・ああ」
「そうですか・・・」
この人は、未来を視ている。
過去に囚われている自分が口出しできる事はない。
口を噤んでしまったに愈史郎は静かに問うた。
「お前はこれからどうする?」
これから・・・
愈史郎からの問いにそうですね、と前置きしたは長く息を吐いた。
しばし、宙空を見つめていたはゆっくり語った。
「まずは入院された方が退院するまでは頑張らないとなと思ってますよ」
「クソ真面目な事だ」
「ま、時間は限られてるので有効活用ってやつですよ」
「・・・」
肩をすくめ軽口を叩くに答えは返らない。
ただ夜は静かに更けていった。
再び目を覚ました時、夕暮れ時のようで窓から弱々しいオレンジの光が差し込んでいた。
痛む身体を起こす。
ぼんやりと外へと視線を向ければ、蝶屋敷の子達の賑やかな声が聞こえてきた。
「
さん!」
驚いた声が響き、振り返れば声と同じ顔のアオイが病室の入り口で固まっていた。
はふわりと笑い返した。
「おはようございます、とは違いますかね。
アオイさん、私は何日眠ってましたか?」
「まだ一日です。具合はいかがですか?」
「問題ありませんよ」
「でも、まだ他の方は目を覚まされてないのに・・・」
「ま、そうでしょうね」
「?」
の言葉にアオイは首を傾げる。
他の重傷な隊士に比べ目覚める理由が早かった理由。
それは一部の者しか知らないことだ。
伝えるつもりがないは話を変えた。
「他の方はどのような様子ですか?」
「はい。重傷者の何名かは予断を許さない状況ですが、全員快方に向かっています」
「そうですか・・・後でその方達の診療録見せて下さい。
合併症が起きた場合を想定して、いくつか薬の調合を変えて準備しておきましょう」
静かに頷いたアオイの頬には手を伸ばした。
「!」
「顔色が悪いですね、寝てないんですか?」
「いえ・・・気が休まらなくて、動いている方が気が紛れます」
「そうですか」
気休めは逆効果だろう。
自分だってそうだったんだから。
そんな自身の心境を誤魔化すように、アオイは椅子から腰を上げカラ元気な声を上げた。
「待ってて下さい。今、食事をーー」
「いや、それはまだ大丈夫です。回診中なら続けてください」
「ですが・・・」
「もう少し横になりますから。日が昇ったらいただきますよ」
「・・・分かりました」
「なので、私が目を覚ました事はまだ連絡しなくて良いですからね」
ぽんぽん、と頭を撫でたにアオイは逡巡する。
しかし向けられた柔らかい笑みに、赤くなった顔を隠すように咳払いした。
「わ、分かりました。ではもう少しお休みください」
「ええ、ありがとうございます」
夜も更けた。
は寝静まった蝶屋敷の静寂さに浸りながら夜気の涼しさに包まれていた。
「ったく。てめぇは懲りない奴だな」
縁側で月夜を見上げていれば、呆れと怒りが入り混じった声が響いた。
が首を捻れば、そこには声音と同じ表情の元音柱がノシノシとこちらに進んできていた。
「夢遊病で徘徊してたんですか?」
「怪我人じゃなきゃ、はっ倒してっぞ」
そう言いながら、自身の羽織りをに掛けた天元は隣に腰を下ろした。
「身体は?」
「はい、お陰様で病室抜け出せるくらい元気になりました」
「まだ元気つー顔色じゃねぇだーー」
ーーぽすーー
隣から寄り掛かられたことで、天元の言葉は続かなかった。
以前ならそんな事すらしたことがない相手の行動。
「・・・終わったんですね」
下手をすれば聞き逃したかもしれない、微かな呟き。
たくさん、たくさん失った。
喪失の傷は余りにも大きい。
得たのは僅か。
だが、間違いなく鬼舞辻無惨に勝ち、鬼を滅ぼした。
「ああ」
「それなのに・・・言葉が見つかりません」
「・・・仕方ねぇさ」
ひどく儚げな声に慰めを口にすれば、先ほどまで預けられていた頭が離れた。
「宇髄さんらしからぬ言葉ですね」
「は?」
「いつもなら、『ド派手に宴だー!』みたいに言うのかと」
「お前の中の俺はそんなに馬鹿なのか?」
地味に心を抉られる。
だが、無理にいつものように明るく振る舞おうとしているに、天元は目線の下にある同志の頭を抱き寄せた。
「もう鬼は居ないんだ、死んだ奴らをゆっくり悲しんだってバチは当たんねぇよ」
「・・・はい」
こんな時までも震える声を押し隠そうとしている、強情な相手を天元は何も言わず抱き締めた。
暫くして、天元は腕の中にを閉じ込めたまま口を開いた。
「で?嫁に来る気になったか?」
「うわー・・・ドン引きなんですけど」
「あ"?」
「普通、今それを聞きますか?」
「じゃねぇとお前、出てくつもりだったろうが」
「・・・」
こんな時に沈黙は肯定と同義だろう。
しかしはそれ以外の言葉は持たなかった。
「見なかったことにはできませんか?」
天元の胸元を押し、身体を離したが真っ直ぐ天元を見つめ問い返す。
「できねぇ相談だ」
「これでも、一人で静かに過ごしたいと思っているんですが」
「却下だな」
「あなたが考えている以上に時間が無かったとしても、ですか?」
静かに語ったの予想外の言葉に驚きが返される。
それを見たは傷付いたように顔を歪めると、ふらふらと立ち上がり、裸足のまま庭へと進んだ。
「あーあ、そういう顔をさせたくなかったからずっと・・・」
立ち止まり、振り返る。
銀光に照らされたなんとか取り繕うとしている笑顔はまるで泣いているようだった。
それは初めて会った時のような、危うさを隠していたものじゃない。
酷く脆く、今にも崩れそうなあいつの本音の音と同じ悲しい笑顔だった。
「・・・ずぅーっと、想いを言葉にしたくなかったのに・・・」
溢れてくる。
初めて会った最悪の出会い、遊郭への共同任務、想いを告げられた時、負傷して心配してくれた時、肌を重ねた時。
「・・・」
「幸せだったんですよ」
「・・・」
「幸せだったんです」
鬼殺隊で過ごした日々も。
宇髄さんの何気ない言葉も。
縁側でお茶を飲んでた日も。
嫁に来いって言ってくれた時も。
だから置いていく。
やっと受け入れられるから。
これで心残りなく、逝けるから。
「だから、この想いを胸に静かに一人で眠りたかったんですよ」
もう十分に貰った、貰い過ぎた。
自分が出来ることなど、この人にこれ以上の悲しみを負わせないことだけだ。
どうか、幸せに。
長く生きて欲しい。
「お前は地味に分かってねぇ」
「分かってますよ」
「分かってねぇよ。『幸せだった』だ?
俺はまだそうしてねぇのに勝手に過去形にすんな」
「・・・まだ私をこの世に縛るんですか?」
「そうだ」
縁側から降りた天元はに近付き、向かい合った。
「その地味に後ろ向きなこと言ってる時点でお前はもっと幸せになれる」
「・・・」
「それに言ったはずだ、昔のことを霞ませるくらいド派手に幸せにしてやるってな」
「そんな事、覚えてーー」
「そもそも俺がお前を離すわけねぇだろうが」
真っ直ぐにを見つめた天元は言い放つ。
そして、
「勝手に一人で眠らせるなんざ、この神がさせるかよ」
怪我に響かないように気遣われながらも可能な限り力強い抱擁。
本当に優しい人だ。
だから静かに離れようとしたのに、こんな私の手をまだ離さないでいてくれる。
堪えていたはずの視界がついに揺れてしまった。
「本当に・・・酷い人ですね」
「そういうお前は意固地が過ぎるわ」
「頑固者なの知ってるじゃないですか」
「駄弁りは要らん、さっさと返事を言え」
苛立つ声に、は力ない腕を抱き締めている相手の背に回した。
「・・・不束者ですが、お傍に置いてください」
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2020.9.13