顕微鏡の細い穴を覗き込む。
正常な細胞壁を持った赤に、手元の数滴の滴を落とす。
するとみるみる細胞が崩壊し、目論見通りの反応を見せた。
順調だ。
満足気に口元を緩めると、しのぶは顕微鏡から目を離した。

「精が出ますね」
「っ!」

突然、この場に居るはずのない者の登場にしのぶはぎょっとしたように肩を跳ねさせた。

さん!?どうしてここに・・・」
「ごめんなさい、一応声はかけたんですけど・・・集中されていたみたいで」

困ったように笑うと、手元に用意した甘味を取り出した。

「差し入れお持ちしました。
珠世さん達も休憩してるので、しのぶさんも一息つきませんか?」































































































































ーー時を隔てた礼ーー






























































































































しのぶと並んでお茶を飲んでいたは進捗具合を書き留めた冊子に目を通す。
詳細については自分の理解の及ぶところではないが、蝶屋敷での難しい表情が無いところを見ると滞ってはいないらしい。

「薬の開発の方は順調みたいですね」
「ええ、相方のお陰ですね」

言葉では同意しつつも、語調は素っ気ない。
しのぶの内心を知っているだけに、は小さく呟いた。

「やっぱり心中は穏やかじゃない、か」
「・・・」
「実は、今日はお館様の名代でもあるんですよね」
「どういうこーー」
「はいはい、湯呑みは置いて」
「?」

強制的に湯呑を机の上に置かせ、疑問符が浮かんでいるしのぶに自身の羽織をかける。
そしてなおも混乱中のようなしのぶをは羽織ごと抱きしめた。

「え、と・・・さん?」
「はいはい。ちょっとだけきゅーけーい」

羽織で顔が見えないしのぶの反論を封じたは、小さく咳払いをすると可能な限り低く、穏やかな声で語った。

「己の矜持を捨て、鬼殺隊の本懐を遂げようとしてくれるしのぶに心から感謝と畏敬を示したい。
しのぶのことだからきっと無理を押しても進めるだろうけど、どうか身体は労って欲しいからちゃんと休むんだよ」

誰の真似かというネタバラシはしてしまったが、語り終えたはいつもの語調で続ける。

「とのことです」
「・・・ありがとございます」
「なんの。こちらこそ、ありがとございます」
「でも、似てませんでしたけどね」
「それは失礼を」

互いに含み笑いを返しながら、に抱きしめられたまましのぶは長く息を吐いた。

さんも、姉さんと同じ花の匂いがしますね」
「私の場合はいつも同じですけど、カナエさんはその季節の優しい花の香りでしたね」
「好きですよ、この香り・・・」
「私もです」

の言葉にしのぶがピクリと反応を見せる。。
体が緊張で固くなっていることに気付かないフリをしながら、はさらに続けた。

「藤の花は遥か昔から鬼殺隊を、隊士を、たくさんの人を守ってくれた強く気高い花ですから」
「・・・そう、ですね」

隠しきれないことに、緊張解いたしのぶは同意を示す。
身体に触れ、僅かに香り立つ藤の花。
その選択に手を貸している自分に、はやるせなく小さな身体を抱きしめるしかできない。
そしてその選択によって生じている不都合を、一緒になって隠しているという事実も含めて。

「少しだけ、お休みされてはどうです?責任を持って私が起こしますよ?」
「そうですね・・・ではちょっと、だけお言葉に甘えます」

願いも込めたの提案にしばらく逡巡したようなしのぶだったが、素直にうなずくと気を失うようにそのまま眠りについた。
そんなしのぶを横に寝かせたが上掛けを掛けた時、ドアの前に立つ気配に顔を上げた。

「流石ですね」

そこには、休んでいたと思われたもう一人の薬の研究者が立っていた。

「この方の体調を見抜いておられたんですか?」
「昔から無理をする子なので・・・それに藤の毒の影響が響いても困るでしょう?」

実は小細工をした甘味の仕込みもあっての腕尽くの休憩だったりするのだが、まぁ結果オーライだ。
事実、無理を押されて今倒れられては困る。
それにしのぶのことが心配なのは本当だ。

「この子は入隊時から知ってる仲ですからね。
彼女の姉も含めて・・・」
「・・・そうですか」
「それに、一緒に薬を開発している仲とはいえ、あなた方の忠告を素直に受け入れられない頑固なところもありますしね」

鬼に対する憎しみの強さは、鬼殺隊でも上位だろうからそれ故にいくら純粋な気遣いでも隙を見せないだろう。
そんな歳下で後輩でもある上官を撫でながら、は困ったように笑う。
まるで違和感のないやり取りに、珠世は困惑を隠せず問うた。

「あなたは、違うのですね」
「?」
「鬼である私の言葉を・・・その・・・」
「まるで人間相手のように対等に聞いている、と?」

先を読んで言えば返されたのは沈黙。
この場合は肯定と同義だろう。
確かに端から見れば異様だろうか、鬼殺隊は鬼を滅する組織。
言葉を交わし、増して馴れ合あうなど常軌を逸しているとでも言われてもおかしく無いかもしれない。
特に鬼に対して並々ならぬ怨みがあればなおのこと。
それが分かっているのだろう。
珠世からの落ち着きながらも、まるで赦しを乞うような沈んだ声が続く。

「憎くはないのですか?」
「んー、そうですね・・・」

過去を振り返れば、憎むべき。
一族郎党殺されたのだ、それも当然選ぶことができた道だ。
しかし、そもそもを思えば出来なかった。
幸か不幸か、家族に対する愛情というものが生来薄かったためか憎しみはそこまでない。
もちろん、鬼によって不幸に突き落とれた人を見ればそんな事はないのだが。

「人間に危害を加えている鬼は許せませんよ。
隊士として、全力で頸を跳ねます。
でも私が抱いているこの気持ちは・・・同情と贖罪、でしょうか」
「それはどういう・・・」

首を傾げる珠世に、話し過ぎたかとも思ったが、決戦が近いことを思えば今更話しても問題ない気がしてそのままは続けた。

「私の始祖は菅原ですから」
「!」

その言葉に珠世は驚愕を見せた。
当然、知っているとは思ったが、あまりにも素直な反応だけには軽く笑った。

「流石、ご存知でしたか」
「あの男からは既に絶えたと・・・」
「ええ。そうでしょうね・・・」

確かにそうだ。
目の前で見たから間違いない。皆殺しにされていた。

「きっと、その最後が私なんでしょう」

人間を鬼に至らしめた、全ての元凶の血を継ぐ者。
長い長い時の中で多くの命を奪い不幸を撒き散らす怪物を生み出してしまった罪過を背負う一族の末裔。

「だからこそ、終わらせなければならないんです」

そのけじめがようやくつけられる。
もう一息のところまで、やっとここまで来た。

「・・・なるほど、面影がありますね」
「?」
「あなたの祖先と、一度見えたことがありますから」
「それはそれは。どんな方でしたか?」

なかなか聞けない話に興味が湧く。
に促された珠世はそうですね、と前置きし記憶を手繰るようにゆっくりと話し始めた。

「一緒に居た剣士を静とするならまさしく動。
明るく、ころころと表情が良く変わられる方でした」
「へー、長く続いてきたとは聞いていましたけど生き証人からの言葉を聞けると貴重な体験です。
不思議な感じがしますね」

からから、と小さく笑うに珠世もつられて表情を緩める。
そしてさらには珠世に問いを重ねた。

「で?どんな感じの方でした?
明るいって事は水柱の線は無しってことですよね。私の体格も一般的だから、岩柱音柱の線も無し。
うーん、風柱みたいな凶暴な性格だったり、蛇柱みたいな嫌味っぽかったら少し泣けますが・・・?」

指を折りつつ尋ねるに呆気に取られているような珠世に気付いたは首を傾げた。

「あれ?おかしな事を言いましたか?」
「い、いえ・・・」

慌てたように目を伏せた珠世は、その当時を思ってか窓から見える月夜を見上げた。

「・・・私が初めてお会いした時は、無惨をあと一歩まで追い詰めた直後のこと。
その方は負傷されていたと言うのに、手当を受けながらも無惨を追い詰めた剣士の方と共に私に協力の依頼をされました」
「それはまた・・・その時代では今よりも有り得ない話ですね」

今の状況でこそ、協力体制を組んでいるがその当時の情勢を考えれば、そもそも協力という発想自体が有り得ない。
恐ろしいほどの先見の明の持ち主が居たものだ。
とはいえ、そんな大昔から続いていた戦いに共に向かっているという事実。
共に月夜に視線を向けていたは儚げに佇むその人に向いた。

「珠世さん」
「何でしょう?」
「ありがとうございます」
「!」

驚く珠世にきょとんとしたは、柔らかく笑うと今度は深く頭を下げた。

「そんな昔からの約束を守って下さって、ありがとうございます」

たじろぐ珠世は顔を歪め、ゆっくりと首を横に振った。

「私にはその礼を受け取る資格はありません。
過去に犯した罪が消えないように、鬼であった事実を変えることができないのですから」
「その考えですと、そんな境遇にした私にも同じ事が言えますね」
「・・・申し訳ありません、そのような意味で言ったつもりは・・・」
「いえ、あなたの言ったことは事実です。そして、私に当てはまることもまた事実」

再び月夜を見上げたの横顔が陰る。
まだ鬼殺隊では一部の人間しか知らないその事実。
それを隠しながら共に戦ってきた、この後ろめたさからやっと開放される。
そして長く抱いてきた・・・

「・・・私はただ私個人として、一個人として、長い間、約束を果たすために動いて下さったことに礼を申し上げたいだけです。
なので、珠世さん個人には受け取っていただきたいです」
「・・・」

の返しに、珠世は言葉に詰まった。
奇しくも、あの時と同じ言葉を時を隔てた現代で聞くことになろうとは。







『ハ、ハハ・・・なんのなんの、こっちこそ手当に感謝しますよ。
何しろコイツに頼んだら巻かれた包帯で窒息死させられそうになった前科があるんで』
『・・・わざとじゃない』
『わかってるわかってる』
『あなたは・・・』
『ん?』
『・・・あなたは、鬼に礼を言うのですね』
『?あなた個人に言った礼なら受け取っていいでしょ?減るもんじゃなし、ね?』









絡み合った因果の果て、ようやく訪れた好機。
この先に待ち受けるのが己の破滅だったとしても、地獄に落ちる定めであったとしても、時を経た出会いで再び感じ得た僅かな心のぬくもりが自身の罪をわずかに許してくれるようだった。

「ありがとう、ございます・・・」
「いえいえ、だからこちらこそですよ」





































































>その後
ーーバダン!ーー
「・・・珠世様を悲しませたのは貴様か」
「礼を言っただけですごい言いがかりですね。違います」
「珠世様の美しいお顔を歪ませた罪は万死に値する」
「威勢は買いますが、そういうのはちゃんとご自身の想いを伝えた男気を見せてからにしてもらいましょうか」
「!?」
「愈史郎・・・」
「伊達に曲者ぞろいの鬼殺隊で柱を丸め込んできた口先を舐めないでいただきたい」


自慢することじゃない





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2021.05.05