もう通い慣れたと言っても過言ではない道を進む。
遠くから届く滝の音と一緒に、山颪が肌を刺す。
晴れていても平地の町場と違い、落葉が終わった山場では視覚的にも寒い。
身震いしたは襟巻きをさらにキツく巻き付け、あと少しばかりの距離を早めた。
ーーマル秘作戦ーー
「失礼します」
在宅が分かってる玄関の引き戸を開ける。
そこにはこの屋敷の主がを出迎えた。
「わざわざすまぬな」
「いえ、ちょうど任務も入ってませんでしたから」
挨拶もそこそこに、火鉢が置かれた一室へ案内される。
鴉からの連絡では詳しくは会ってから話すと聞いていた。
内容の感じからして、任務とは違うだろう。
けどそうなると用件とは一体何だろうか?
「それで頼みというのは?」
「うむ、実はな・・・」
そこまで言って、行冥の言葉が途切れる。
難しい、とまではいかなくとも気が進まないような表情には先に口を開いた。
「言いにくいこと、ですか?」
「いやそうではなくてな、何と言うか・・・任務とは関係ない話なのでな」
「別に構いませんよ。ちょうど体も空いてますし私で役に立てるなら仰ってください」
少しでも気が楽になるよう、は手をひらひらと振りながら朗らかに続ける。
その様子が功を奏したのか、一つ咳払いした行冥は重い口を開いた。
「。お前、炊事はできるか?」
「それは勿論、何度かこちらの厨もお借りして作ってますし」
「そうだったな・・・」
再び黙した行冥。
それを前には首をひねった。
正直、要領を得ない。
これまでの話の流れで口が重くなり、かつ思い当たるような事。
と言えば、と浮かんだ推測を口にした。
「え、と・・・本日の夕餉のご要望ですか?」
「そうではない」
「違ったか・・・
その、質問の意図がイマイチ見えないのですが」
「ああ、すまん。実はお前の腕を見込んで頼みたい事があってな」
「頼みでーー」
ーースパーン!ーー
「お、俺に教えて欲しいんです!」
突然、閉じられていた襖が勢いよく開けられた。
そこには正座してもなかなか良い体格の少年、行冥の弟子でもある玄弥が居た。
騒がしい登場に気を悪くするでもなく、はにっこりと笑みを返した。
「お久しぶりですね、玄弥くん」
「あ、ど、どうも」
「玄弥」
「す、すみません・・・」
騒がしい登場を咎めた行冥に一気に小さくなる玄弥。
3人となって再び話を元に戻し、が行冥に問うた。
「それで私の腕というのは、悲鳴嶼さんどう言うことですか?」
「うむ。玄弥が作りたいものがあるらしいが、私では役に立てなくてな」
「そうなんですか・・・
なら用事というのは玄弥くんの方なんですね。
それで?玄弥くん何が作りたいんですか?」
「・・・」
「ん?ごめん、なんて?」
「・・・・・・」
「え、と・・・」
小声過ぎたのか、まるで喋っていないように玄弥の声が聞き取れずが聞き返す。
しかし、問われた側の玄弥は顔を赤くするばかり。
昔もこんなやり取りしたなぁ、と既視感を覚える状況には遠い目をする。
と、業を煮やしたように数珠がジャリッと音を立てた。
「玄弥」
「おはぎです」
「おはぎ?」
まさかの内容に、はきょとんと目を丸くした。
季節的にも作る時期ではない。
なんでその品書きが出てきたのかとばかりなの表情に、しどろもどろになりながら玄弥は説明を始めた。
「じ、実はある人に・・・贈り、たくて・・・」
「ふむふむ」
「で、でも上手くいかなくて・・・」
「あー、なるほど」
「な、なので、もしよけれーー」
「良いですよ」
最後まで聞く事なくさらりとは言った。
聞き違いだと思ったのか、玄弥の呆気にとられた顔がを見上げた。
「・・・え」
「だから、良いですよ。おはぎの作り方、教えれば良いんですよね?」
不安な面持ちから一転、ぱぁっと輝かんばかりの嬉しい顔になった玄弥に、の方も吊られて笑みを深める。
「玄弥、喜ばしいのは分かるが、先に言うべきことを言いなさい」
「あ、ありがとうございます!」
「いえいえ、私で良ければ。
さて、作るにあたって色々聞かせてもらいましょうか」
「えっと、何をですか?」
「贈る人がどう言うおはぎが好きなのかで作る種類とか買い出しに違いが出るじゃないですか」
「な、なるほど!」
「玄弥、茶を淹れてくれぬか?腰を落ち着けて話すといい」
「は、はい!」
登場よりも慌ただしく玄弥はその場から出て行った。
にしてみれば、たかが作り方を教えるだけにあれだけ嬉しそうな反応を見せる玄弥に思わず笑いが溢れる。
そんな忍び笑いを拾われたのか、小さく嘆息した行冥がに軽く頭を下げた。
「世話をかけるな」
「そんな大袈裟ですよ。お兄さん思いの良い弟さんじゃないですか」
「気付いていたか」
「ま、ご本人は隠したがっていますけどね」
何度か茶屋に付き合わされた事もありましたから、とは苦笑する。
その『付き合わされた』というのも、かなり遠回しな誘いが面倒臭くなって最後はの方が折れたのだが、今言う必要はないだろう。
「それに弟子思いの優しい師匠からのご指名なら、腕によりをかけて協力します」
「そうか、助かる」
「ついでに試食もお願いしますね」
「お待たせしました!」
再び威勢の良い声が響く。
それに行冥の苦言が飛び玄弥は小さくなり、も再び笑う。
ひと段落すると、行冥はの頭撫で部屋を後にした。
そのまま部屋の中で話を進めようとしたが、玄弥の食いつき気味の勢いを冷まそうと、と玄弥は縁側に並んで腰を下ろした。
「おはぎの色合いはやる気になれば沢山できますよ」
作る種類は決まっていない、と言う玄弥にとりあえずの落とし所を探るため大きな枠から話し始める。
「そうなんですか?」
「ええ、この辺りの茶屋で見かけるのは粒あん・こしあん、きな粉あたり。
変わり種だと、胡麻、ずんだ、白小豆、栗。
西方では青海苔で包んでる地域もありますよ」
「そ、そんなに・・・」
メモを取りながら、初めて見る玄弥の深刻なまでの悩み顔。
単におはぎだが、彼にとっては最重要事項なのだろう。
流石にこのままでは可哀想かと、彼が求めているだろう答えの手かがりをは口にした。
「そーいえばぁ・・・先日、風柱に付き合っておはぎで話題の茶屋に行きましたね」
いささかわざとらし過ぎるかと思ったが、隣からは興味津々とばかりな素直な反応。
湯呑みを一度傾けたは、輝かんばかりな玄弥の顔ににっこりと笑みを返す。
「その時注文したのは、粒あんとこしあんときな粉でしたね」
「・・・粒あんとこしあんときな粉」
「変わり種も面白いですけど、今回は王道の3種類にしましょうか」
「は、はい!お願いします!」
善は急げだと、買い出しに行こうとしたが『自分が行きます!』という玄弥の熱意に押され、買い出しに必要なものを書いて渡したは厨で必要な準備を進める。
「さて、今回はすぐに作りたいとのことでしたので、玄弥くんにはおはぎで重要なお米を炊いてもらいます」
「は、はい!」
「ちなみに、失敗したと言ってましたけどどうなったんですか?」
「それが・・・釜から溢れて焦げて・・・」
遠い目をしながら呟く玄弥。
その時の慌てふためく様子が目に浮かんだはそうなっただろう予測を語る。
「玄弥くん、もしかして釜で、もち米だけで炊きましたか?」
「はい」
「それじゃあそうなりますね。もち米だけで作るなら蒸した方が失敗しません」
「・・・え?」
「それに、もち米は炊くと約2倍に量が増えるので、いつものように普通のお米を炊くようにしてしまうとそうなっちゃいますね」
の言葉にゴーンという衝撃音を背負った玄弥。
そのままにしておくには忍びない状況に、は話を変えるように升とザルを取るよう玄弥に指示をする。
「あとおはぎ生地はお好みですが、この辺りの茶屋ではうるち米ともち米を2:1の割合で作っているようですね」
「えっと・・・それで何が変わるんですか?」
「一番は味かな。それともち米だけの方が腹持ちが良いってところでしょうか」
升でうるち米を計りながら話すに、玄弥の手が止まる。
おっと、このタイミングで話すのは失敗か。
悩ませるつもりはなかったのだが、あえて難易度の高い方にいきなり挑戦させるのも良くない。
は言葉を選びながら、玄弥に笑みを向けた。
「もち米だけで作るには蒸籠が必要ですから、今回は釜でも作れるやり方を教えますね」
「はい!」
の言葉に玄弥は再び晴れやかな声を上げる。
そしての指示の元、マル秘おはぎ作り作戦が開始された。
「しなーずがーわさーん」
「馬鹿みてぇな呼び方すんじゃねェ」
風柱邸。
夕暮れ時、リズミカルな掛け声に対しドスの効いた低音が返される。
出会うシチュエーションによっては、悲鳴が上がってもおかしくない。
だが、そんな事にはならない相手のが(ムダに)ニコニコとしながら抱えた風呂敷を開けた。
「まあまあ、せっかくの誕生日祝いを持ってきたんですから、そんな怒らないでくださいよ」
「あ?」
「はいっ」
から突き付けられた重箱には、綺麗に・・・とまではいかないまでも並んだおはぎ。
普通なら、差し出されたおはぎに視線が向けられる。
が、の方に実弥からのとても据わった睥睨が向けられる。
これがそこらの一般隊士なら脱兎の如く逃げ出すだろう。
しかし、それを正面から受けても動じないはサラリと言い返した。
「何ですか、その顔?別に誰かさんみたいに懐から出してませんよ」
「余計なヤツ思い出させんなァ」
「味見は万全、悲鳴嶼さんも美味しいって言ってくださった太鼓判付きですよ」
「・・・」
ぐっと親指を立てるに、実弥は相変わらずの冷めきった顔。
相手の思惑が読めず再び実弥は低い声を這わせた。
「どう言うつもりだ、てめーー」
ーーガツッーー
「っ!?」
しかし、それ以上の言葉が届く前に親指を立てていた手が、自身の刀の鞘を掴み、自分より高い場所にある顎の下に柄の頭を勢いよく突っ込んだ。
「もし無駄な文句を言うつもりでしたら、普段はとーっても温厚なこの私でも流石に怒っちゃいますよ?」
「・・・」
「年に一回のこの日くらい素直になってもばバチは当たりませんよ?」
今まで勝てた試しがない含みのある黒い笑みに、風柱は黙って重箱を受け取った。
そして、それを見たは満足気な顔で軽快な足取りで厨へ向かう。
その様子を見送り、感想を言わなければ帰らない事を悟った実弥は観念したように縁側へ腰を下ろした。
>おまけ
「・・・ェ」
「はい、何でしょう?」
「・・・」
「えー?聞こえませーん」
「美味かったって、言っとけェ」
「ん?耳がおかしいなぁ?今、言っとけって言いました?
わざわざ作って持ってきた相手に向かって上からな『言っとけ』だなんて私の聞き違いですよね?」
「・・・・・・伝えて下さい」
「は?自分で言って下さいよ」
「調子に乗んじゃねェェェ!」
一日遅れたけど、実弥さんハピバ
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2020.11.30