ーー届いた祈りーー
岩柱邸。
朝食を済ませ、縁側で日向ぼっこをしていた行冥の背中に声がかかった。
「具合はいかがですか?」
「うむ、今日は調子が良い」
「そうですか、良かった」
涼やかな声が柔らかさを帯び、行冥に湯呑みを差し出したは隣に腰を下ろした。
しばらく二人は縁側に並びながら、穏やかな時間が過ぎていく。
「今日は炭治郎くん達が遊びに来るそうですよ」
「そうか、では食事を多く用意しなくては」
「はい。昨日一緒に買い出しに付き合っていただきましたから、腕によりをかけて作りますね」
楽しげに返したの声に行冥の表情も柔らかくなる。
平和なひととき。
あの激戦から半年。
鬼殺隊も解散され、隊士がそれぞれの道を進んだ。
重症を負い、長い療養生活を終えた行冥は元の屋敷に戻った。
も療養のかたわら、他の隊士の治療の手伝いをしつつ行冥の屋敷に身を寄せていた。
「」
「はい?」
「お前はいつ痣が出たのだ?」
「恐らく・・・悲鳴嶼さんが助けに来て下さったあの時、すでに兆候は出てた気がします」
は自身の首左側に手を置く。
まるで遠くの出来事を思い出すようには呟いた。
『痣者』
鬼舞辻を倒す為だけにの家系はずっと幼い頃から過酷な鍛錬を課してきた。
死が身近すぎた日々。
今思えばその痣を発現させる為の鍛錬だったんだろう。
発現した者は25歳までしか生きられないというのに。
あの時はそれを分かっていても、別段どうとも思わなかった。
「そうか・・・そう言えばお前がやたらと他の隊士、とりわけ柱と距離を置こうとしていた時期もあったな」
「ふふ、懐かしい話です。
最後は卑怯な手を使われて捕まりましたっけ」
あれは十二鬼月を倒して負傷した後のこと。
痣が出た事もあって、しばらく柱格の隊士との任務は控えたい旨をお館様に伝えた。
しかし、申し出虚しく共同任務が続き(痣が出た事は伝えなかったことが要因だったが)その柱格に後一歩のところで捕獲される寸前で逃げ出した。
ま、後日にしっかりと捕獲されてしまったのだが。
その捕まった後に行冥からは逃げた理由をかなり執拗に問い質された。
本当の事を言う事ができなかったは、最後はお館様に依頼して追及から逃げてしまった。
最終決戦前、痣者についてはお館様から話はあっただろう。
思い出し笑いで苦笑するに行冥は手を伸ばした。
ーーポンッーー
「あの時からお前はいつも周りを優先してばかりだな」
「・・・ワガママなんです、私」
本当は知って欲しくなかった。
叶うなら痣者にならず、生き残って生涯を閉じて欲しかった。
自分勝手で独りよがりな願いだ。
涙が滲みそうになるのを誤魔化すようには小さく嘆息した。
「それは悲鳴嶼さんだって、知ってるじゃないですか」
「そうだな・・・」
思い出されるのは、全ての戦いが終わった後。
たくさんの屍が転がるの中、壁に埋もれるように項垂れていた行冥を隠が囲んでいた。
そこに響いた、生き残って欲しかった者の声。
『岩柱様!すぐに止血を!』
『無駄な事を、するな・・・』
『しかし岩柱様!』
『悲鳴嶼さん!』
『・・・、無事だったか・・・』
『すぐに手当てします、だから呼吸で出血をーー』
『・・・いや、もうーー』
『嫌です!』
『・・・』
『嫌です!悲鳴嶼さんが諦めるなら、私もこの場で首を斬ります!』
『・・・』
『私が死んだらたくさんの重傷者の手当てもできなくなるんですからね!
そんな事、お館様だって許しません!ぜった、許さない・・・』
『お前に泣かれるのが一番堪えるな・・・』
大勢の人前で、あんなに泣いたのは初めてだったと思う。
泣きながら手当てをする自分に、行冥は意識を失うまで涙を拭ってくれた。
その時を思ってか、行冥はあの時負傷した足の怪我を摩りながら呟いた。
「まさか本当に助かるとはな」
「知ってますか?あの時だけは、初めて神様とやらに祈ったんですよ」
もその時の事を思い出すように、湯呑みを撫でる。
もう半年過ぎた。
だが今でもありありと思い出してしまう。
血塗れで横たわった行冥の姿。
氷のような手で心臓を掴まれたような気分だった。
自身の失血で冷たい手で触れてもさらに行冥の手は冷たかった。
こんな湯呑みの温かさとは程遠くて・・・
「それはまではこれっぽっちも信じてませんでした。
それはもう小指の爪先ほども信じてませんでしたよ」
「・・・そうなのか?」
「ええ。
どうして私を連れて行ってくれないのか、どうして仲間だけが連れて行かれるのか。
そればっかりでしたよ。
けど・・・悲鳴嶼さんが信じていた神様なら信じられると・・・」
そこまで言いかけたは首を振った。
「・・・いえ、違いますね。信じたいって思ったんです」
助かる見込みの方が少なかった。
傷が深いのはひと目見て分かったし、鬼舞辻との激戦直後で柱は体力が残っていなかった。
それは自分にも当てはまっていたが、そんな事より目の前のこの人を喪ってしまう。
その事が恐ろしくて、初めて祈った。
手当てをしながら手元の震えを止めるのに必死だった。
その時の震えが思い返され、手元の湯呑みを握る。
と、目元を無骨な指で拭われた。
この時初めて自分が泣いている事に気付いた。
「前よりよく泣くようになったな」
「弱く、なっちゃいましたかね」
「そうではない。以前のように自分の気持ちを偽るの必要が無いのは良い傾向だ」
「だって・・・贖罪に至るまで自身を顧みる価値はないと思ってました」
涙を自分でも拭いながらは呟く。
「だからせめて、他の方が幸せに過ごせれば良いと思いました。
鬼を狩っている僅かな休息を皆が笑顔で過ごせるならいくらでも笑顔でいれました」
でも、それでも至ってなかっただろう。
何度も何度も、隣のこの人に助けて貰ったんだから。
「まさかこんなに穏やかに過ごせる日が来るなんて、まだ現実感がありません」
「お前が隣に居てくれて、私は幸福だと思っている」
「・・・」
「手を伸ばせば、声を掛ければ、すぐに届くのだ」
ーーポスッーー
は隣に身体を預ける。
どう逆立ちしてもこの人には敵わない。
口を尖らせたは不機嫌そうに呟いた。
「悲鳴嶼さんは昔から優し過ぎますよ」
「誰でもそうしてきた訳ではない」
「そうなんですか?」
「気付かなかったか」
「・・・それは」
言葉を濁したの視線はあらぬ方向へと泳ぐ。
隣からは見えていないだろうが、居た堪れず大変居心地がよろしくない。
気分を変えようと、お茶を淹れ直そうと膝に手を付こうとした。
と、行冥の大きな手がの頬を撫でる。
「残り僅かな余命だと分かってはいるが、更なる欲を抱いてしまうな」
「・・・『例外』もありますから余命と言うのは少し違うかもしれませんね」
自身の手を行冥に重ねたは静かに呟いた。
痣者は25歳までしか生きられないというのは、『ほとんどが』であって全員がではない。
例外で還暦を迎えた者も居るという記録もある。
互いに痣者となった今、いつ果てるかは分からない。
行冥は25歳を越えているし、は幼少から痣を出して戦ってきた。
数字はあくまで参考程度、という可能性もなくはない。
「」
「何ですか、悲鳴嶼さん?」
「名を・・・」
「?」
「名を呼んではくれぬか?」
「・・・」
突然の事にはぽかんと隣を見上げた。
続きを待つ、いや促すような視線。
頬に手を当てられてるから逃げは打てない。
うろうろと視線は泳いでいたが、観念したようにはゆっくりと口を開いた。
「・・・ぎょう、めいさん」
「「///」」
両者共に顔を染め、勢いよく顔を背けた。
「面映いものだな」
「は、はい・・・」
ーーカタンーー
「「!!」」
「あ、あの・・・」
介入者の声にの肩が跳ねた。
勢いよくその方へ顔を向ければ、同じように赤い顔の禰豆子が困ったように視線をちらちらとこちらに向けていた。
さらに顔を染めたはぱくぱく、と言葉にならない声を上げる。
「ね、禰豆子ちゃん!?来るのは昼過ぎって・・・」
「そ、その折角ならさんのお手伝いしようと善逸さんと先に・・・」
「ぜ、善逸くんも!?」
「ひっ!ご、ごめんなさい!」
禰豆子の後ろで悲鳴を上げた善逸が、ガタガタと震えていた。
一応、鬼殺隊の先輩隊士だったこももあって果てしなく気不味い。
ぎこちない三者に、苦笑した行冥が声をかけた。
「、折角だ手伝ってもらったらどうだ?」
「そうですね。その前に二人とも一休みしてちょうだい。
今、お茶淹れますから」
「あ!手伝います」
厨に向かうの後を追う禰豆子の申し出を受け入れ二人は肩を並べて歩き出す。
「すみません、さん。立ち聞きするつもりはなかったんですが・・・」
「気にしないで。私もすっかり周りの気配を配るのに疎くなっちゃったから」
「でも・・・悲鳴嶼さんの名前を呼んださん、すごく可愛かったですよ」
「・・・そう言うのは言わないでくれるかな・・・」
再び熱くなる顔を扇ぐは歩調を早めた。
厨でお茶の用意を進める中、は禰豆子に近況を聞いた。
「そっちの生活はどう?もう慣れた?」
「はい。4人で楽しく暮らしてます」
「それは何よりね」
「さんはどうですか?」
「そうね、蝶屋敷にちょくちょく呼ばれたり、柱だった方々がこっちに訪ねてきたり私が治療の手伝いであちこち行ったりで・・・
それなりに忙しいけど私も楽しいかな」
ふわりとは禰豆子に笑い返す。
そして見惚れたように赤くなる少し低い頭に手を置いた。
ーーポンっーー
「こうして禰豆子ちゃん達も遊びに来てくれるから、とっても幸せかな」
「///・・・さん、前より綺麗になりましたよね」
「そう?」
「前は母の姿を重ねていましたけど、今はお姉さんみたいです」
鬼となっていた時もよく禰豆子と一緒に遊んでいた。
その時は言葉も拙くて、文字通り親のように面倒を見ていた。
今度は姉か。
それも悪くない、とはガバッと禰豆子を抱きしめた。
「ふふ、禰豆子ちゃんみたいな妹なら大歓迎だな」
「わあ!」
「楽しそうだな」
はしゃいでいた所に行冥の声が響いた。
身動きを止めた二人の視線が高い所へ向いた。
「「あ」」
「善逸が間を持て余してるようでな、様子を見に来た」
「いけない」
「ふふ、じゃ先にお茶持って行って貰える?」
「はい!」
用意を終えたお茶を禰豆子に託すと、軽い足音が縁側に向いて走って行った。
行冥とがそれを見送ると、厨から廊下へと進んだに声がかかった。
「何の話をしていたのだ?」
「女同士の近況報告ですよ」
「そうか」
ーーポンーー
の頭を撫でた行冥の表情が柔らかくなる。
「さて、我らも行ーー」
ーークイッーー
戻ろうとした行冥の羽織りが後ろで引かれた。
歩みを止めた行冥が振り返れば、が立ち尽くしていた。
「どうした?」
「・・・」
「?」
「行冥さん」
「!」
はっきりと名を告げたは、爪先立ちで小声で続けた。
「上の棚にお茶請けがあるので取っていただけませんか」
気配で相手の心臓の鼓動が早くなっているのが分かる。
そしてきっと顔も赤くなっているだろうことも。
「お安い御用だ」
縁側の時以上に相好を崩した行冥は、戸棚に手を伸ばす。
そして、後ろに続くの手を引きながら縁側へと戻るのだった。
>おまけ
「うまっ!この大福うま過ぎ!」
「ホント、美味しいです」
「ふふ、行冥さんもお気に入りなんですよ、ね?」
「うむ」
(「めちゃめちゃ幸せそうな音がする・・・」)
(「さん、ますます綺麗になってく気がする」)
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2020.9.17