鬼殺隊本部。
呼び出しに応じ短い前置きを終えたに今聞かされた内容に首が傾いだ。
「え、と・・・お館様、今何と・・・」
聞かされた今しがたの言葉が理解できない。
幻聴か、聞き間違いか、それとも疲れ過ぎて耳までおかしくなったのか?
「先日、が助けた人がどうしても君に会いたいと言っていてね」
「あ、聞き間違いじゃないんですね」
あっさりと希望を打ち砕かれたの表情がすん、と落ちる。
そんなの心情を思ってか耀哉は苦笑しながら続けた。
「鬼殺隊であることも剣士であることも伝えてたんだが・・・」
言葉を濁す耀哉に、最後まで言葉を聞くことなく続きを察したはすぐに居住まいを正した。
「・・・分かりました、お会いするだけお会いしますので先方にもそのようにお伝え下さい」
ーー言葉にしないーー
そして迎えた某日都内某料亭。
鬼殺隊本部よりはこじんまりとはしていても、隅々まで手入れの行き届いた庭。
普段の自分なら決して足を踏み入れない店だ。
こんな所より、大衆の食堂や蝶屋敷のみんなと一緒に食事を取る方が自分には合っている。
どうみても場違い感が否めない。
「はあぁ・・・」
「気が進まないようですね」
届いた声に振り返れば、そこには自分よりもこの場の雰囲気が似合う美人が、ふわりとした笑みを浮かべていた。
自分に付き合わされ、共に普段は着ない着物姿。
というか、もとより断るつもりで隊服で会うつもりだったのを、強制的に着物に着替えさせたのが彼女なのだが。
「すみませんね、しのぶさん。こんな茶番に付き合わせてしまって」
「私は構いませんが、どうして引き受けたんですか?」
「どうしてって・・・」
痛い所を突いてくる。
このままはぐらかすことは簡単だ。
とはいえ、付き合わせてしまっている負い目もあり、は仕方なさそうに口を開いた。
「お館様の口から会って欲しいとまで言わせた相手ですよ?
無碍に断ればお館様の顔を潰すじゃないですか」
「あなたはまた・・・」
「ま、任務入ればすっぽかすつもりでしたけどね」
僅かな望みを抱いたが残念ながら任務は入らなかった。
この時ばかりは自分の日頃の行いの良さが恨めしい。
小さく嘆息をこぼせば、隣のしのぶからは気難しい顔でこちらを見据えてくる。
「どうしました?」
「本当に良いんですか?」
「何がですか?」
「ですから、悲鳴嶼さんにお伝えしなかった事ですよ」
きょとん、とするしかない。
「・・・どうしてここに悲鳴嶼さんの名前が出てくるんですか?」
「まったく・・・」
素知らぬ顔をしつつも、呆れ顔のしのぶの視線から逃げるようには庭へと足を進める。
だが、そんなはぐらかしでは追求は止まず小言は続く。
「好いている方がいるのにどうして見合いを受けたんですか?」
「何の事ですか?」
「とぼけないでください。さん、あなたがーー」
「しのぶさん」
それ以上聞くつもりがないはしのぶの言葉を遮る。
そして、しっかりとした声音で続けた。
「私は鬼殺隊隊士です」
「そうですね」
「剣士である以上、命の保証はありません」
「ええ、勿論です」
「であれば、残された方に重荷を残すやり方を私は選びたくありません」
固い決意がにじむ声。
視線を合わせることなく語られた言葉にしのぶは返答に窮した。
が、返答の言葉を探すことさえも拒むような、柔らかい視線をはしのぶに戻した。
「さん・・・」
「これは私が選んだやり方です」
「でもーー」
「失礼致します」
続くはずだったしのぶの言葉は第三者によって遮られた。
料亭の仲居の登場にの視線はしのぶから外れる。
「様、大変お待たせ致しました。
時雨崎様がお見えになりましたので、ご案内致します」
「分かりました」
仲居の後に続くは、すれ違いざましのぶに笑い返した。
この話はこれで終わりだ、と暗に打ち切るような反論を許さない笑み。
「じゃ、しのぶさん。お付き合いありがとうございます。
この礼は今度させていただきますね」
「・・・」
まだ言い足りないようなしのぶの歯切れ悪い表情を残し、は案内されるまま目的の部屋へと足を進めた。
そして、通された部屋ではその相手が待っていた。
先日の任務で自分が助けたらしいが、全くと言っていいほど覚えていない。
初対面の相手の口から出てくる、助けられたことの礼、謝意、今やっている仕事、自分をどう思っているか、等々。
全て右から左に流しているが・・・
(「疲れるな・・・」)
目の前には色とりどりの料理。
それを見ても蝶屋敷の子達が見たら喜ぶだろうなとか、残すなんてもったいないと怒られるだろうなとかばかりで味は全く感じない。
相手は身綺麗で、こちらの気遣いもできて、一般には完璧な人だろう。
自分とは対局に位置する部類だと、そればかりが目に付いてしまう。
交わされる言葉の度に返す愛想笑いに、無駄な気回しへの返答。
慣れないことにあっという間に疲れ、鬼を狩っている方がまだマシだと思ってしまう。
(「こんな風に思っちゃうのは、やっぱり世間からズレているんだろうな」)
「あの、さん?」
「え・・・」
どうやら自分に話しかけていたらしいが、全く聞いてなかった。
我に返ったに相手からの心配そうな声がかけられる。
「大丈夫ですか?料理が口に合わなったでしょうか?それとも気分が優れないようなら、外の空気にでも当たりに行きましょうか?」
本当にこちらを気遣う声。
しかし、それが今はとても煩わしいと思ってしまう。
「え、と・・・そうですね。少し風に当たって来ます。
すぐに戻りますね」
半ば逃げるように席を立った。
外に出れば、先程より気分も晴れる。
しかし、ずっと重しが乗っているようでやはり心の底から晴れやかな気分にはならない。
壁に寄りかかったは深々とため息を吐いた。
別れ際のしのぶの言葉が今になって胸を刺していた。
(「何やってんだろう、私・・・」)
初夏の匂いがする、青く澄んだ空とは雲泥の心情だ。
早く切り上げたいが、ずっとタイミングを図りかねていた。
本音を言えばこのまま入り口まで取って返したいところだが・・・
(「いやいや、それじゃぁ会わないのと一緒。ちゃんと断らないと面目が・・・」)
気持ちをなだめつつ、なるべく角が立たないように断る方法を考えなければ。
そうでもしないとお館様の体面が・・・
(「・・・いや、さっさと断って帰ーー」)
「」
「!」
この場で聞くはずがない声に驚き視線を下げれば、自分が立つ外廊の庭に面したところに、その人が立っていた。
「悲鳴、嶼さん・・・どうしーー」
「さん、ご気分はどうですか?」
なかなか戻らない自分を心配してか、部屋で待っているはずの相手がやってくる。
間の悪過ぎる三者の邂逅に、は頭を抱えたくなった。
当然、この瞬間に初対面となる両者の空気はピリッと張る。
「そちらの方は?」
「えっと、彼は・・・」
「同じ鬼殺隊の悲鳴嶼行冥と言う」
の言葉より先に、行冥が口火を切る。
しかし、相手の時雨崎は話を聞くつもりがないのか、すぐさまと距離を詰めた。
「そうですか。
失礼ですが、私とさんはーー」
「急な任務が入って彼女を呼びに来た。悪いが連れ帰る」
「そんな勝手な。さんはーー」
「分かりました」
両者のやり取りを打ち切るようにの淡々とした声が上がる。
そして近くに控えていた仲居には声をかけた。
「すみません、預けていた私の荷物をお願いします」
「
さん!」
「申し訳ありません、時雨崎さん」
言葉と同時には深々と男に頭を下げた。
「今回のお話、無かった事にして下さい」
「なっ!私はあなたを幸せにする事ができます!
剣士なんてわざわざ危険なーー」
「思い上がりですね」
会ってから初めて響いた冷たい声に時雨崎はたじろいだ。
まるで聞き間違いか、とでも思うような何とか笑顔を保とうとする男に愛想笑いを消したはすっと背筋を伸ばした。
「な、何を・・・」
「私の幸せをあなたに決められる謂れはありません」
「そんな!あなたのような方が政府にさえ認められていない組織にーー!」
仲居から荷物を受け取ったの鋭い一瞥に、続く言葉は消えた。
そして、隊士としての証をその手にしたは続けた。
「私が鬼殺隊に所属しているのは私の意思です。
任務だからあなたを助けただけのこと、それ以上の感情をあなたに抱いていません。
私を鬼殺隊から抜けさせることが幸せになると思っているなら、それはあなたの勝手な思い違いです」
「っ!」
淡々と告げられるの言葉に時雨崎は立ち尽くす。
それはまさしく、鬼を狩る鬼殺隊に所属する一隊士の姿。
戦いに身を置く者だけがまとう、普通の人間が立ち入れないたたずまいのに男は言葉を失っていた。
「あなたのお心遣いには深く感謝します。それでは失礼します」
再度頭を下げたは、返事を待たず踵を返す。
そして、行冥の後に続いたは先ほどから一言も発しない後ろ背に問うた。
「あの、悲鳴嶼さん。どうしてわざわざいらっしゃったんですか?
鴉で連絡すれば済む話だったはずですが・・・」
というか、任務が入るならもう少し早く入ればよかったのに、とも思ってしまっていたが。
と、いつもなら何しかしらの返しがあるはずなのに、続くのは無言。
未だ歩みを止めない相手には首を傾げるしかない。
この距離で聞こえないはずはないのだが・・・
「ひめーー」
ーードンッーー
「っ!」
「鬼殺隊を抜けたくて見合いをしたのか?」
「・・・はい?」
急に止まった行冥にぶつかったは相手を見上げた。
僅かにヒリヒリする鼻頭を押さえながら、今しがた返された言葉に呆気に取られた。
「何故、わざわざ見合いを受けた?」
振り返り、厳しい声音が繰り返される。
先ほどのあの場に来たのなら、その理由も承知の上じゃなかったのか?
それを知らない、いや知らされぬまま来たという意味となる行冥の行動には小さく嘆息する。
そんなの態度を見咎めるような視線が返されるが、は動じる事なく話を変えた。
「私もお伺いしたいのですが、どうして悲鳴嶼さんがこちらにいらっしゃったんですか?」
「・・・」
「ま、しのぶさんが連絡したんでしょうけどね」
沈黙の答えを先に言ったは再びため息をこぼす。
今回の件は噂になっても面倒だと思い、話を受けたその場で返事を返したし、もう一人も呼びだした本題は告げていないから知っている者は限られる。
話を持ってきたお館様が口軽く吹聴する人では有り得ない、ともなれば自分に付き合わされたもう一人しか考えられない。
わざわざこんな手を使った上司であり後輩でもある人物に苦々しい思いを抱きながらも、は口を開いた。
「今回のお話を受けたのは、お館様の体面を思っての事です。
とりあえず会えば約束は果たした事になりますからお会いしました」
一気に語ったの言葉に行冥の表情が固まる。
つい先程のやり取りを忘れているようなそれに、は怪訝顔となりながらも続ける。
「ですから、このお話は最初から断るつもりだったんです」
「・・・そうか」
「全く、しのぶさんはどんな風にお伝えしたんですか?
悲鳴嶼さんをこんな風に嵌めるような言い方は感心できませんね」
帰ったら一言申し上げないと、と呆れたようにが呟けばもう相手からの威圧する気配は消えていた。
誤解が解けたような様子に、は気分を変えようと深く息を吐いて歩き出す。
「さて、任務なら一度着替えたいので場所を教えてください。
すぐにーー」
「任務は無い」
歩き出したの足が止まった。
「・・・え?」
「任務があるというのは嘘だ」
「そう、だったんですか・・・」
誠実をかたどった人だと思っていた人物からの言葉に思考さえも停止する。
嘘をついてまで連れ出した。
それの意味する答えに、はあえて目を逸らす。
両者になんとも言えない空気が流れ、どうにかせねばとは辺りを見回す。
すると、都合よくあった立て看板が目についた。
「え、えーと・・・あ!ならこの近くに花の見所があるそうなので行ってみませんか?」
行冥の返事を待たず、は歩き出す。
そして、互いに無言のまま歩くこと数十分。
「わぁ・・・」
池の周りに植えられた木々が、たわわに実った花の房を風に揺らした光景で二人を出迎えた。
単なるその場凌ぎで言ったこととはいえ、見事に満開の花々に感嘆の声が止まない。
「甘い香りがするな」
「本当ですね。花はハリエンジュ、と言うそうですよ。
アカシアの蜂蜜が取れるそうで、藤の花のような形の白い花が一面を覆ってます。
藤の花とはまた違った香りですよね」
先ほどのぎこちなさが消えたように、と行冥は池のほとりを歩いてく。
そして、が池に架かる橋を渡ろうとした時だった。
「」
「はい?」
「今回の事で、己自身の不甲斐無さを痛感した」
足が止まる。
今の鬼殺隊において、この人以上の実力者は居ない。
そんな人の口から出た有り得ない言葉に、は笑い返した。
「またまた。
悲鳴嶼さんが、不甲斐無いと思われるなら私はーー」
「お前が見合いに行ったと聞いて、肝が冷えた」
「・・・」
の笑顔が凍る。
今までずっと、その想いに名をつけなかったというのに、今、その一線を越えようとしている。
「いつも当たり前に手が届いていたのに、あっという間に離れ消えて行く事実を受け入れられなかった」
「あの、悲鳴嶼さーー」
「これが不甲斐無いと言わずに何と言うか」
「ひめーー」
「今更ながら、己の抱く想いにーー」
「止めてください!」
全てを拒絶する、心の悲鳴だった。
高い声に野鳥が羽ばたく。
先程の比にならない、気不味さの海に放り投げられたようだ。
息をするのも、一秒が過ぎることすら果てしなく長い。
こちらを見上げる苦しげな顔に、歯の根が噛み合わないような錯覚を起こし、唇を噛んだは声を絞り出した。
「それ以上、言葉にしないで下さい」
「」
橋の上に立つ自分に近づく相手から距離を取るようには後退る。
大丈夫、まだ大丈夫。
まだ引き返せる。
ここでちゃんと、引き離せばまた元通りになれる。
だから声を震わせることなく、ちゃんと突き放すんだ。
「私とあなたは鬼殺隊の隊士です」
「」
「鬼を狩る剣士である以上の事を望んでは結末は悲惨なものだけです」
「」
「あなたは今、しのぶさんの言葉に当てられているだーー」
一方的に言葉を交わし距離を取り続けていただったが、行冥は一気に距離を詰めその腕を掴んだ。
「やだ、離してーー」
「」
尚も身を捩って逃れようとするに有無を言わせない声音の行冥が名を呼ぶ。
しかし、腕を掴まれているは可能な限り距離を取ろうとしていた。
全身での拒絶。
そんなに、行冥はゆっくりと口を開いた。
「既にそれだけ泣いているのは、言葉以上の意味を持っているのではないか?」
「っ!」
行冥の言葉にの肩が跳ねる。
そして、操り糸が切れたように逃れようとしていた動きは止まった。
次いで、震える声で思いの丈を吐き出すように振り返る。
「ちがっ!私はーー」
瞬間、行冥の腕が腰に回されの身体が浮いた。
重ねただけの、たどたどしいのに熱い唇。
初めて交わされた口付けには固まったまま動けなかった。
「想いの言葉を聞きたくないならそれで良い。
代わりに行動で示すまでだ」
を下ろした行冥の言葉を聞きながら、当人は何も返せない。
ただただ、涙が止まらない。
「・・・ずるい人」
「そうだな」
俯いたの言葉に困ったように呟く応え声。
「お前の言う通り、鬼殺隊の隊士であり剣士でありながらそれ以上を望めば、悲惨な結果しか残らないのかもしれん。
まして命の保証がない中、残された者の心情を思えば最初から望まぬ方が良いのかもしれん」
「・・・」
そうだ。
そう思ってきたから、ずっと目を逸らしていた、名を付けずにきた。
鬼殺隊に席を置き、自身の想いに隠しながら10年以上。
その時が来るまでは、目的を果たす為だけに歩くと。
そう決めていたのに・・・
「だが、それも鬼舞辻を倒してしまえば済むことだ」
膝を折った行冥が何のことはない、と言い放つ。
普段はそんな楽観的な事を言わないのに。
自分を安心させるためなのか、鬼殺隊最強たる驕りなのか。
しかし言葉以上の行動を目の当たりにした今では、もう色んなことに取り返しがつかない。
(「・・・ああ、もう・・・」)
もう、逃げられない。
「・・・なら、約束して下さい」
普段は届かない、目の前にある行冥の額に自身の額を付き合わせたは静かに呟いた。
「来るべき戦いの時、私が危なくなったとしても目的を優先させると」
「」
「絶対、約束してください」
逃れられないなら、取るべき道は自分には決まっている。
「なら、お前も同じ約束ができるか?」
「ええ、勿論です」
間髪入れず即答する。
意志の強い瞳で心眼に届くように、は真っ直ぐ行冥を見た。
その様子では、答えるべき答えなど一つしかないことに、行冥は仕方ない、と折れた。
「分かった、約束しよう」
「ありがとうございます」
礼を述べたの頬に流れる涙を行冥は何度も拭ってくれる。
その向けられる優しさが嬉しくて痛過ぎて、涙は止まりそうがなかった。
(「・・・ごめんなさい。
私はきっと、あなたを裏切ります」)
心中で何度も何度も、は謝った。
(「私は、私以外を守る為なら何だってする女ですから」)
その為なら、平気で嘘をつくし、平気で約束を破る。
本当に最低な人間なんだ。
こんな私に口付けを交わしてくれてありがとございました。
(「言葉にしなくて、ありがとうございます・・・そして、ごめんなさい」)
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2021.05.02