晩冬。
月明かりさえ隠された山裾の中腹で互いに背を預けたままだった両者は、探っていた気配がなかったことで警戒を解いていた。
「任務は終わりましたけど流石に冷えますね」
「うむ!真冬にこんな山奥の任務では致し方ないがこれも鍛錬と思えば何のことはない!」
熱血でらしいセリフだな、と思いながらは日輪刀を鞘へと収めた。
周囲を見渡せば、しんしんと静かに雪が積るだけ。
先程までの戦いの跡すらゆっくりと消し去っていく。
生き物の気配が絶えた景色に、まるで自分だけ別の世界に放り込まれたような錯覚が起こる。
静寂すぎて耳が痛くなりそうだ。
(「・・・なんか寒いな」)
「
!」
「!?」
突然、目の前に出てきた杏寿郎に我に返ったは驚き思わず身を引いた。
その反応を不思議に思ったのか、杏寿郎は怪訝な表情を浮かべる。
「大丈夫か?先ほどから呼んでいたのだが」
「え・・・す、すみません!ちょっと寒くてボーッとしていたようです」
「ならば追加の任務もない。藤の家で休憩していくか!」
「そうですね」
寒気が走る身体をさすりながらは杏寿郎と共に、雪深い山道を下ることとなった。
ーー鈍感ーー
(「やっぱりおかしい・・・」)
藤の家に到着し報告書を書くため、杏寿郎に先に湯を勧めたは握っていた筆を置いた。
指がかじかみすぎてうまく文字が書けない。
いつもなら報告書など短時間で終わるのに、考えもまとまらず相変わらず悪寒が続く。
(「寒さには強い方だったはずだし・・・感冒の前兆にしては少し妙ーー」)
ーースパーンッ!ーー
「
!湯が空いたぞ!」
騒がしい声にの驚き顔が返される。
本日すでに2度目だ。
そこまで気を緩めていたわけではないのに、どういうことなのか。
そんなの心情を知らない杏寿郎は首を傾げた。
「どうかしたか?」
「・・・いえ、なんでもありません。では私も湯を借りてきますね」
なんとか笑みを返したは杏寿郎の横を通り過ぎ、襖を後手で閉じると雪が降る庭を見下ろし小さく息を吐いた。
(「煉獄さんが近付いてくるのにも気付けないほどって・・・」)
本当に重症かもしれない(悪気なし)、と意気消沈したはさらに冷えたような気がする身体をさすりながら湯殿へと向かった。
しばらくして体が温まったからか、少し気分を持ち直したは部屋に続く廊下を足取り軽く戻っていた。
今なら書きかけの報告書も手早く終わる気がする。
さっさと終わらせて寝てしまおう、と襖を開けた。
「戻ったか!」
誰もいないはずの部屋から飛び出してきた出迎えの言葉には固まった。
素早く室内に目を配せれば、掛けてある羽織は自分のもの、その下に置いてある日輪刀も間違いなく自分のもの。
であれば、ここは間違いなく自分にあてがわれた部屋だ。
「え、と・・・煉獄さん。部屋に戻られたのではなかったんですか?」
「うむ、珍しくお前の報告書が書きかけなのが見えてな。
先に湯を貰った礼に済ませておいた!」
「それは・・・わざわざすみません」
文机の上は綺麗に片付けられていた。
どうやら鴉にも持たせ済みのようだ。
つくづく自分の至らなさに恐縮したは、硯の上に置かれた自身の筆を片付けようと杏寿郎に近付いた。
「お手間をおかけしました。煉獄さんもお休ーー」
ーーカクンッーー
ーーボスッーー
しかし、足がもつれたは杏寿郎に飛び込むようにその身が倒れた。
「・・・」
「・・・」
何が起きた?
「・・・」
「・・・え、すみません」
普段の動じない彼には珍しい戸惑う声。
自身も返事を返すのが精一杯だった。
かろうじて抱き留められた形だが混乱していて状況が飲み込めない。
平な畳でどこに足がもつれる要因があるんだ?
「重ねて、申し訳ありません。思った以上にーー」
ーーパシッーー
弁解をしつつ杏寿郎から離れようと突っ張った手首が素早く掴まれる。
炎柱の名を冠している人らしく、異様に熱い体温。
そして鋭い視線がに刺さった。
「どういう事だ?」
「はい?」
「湯を借りたはずだろう」
「はい、借りましたけど」
「ならどういう事だ?」
「・・・え、どうしたって言うんですか?」
「こんなに冷え切った身体になるまでどこにいた?」
怒りを見せる杏寿郎にはきょとんとしたままだった。
いや、外になんて行っていない。
が、しばらくして杏寿郎の言葉から答えに辿りついたは目を見開いた。
「あ・・・そうか、だから・・・」
「、俺の話をーー」
「ありがとうございます、煉獄さん」
怒りを見せていた杏寿郎には笑みを返した。
やり取りからは噛み合わない返答に、杏寿郎は眉根を寄せた。
「どういう意味だ?俺は身体を大事にしていない君を叱責しているつもりなんだが」
「あぁ、それもありがとうございます」
再度礼を述べたに疑問符を浮かべるしかない杏寿郎。
そんな男を尻目にふらふらと危なげな足取りで自身の隊服のところまで歩いたは懐を探る。
そして見つけた目的のものに手を伸ばした。
「それは・・・解毒薬か?」
「ええ。恐らく血鬼術だったんでしょう」
やっと合点が付いた。
自分の症状は気のせいじゃなく、血鬼術による低体温症の可能性が高い。
ならば、解毒薬で少しは改善の見込みがある。
「ご心配、ありがとうございました。
自身の不甲斐なさは痛感してますので、回復したら鍛錬のお相手お願いします」
「・・・」
「もう遅いので煉獄さんもお部屋に戻ってお休みください」
「大丈夫なのか?」
「はい、手持ちの解毒薬か効けば少しはマシになるはずですから大丈夫ですよ」
「・・・分かった」
「ありがーーうわっ!」
敷かれた布団に手を伸ばそうとした時、身体が後ろに引かれた。
軽い衝撃に驚き、振り返ればそこに居たのは炎柱その人。
「れ、煉獄さん!?」
「ならば、薬が効くまで俺が君の暖になろう!」
杏寿郎の言葉には気が遠くなりかけた。
「・・・いやいやいやいやいやいや、大丈夫ですから、部屋にお戻りください」
「問題無い。気にするな」
(「無茶言わないで」)
柱を暖にするって、どれだけ図太い神経の持ち主だ。
自分には無理だ、だから丁重にお断りをするも暖簾に腕押しの押し問答。
虚しい抵抗に終わったの方が折れ、仕方なく杏寿郎に抱き抱えられる形となった。
「寒くないか?」
「・・・はい」
とはいえ、気が休まらないのが正直なところだが。
でも解毒薬のおかげもあって、徐々に身体の震えは収まってきていた。
「煉獄さんは、いつでも温かくて・・・本当に太陽のような方ですね」
「太陽か!それは光栄だな!」
深夜であるためいつもより声の量は小さめながらも、相変わらず底抜けに明るい声。
凍える身体は否応なしに昔のことと重なり、はポツリとこぼした。
「親子揃って私の事を救ってくださって・・・私はもっと精進しないといけませんね」
「親子揃って?」
呟きを拾われたことで、は我に返った。
が、今更取り消せるはずもなく、気配から続きを待つのが分かった。
「・・・そういえばお話しした事ありませんでしたね」
薬が効くまでの時間潰しには語った。
生家が鬼の襲撃を受け前炎柱に命を救われた事、その後、親戚に預けられたがまた鬼に襲われ岩柱に助けられ鬼殺隊に入った事。
現時点で話せることをざっくりと話し終えると、返されたのは感心したような声。
「そうか、の強さは幼少からの鍛錬の賜物だったか」
「まぁ・・・そうとも言いますね」
突っ込まれたくなくて言葉を濁す。
傍目に見れば、彼の中では代々続いてきた煉獄家と自分は同じような生い立ちに見えるだろうが、これ以上詳しい話をするつもりはなかった。
暗い記憶に囚われそうになり、再び震えが走りそうになった。
その時、
「」
「はい?」
「君は思った以上に小柄だったんだな」
「そうですか?標準だと思いますが」
「いやそのような意味ではなくてだな」
「?」
「何度か任務を共にした際は、大きく見えた」
「そう、ですか」
これはどう返せばいいんだ?
戸惑いを隠しきれないまま応じれば、今度は自身の右手を彼の左手が取った。
手の平を合わせれば、自分より一回り大きな熱い手。
「思った以上に手も小さい」
「そんなことないですよ、蜜璃さんと同じくらいだと思いますし」
「そうか」
「それに男女の差もありますから、当然で・・・」
小さく笑いながら振り返れば、思った以上に近いところにあった顔。
下手をすれば肌触れそうな距離。
そして、今更ながらどちらも寝巻き姿の上、深夜である上に、一つの布団を巻いて引っ付いている現状。
いくら血鬼術を喰らった薬が効くまでとはいえ、これは大変よろしくないだろう。
「って、すみません!もう大丈夫なので、煉獄さんはお休みに」
慌てたが離れようとしたが、腰に回された腕で強制的に戻された。
「れ、煉獄さん?」
「うむ、気にするな」
「き、気にしますよ!妙な噂が立ってはご迷惑がかかります!」
「うむ、気にするな」
「だから・・・」
げんなりとするは何とか離れてくれる口実を探す。
「ほ、ほら、ちゃんとお休みになられないと任務に響きますよ」
「ここまで暖かくなると離れ難いな」
「は、離れ難いって///」
素直にそういうことを言われると反応に困る。
薄暗さが幸いして、赤くなっている顔は見えないだろうが。
寒い時期は人肌恋しいと言うが、今回のコレは自分の失態によるものだ。
だというのに立場上、上官を暖にしている上に、親しい仲でもないのに果たしてこの身体の寄せ合いは背徳感というか・・・
(「心臓に悪い・・・」)
いつもより煩い鼓動はなかなか収まらない。
こういうことに事欠かない某・派手柱ならまだしも、自分には免疫がほとんど無い。
こんな時、どんな事を考えどう言えばいいんだ?
一人悶々としているの横顔を後ろから見下ろしていた杏寿郎は、閃いたとばかりに口を開いた。
「」
「な、なんでしょうか?」
「妙な噂にならない方法がある」
「はい?」
何を言っているんだこの人は?
単に離れてくれれば良いだけの話なんだが。
疑問符しか浮かべられないは、先程の二の舞にならないよう杏寿郎の顔から離れるようにして振り返る。
しかし、腰元を固定されててはロクな距離を取れない。
「煉獄家に輿入しないか?」
「・・・・・・はい?」
今まで以上に抜けた声が上がる。
どうして今までの流れで、そんな方向に話が持っていかれてしまうんだ?
「よもや即答か!喜ばしいな!」
嬉しげな杏寿郎の言葉に呆気に取られる。
が、一拍置いて自分の発した言葉の意味を理解したの顔に再び熱が集まった。
「え、ちが!ちょっと話の展開が急すぎるのですが」
「うむ。詳しい話はおいおい詰めるとするか!」
「煉獄さん、本当に待って、というか少し落ちついてください」
「問題ない!俺はいつでも冷静だ!」
「いやいやいやいやいや、絶対冷静じゃないですから!」
炎柱の策略に落ちたヒロイン
>後日談
「さて、父上に紹介しに行くか」
「・・・いや、絶対無理です。私を殺す気ですか?」
「わははは、何を言う。嫁の紹介で刃傷沙汰になるものか」
「私と槇寿郎様とではそうなるんですってば!」
「なんと、すでに互いに鍛錬を交わす仲だったのか。それなら話が早い!」
「お願い誰か助けて!」
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2021.4.29