「・・・」

昔から雨音は嫌いじゃなかった。
嫌いなのは白で覆われる深い霧。
手を伸ばしても何も掴めず、揺蕩う中から何かが出てくる度に想いを馳せてしまう。
それは自分が願いどうしても求めてしまう姿で・・・





















































































































ーー嫌いなものーー























































































































古寺の軒下で雨宿りして早30分。
雨はまだ止む気配はない。

「・・・」

耳に届く地面を打つ水音。
古びた木造の壁に頭を預けたまま、叶うならずっと聞いていたい音を聞き流しながらぼんやりと景色を見る。
だが、雨脚でできた水飛沫は周囲の景色を徐々に霞にかけていくことが酷く落ち着かない。

「・・・っ」

嫌でも思い出す。
家族だったものが皆殺しにされたその日。
前日の鍛錬の失敗で、気を失うほど木刀で叩かれ目を覚ますとすでに翌日で。
いつもなら起きるのが遅ければ酷く叱られたが、その日は異様に静かだった。
転がされていた地下から恐る恐る、屋敷へと階段を上がってみれば深い朝霧の中にたくさん転がる影。
肌に纏わり付く脂味のような気持ち悪い感触、鼻を突く鉄臭。
至る所にある染みと、身内ではない者らの死体。
霧が晴れたらまたその悪夢が見えそうで体が竦む気がした。

(「・・・寒い」)
?」

無意識に膝を引き寄せた時、かかった声に首を巡らせた。
そこには驚き顔の音柱。
今の気分で会うには最悪な人だった。

「・・・どうも」
「なんだその地味な反応は?
祭りの神と会えてんだ、もっとド派手に喜びやがれ」

上体を逸らし豪語する上官。
相変わらず我が道を行く人だとつくづく思う。
とはいえ、あしらうにしても今は間が悪過ぎだ。

「宇髄さん」
「お?」
「雨音聞いてたいので静かにして下さい」
「・・・は?」

あ、選ぶ言葉を間違えたな。
とはいえ訂正する気分でもなかった。
ふい、と視線を目の前に戻したに当然ながら距離を詰めてきた天元の機嫌はよろしくない。

「神に注文たぁ良い度胸だな」
「・・・すみません」
「お前な・・・そういうのは謝る相手の顔見て言えや」

の顎を取り強制的に自分に顔を向けさせた天元の紅紫の瞳が細められる。
間近で見つめ合う形になるが、特には表情を変えない。

「すみませんでした」
「・・・この距離でもっと違う反応しねぇか?」
「宇髄さんの顔が整ってるのは前から知ってますよ」
「その割にお前はいつも顔変えねぇよな」
「宇髄さんのご希望に添えないとは申し訳ないです」
「お前な・・・」

ひくりと天元の口元が攣る。
普段より刺のある言葉はこちらを挑発するには十分。
面白くないのと向けられた澄まし顔を変えてやろうという悪戯心で天元は少ない距離を一気に無くした。
が纏う瑞香が香る。
抵抗を見せない唇を無遠慮に奪う。
相手の身体が僅かに跳ねるのをいい気味だとばかりに、歯列を割り逃げる舌を絡めとる。
暫くして間違いなく表情を変えたであろう相手に向け、天元はニヤリ顔を返した。

「どうだ、少しはーー」

しかし、予想に反して天元の言葉は続かなかった。
見つめ返されたのは、先ほどより視線鋭く怒りを見せていただった。

「・・・お巫山戯が過ぎると思います」
「・・・」
「仮にも妻帯者が、不用意に他人と唇重ねて楽しいですか?」
「お前、もしかして初めてか」
「宇髄さんには関係ないですよ」
ーーパシッーー

捕らえられていた天元の手を弾いたは再び視線を元に戻す。
先ほどより雨脚は強くなり、まだこの場に留まらなければいけないことに余計に気が滅入った。

「あー、その、なんだ・・・悪かった」
「反省は沈黙でお願いします」
「・・・」

ピシャリと返され、天元は何も言えずに押し黙った。
静かになったことではようやく小さく息を吐いた。
辺りはますます霞が深くなる。
押し寄せる不安に身体が震えるようで、身を縮めるようには抱えた膝に額を乗せた。

(「なんでこんなに不安なんだろ・・・」)

早く。
いつもの自分に戻らなければ。
鬼殺隊隊士であるに。
鬼を狩り、一般人を守り、隣の音柱の軽口をあしらえるいつもの自分に。
柱に次ぐと称される実力を振い続けなければ。
過去の傷に足を竦ませている暇はない。
自分は進まねばならない。
罪を清算しなければ、失われた数多くの人生を奪ってしまった手向はそれしかないのだから。

(「・・・早く戻らーー」)
「おい!」

その時。
力尽くで肩が起こされた。
一瞬、視界が眩み顔をしかめるが、それが収まれば隣にいたはずの天元がこちらに困惑した視線を向けていた。

「・・・なんですか」
「お前、大丈夫か?」
「大丈夫ですけど?」
「それで大丈夫かよ」
「それ・・・?」

指摘の意味が分からず首を傾げる。
その様子に天元の手がの頬に伸びた。

「これだけド派手に泣いてて大丈夫なワケねぇだろ」

その言葉にようやく自分が泣いていた事に気付いた。
その理由が自分でも分からず、は困惑したまま溢れる涙を拭うしかできない。

「・・・なん、で」
「・・・」
「すみ、ませ・・・放っておけば、そのうちーー」
ーーポスッーー

途切れる言葉は力強い腕で引き寄せられた事で続かなかった。

「ちょ、離しーー」
「出るもんは派手に出しちまえ。
これでもお前の事は買ってんだ、胸貸すくらいこの神なら楽勝だ」
「大げさですって、もう大丈ーー」
「お前が自分に言う大丈夫は大丈夫じゃねぇんだよ!ったく、少しは自覚しろ」
「・・・」
「お前が何にビビってるかは知らねぇ。
言いたくもねぇのを根掘り葉掘り聞く気もねぇしな」

こちらの顔を見る事なく語られる天元の言葉にはようやく心当たりに思い至った。
ああ、そうか。

「・・・怖かった」

そうか、怖かったのか。

「怖かったんです」
「は?」
「・・・霞が晴れたら、またあの光景が広がっているかもしれないことが・・・」
「どんなだよ」
「・・・」

天元の問いには答えなかった。
涙を流した理由が分かったからか、人の体温に安心したのか、先ほどまで止まらなかった涙は嘘のように止まっていた。

「はぁ・・・」
「どうした?」
「いえ、すみません。お見苦しい姿を見せました」

まるで何事も無かったようにそう言っては目の前にあった鍛えられた胸板を押し天元から離れた。

「もう大丈夫なのか」
「ええ」
「呆気なかったな」
「泣き喚く歳でもありませんから」
「ま、お前の泣き顔なんざ初めて見たけどな」
「そうですね、私も自分の事で泣いたのは鬼殺隊に入って初めてかもしれません」
「・・・は?」
「そう言えば宇髄さんはどうしてこんな古寺に雨宿りされたんですか?」

はぐらかされたことに天元は問い返そうとしたが、いつも通りに振る舞おうとするの姿にそれを諦めた。

「この近くに秘湯があるって話聞いてな、任務帰りに探してたんだよ」
「そうですか」
「そう言うお前は?」
「近くの山に潜んでいた鬼を狩った帰りです」
「ほー。
そーいや、この近くにお前が挿してる花がド派手に咲いてる場所があるって聞いたぞ」
「こんな所にですか?
確かに花を煎じた汁には薬効もありますから育てる理由にはなりますけど、こんな場所でそんなに多く咲いてるのは珍しいですね」

何よりこの花は人里にあればこそすれ、野生で増えるのは稀だ。
だが、稀だという理由だけで片付けるのは少々気になった。

「では、胸をお借りしたお礼にその場所は私が探しますよ」
「・・・どういう風の吹き回しだ?」
「言葉通りです。
宇髄さんはまだ秘湯見つけてないんでしょう?
なら秘湯帰りの物見場所くらい探しますよ」
「おう、そうか・・・」

やや身を引く天元だが、それを指摘することなくは雨音が小さくなった空を見上げた。

「やっと雨が上がるみたいだな」
「・・・そうですね」












































































































天元と別れたは風向きが変わった事で届いた香りを頼りに森の中を歩いていた。
季節的にもちょうど開花の時期。
場所を探す目印には分かりやすい。

(「こっちから・・・」)

香りを頼りに足を進める。
進めるにつれ何故か既視感を感じる事に妙な胸騒ぎを覚えた。
古寺で雨宿りしてからというもの、何故か昔の思い出を思い返すのも違和感があった。
今日までそこまで思い返すこともなかったのに、ここに来て何故なんだ。
考えながら歩いていれば、視界が開けた。
目の前を埋め尽くしたのは沈丁花の濃い香りと白と紅紫の花弁。

「!!!」

一面に広がる光景に息を呑んだのではない。
その奥に見えた朽ちた屋敷跡。
たった一度だけ屋敷を抜け出した時に振り返った記憶と重なる。
震える足を屋敷に進める。
まさか、そんなはずはないだろ。
過去の記憶を打ち消しながら、低木の花々を蹴散らしながら走る。
そして歪んだ扉を押し開く。
飛び込んで来たのは荒れ放題の廃屋、室内に見える黒ずんだ染み。
こんな偶然があるのか。
は乾いた笑いを上げ、手近な壁にずるずると寄り掛かった。

「・・・今になって思い出したのはこう言うわけ・・・」

こんな事が有り得るのか。
生家だ。
ここは自分の生家だ。
10にも満たない間過ごした暗い思い出しかない家。
何度地面に転がされ、何度屋敷地下に閉じ込められたか。
思い入れなどない、ただ日々課せられた事を完璧にこなす事を求められただけの場所。

「やっぱり嫌いだな・・・」

改めて思う。
全てを失ったはずの場所。
世間的に言う両親、兄弟姉妹、身内。
それらが奪われたはずの場所。
普通なら感慨深く泣くだろうか。
でもそんなもの出もしなかった。
それほど思い入れが薄い。

「・・・嫌いだ」

ここは戻ってくるつもりなどない場所だ。
自分の道は鬼を狩り尽くした先にあるのだから。
はそれだけ呟くと来た道を戻り出しだ。
が、思い直したように屋敷の縁側へと進んだ。
もう記憶に薄かったが、年数が経過しても黒ずみだけは残っていた。
誰とも分からないが命が失われた染み。
ある意味でこの染みも運命を捻じ曲げられた。
過去の因果に巻き込んでしまった事を詫びるように、は近くの沈丁花を手折りその場に手向けると、今度こそその場から歩き去った。
そして古寺に戻ったは天元宛に手紙をしたためる。
探してるだろう秘湯の場所、沈丁花の場所も書き加えると、鴉に後を託した。












































































































(「やっぱねぇな・・・」)

秘湯の場所を音で探るがそれらしい音は聞こえてこない。
担がれたか、と思った時、遠くから響く羽音。
その足には手紙が巻かれていた。

「おー、なんだ手紙・・・から?」

先ほど別れたばかりだというのに何で手紙なんだと思いながらも目を通す。
仄かに香る瑞香の紙片に走る流れる文字。
それには秘湯の場所と花の場所が書かれていた。

「なんであいつが秘湯の場所まで・・・ん?」



『宇髄さんの事、内心嫌ってたみたいですけどそうでもなかったみたいです。
ありがとうございました』



「・・・あんの女、わざわざ手紙で人の悪口たぁ良い度胸だ。
次会ったら派手に泣かしてやらぁ!」
「くしゅ!・・・風邪ひいたかな?」























































嫌いなものに関連してた色を持ってた宇髄を無意識下で苦手意識だったけどその理由が分かったからもうそんな事はなくなったよという意味で書いたけど、本人には届いてないみたいな

>おまけ
「よぉ、久しぶりだな
「はい、ご無沙ーー痛い痛い痛い!いきなり何するんですか!
少しはご自身の握力を考えて人の頭掴んで下さい」
「喧嘩売ったのはてめぇだ。ド派手に買ってやらあ!」
「は?意味不明ですよ」





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2020.5.16