山奥の古寺。
満月が中天にかかる宵の刻に、冷たい光に照らされた自身の影が映る。
日中とは違う生きる気配が失せた夜の景色。
そして対峙しているモノは夜の住人。
両手を血に染め、厭らしく歪んだ口元でこちらに余裕の笑みを浮かべている。
ギリッっと奥歯を噛み締め、は呼吸を深くし腰を落とした。

「雨の呼吸、捌之型・・・山茶花ーー」
ーードッーー
「ぐっ・・・」
『手こずらせおって、人間風情が』

斬撃が入る直前、鋭い蹴りが脇腹にめり込む。
鈍い音が上がり壁に身体が叩き付けられる。
肺から空気が締め出され、一瞬意識が飛ぶ。
そのまま地面に伏すかと思ったが、その前に鬼に左腕を掴まれた。

『どう殺してやろうか』

下弦ノ陸と刻まれた目玉が面白そうに細められる。
ああ、死ぬのか。
左肩が外れている。それより重傷なのは両脇腹の斬撃か。
出血が止まらず視界がどんどん霞んでいっているのが分かった。
左腕を掴まれ宙吊りの今、勝機など・・・

「・・・」
『なんだ?もう死んだか?』
「・・・ふっ」
『気が触れたか、それも道理』
「ええ・・・死ねれば、楽でしょうよ」

嘲笑するようには鬼に笑い返す。
ずっと望んでいた。
だがそれを目の前にして、自分はなんの目的も達していないことに気付く。
死ねるはずがない。
だって自分は何も果たしてない。
目的を達していない自分が、どうしてここで死を望む資格があるというのか。
まだ右手には刀を持っている。
四肢も揃ってるならまだ戦える。
こんな状況で諦めを見せない態度が気に食わなかったのだろう。
鬼はつまらなそうに鼻を鳴らした。

『抗うか。何もできぬクズが』
「・・・さぁ、どうかしら」
ーードサッーー
『気に食わん。もう良いわ、まずはそのハラワタから食ってやろう』
ーーガッーー
『!』

鋭い鬼の爪は腹ではなく地面を抉った。
寸前で身を返したはどうにか鬼と距離を取った。

『ほぅ、その傷でまだ動けるか』
「・・・っ」
『だが立っているのがやっとだろう。
案ずるな、すぐに楽にしてやろう』

残忍な笑みを浮かべる鬼に、ふらつく身体ではどうにか構える。
まだ激痛が残る左肩だが、地面に落ちた衝撃で辛うじて関節が入った。
握力を確かめるように鞘を握る。
動く・・・これなら一度はあの技が使える。
は全ての痛みを堪え、深く息を吸った。

(「雨の呼吸、捌之型ーー」)

足に力を込める。
そして、鬼が射程距離に入った事で地を蹴った。

「山茶花梅雨!」
ーーガツッーー
『貴様のその技はもうーー』
ーーザンッ!ーー
『!?』

鬼の腕が斬り飛ばされた。
怒りの形相の鬼には刀に付いた鬼の血を振り払う。

『グゥ、何故だ。貴様の刀は一本のはず』
「・・・」

何も言わず、は手にしていた鞘を手放した。
初撃は鞘による陽動。
向こうに油断があったから功を奏した一度きりの好機。
これを逃すつもりはない。
は深く腰を沈めると再び地を蹴った。

「雨の呼吸、漆之型ーー」

「ーー洒涙雨!」

身体の回転も利用し、自身の持つ型の中で最強威の技で鬼の頸を跳ねた。
振り絞った渾身の力を使い果たし、は受け身も取れず地面に落ちた。

ーードサッーー
「かはっ!」
『グゾォ!貴様!鬼狩りィ!ただでは死なぬ!貴様も道連れだっ!!』
ーードッーー
「ぐっ!!」


残った鬼の身体がの腹を踏み付けた。
そして蹴り飛ばされ、近くの壁に叩きつけられる。
まだ鬼の頭は消えていない。
どうにか反撃の体勢を取ろうと上体を起こそうとする。
が、

ーードシッ!ーー
「あ"あ"っ!!」

外れた左肩を踏みつけられ、骨が砕けた音が響く。
意識が飛びそうな激痛の中、力の入らない右手で剣を振るう。
それは鬼の腹に刺さるが斬り飛ばす力はもう残ってなかった。

「はっ、はっ、はっ、はっ・・・」

呼吸が乱れ、浅くしか息が吸えない。
もう少し、もう少し、もう少しだけ・・・
頸は落としたんだ。
だから後は時間がくれば消えるはずだ。
それまで耐えーー

ーーザンッ!ーー
「ぐっ!!」

残っていた鬼の片腕、鋭い爪がの身体を袈裟懸けに切り付けた。
すでにボロボロな隊服に阻む力は残されておらず、鮮血が飛ぶ。
まだ血が出るのかと、頭の端で考えながらかろうじて握っていた柄を回した。
そして、欠片の力を絞り刀の背に右足を叩き付けた。

ーーパサッーー

体幹の半分を斬られ、重さもなく鬼の身体は地面に伏して灰へと消えていく。
終わった。
倒したんだ。
やっと終わった。
そう思った時だった。

『なぁんだ、虫の息の人間がいるぞ』
(「まだ残っていたのか・・・」)

膜が覆われたような耳に近付く音が響く。
霞む視界に見えたのは複数。
もう戦える状態じゃない。
これは本気で年貢の納め時か。
呆気ないものだな、と自嘲が浮かんだ。

『女の肉だ、柔らかくてうまーー』
ーーゴオッ!ーー

その時。
視界を紅蓮色が満たした。
共食いが始まったのかと、ゆるゆると顔を上げる。
と、目の前に誰かが立った。

「よし!まだ息があるな!」
(「・・・誰?」)
「煉獄、彼女の手当てを任せる。残りは私が引き受けよう」
(「この、声・・・悲鳴嶼、さん・・・」)
「承知した!」

安心できる声とやけに大きな声。
救援だ、と頭で理解した時、の意識はついに闇に沈んだ。



















































































































ーー見えざる呪縛ーー




















































































































「・・・」

次に目を覚めた時、そこは見慣れない天井だった。

(「・・・生きてる」)

消毒薬の匂いはするが、病院の感じではない。
近くの藤の家か。
そう当たりをつけたは深く息を吐いた。
瞬間、鋭い痛みが走る。

(「・・・肋骨、腹部損傷、左肩重度骨折、出血過多による貧血、この辺りが重傷か。
発熱してるようだけど、これだけ判断できるなら頭は大丈夫かな。
他の裂傷は起きてからじゃないとーー」)
「目が覚めたか」

聞き覚えのある声。
ゆっくり首を巡らせれば、行冥が布団の横に腰を下ろしていた。

「・・・ひめ、じーー」
「無理をするな」
「鬼、は・・・」

間髪入れない問いに、行冥は困ったように嘆息した。

、お主は今日まで5日間、意識不明だったのだ」
「・・・」
「仕方ない・・・ひとまず先の任務後の経緯を話そう。
お前が倒した以外の鬼は私が全て掃討した。
重傷だったお前は近くのこの藤の家で治療を受けた」
「怪我人は?」
「お主だけだ」
「・・・そう、ですか」

良かった。
その事実を耳にできた事で、今まで緊張していたような身体が緩んだ気がした。
のそんな姿に、行冥は静かに続けた。

「任務に忠実なのは良い心掛けだが、己を顧みない無茶は感心せんな。
まずはゆっくりと養生をーー」
「・・・ですから」
「?」
「誰かが、傷付くのは・・・ダメです。
私の所為で・・・これいじょ、代わりにわた、が・・・いくら、でも・・・」

まるで熱に浮かされるように、途切れながら呟きながらの意識は再び落ちた。

「因果なものだ」

熱があるの額の手拭を替えた行冥は悲しげに呟く。
救援の到着はギリギリだった。
街道の関所に他の負傷者はなく、恐らく一般人を逃しながらの戦いだったのだろう。
身体の前も後ろも傷が深いと医者が言っていた。
本来の任務は関所を超えた先の漁村だったらしい。
だが、恐らく何かしらの情報を掴んでの討伐だったのだろうが、不運な巡り合わせとしか言いようがない。
階級は辛だったか。
入隊して1年、無茶が過ぎる任務の進め方だと聞いていたがどうやら本当らしい。
詳細な報告を聞くにはもうしばらく時間がかかりそうだ。
とはいえ、鬼は退治できた。

「良くやったな、










































































































翌日。
目を覚ましたは、まだ熱に浮かされているような状態ながらも前日よりは意識がはっきりしていた。

(「確か・・・悲鳴嶼さんが来て、任務は終わったって言ってて、怒られたんだっけ。
本当は漁村の任務だったのに・・・あ、それに報告まだしてーー」)
ーーバサッバサッーー

ぐるぐると考えていた時、羽音が響き自身の鴉が枕元へとやって来た。
ざっと見る限り、いつも通りのようだ。

「縹、怪我が無いようで良かったです。それと救援の報せありがとうございました」
『無様ダナ!鍛錬不足ト岩柱ガ言ッテイタゾ!』
「知ってますよ。それで漁村の任務は代わりに誰か行きましたか?」
『見タコトネェ派手ナ奴ガ終ワラセタゾ!』
「そう・・・後でその人にお礼言わないと」
『来タゾ』
「来た?誰ーー」
ーースパーーーンッ!ーー
「目が覚めたそうだな!」

怪我人にはよろしくない声量で襖が勢いよく開けられた。
まるで炎を形作ったような髪、見開かれた目。
意識を失う前に見た人だと直感的に分かった。

「うむ!元気そうだな!」
「はぁ、まぁこんな状態ですが」
「命あるだけ僥倖だ!よもやあの傷で意識を取り戻すとは驚きだ!」

豪快な笑いには目を瞬く。
年頃は自分に近いか。
だが、歳が近くともこの鬼殺隊では階級は比例しない。
何より初対面だ。

「あの、このような格好で申し訳ありません。一応はじめましてですよね。
と申します」
「これは失礼した。煉獄杏寿郎だ!」
(「煉獄・・・ということは、この人が炎柱の継子」)

数度見かけたことがある。
忘れたくてもなかなかできない印象的な髪。
縁者だったのかと思いながら、鴉から聞いた人物はこの人だろうとは口を開いた。

「あの、煉獄さん。
私が行くはずだった漁村の任務を片付けていただいたと聞きました。
ありがとうございました」
「気にする事はない!君は療養に専念したまえ!」
「は、はい。ありがとうございます」
「うむ。その状態では筆を執るにも時間がかかるだろう。先の任務の報告を聞いておこう!」
「はい、助かります。実はーー」

関所の手前にあった村で聞いた噂を確かめるため古寺に向かったこと。
鬼に攫われていた村人を逃していたところに鬼が現れたこと。
そして、数匹の鬼を狩った後に現れたのが、下弦ノ陸だったこと。

「なるほど。下弦ノ陸が相手だったか!」
「はい、格下の鬼を使って近隣の村人を攫っていたようです」
「委細承知した、では俺はこれで失礼する!」

すくっと立ち上がった杏寿郎にはその羽織の端を掴んだ。

「あの・・・」
「む?」
「煉獄さんは今から任務でしょうか?」
「いや、本部に帰還する予定だ」
「でしたら私も連れて行っていただけませんか?」
「まだ起き上がるのもできないなら無理だ!諦めろ!」

スパーンと両断される。
本当に裏がない人だ。
妙な気遣いがないだけ逆に気が楽だが。

「では、隠の方にご伝言で構いません。
本部ならここより薬も揃ってますから、早期に復帰できます」

横に伏したままにもかかわらず、は力強い眼差しで杏寿郎を見上げた。

「私を早く戦線に戻して下さい」
「・・・」

爛々と光る瞳は一つ間違えれば危うさも秘める。
肌に刺さるような鋭い空気。
このまま残れと伝えても、無理をしてでも自力で動きそうなに杏寿郎は暫し考え込んだ。

「うーむ・・・仕方ない」
「じゃあーー」
「俺が背負って連れて行こう!」
「・・・え?」

いや、確かに連れて行って欲しいとは言ったが。
言ったけど!
その後、隠に連絡してくれって言ったし。
それがどうしてわざわざ背負って連れて行くことになるんだ。

「いやしかし、君は左肩と肋が折れていたな。
それでは背負われるのは無理か!」
「はい、なので隠の方にーー」
「よし!では抱えて行こう!」
「か!?」

待て待て待て待て待て。
勘弁してくれ。
いくら負傷しているとはいえ、羞恥で死ねる。
というか隠に連絡してくれって言ったの忘れてるのか?

「あの、煉獄さん。抱えなくて良いです、隠の方にーー」
「では向かおう!羽織りと刀はこれだな」
「ちょ、煉ーー」
「よし!ではこの屋敷の者に挨拶をして向かうか!」

人の話を聞けよ!
という間もなく軽々抱き抱えられ、そのままの格好で世話になった藤の家の者らに挨拶をし本当にそのまま外へと出てしまった。
颯爽と歩き出す杏寿郎に、まだ病み上がりであるは抗議もできない。

「傷に響かないか!?」
「は、はい。大丈夫です」
「そうか!それにしては顔が赤い。熱が上がったか!?」
「はははー、まぁそうですね」
(「あなたの所為なんですけどね!」)

去り際の含みある温い視線。
訂正したくても杏寿郎の大き過ぎる声でタイミングすら逃してしまった。
もう羞恥すら感じるのが面倒になってきた。

「あの、煉獄さん。やはり私も歩きます」
「熱もあるのだ無理はするな。心配ない無事に送り届ける」
(「だからそういう問題じゃないんだってば」)
「いえそうではなくてですね・・・」
「む?他に何か問題か?」
「そ、その・・・重いじゃないですか」

顔を染め小さく呟くに、杏寿郎は一瞬間を置いた。
が、

「何だそんな事か!心配ない!君は米俵よりも随分軽いぞ!」
「・・・は、はぁ。どうも」

声量が間違えてる回答に、ついには思考を放棄した。
いつの間にか、自身を取り巻く危うく鋭い空気が和らいでいるのには気付かないまま。
































































>おまけ
(「ま、これは俗に言うお姫様抱っこで女子的には胸躍るトキメキ出来事なんだけど、この人相手だと単に米俵担いでるようなものなのね。というか、人を米俵で例えないで欲しいわ」)
「む?どうかしたか !」
「何でもないので少し声量に配慮お願いします」
「おっと、失礼した!」
(「だから・・・」)




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2020.5.2