狭霧山。
通年を通して霧深い山麓のそこに、軽い音と甘い香りが降り立った。
「ご無沙汰しておりました」
自身の到着は分かっていただろうその人に向け、が居住まいを正し頭を下げれば相手からも巌の声が返った。
「うむ、久しいな」
ーー心を解す言葉ーー
手短な挨拶もそこそこに、は薄暗い部屋へと通された。
この場に来た理由は一つ。
お館様宛の手紙の内容の真偽を確かめる為だ。
布団が敷かれたそこに、髪の長い少女が寝かされていた。
歳の頃は15ほどだろうか。
穏やかな寝顔は竹筒を咥えている以外、普通の子のそれと変わらない。
「この子がそうですか」
「ああ」
鱗滝の言葉を聞いたは、小さく断りを入れ少女の額に手を当てたり脈を取ったりしていく。
閉じられた瞼を確認すれば普通の人とは違う縦長の細い瞳孔。
どう見ても、人間ではない。
だが、鬼であれば睡眠を必要としないはず。
なのに彼女は眠り続けているという。
「眠って1年半との事ですが、人を襲っていないというのは本当ですか」
「ああ。目も離していないし全く血の匂いもしない」
「では食事は私達と同じものを?」
「いや、ずっと眠っているだけで水も飲んでおらん」
「そうですか・・・」
その答えに思案を深めた。
立てられる推測はいくつかある。
だが、どれも確定的ではなかった。
「どう見る?」
「・・・難しいです。このようなことは過去を見ても記録がないと思います。
せめて起きている状態の姿を見られたら多少は推測を立てられるのですが・・・」
顔をしかめるに、鱗滝はしばし記憶を手繰るように話し始めた。
「出会った時は、山向こうの古寺でな。
そこで雑魚鬼が旅人を食っていた現場を見た。だが禰豆子は死体に手を触れなかった」
「目の前にあったのにですか?」
「ああ」
「なるほど・・・」
「それと義勇からの文に、傷付き気を失った炭治郎を守る動作をし、義勇に襲いかかったと聞いた」
「襲いかかった?それは・・・」
「あいつは詳しいことは書いていなかったが・・・」
「推察の参考にはなりますね」
あの人の言葉というか、説明の足りなさは知っている。
守る動作をしたということは、相手がそうするに至ることを仕出かしていたのだろう。
だが、今までの記録通りなら鬼に変われば手近な人間をすぐに襲う。
そもそも守る動作をするとは思えない。
となれば、
「はっきり言えるのがこの子は他の鬼とは違うかなり特殊な例だということ。
そしてここからは推測です。
鱗滝さんのお話も参考にさせていただければ、血肉の代用として睡眠を取っている可能性があること。
しかし鬼である以上、いつ血肉を欲するかは分かりませんし、人を襲わないという確証もありません」
「・・・そうか」
「でも・・・」
そう言って、少し冷える少女の頬に手を触れたは呟いた。
「もし仮に、人を襲わないなら鬼殺隊として戦力となります。
それに鬼となって尚、自我を保っていられるのだとしたら、我々の目的の手掛かりの希望となるはずです」
鬼舞辻を倒す。
ただその為だけに、数えきれない程の血が流れた。
今のこの時まで悲しみと憎しみの負の連鎖がずっと絶ちきれなかった。
人間だけの力が無理なら、倒すべき敵の力を利用してでも目的を達することができるなら利用するまでだ。
「それでお館様がお前を派遣したか」
「ええ、繊細な報告でしたので。
鬼殺隊の本懐を考えれば他の柱が来られれば問答無用で斬首されるでしょうから」
「お前は、変わらぬな・・・」
鬼殺隊としての本分を理解しながらも、それだけに囚われることなくあらゆる可能性を柔軟に受け入れる。
その行動が現在の隊律違反になろうとも、目的のためであれば容易に自分を犠牲にする。
例えそれが己の決意や仲間の想いを裏切ることになったとしても。
「そんなことありません。
もっと強くなりたいと思っても無力さばかりを痛感しております。
先日の・・・・・・いえ、何でもありません」
言いかけたは口を噤む。
だが、元柱で鼻が利く人の前で隠し事は無理だろう。
こちらの心情を悟られた事で、は小さく息を吐いた。
それを見た鱗滝はしばし沈黙の後、腰を上げた。
「茶でも淹れよう」
「はい、ありがとうございます」
手土産の茶菓子をお茶請けにし、湯呑みを傾ける。
仄かな苦味と甘みが強張っていた体を解すようだった。
「新しい隊士を育てられていると伺ってますが」
「ああ、儂と同じで鼻が利く」
「そうですか。それは気を付けなければなりませんね」
「気を付ける?」
「人の感情を他の方に筒抜けなのは恥ずかしいんですよ?
鱗滝さんに何度あやされたことか・・・」
「お前は隠すのが上手いので苦労したがな」
「ええ、お陰様で磨きがかかりました。
ですのでその子が入隊したらせいぜい気を付けることとします」
「そうだな・・・」
吐息と共に物憂げに呟く鱗滝に、は一口お茶を運ぶ。
この育手がしばらく隊士を育てていなかった理由は知っていた。
人的損耗の激しい鬼殺隊において日々の任務は苛烈を極める。
だが、入隊前であれば育手の指導の下でそこまで命を落とすことは少ない。
ただし、それが鬼殺隊の入隊可否を決する最終戦別だけは例外となる。
そしてその例外において、しばらくの間この育手の門弟が最終戦別を突破したという話はない。
「あなたのお弟子さんなら、いつでもお相手します。私の手の届く範囲で助力を惜しみません。
なんて言っては不謹慎に聞こえるでしょうか」
「いや、心強い限りだ」
「とはいえ、冨岡さんの力には大してなっていないので、説得力はないんですけどね」
「あの子の言葉足らずは誰に似たのだろうな」
困ったように笑う鱗滝に、も同じように笑い返す。
口数がそこまで多くないのは間違いなく、師の影響だろう。
義勇の場合は天然も入って時折、大惨事を引き起こしているが。
思い出し笑いで、は落ちてきた髪を耳にかき上げる。
その指先に髪に挿された花が揺れた事で、今度は鱗滝が話を変えた。
「その花、まだ着けているのか」
「ええ。私が背負うものですから」
「ならその羽織りも・・・」
「実はお館様から賜りまして、大変有り難くてかえって心苦しいくらいです」
照れたように、困ったように笑いながらは羽織りの柄に手を触れる。
瑞香。
その花の意味は、不滅に不死。
一族の宿命果たすまで、その志を潰えさせることのないよう刻まれた呪い。
「でも、この羽織を脱ぐまでは立ち止まれないと、志新たにできました」
鬼殺隊で自身と、仲間と、鬼と。
ありとあらゆる血に濡れても尚、枯れる事を歩みを止める事を許さず、鬼舞辻を滅する為に咲き続ける無慈悲な花。
甘い香りは心を癒す為ではなく、言葉が消えても宿命を忘れさせない標。
その小柄な体躯が背負うには折れそうな重い宿命を負っていることを語らず。
香りが抱く正反対の性質をその身に宿しながら、その女は自分以外を救うためにいつも笑う。
「」
「はい?」
「儂は、瑞香は好ましいと思っている」
瑞香を愛でるように、憎しむように触れていたにかけられた言葉。
きょとんとするに構わず、鱗滝は続けた。
「春の訪れを香りで伝えてくれる。
お前が訪ねてくる時は春が訪れるようで心が弾む」
「・・・ありがとう、ございます」
思いがけない不意打ちの言葉に、尻すぼみに礼を述べたは今までにないくらい顔に熱が集まった気がしたそこを両手で隠した。
>おまけ
「どうかしたか?」
「・・・すみません、放っておいてください///」
「具合でも悪いのか?」
「め、面と向かってそんなこと言われるのは面映いんです!!」
「はっはっはっ、まだまだ若いな」
「///」
(「そんな優しい顔でイケメン発言されたら誰でも落ちますっ!!」)
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2020.4.18