ーー嬉し悩みーー
「あれ?あそこにいるのさんじゃね?」
「え?」
任務帰り、ばったり会った善逸の視線の先を炭治郎は辿る。
そこには反物屋の店先で年嵩の店員のお辞儀を背に歩き出す先輩隊士の姿があった。
「羽織りでも買うのかな?」
「今着てるのにか?」
「自分用とは限らないだろ」
「じゃあ・・・任務用だな」
この堅物デコぱちめが。
内心毒づいた善逸は引っ叩きたくなる衝動に駆られたが、隣から曇なきまなこを向けられあっという間に萎んだ。
とはいえ、邪推は膨らみ隊服とは違う和装で微笑みを浮かべながら楽しげに歩く姿を瞬時に妄想した善逸は深々と溜息を吐いた。
「はぁーあ、あんな美人が着物着ちゃった隣を歩けるなんて羨ましい野郎も居るもんだね・・・滅べ!」
「往来で騒ぐと迷惑だぞ、善逸。あ」
「あ?」
「さん、今度は小間物屋に入るのかな・・・」
店先の展示品を注視している様子と、届いてきた音に善逸は思わず呟いた。
「なんか凄く悩んでる音がする」
「そうなのか?じゃあ困ってるならオレ達が手伝おう!」
「は?」
「さーん!」
「うわっ!バカバカバカバカ!」
とんでもねぇ炭治郎だ!
後を付けてたのがバレたらどうするんだ。
善逸の制止も虚しく、こちらに気付いたは炭治郎ににっこりと笑いかける。
仕方なく炭治郎の隣まで進んだ善逸にも、同じような穏やかな笑みが返される。
「奇遇ですね、二人は任務帰りですか?」
「はい!今回は大きな怪我もなく済みました」
「ご無事で何よりです、善逸くんもお疲れ様でした」
「はいv」
幸せ、と目尻をこれ以上ないほど下げた、だらしない表情で善逸は返事を返す。
くねくねと体を気持ち悪くうねらせている善逸を、害虫でも見るような視線を向けていた炭治郎はくるりとに向いた。
「所で、何をそんなに悩んでるんですか?」
「ん?」
「反物屋からこの店先でも悩んでるとぜーー」
「わー!バッカ野郎!」
ーーゴンッーー
「いて」
幸福顔から一転、眦を釣り上げた善逸は炭治郎の後頭部を殴ると共に襟元を掴んで揺さぶった。
「善逸、突然叩くのは良くない」
「良くないのはお前の発言じゃ!」
「何を言っているんだ善逸?大丈夫か?」
「お前に言われたかねーよ!これじゃあオレ達がずっと
さんの後を付けてたみたいじゃねぇか!」
そこまで言って善逸と炭治郎は固まった。
「「あ」」
「ぶっ!」
しかし予想に反し、吹き出したは必死に笑いを堪えようと片手で口元を隠していた。
ひとしきり笑い終えたは、固まる新人隊士二人に謝りながら目尻に滲んだ涙を拭った。
「あー、ごめんなさい。
大丈夫ですよ、反物屋さんから君達が尾けてたのは気付いてましたから」
「そうだったんですか。やっぱりさんは凄いですね!」
「ふふ、ありがとうございます」
(「いや、凄いじゃなくて怖いわ」)
反物屋では目測20間は離れていたはずだ。
悩んでいた音を聞いたのだって6間まで近付いて辛うじて届いた。
それなのにその距離ですでに尾行がバレていたなんて、いつも気配を殺して肝を潰してくる某迷惑柱並みだ。
などと一人恐怖している善逸の隣で、炭治郎は出会いの問いを続けた。
「それで、何を悩んでたんですか?」
「実はさるお方の誕生日が控えてまして、お祝いをどうしようかと・・・
蝶屋敷のお使いついでに少し物色してたんですよ」
「そうだったんですか!」
「ちっ、贈られる相手が羨ましい」
滅んでしまえと、呪詛をボソボソと呟く善逸と、さらに問いを重ねようとする炭治郎。
二人の様子にそうだ、と思い付いたようなは数歩距離を詰めた。
「二人なら何が贈られたら嬉しいですか?」
「「え?」」
こてんと小首を傾げたに、炭治郎と善逸は顔を見合わせた。
「参考までに教えてもらえると嬉しいです」
「うーん、自分の時は少し豪勢な食事を用意してもらいました。
元々、貧しい家なので大したことはないんですが・・・善逸は?」
「ええ!オレ?
う、うーん、オレも食事かな。じぃちゃんが初めて鰻食べさせてくれたっけ」
「そうですよね、食事は外せないですよね。
ただそれは用意しようとは思ってるのでそれとはまた別に用意したいと考えてまして・・・」
というか・・・実はとある方から直々に昨年と趣向を変えみてはどうか、と言われて頭を悩ませているのだ。
「うーん、なかなか難しいですね」
「さんはどうだったんですか?」
「え・・・?」
「さんはどのように祝われていたのかなって」
炭治郎の曇りなきまなこで見られたはまさか聞き返されるとは思わず、ぽかんと呆気にとられた。
不思議そうな顔をする炭治郎だったが、いち早く察した善逸は慌てたように口を挟んだ。
「た、炭治郎!その話はーー」
「残念ながら、誕生日を祝ってもらった記憶は鬼殺隊に入ってからなんです」
穏やかな語調では語る。
驚く炭治郎と気まずげに視線を外す善逸に、隠すでもなくは続けた。
「初めて祝って貰った温かい気持ちは今でも忘れられません。
だからその人に日頃の感謝も込めて特別な1日にしてあげたいんです」
「・・・すみません」
「君は相変わらず優しいですね。謝る必要はないですよ」
しゅんと肩を落とす二人に、あ、と閃いたとばかりなは一人の名を呟いた。
「禰豆子ちゃん・・・」
「「?」」
「禰豆子ちゃんの誕生日なら、二人は何を贈りますか?」
炭治郎からは着物、洋装、簪、髪飾り、根付け。
善逸からは白無垢、ドレス、家、かふぇに連れて行く、西洋菓子を毎日食べさせてあげたい。
などなど。
力みながら熱く語る凄まじい二人の口早な言葉で聞き取れたのはそれくらいだった。
(「それにしても、禰豆子ちゃん愛されてるなぁ。
お嫁に行く時は大変かもね」)
その時を思い出され、暫く思い出し笑いを浮かべていただったが、肝心の問題はまだ残っていた。
「うーん、さてさて。
参考に聞いたけど根本の問題解決はまだなんだよなぁ・・・」
蝶屋敷の縁側に腰を下ろし、ひとりごちる。
結局、何にしよう。
洋装は趣味が合わなかったら貰っても困るだろうし、羽織りは元々持ってるし、身に付けられるものなら任務に邪魔にならないものが良いだろうけど、特に思い付かない。
「むー・・・」
「おやおや、珍しい光景ですね」
届いた声には腕を組んだままぐるんと頭を後ろに曲げた。
まさかそんな風に振り返られると思っていなかったのか、やや面食らったしのぶに悪戯が成功したとばかりなは体勢を戻して振り返った。
「しのぶさん、お疲れ様です」
「そちらもお疲れ様です、さん」
「それで何ですか?珍しい光景って?」
隣に腰を下ろしたしのぶは、の眉間に指を当てる。
「!」
「随分、深かったですよ?」
「ははは、少し考え事ですよ」
「そういえば、もうすぐ悲鳴嶼さんのお誕生日ですね」
「ええ。しのぶさんは今年、何を贈られるんですか?」
「今年は蝶屋敷の皆からということで新しい尺八を考えてます」
「おぉ、洒落てますね・・・さすがしのぶさん」
しのぶも行冥との付き合いは長い。
胡蝶姉妹の入隊の手助けをしたのが他ならぬ行冥だ。
ま、手を貸して欲しいと言われたのを任務を口実に無理だと断って押し付けたと言うのが真相に近いが。
そんな彼の趣味が尺八だと言うことを知っている数少ない一人。
尤も、その腕前はご近所から苦情が来てしまうほどのようだが。
「それで?」
「はい?」
「さんは何を贈られるんですか?」
「・・・」
整いすぎた美人顔が逆に恨めしい。
分かってるくせに痛いところを突いてくるな。
組んだ足の上に肘をついたは、悩ませて重さを増したような頭を支えるように手の平に顎を乗せた。
「それを悩んでるんです」
「昨年はそんなに悩まれてなかったと思いますが」
「・・・今年は趣向を変えてみようかと」
言われたんだ、とまでは言わずには言葉を濁すに留める。
するとしのぶは作り物ではない、楽しげな微笑を浮かべた。
「ふふ、きっと悲鳴嶼さん喜ばれますよ」
「いやだから、まだ何も決まってませんけどね」
「いいえ、さんが苦節しながら悩み抜いた想いが籠った品ですもの大丈夫ですよ」
「・・・なんか引っかかるような物言いですね」
「ふふ、それは気の所為です」
「・・・」
なんだか、お館様がそんな発言をした裏側を覗いてしまったような気がしないでもない。
深い追求は藪蛇と判断したは、しのぶから中庭へと視線を外した。
「・・・ま、もう少し考えてみます」
(「と言ったのに、明日がその日になってしまった・・・」)
重い足取りで山道を下る。
あの後、任務が続いて考えてる時間が無くなってしまった。
このような状況に頭が回らなかった自身の迂闊さが悔やまれる。
「はぁ・・・」
『辛気臭イ溜息ダナ!』
「そりゃ、ね・・・しのぶさんの洒落た贈り物を上回るような贈り物なんてそうそう思い付かないわよ。
『普通の人生経験』という点じゃ、鬼殺隊じゃ私の経験は少ない方だしね」
肩に留まる自身の鎹鴉に愚痴をこぼす。
東の空を見れば、闇色から藍色へと変わろうとしていた。
もう当日になってしまったか。
再び嘆息したはもう目の前にある藤の家の門を叩いた。
今回は負傷はしなかったから、湯を借りて少しだけ眠ろう。
(「どうしようかな・・・」)
とは思いながら、湯殿に浸かり頭の中はぐるぐると考えがまとまらない。
というか、どれもしょーもなく思ってしまって振り出しに戻る繰り返しだ。
(「はぁ・・・長湯し過ぎたな、これ以上考えても・・・でも時間が・・・」)
浴衣に袖を通しながら、いつもの羽織が無いことに気付く。
あ、部屋に忘れた。
どうやら自分にはこのような事に頭を使うことは慣れてないらしい。
堂々巡りに疲れたは、引き戸を勢い良く開けた。
ーースパーン!ーー
「止めた!起きてから考える!」
しかし開けた先には壁。
もとい、引き戸に手をかけようとしたまま固まる岩柱が驚いたようにこちらを見下ろしていた。
「「・・・」」
嘘でしょ?
湯上りも相乗効果で顔に熱が集まった。
「ひ、悲鳴嶼さん、こんばんは」
「・・・うむ」
苦しすぎるでしょ、いくらなんでも。
稚拙すぎる自分の醜態に泣きたくなって固まっていただが、はたと我に返った。
「って、お風呂使われるんですよねごめんなさい!
で、ではお先に失礼しまーー」
ーーパサッーー
すれ違いざま、肩に羽織りをかけられる。
足元に届くほどの大きさ、白檀の香りはまるで当人に包まれてるようだ。
「湯冷めせぬようにな」
「・・・は、はい」
ーーパタンーー
返す間も無く行冥は浴室へと消えた。
このまま待てば本当に湯冷めしてしまう。
仕方なく用意された部屋に向け廊下を歩く。
「・・・」
自分よりも大きな羽織り。
この鬼殺隊で誰よりも長く、誰よりも多くの人を救ってきた、誰よりも優しい羽織り。
そして自分に生きる指針をくれた。
(「本当、ずっと優しいんですから・・・」)
羽織り前を引き寄せれば、白檀がさらに香った。
は小さく息をつくと、藤の家の家人に声を掛けた。
「すみません」
「はい、御用でしょうか?」
「よろしければ、裁縫箱をお借りしてもよろしいでしょうか?」
翌朝。
朝餉を終えたが湯呑みを傾けていた時、襖がゆっくり開いた。
はにっこりと笑みを返す。
「おはようございます、悲鳴嶼さん」
「うむ、早いな」
穏やかな声での前の席に腰を下ろした行冥。
静かな中に流れる柔らかな時間。
鬼を狩る、命を削る殺伐さとは無縁のこの時間が何よりも好きだ。
そう感じれるようになったのは間違いなくこの人のお陰。
「悲鳴嶼さん」
「む?」
「昨日は羽織りをありがとうございました」
「気にするな」
「それと・・・」
は折り畳んだ羽織を手渡した。
「お誕生日、おめでとうございます」
「!・・・そうか、そうだったな」
今まで忘れていたような口ぶりの行冥には苦笑する。
鬼殺隊では毎日が命がけだ。
祝い事や正月、慶事でさえも一般人のように『普通』にはできない。
それよりも優先すべきは悪鬼滅殺。
分かってる。
だってそんな『普通』を教えてくれたのはこの人だ。
「勝手ながら、武運長久を祈って千人針を施させていただきました」
「・・・」
だからせめて、と一針一針、丁寧に赤い糸で結び目を縫い付けた。
どうか怪我をしませんように。
どうか生き残ってくれますように。
どうか長生きしてくれますように。
鬼殺隊でこの人より強い人は知らない。
でもそれは保証にはならない。
けど自分には祈る事しかできない。
羽織りを持ったまま動かない行冥に、断りもせず勝手してしまった事を怒っているのかと、今になって慌ててたように口早になった、
「あ、その、すみません。本当ならちゃんとしたものをと考えたんですけど・・・生憎、任務が続いてしまいまして。
羽織りの内側に縫い付けましたから、戦いにも支障はないはずでーー」
ーーポンッーー
捲し立てたの頭に大きな手が乗せられ、続きは止まった。
おずおずと視線を上げる。
大きな手の平越しに見たのは、陽光に照らされたとても・・・
「まさか手製の祝いを受け取れるとはな」
「すみません、ご不快でしたらーー」
「そうではない」
・・・とても慈しい笑み。
「何よりの祝いの品だ」
いつからだろう。
自分の心の奥に芽生えた淡い想い。
この人の笑みは淡い暖かさをどんどん大きくする。
名を付けることなく目を逸らしてしまおうとしてるのに・・・
「礼を言う」
「・・・はい」
あなたのその笑顔に嬉しさが止まらない。
>おまけ
「本部へ報告が終われば礼をしなければな」
「ダメです。今日は悲鳴嶼さんが祝われる側ですから」
「む」
「それにしのぶさん達もお祝い用意してるんです。
お屋敷でご馳走作って待ってますね」
「うむ、楽しみにしていよう」
Happy birthday 悲鳴嶼さん
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2020.8.23