ーー幸せの定義ーー



















































































































草木も眠る丑三つ時。
僅かな葉擦れの音に耳を澄ませ静寂に身を委ねていたその時、鋭い声が刺さった。

さん、また病室抜け出してるんですか?」

トゲトゲしい声に首をすくめて振り返れば、そこには腰に両手を当てたアオイが声と同じようなトゲトゲしい表情で立っていた。

「おっと、アオイさんに見つかるとは・・・」
「病室に戻って下さい」
「まぁまぁ、戻るにしても少し休まないといけないですし、一人じゃ寂しいので付き合ってくれませんか?」

悪びれるでもなく、自身の隣を軽く叩いたにアオイは仕方ないとばかりな表情で腰を下ろした。

「体調はどうですか?」
「アオイさん達の手当のお陰様で元気になってますよ」
「そうですか」

ホッとした様子のアオイには柔らかく笑い返す。
激戦から1ヶ月。
重傷者の殆どは未だに昏睡状態が続いており、予断を許さない。
そんな中、僅か2週間で目を覚ましたは最近では軽い看病、果ては調剤まで手伝っている。
もちろん、毎回誰かに見つかってはベッドへと強制連行されているが。
と、表情が緩んでいたはずのアオイの表情が沈む。
それを目敏く見留めたは手を伸ばした。

ーーポンッーー
「大丈夫ですよ」

不安を先読みし、ゆっくりと呟けば気丈ながらも揺れる瞳が向けられた。
は同じ言葉を繰り返す。

「大丈夫です、できる限りの手当はしました。あとは彼らの体力を信じましょう」
「・・・すみません」
「謝る必要ないですよ〜、アオイさんの真面目で責任感が強いのは良いことですが、医者でさえ万能じゃないんです。
気負いすぎるのは良くないですよ」

慰めるようにはアオイの頭を引き寄せる。
しばらくして落ち着いたのか、アオイは小さく礼を口にすると無言のまま二人は月明かりに照らされた庭を見渡していた。

「ところでアオイさんは、これからのことは考えていますか?」
「これからですか・・・」
「鬼殺隊の解散は近いうちに発表されるでしょう。そうなれば好きに生きられます」

出し抜けにそう言ったの言葉にアオイは考え込む。
恐らく、鬼殺隊全ての者が思い悩むことだろう。
鬼によって居場所を追われた者も多い。
今まで糧としてきた憎しみの対象が消えた。
皆が皆、前を向いて歩くというのは難しいのかもしれない。

「忘れろ、とは言いません。
けど、過去に縛られることなく、今までできなかった事を楽しんで欲しいんですよね」

勝手な願いかもしれない。
生き残ってしまった後ろめたさに、生きることさえ難しいのかもしれない。
刀を振るうことを糧にしていれば、生きる目的を失うようなことだ。
しかし、それでも鬼に脅かされることのない平和な世界で、失ってしまった幸せを少しでも取り戻して欲しいと思う。

「そうそう、生活の足しに私が調剤で使っていた冊子が残っているので、それめいいっぱい活用してもらって構いませんからね」

使えるものは使いましょう、とはからから笑う。
そんな軽い調子に応じは返らない。
空振りとなった振る舞いに、頬を掻いたは居住まいを正した。

「ま、冗談はそれくらいにしておいて・・・実はアオイさんにお願いが一つあるんです」

そう言って、懐から一冊の冊子をは取り出した。

「これは輝利哉様のお父様、耀哉様の体調に合わせた調剤の冊子になります。過去の産屋敷家当主の歴史となるものです。
万が一、通常の調剤で対応できない不調が出た場合は、こちらを使ってください」

未だに包帯が巻かれた腕ではアオイに冊子を差し出した。

「通常の調剤で問題ないようでしたら、輝利哉様にいつか渡してください。
この冊子はあなたに託します」
「・・・どうしてそんなことを・・・」

戸惑う表情となるアオイに、は先程の軽い調子で続けた。

「いつも死線に身を置いていましたからね、こういう身辺整理はクセみたいなものーー」
ーーベチッーー
「でっ!」
「!」

突然、会話を遮られたの頭が前のめりに飛んだ。
誰だこんな失礼なことをしやがる奴は、と後頭部を押さえて振り返ってみれば、巨大な肉壁ーーもとい、元音柱・宇随天元が仁王立ちしていた。

「徘徊してんじゃねぇよ、重傷者が」
「・・・宇髄さん、こう見えて私は怪我人なんですが?」
「だったら出歩くんじゃねぇ。神崎、こいつベッドに戻すからな」
「は、はい!お願いします」

慌てたアオイにフォローを求められず、は言われるがまま天元に軽々と抱きかかえられベッドへと強制連行される。

「なーにがクセだ、適当なこと言いやがって」
「盗み聞きとは、悪趣味ここに極まれり」
「聞こえるように話すお前が悪い」
「耳が良すぎるのも考えものですね」

呆れたように肩をすくめたの嫌味に返事はない。
ちらりと見上げれば、表情からでも怒っているのが分かった。
そこまで怒るような内容を話したつもりはないのだが、は抱えられている相手の羽織をクイッと引いた。

「ねぇ、宇髄さん少し、外に連れて行ってくれませんか?」
「怪我人の行き先はベッドだ阿呆」
「少しだけです」

間髪入れずは言い返す。
しかし視線が合わされることも応じもない。

「ほんのちょっとだけです」
「・・・」
「嘘じゃないですってば」
「・・・」
「平和になった夜の街並みを見ておきたいんですよ」
「・・・」

しかし折れることなくが続ると、やっと返されたのは鋭い睥睨のみ。

「ダメですか、天元さん?」

駄目押しとばかりに下から見上げるようにして首を傾げてみれば天元の足が止まった。
目論見は成功したらしく、向こうの口元がひくりと引きつる。
いや、これは堪えている表情とも言えるか。

「てめ・・・こんな時だけ・・・んの卑怯もんが!
「ふふ、ありがとうございます」
「言っとくがな、歩かせねぇからな!ぱっと行ってぱっと戻るだけだ」
「充分です。ありがとうございます」

少々卑怯な手を使って外に連れ出してもらったと天元は喧騒がなりを潜めた街中を歩く。

「・・・静かですね」
「当たり前だろ、夜中なんだからな」
「そうですよね、当たり前になったんですもんね」

ついこの間までは、日輪刀を手に駆け回るのが当然の日々。
それが無くなった。
平和を勝ち得た。
だというのに、日常が無くなるのはやはり落ち着かない。

「ねぇ、天元さん」
「なんだよ」
「不死川さんと冨岡さん、ケンカしないように気にかけてくださいね」
「大丈夫だろ、あいつらなら」
「継子の子達も、元気に過ごせるように」
「あぁ、遊びに行ってやるよ」
「輝利哉様、ひなた様、くいな様も自由に今までできなかったことをして欲しいです」
「元柱も居んだ、大丈夫だろ」
「あと・・・」

続けていたは深く息を吐く。
まるで決意を固めるようなそれに、天元の視線がに向いた。

「約束、してくれますか?」
「約束だ?」
「ええ・・・長生き、してください」

見上げられた視線が絡む。
共に前線を駆けた時には感じたことのない儚げな笑み。
まるで消えてしまいそうな錯覚に、心臓がスッと冷えた。
そんな天元の心情を知らないはゆっくり続けた。

「ケガ治ったら、みんなでお花見して、温泉に行って、たのしく笑って・・・」
「心配すんな、俺様がド派手に催してやるよ」
「ふふ、天元さんがやってくれるなら・・・楽しいだろうなぁ」

小さく笑ったは、頭を天元の胸に預ける。
満足そうな笑い顔。
それに何故か嫌な予感がした。

?」
「・・・」
「おい、 !」
「・・・まだ生きてますよ」

掠れるような声の返事をに、思わず声が裏返りそうになる。

おまっ!・・・はあ、気ぃ済んだろ。帰るぞ」
「・・・はい」

蝶屋敷に着く頃には、すでには寝息を立てていた。
最近、抱える度に重さを失っている気がする。
しかし毎日計測していて問題はないと、アオイからの報告はあるが何か小細工を仕掛けていそうで疑わしかった。

「なぁ、。お前も”みんな”の中に入ってんだよ。
とっとと怪我治して、不死川と冨岡叩き起こしてやるぞ」

ベッドに寝かせたの髪を梳きながら、天元は呟く。
回復が異様に早い理由。
それを知ってか、天元の表情は歪んでいた。
他の柱は未だに昏睡状態。
最後まで激戦を戦い抜いた一人だけが、すでに意識を取り戻し歩き回っている事実。

(「、お前はーー」)
「そんな顔、しないでください」

天元の手にの手が重ねられる。
しかしその手は血が通っていないように冷たかった。

「・・・起きてたのか?」
「んーまぁ、微睡んでいただけですよ。
それに宇髄さん風に言えば、そんな地味な顔で看病されては治るものも治りません、というところでしょうか」

あえては軽口で返すも、天元の表情は渋いまま。
それを見上げたは可笑しそうに笑った。

「言ったじゃないですか、まだ生きてるって」
「その言い方、何とかしろ」
「嫌ですよ〜」
「お前な・・・」
「だって私はもう宇髄さんに嘘つきたくないんですよ〜」

が口を尖らせてそう言えば、天元の表情が固まる。
まるで痛みを堪えるようなそれに、は小さく笑った。

「まったく、祭りの神だって言ってたのは誰ですか?
元忍ならそんな顔しないでくださいよ」
「・・・お前の所為だろうが」
「あー、言われてみればそうですね」
「言わなくてもそうだよ」
「ふふ・・・
起きてられるうちにたくさん見ておきたいんです」
「何をだ?・・・!」

は目の前にある頬に手を伸ばした。

「天元さんの顔、天元さんと同じ景色、天元さんの・・・」

言っている途中で、力を失ったようにの腕が落ちた。

ーーパシッーー
「あー・・・やっぱりこんな時にこんな言い方しかできない私は狡いですね」
「別にお前は最初から素直じゃなかっただろうが」
「はは、そうでしたね」

初めての出会いから、本当に散々だった。
虫の居所が悪い時に限って顔を合わせたり、寝込みを襲われたり、喧嘩した時に限って任務で重傷を負って何だかんだで和解したり・・・
今思い返せば笑うことしかできない日々の連続。
静かに笑い続けるに、天元は自分を見上げる頬に手を当てた。

「もし・・・」
「?」
「もし、来世があるならその時はお前を世界一のド派手な幸せ者にしてやるよ」

普段は見せない、真剣な表情と声。
何度もはぐらかした、その告白の答えはいつも決まっているのに性懲りもなく繰り返す。
真っ直ぐに伝えられた言葉を受けたは目を丸くしたが、すぐに困ったように笑った。

「それは光栄ですけど、その必要はありませんよ」
「んだよ、神の誘いを断んのかよ」
「今で・・・充分ですもん」

そう、充分だ。
充分過ぎるくらいの幸せを貰いすぎた、最後まで。
自身の頬に当てられた大きな手を惜しむように、は両手で弱々しく掴んだ。

「来世は来世で、天元さんの幸せを・・・」

小さく呟いたの目尻から流れた涙を天元は拭った。

「バーカ、お前が居なくて幸せになれっかよ」

分かっていた。
天元の耳が良いことを知っていただからこそ、はっきり言葉にしなかった。
残された僅かな時間と知っていたから、無理を押したのか。
もう聞こえない心音に、口惜しげにを力強く抱き締めた天元の呟きはあっという間に消えていった。





























































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2021.05.02