蝶屋敷に足を踏み入れ、互いに目が合った。
「お」
「げ」
一方はキョトンと、一方はげんなり顔。
颯爽とその場を後にしようとしただったが、それより先に米神の血管を浮かせた天元が行く手を阻んだ。
「何が『げ』だ。その上、上官無視とは良い度胸だな」
「今は忙しいので勘弁して下さい」
「どうしたその顔はよ」
「いつも通りの顔のはずですが?」
「阿保が、左頬の事言ってんだよ」
「そんなこと言われなくても知ってます」
「てめ・・・」
「暴れた方を押さえた時にちょっとありまして」
「ちょっと、ね・・・」
が頬を押さえている手拭は、鮮やかな紅色に濡れていた。
上着が隊服で分かりにくいが、それなりな出血が伴った負傷に見えた。
怪訝顔を深める天元だったが、は話を変えるようにくるりと背を向けた。
「それより、宇髄さんは負傷ですか?」
「いや、薬貰いにな」
「しのぶさんはまだ手が離せないと思うので、その辺でお待ち下さい」
「お前は?」
「その整ったお顔に書いてある『負傷した隊士程度に負わされた情けない怪我の手当て』ですよ」
「・・・」
ーー名誉の負傷のご褒美ーー
生意気な背中を見送る。
思わずあの後ろ頭に拳を落としてやろうと思ったが、怪我人であることに変わりはない。
怪我人に無体なことをすればこれから会うこの屋敷の主の仕返しが・・・
(「・・・止めとくか」)
小さく嘆息し、目的の人物を探そうと歩みを進める。
屋敷内はいつもの静かさはなく、喧騒がまだそこかしこから響いていた。
(「そんなに多いのか?負傷した奴」)
「あら、宇髄さん」
聞き慣れた声に視線を下ろせば、この蝶屋敷の主で同じ柱でもある胡蝶しのぶが相変わらずの作った笑みを張り付けてやってきた。
「どこかお怪我でもされたんですか?」
「いや、連絡してた薬貰いにな」
「そうですか。ご用意しますからこちらへどうぞ」
案内された部屋で待っていれば、しのぶは手にした薬を天元に渡す。
それを懐にしまうと、まだ慌ただしいその方向を見た天元は運ばれた湯呑みを傾けた。
「随分騒がしいな」
「先ほどまで、怪我人が数十名運び込まれて来まして」
「十二鬼月か?」
「恐らく。既に他の柱が派遣されたそうです」
「ふーん」
かすかに目の前のしのぶからも血の匂いが漂う。
屋敷で総出なら傷も深い者が多かったのだろう。
立ち入って早々出会った奴も任務後らしい出で立ちだったのを思い出す。
「そういや、にも会ったがあいつもその任務だったのか?」
「いいえ。彼女が屋敷に来たのは宇髄さんと同じで薬の補充ですよ」
「へー」
なんだ違ったか。
なら出会い頭の怪我の話は本当にこの屋敷で負った怪我だったのか。
古株の柱なら過去、あいつが十二鬼月を倒した事実を知っている。
そんな実力を持ちながら、どうして手負いの隊士程度に怪我を負わされるんだ。
(「あいつ、腕が鈍ったんーー」)
「実はさんのおかげで蝶屋敷の子達が怪我を負わなくて済みまして」
「は?」
「ですからあの怪我は彼女の腕が鈍った訳ではありませんよ」
「・・・」
したり顔のしのぶに天元は渋い顔を向ける。
それを見て楽しげな声音に変わったしのぶに、天元は興味薄の表情ながらも耳はしっかりと話に傾けた。
所変わり、蝶屋敷の一室。
「失礼しますよ」
断りを入れ、襖を開ける。
そこには頭に包帯を巻き、横になっているアオイがいた。
まだ顔色が優れない彼女にはにっこりと笑いかける。
「アオイさん、お加減いかがですか?」
「・・・はい、もう落ち着きました」
「それは良かった。念のためもう少し休んでるようにとしのぶさんが言ってましたから、ちゃんと横になっててくださいね」
「あ、あの・・・」
「ん?」
言葉に迷っているような顔に、そばに座ったが続きを待てばおずおずとアオイの視線がの左頬に注がれた。
「さん、怪我は・・・」
「問題ないですよ。それにあんな大柄な人が暴れたらもっと怪我人が出るところでした。
アオイさんが体を張ってくれたお陰で助かりました」
数時間前。
負傷した隊士が錯乱し療養室で大暴れとなった。
その部屋ではきよ、すみ、なほ、アオイが担当しており、頼みの綱のしのぶは隣部屋で重傷患者の治療中。
暴れた隊士は大柄で幼い3人では押さえられず、アオイがどうにかしようとしたが敵わず、突き飛ばされて頭を打ってしまった。
そこにたまたま任務帰りで蝶屋敷に寄っていたがその隊士を押さえ込んだのだ。
ただ暴れていたその隊士の部屋では治療道具も散乱しており、治療用の小刀を振り回してくれたおかげでの頬がぱっくり。
とは言え、任務での負傷が日常茶飯のにとってはどうって事はなかった。
「すみません、治療に来られたのに・・・」
「こんなものすぐに治ります。アオイさんに大事がなくて何よりでした。
私の方は問題ありませんから、今はゆっくり休みなさい」
頬のガーゼに痛々しい視線を向けていたアオイにそう言うと、は安心させるように笑いかけ部屋を後にした。
落ち着きを取り戻した蝶屋敷の廊下を歩きながら、の足は屋敷の主の元へと向いていた。
(「さて、薬の補充も終わったし。しのぶさんに挨拶して任務にーー」)
「お」
「あ」
再びの重なる声。
どうにも今日は間が悪い。
は目の前を塞ぐ壁、もとい着流姿の上官へため息をついた。
「はぁ・・・暇なんですか?」
「あ"あ"!?」
「じゃなかった、柱がいつまでここにいらっしゃるのでしょーか?」
「今日は非番だ文句あっか!」
「ありません。では失れーー」
これ以上の厄介事はごめんだ、とばかりには天元の横を通り過ぎようとした時だった。
「っ!」
「なっさけねーな」
ーーパシッーー
手当てしたばかりの左頬に触れられ、は天元の手を跳ね除けた。
同じ事をされないように、左頬を押さえ距離を取ったはじとりと睨みつけた。
「知ってます。わざわざ嫌味を言う為に残ってらしたんですか?」
「ちげーよ」
「は?」
「蝶屋敷の連中、庇ってできた傷なんだろ?
それを見抜けねぇとはな、祭りの神もまだまだだぜ」
まるで名誉の負傷を褒めるような誇らしげな言葉と表情。
不意打ちに近い整った顔を至近距離で見せられたは、ふいと顔を背けた。
「不甲斐ない負傷であることに変わりありません」
「大の男を一人で押さえ込める奴は不甲斐なくはねぇだろ」
「・・・はぁ、しのぶさんは言わなくてもいい余計な事を余計な人に言うんですから」
「ほぉ"〜ん、上官の気遣いを素直に受け取れねぇ憎まれ口を叩きやがんのはこの口か?え?」
「いひゃいれす」
容赦なく筋肉ダルマが頬を抓る。
相変わらずとんでもない指の力だな。
ありがたいことに負傷した左頬を抓らないだけ、まだ人間性は健在らしい(酷)
「どうだ?素直になる気が起きたか?」
「ふぁーい」
「よし。なら祭りの神が甘味でも奢ってやらぁ。派手に付いて来やがれ!」
「いや、私これから任務なので結構でぇーー」
ーーガシッーー
「おーし、んじゃ行くぞ!」
人の話を聞く気はないらしい。
まるで米俵でも抱えるように軽々との腹に逞しい腕を回して歩き出す天元には抵抗を止めた。
これ以上無駄な体力の浪費はそれこそ任務に響く。
「あの・・・」
「遠慮すんな、お前はもう少し食って肉付けろ」
「十分ついてます」
「まぁ乳はーー」
「その発言、報告しますけど?」
「よし持ち帰りの土産も派手に奢ってやる」
「なら蝶屋敷の子達に買っていきますか」
「相変わらず無駄に気ぃ遣いだな」
「名誉の負傷なんです。これくらいのワガママ、宇髄さんなら許して下さりますよね?」
にやりと下から見上げてやれば、さっきまでの余裕顔の天元が固まった。
「どうしました?」
「・・・お前な、そう言う所だぞ」
「はい?」
「任務から戻ったら覚悟しとけ」
「何言っーーわっ!」
目の前が回転し、今度は肩に担がれる。
待て待て待て。
こんな荷物を運ばれるようにして甘味処に行くのか?
悪目立ち過ぎて冗談じゃない。
勘弁してくれ。
「おーし、行くか」
「せめて普通に歩かせてください!」
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2020.10.17