草木も寝静まる丑三つ時。
前日、任務から戻ったばかりだからか、妙に目が冴えた。
(「・・・参ったな」)
このまま目を閉じても眠れそうな気がしない。
ならば、蝶屋敷へ戻った用事を済ませるか、と起き上がったは羽織りに袖を通すと静かに部屋を出た。
ーー香りの代名詞ーー
薬研で不足してきた薬の材料をすり潰していたは、湯呑みの中身が半分になったことに気付き厨で沸かした湯を片手に調剤室への廊下を戻っていた。
完成まであと少し。
手早く終えたらついでに屋敷で使う不足分の薬も調剤してしまおう。
邪魔が入らないとスムーズに事が進む。
だんだん楽しくなってきた、と調剤室の扉を開いた。
「ゲホッゲホッ!げぇっ!」
「・・・」
静かなはずのそこにいたうるさーーもとい、騒がしい男。
何でここに?
何しに来た?
それ私のなんだけど?
言いたい事は沢山あったがとりあえす現状把握をしようと、盛大にむせ返っている天元に問うた。
「・・・ちょっと、何してるんですか?」
ーードンッ!ーー
「何なんだこの泥水は!?それとも毒水か!?」
人の湯呑みを荒々しく机に置いた天元に、まるで虫でも見下すような眇めた視線で冷たい声が返される。
「夜中なので静かにしてくださいよ。
そちらこそ、無断で勝手に入ってきて何の用ですか?」
「お前さ、俺が上官なの知ってる?」
ひとまず騒がしさが収まったことに、は嘆息する。
そして運んできたヤカンを机に置き、叩き置かれた湯呑みを回収。
机上に飛んだ飛沫を拭き取り終えると、やっと天元に向いたは頭を下げた。
「とりあえず、任務お疲れ様でした」
「おう。神にとっちゃ楽勝な相手だったぜ」
「それは何よりです」
ざっと見、酷い負傷はないようだ。
これなら手当ては不要だな、と判断したは自身の事に手を戻した。
湯呑みの中は半分よりさらに少なくなった黒い液体。
ったく、最後の楽しみだったのに。
は一気に飲み干すと、飲み干した湯呑みに茶漉しのような網を被せる。
そして、手近にある真っ黒な円柱の茶缶を開け、網の中へこげ茶の粉を入れると持ってきたヤカンからゆっくりと湯を注いだ。
すると室内に香ばしい香りが漂った。
「お前たまにそんな匂いさせてたな、まさかこんなのだとはな」
「まぁ、好きですからね」
「好き!?この泥水がか!?」
「これは『珈琲』という歴とした西洋の飲み物ですよ」
あと近所迷惑です、とピシャリと言ったはヤカンを置いた。
暫くして、網を取り外したはもう一つの空いた湯呑みへそれを移す。
湯呑みから立ち昇る湯気と共に香ばしい匂いを楽しむとは一口飲んだ。
うん、やはり淹れたては美味しい。
隣で気持ち悪い物でも見るような表情の男が居なければ本当に最高だったのに。
一息つき終えたはようやく隣に立つ天元に視線を戻した。
「珈琲は昔、薬用として用いられてましたけど、今は嗜好品になっているんです」
「ほー、物好きな連中だな西洋の奴らは」
「ま、日本じゃまだそんなに有名でもないですし、知らなくても仕方ない反応かと思いますけど」
とはいえ、お気に入りを貶されると少々腹立たしい。
当て付けるようにはさらに湯呑みを傾けた。
当然、天元は整った顔を歪ませる。
美形が嫌な顔をすると威力は高いな。
「・・・よくもそんな平気な顔で飲めるな、舌大丈夫か?」
「私の味覚を心配して下さらなくて結構です。
それより、何の用ですか?
怪我が無いなら早くお屋敷へ戻ってはどうですか?」
「薬受けとりゃ帰るよ」
「・・・」
早く作れってか?
ならさっさと言えよ&明日でよくない?
とばかりなだったが、どう見ても帰る様子は微塵もない。
必要な薬を聞けば、自分も補充しようとしていた傷薬。
ま、ついでだから良いかとは薬研に薬草を追加する。
そして薬研車ですり潰そうとした時だ。
天元の視線がの湯呑みに注がれていた。
見たところ興味あるけどまた手を伸ばす気は起きない、という感じか。
そんな天元の様子は懐かしい記憶を思い起こさせる。
かつての自分も、初めて飲んだ時は盛大に顔を歪めたものだ。
そしてその顔を見てあの人は盛大に笑い転げていた。
『はっはっー、やっぱりお子様にオトナの味を理解させるには早かったな。
よし、ならとっておきの魔法をかけてやろう』
「・・・はぁ」
一つため息をついたは席を立つ。
作業が途中なのが分かったのだろう、天元は怪訝な顔でに声をかけた。
「おい、薬は?」
「作りますよ、ちょっと待ってて下さい」
しばらくしては調剤室へと戻った。
だが、その手に持った盆の上には一つの湯呑みが置かれていた。
「どうぞ」
天元の前に運んできた湯呑みが置かれる。
立ち昇る香りは先ほどと似ていたが、ほのかに甘い。
表面は黒ではなく朽葉や胡桃の殻のような色。
「なんだよ、これ」
「珈琲ですよ」
「色が違ぇだろ?」
「薬ができるまでのもう少しかかりますから。
要らないなら飲まなくても構いませんよ」
「・・・」
ゴリゴリと薬研車で薬草をすり潰すの隣で、湯呑みと睨み合う天元。
しばらくして腹を括ったように湯呑みを取った天元は口をつけた。
「!」
先ほどの歪んだ顔ではなく、美味しさに驚いたような顔。
散々貶してくれるた印象をひっくり返せたことに、僅かに胸がスッとした。
「いかがです?それなら飲めるんじゃないですか?」
「おー、マシになった」
「それは何よりです」
>おまけ
「なんだ、これならいくらでも飲めるな」
「そうですか」
「最初からこれで出せよな」
(「勝手に飲んだくせに」)
「おい、お前の飲まないなら寄越せよ」
「・・・ちなみに、珈琲には神経の覚醒作用があるので帰ってお休みになるつもりなら飲み過ぎない方が良いですよ」
「先に言え!」
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2020.12.5