呑まれる。
闇に。
怨嗟に。
振り払うように襲いくる鬼の頸を次々と刎ねていく。
と、空気を割く悲鳴。
振り返れば、犠牲になった肉の塊が転がっていた。
(「また、助けられなかった・・・」)
無力さに打ち拉がれ、守れたはずの人からの罵声に何も返せない。
それでも刀を振った。
振り続けた。
だが、ついに・・・
「っ・・・」
身体が限界で動けなくなった。
辛うじて刀は握りながらも、全身は疲労で押し潰されたように動かない。
ーーボトッーー
異様な音に恐る恐る顔を上げた。
飛び込んできたのは釈然としない嬉々とした顔。
こちらを厭らしく見下ろしていた。
ゾッと背筋が粟立つ。
・・・仇だ。
顔が見えなくても確信した。
そしてそいつの腕は仲間の、あの人に向け腕を振りかぶられた。
「やめーー!」
せめて身を盾にしようとしたが、自分の身体はまるで言うことがきかない。
身動き出来ずぐったりとしたその人を助けることができない事が、喪失の恐怖が、視界を歪ませる。
伸ばせない手を、動かない足を、必死に動かそうとするがまるで地面に張り付いているようだ。
何もできない自分を何とかしたいのに何もできない。
目の前の絶望に、誰に向けるべきか分からない怒りで紅の涙が流れる。
そしてついに頂点に達した凶刃があの人に振り下ろされた。
自分のものとは思えない喉が張り裂けそうな絶叫が全てを埋め尽くした。
ーー手折れ華ーー
「
」
「!」
あり得ない呼び声に意識が覚醒した。
飛び込んできたのはこちらを不安気に見下ろす顔。
「ご無事、で・・・」
「?」
開口一番、眼を見開いた
の言葉に行冥は眉を寄せた。
だが
はそれに気付かない。
生きている、その事実に涙が止まらなくなった。
悪夢の続きから逃れるように、こちらに伸ばされた手を必死で掴む。
「よか、た・・・ひめ、じまさ・・・」
指先は力が入り過ぎて白く冷たくなってる。
その上、無理に身体を動かした所為で傷が開いたのか、巻かれた包帯が赤く滲む。
「落ち着きなさい、
」
「・・・ダメです・・・はやく、手当てを・・・」
「
、怪我をしたのはお前だけだ」
「みん、なは・・・」
「案ずるな、誰も死んではいない」
必死に行冥の手首を掴む
にもう片方の手を
の手に重ねる。
伝わる温もりに安心して気が抜けたのか、
は再び意識を失った。
崩れ落ちた
の体勢を戻した行冥は、腰を上げ別室に居た屋敷の主に声を掛けた。
「
が目を覚ましたぞ」
「!そうですか・・・」
ほっと安心した様子を見せたしのぶはすぐに立ち上がった。
「では、一度診察を」
「いやまた眠ったようでな」
「・・・そうですか」
小さく呟いたしのぶは再び腰を下ろす。
原因不明の昏睡から一週間。
最悪の結末を覚悟した。
だがぬか喜びとまではいかなくとも、目を覚ましたのは吉報に違いない。
消沈するしのぶに行冥は話を変えた。
「それより、一つ頼まれてくれぬか」
「はい、何でしょ・・・!」
行冥から差し出された手首を見たしのぶは目を瞠った。
「これは!」
「うむ、
が意識を取り戻した折に掴まれてな」
「痛みは・・・」
「無い。ただ、な・・・」
その先の行冥の言葉を察したしのぶは頷いた
「分かりました。包帯だけ巻かせていただきます」
くっきりと残った手形を隠すようにしのぶは包帯を巻いていく。
診察室には、無言の祈りが谺し静かに時間が流れていった。
それから数日後、
は完全に意識を取り戻した。
当人から血鬼術だろうという報告がされたが、前例がない症状ということでしのぶと共に薬を調剤して試す繰り返しの日々。
経過観察してるが、カタツムリ並みのスピードで回復は実感していた。
していたが・・・
(「・・・あの時みたいな強烈な悪夢はもう見ないけど、記憶にないとはいえ夢見が悪いのも確かだしな」)
歯痒い回復速度に苛立ちが募る。
厄介な血鬼術にかかってしまったものだ。
深々と嘆息した
は、療養の日光浴である散歩途中の歩みを止めた。
こんな心情に限って空はまるで嫌味のように晴れ渡っていて、恨めしい限りだ。
こういう時には・・・
「鍛錬・・・したら間違いなく一服盛られるか。
うーん、なら裏山でおやつにできる野苺でも摘んでこようか」
それなら身体を動かすついでに食料確保。
しのぶに見つかったとしてもそこまで怒られないだろう。
意気揚々と山へ入れば、赤々とした実が熟れていた。
量も申し分ない。
あっという間に手元のカゴは埋まっていく。
(「これだけあるなら砂糖買ってジャムにしてもいいかーー」)
ーーズルッーー
「おっと」
夢中で摘んでいたら足元が疎かになって僅かに滑る。
体幹は鍛えているから問題ない。
と思ったが、怪我人である事を忘れていた為にいつもは取れるバランスが取れず思わず手近な枝に手が伸びる。
しかし、
ーーベシッーー
「でっ!」
空振った挙句、掴み損ねてしなった枝が顔面を直撃する。
野苺の棘ある枝が頬のテープを剥がした上に、なかなか痛い。
「〜〜〜っ・・・ふ、不甲斐なし・・・」
何とかカゴは落とさずに済んだが、これが安静の言いつけ守らなかった天罰か。
ツイていない。
仕方ない、もう戻るか。
立ち上がった
は頬に何かが這うような感覚に、手の甲で拭った。
掠れたような赤、野苺の香りに混ざる鉄臭。
どうやらさっきの剥がれたテープの下のカサブタが剥がれたか傷が開いたらしい。
帰ったらしのぶにばれる前に頬の手当てを済まさなければ。
ーーポタッーー
再び手の甲に真紅が落ちた。
思った以上に出血してしまったか。
「あっちゃぁ、服汚す前に帰っーー」
ーードックンーー
「!」
心臓が掴まれた気がした。
カゴが落ち膝から崩れ落ちる。
痛いのが心臓なのか、肺なのか分からない。
なんだ、血鬼術の再発か?何が発端になった?
そうこう考えている間に聴覚が鼓動で覆われる。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ!」
呼吸がうまくできず、胸元をキツく握った。
視界が狭窄する。
まずい、この症状を治めたいのに身体は動かず、手元に必要な道具がない。
冷や汗が噴き出す。
どうにか腕を上げようとするが、震えが酷くなるばかりでうまくいかない。
その上、耳鳴りまでしてきた。平衡感覚を失っては本当に動けない。
その時、狭まった視界が暗くなった。
(「誰だ?」)
「ーー!」
ぼやけ過ぎて誰なのか分からない。
「ーー!」
何か言われている。
「ーー!」
「はっ!はっ!はっ!」
答えたくても言葉にならない。
頬に手を添えられ、やっと相手に見当がついた。
「ひ、めーーふっ」
何が起こったのか分からなかった。
しばらくして唇が塞がれているのだと分かった。
幸か不幸か、深くなる口付けがさらなる呼吸を阻んだお陰で、耳鳴りが治まる。
そして狭まっていた視界がようやく本当の像を結んだ頃、唇が離された。
「私が分かるか?」
「ええ・・・悲鳴嶼さん」
楽な姿勢で抱えられ、やっと言葉を紡げば行冥から安心したように深々と嘆息が返された。
視界が戻ったことで
はようやく相手の姿をはっきりと見る事ができた。
隊服姿ということは任務帰りだろうか。
たまたま通りかかってくれたおかげで助かった。
しかし冷や汗で張り付く療養着が気持ち悪い。
まだ若干の震えが残る身体に、行冥が自身の羽織りを
に掛ける。
人肌の温もりに酷く安心できた
は素直に礼を述べた。
「すみません、ありがーー」
「何があったのだ?」
「実は木苺を摘んでいたらーー」
「そうではない」
「・・・」
阻まれた言葉に
は口を噤んだ。
どうやら誤魔化すのは無理らしい。
実はちゃんと会うのは任務以来。
一度意識を取り戻した際に居たという話はしのぶ伝に聞いたが覚えていなかった。
顔を合わせ辛い気不味さもあったりで、なるべく蝶屋敷の中には居ないようにしてたのだが・・・
とはいえ、自分には話す義務があるか。
「・・・先のあの任務で私は・・・」
はその時の顚末を話し始める。
鬼の頸を刎ねた直後、灰になりながらも身体が行冥に向かって行ったこと。
悪足掻きの凶行を阻むべくその体をすぐに両断したこと。
直後、
『ソンナニ大事カァ?鬼狩リ?』
『!』
転がった鬼の顔が厭らしく笑い、目が合った瞬間、闇に呑まれたこと。
それ以降、あの闇の中の悪夢が続いたこと。
「その時に血鬼術にかかったんですね」
「・・・」
落ち着かせるように胸元に手を当てる。
再び呼吸が乱れないように、
はゆっくり語った。
助けたはずの人が次々と生き絶え、責められた。
共に鬼を狩っていた仲間も倒れ、お館様も殺され、そして・・・
「恐らく、精神に介入する類の血鬼術だったんでしょう。
私の鍛錬不足です、不甲斐ありません」
反論の余地はない。
いつもなら巌の声で苦言が届くだろう。
自身の醜態を詫びる
は深々と頭を下げた。
ーーポンッーー
「自覚してるならそれ以上悔やむ必要はない」
「・・・はい」
予想に反した行冥の言葉に内心驚きながらも
は顔を上げた。
「しかしもうあのような無茶はするな」
直後、肌に刺さる嗜めの怒りの気配。
今までも散々無茶をしてきたが、半分諦めの気配もあった。
だが今回に限って面と向かって告げられた。
面食らう
に、行冥は抱き抱えた
を緩く抱き寄せる。
「はぁ・・・流石に肝が冷えた」
「はい、すみませんでした」
傷に響かないように気遣われた優しい抱擁に、溢れそうな涙を誤魔化すように
も目の前の隊服を掴んだ。
>おまけ
「さて、いい加減戻るか」
「・・・このままでですか?」
「歩くか?」
「可能なら」
「しのぶに見つかったら何と言われるか分からーー」
「やっぱりこのまま運んでいただけますか?」
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2020.8.11