ーー免罪符ーー
激戦から一週間。
未だに鬼殺隊の負った傷は深く、予断を許さない隊士の治療が続いていた。
6日目(昨日だが)に意識を取り戻したも、不足した薬の調剤、包帯やガーゼの交換を病室を抜け出しては手伝っていた。(元音柱に見つかった時はベッドに強制連行されたが)
懲りずに蝶屋敷の面々と共に治療に当たっていたは、本日分の区切りついたことで身支度を整えると、綺麗に折りたたんだ羽織を手に歩き出す。
すでに夜半。
届く音は入院中の隊士を看病する者達の動き回るものだけ。
誰かに気付かれることもない廊下を、は明かりを持たず静かに進んでいく。
「どこ行くんだァ?」
「!」
もう少しで玄関に辿り着けるというところで予想外の声がかけられる。
驚きに固まっていたは、軋む音がしそうな首を背後に向けた。
夜目が利く視線の先、そこにはまだ横になっていなくてはならない人が、壁にもたれかかり眠たそうな表情でを見ていた。
「・・・不死川さん」
「どうかしたかァ」
「いえ、まさかもう目を覚まされた上、歩き回れるなんてとんでもない変態的体力だなと」
「ケンカ売ってんのかテメェ・・・」
重傷者とは思えないほど凶暴な目付きでを睨み付ける。
が、向けられた当人は軽い調子でそれを受け流した。
「病み上がりにそんなことしませんから、ちゃんと休んでください」
「お前もおんなじもんだろうがァ」
「私はお館様に用事があるんです」
「こんな夜中にか?」
「そうですよ」
心底不審疑わしい、という顔の実弥だったがは構わず再び玄関へと進んだ。
「では、失礼しーー」
ーーパシッーー
しかし、離れていたはずの距離は瞬く間に詰められ、実弥に腕を掴まれたの足は止まった。
抗議するように後ろを振り返ったは低い声を上げる。
「離してくださいよ、不死川さん」
「嘘だなァ」
「はい?」
「お館様に用事ってのは嘘だっつってんだ」
「何を根拠に・・・」
げんなり、と相手をするのも億劫だと露骨に見せる。
逆上を狙ったがそんな思惑に反して、実弥は淡々とに問うた。
「何故刀を差してる」
「残党対策です」
「いつもの羽織はどうした」
「この羽織を返しに伺うんですよ。
元々、この羽織はお館様から賜ったものですからね」
「んなもん、明日にしやがれ。今はお前も休めばいいんだよォ」
「何でそうなるんですか」
「人目を忍んで抜け出そうとしたお前が本当のことを言ってるとは思えねぇだけの直感だァ」
(「恐るべし野生の勘・・・」)
本当にこの人のこういう時の勘働きだけは鋭い。
いつもは、おちょくれば簡単に怒ってくれるのに厄介な人だ。
どうみても手を離してくれそうもない実弥の様子に、は仕方なく屋敷の中へと足を戻した。
そして手を引かれるまま、実弥が寝かされた病室へと連行される。
その隣にはまだ意識を戻さない水柱、冨岡義勇が静かな寝息を立てていた。
「ほれ、お前は寝てろ」
「いやいや、ここ不死川さんのベッドですよ。あなたが寝てください」
「俺ァ、目が覚めたからいいんだよ」
「私より重傷な人を差し置いて使えませんから」
頑として譲らないに実弥は舌打ちをついた。
そのままベッドに入るかと思ったが、ベッドに腰を下ろした実弥がを見据えた。
「なら話し相手になってやらァ。どうして羽織を返しに行く?形見じゃなかったのか?」
「・・・形見ではありません」
寝た隙に行こうと思ったが、これは無理そうだ。
抜け出す計画を諦めたは、実弥と向かい合うように横にあった椅子へと腰を下ろし袖机の上の燭台に火をつけた。
そして折りたたんだ羽織を膝に置くと、細かに刺繍された花を撫でた。
「生家がこの花を家紋としてたらしいですけどね」
「は?ならどうして・・・」
「私は鬼殺隊に2度、命を救われているんです。
最初は生家で身内が皆殺しに会った時、2度目は親類に預けられた時です」
話しながら、そう言えばこの話を実弥にするのは初めてだったことを思い出す。
顔を上げれば、実弥は驚いたように目を瞠っていた。
は静かに続けた。
「お館様からお聞き及びかもしれませんが、私の生家は産屋敷家と鬼舞辻打倒のため長年同盟を組んでいた一族です。
はるか昔に滅ぼされていたと思われていたのが、生存が露見して殲滅されたそうです。
2度目は生き残りの私を狙っての襲撃だったのかもしれません」
「殲滅ね・・・そこまで鬼舞辻が危険視する相手だったってことかァ?」
「どうでしょう・・・今思えば鬼舞辻は自身が鬼となった薬の手掛かりが欲しかっただけではないでしょうか」
戦いが終わった後だからそうだろうと思った。
対峙した時も、あいつは自ら根絶やしにすべきだったと語った。
始祖の薬を作った一族を執拗なまでに求め殺したのも、太陽を克服する手がかりを求める一方で、その薬が自身の弱点となるのを恐れたからだろう。
禰豆子を求めたのだって太陽を克服せんとしたがためだ。
もう本人の口から聞ける話ではないが、お館様の見立てもそうだったのだからそうなのだろう。
視線を落とし機密とされた話を口したは再び顔を上げる。
案の定、話の内容についていけてない表情の実弥がポカンとしていた。
「は?」
「ですから、私の一族が鬼舞辻を始祖の鬼にした薬を作った一族なんです」
は一息で語った。
当然、罵詈雑言が飛ぶ事を覚悟して、だ。
自分は断罪されて然るべき業を背負っている。
生き残った今だからこそ、いや、生き残ってしまったからか早く誰かに裁いて欲しかったのかもしれない。
己の幸せを奪った張本人を前にすれば、誰もがーー
「ふーん」
肩透かしで予想外の反応に、も反応が一拍遅れた。
「・・・え、それだけですか?」
「あ?それ以上どう反応すりゃいいんだ?」
「だ、だって・・・私の祖先がそんなことしなければ数えきれない人が犠牲になることもなかったじゃないですか」
あなたの弟だって、家族だって、親友だって失わずに済んだはずだ。
そう思いながらも口にはせず、顔を下げずは揺れる瞳で実弥を見上げる。
対して向けられた顔が意外だったのか、実弥はガシガシと頭を掻いた。
「あー、なんだ・・・
お前だってよく俺や冨岡の手当てしただろうが。
医者が怪我人病人救うのは当たり前だろ、間違ったことじゃねぇだろうがァ」
「!」
「それにお前もケジメを付けるために我武者羅にやってただろ」
実弥の手がの首筋に伸びる。
そこは隊服を着ていても唯一、痣が見えてしまう所。
まさか知られているとは思わず、初めては動揺を見せた。
「!・・・どうして」
「痣者なのは気付いてた。とはいえ、この最後の戦いで、だがな」
「そう、でしたか・・・」
痣者が背負う限られた寿命。
叶うなら誰にも知られないまま、鬼殺隊を後にするつもりだったのに。
もう隠せないことにが小さく嘆息すれば、手を離した実弥が訊ねた。
「いつからだ?」
「九つの頃にはすでに」
「・・・んな前からかよ」
目を眇め苦い表情を浮かべる実弥。
相変わらず優しい人だ。
痣の発現条件。
それは死と隣り合わせなもの。
万人が発現しないそれを、年端もない子供が出せたことに対して苦悶するとは。
はその心遣いに感謝しながら苦笑しつつ続けた。
「何しろ鬼舞辻を倒すために物心つく前から鍛錬を強制されてましたからね」
「なら、煉獄んとこと同じか?」
「どうでしょう」
「は?」
「言ったじゃないですか。『強制』だったと」
思い出したくない、そう思える朧げな暗い暗い記憶。
子供が覚えるには無理がある医学や薬学の知識。
体が出来ていない中、過剰なまでの心肺への負荷、出来るまで強制され、出来なければ出来るものの踏み台として始末される。
死にものぐるいだった。
傷は覚えた知識で治療しなければ、死。
教えられた事を昇華し身体を鍛えなければ、死。
死が身近に存在していた毎日だった。
「男は剣士として当然と。女は血を残すため。
明治に入ってからは女も剣士となるように言われたようですけどね」
は自分の手を見下ろした。
傷跡ばかりの皮膚の厚い剣士の手。
この手で身内を何人殺してきたのだろう。
何人救えただろう。
どう考えても釣り合う数では無いと思った。
「なら、痣者の例外の事を知っていたは・・・」
「情報元は私です。発現の詳細は幼かったので力になれませんでしたが・・・」
こんな事を1000年繰り返してきた。
そして今、終止符が打たれ・・・私は生き残ってしまった。
たくさんの人の幸せを奪ってしまった。
たくさんの人を巻き込んでしまった。
本当なら尻拭いをすべきなのは、私の一族なのに。
「すみませんでした」
気付けばは謝っていた。
深々と頭を下げるに声は返らないが、溢れる居た堪れなさが止まらない。
「結局、皆さんに不幸を押し付けてしまっただけになってしまいました・・・」
声が震えた。
死んでしまった仲間の顔がちらつく。
生きて欲しかった。
私なんかじゃない。
死んでしまったその人こそが生きるべきだったのに。
なのに、誰も彼も自分に向けるには過分な言葉を掛けて死んでいった。
だから余計に今まで堪えていた涙が溢れた。
ぱたぱたと羽織に落ちる涙が音を立てる。
沈黙を守っていた実弥は小さく嘆息した。
「仇だったのはお前だけじゃねェ」
「けど・・・」
「終わった事だ、もういいだろうがァ」
「でも・・・」
「・・・はぁ」
「私はーー」
ーーポンッーー
頭を撫でた実弥の手が力尽くでの顔を上に向けた。
「謝んじゃねェ」
幼子を諭すような優しい語調。
頬を流れるの涙を実弥の右手が拭う。
涙は失った指に巻かれた包帯に吸収されていく。
まるで悲しみまで掬ってくれるような錯覚に、はさらに苦しげに顔を歪めた。
「どうして・・・そんな風に言うんですか?
私は・・・・・・私には、そんな事・・・」
「これ以上、命張った同志がよォ、傷付けられんのを黙って見てられるかよ」
「・・・」
「どうせお互い大した時間は残ってねぇんだ。
だったら同志のよしみで全部許してやらァ」
頬に添えられた手。
それに躊躇うようにしていたが恐る恐る手を重ねた。
温かかった。
自分の手がいかに冷たかったか、今になって極度に緊張していたのだと自覚した。
「生きろよ、。最後までなァ」
「・・・」
「お前が居ねぇと隣のヤツと俺の仲裁役がいなくなっちまうからなァ」
初めて見た穏やかな微笑には目を瞠る。
こんな時に冗談を言う人とは思わなかった。
悲しみが薄まった笑みを浮かべたは、濡れる頬をそのままに言った。
「・・・ふふ、それじゃ・・・みなさん、困っちゃいますね」
「おォ、頼りにしてるぜェ」
Back
2020.10.31