黄昏。
この街では1日の大半がこんな感じだ。
だが、この黄昏はもう数分で闇に飲まれる黄昏。
遠い喧騒を背に橙と藍が交わり合う瞬間まであと少しを待っていた。
その時、

「・・・何の用?」

背後に感じた気配に不機嫌に言い放つ。
すると、隠れるでもなく軽い足音が近付いて来た。

「別に〜。気分転換に風通しの良いとこ来たら がたまたま居たってだけ。
おっさんの事は空気だと思って、気にしない気にしな〜い」

胡散臭い言い振り。
この場所は、『気分転換』で来るところではないし、『たまたま』見つけられるような場所でもない。
相変わらずの軽薄さを貼り付けている男に、 は視線をすいと細く返した。

「ふーん・・・ならベッドに連れ戻す馬鹿野郎に会ったら返り討ちプラスαのオマケ付き、って独り言呟いとこうかしらね」
「・・・」

物騒な発言に、自称・空気のレイヴンは乾いた笑みを張り付けたまま、観念するようにホールドアップした。



































































ーー見つめる先にあるものはーー






































































辺りは闇に染まった。
しかし、未だにその場から2つの人影は動きを見せなかった。
闇の帳が落ちてもなお、遠い街の喧騒は静まるどころか黄昏の時よりも賑やかさを増していた。

「一個、聞いても良い?」

だしぬけの問い。
いつもなら応じる是非が即答近く返されるのが常だが、それは一向に訪れない。
じりじりと辛抱強く待つ。
数分の沈黙が流れ、返されたのは遠くの喧騒のみ。

「・・・」
「んもう、 ってば無視なんて冷た〜い」
「空気なんでしょ。黙っーー」
「どうして見逃したのよ?」

主語はない。
だが、その言葉の意味が分からないほどの関係でもなかった。

「何を言うかと思えば、今更終わった事を」

は突き返した。
とうの昔に終わった事を蒸し返される意味の方が理解に苦しむ。
何より、あの時隣の男は手を出さなかった。
つまりは自分のやり方に準じた訳で今更文句を言われる筋合いなどないのだ。

「なら、そっくり返すわ。
どうして私が見逃したと分かってて止めなかったの?」
「そ、それは・・・」
「答えないなら私も答えない」

面倒だし。
と続けてしまいそうなのを、かろうじて押しとどめる。
しかし、そんな短い付き合いでもない相手だからきっとこちらの本心は分かっているだろう。
ま、だからと言って素直に言うつもりも皆無なワケだが。

「・・・身体張った の前で手を出すのは気が引けたのよ」
「白々しい。本気なら私の事なんて構わないはずでしょ」
「それ言うなら、 だって俺様の事言えた義理じゃないでしょーよ」
「何の話?」
「殺気、本気だったでしょーが」
「レイヴンが耄碌して勘違いしたんじゃない?」
「酷っ!こんないたいけなおっさんを・・・なんて、退かないわよ。
あの時誰よりも先に は殺気立った。けど、あいつの姿を見た瞬間、ぐっと堪えたでしょ」

『あの時』
星喰ほしはみを蘇らせてしまった、ザウデ不落宮での戦いの折。
最奥へと向かう途中、海底を透かして見える光景に感嘆していたエステルやカロルを他所に、皆の後方にいた だけはその気配に気付いていた。
忘れもしない、忘れられるわけがない。
ギルドが今混迷の底にある、全ての元凶。
自身にとっては親同然の存在、それを奪った仇。
必ずこの手でと己に誓った相手。
ユーリがあえて言葉にした辺り、こちらが飛び出すのを阻んだ可能性も高い。
美しい幻想的な海底で、 達は海凶リヴァイアサンの爪の首領ボス イエガーと戦うこととなった『あの時』。
その事をレイヴンは指摘している。
それに対して は冷ややかに睨み返す。
無言の攻防。
が、先に折れたのは の方だった。

「はぁ・・・修羅場をくぐり抜けてきた人が近くにいると面倒ね」
「お互いにね」

含みある苦笑いを浮かべたレイヴンに、 は手摺にだらんと寄りかかった。
しばらく、喧騒を聞いてから は先ほどの問いの答えをゆっくり語り出す。

「何も知らなかったら、きっと躊躇なく殺してた」

ポツリと、そう零すと今度はくるりと手摺に背中を預け、夜空を見上げた。
漆黒に染まったそこは、何物をも覆い隠し今のこの世界が破滅の瀬戸際にあるなどとは思えないほどだった。

「何しろ、疑ってたしね。
家族が殺されたのはギルドが噛んでるんじゃないかって。
手際はプロの仕事だって分かったから、犯人は暗殺を生業としてるギルドが最有力」

沸き上がる憎しみを握り潰すように は拳を握る。
と、

「でも、そうは判じなかった」

一雫。
夜空を見上げ、それまで揺るがないようにしていた精神の湖面に、まるで漣のように広がったそれはまた静かに消える。
レイヴンの言葉に僅かに視線を送った の顔にかかった前髪がはらりと落ちた。
的確に突かれた解に は息を吐く。

「・・・そう。
アレクセイとのやり取り聞いててどーにも腑に落ちない事がいくつもあったし。
何より、決定的なのが海凶リヴァイアサンの爪首領ボスの就任時期」
ーーポンーー
「お、なるほど」

腹落ちしたとばかりに、拳を手の平に叩いたレイヴン。
知ってるだろうが、という突っ込みを飲み込み は構うのも馬鹿らしいかと続けた。

「イエガーが海凶リヴァイアサンの爪となった時期と、遺構の門ルーインズゲート結成された時期は同時期。
つまり10年前の人魔戦争後。
私の家族が殺された時期とは一致しない」
「だからすぐに手は下さなかった・・・ってわけ?」

その問いに暫し答えは返らない。
・・・どうだろうか。
もし『あの時』、誰の邪魔も入らなかったら・・・
きっと、自分は動いていた。
向こうも一応はギルドのトップを張っているのだから、防がれはするだろうがこちらがどのような意図を持っているかは理解するだろう。
というか、そんな事も理解できずにあのような事を仕出かすとも思えないが。

「まあー、本音はミンチにしても腹の虫が収まりきらないくらい怒りで理性が吹っ飛び そうなギリギリだった訳だけど」
(「めっさ怖・・・」)

ケラケラと軽快に話す に、夜とは別の悪寒が走ったレイヴンはさぁぁっと血の気が下がる。
しかし、その笑みを取り下げた は表情を改めた。

「でも、ま・・・あの胸見た後は、さすがに頭冷えたわ」
「・・・」
「勿論、やらかした事を思えばミンチ刑確実だけどさ。
でも形式上終わったことなのもホントだし。
とはいえ、気持ちの整理もついてなかったのも事実だから思わず手は伸びたけど・・・
私が手を下せる立場じゃないことも理解してたしね」

自嘲気味に は笑う。
『立場じゃない』それはよりふさわしい者がいるということ。
その言葉を聞いてレイヴンが思い当たる人物は一人だけだった。
ハリー。
ドンの実の孫にして、命を奪うきっかけを作ってしまった者でもある。
未だにふさぎ込んでいるハリーに病み上がりの は根気強く傍に居続けていた。

「義理堅いわね」

本心からレイヴンは呟いた。
しかし、それに返されたのはとても冷めた視線だった。

「・・・」
「あれ?」

予想と反した の反応にレイヴンには珍しく本気で驚いた表情を浮かべる。
それに は呆れたように息を吐いた。
自身より先に、『仇を取る』と言った本人が言えた義理ではない。
ザウデ不落宮で同じ仇を前にして、二人の取った正反対の行動。
片や死、片や生。
果たしてどちらが正しいのか。どちらが裏切りか。
いや、きっと何が正解で何が裏切りなのか、などというものは存在しないだろう。

「義理堅い、ね・・・」

それはどちらに対する義理だ?
ドンへの仇討ちを頼まれた義理か、それとも・・・

「・・・」

愚問だろう。
ドンへの忠義に対してに決まっている。
何を馬鹿なことを考えてしまっているんだ。

「はぁ・・・」
「え!ため息つくとこ?」
「空気がいちいち反応しないでよ」

面倒そうに は言い捨て、再び体勢を変え手すりに寄りかかる。
目の前には空と同じ底の見えない漆黒。
どうにも暗い考えに偏ってしまう。
その理由は嫌というほど思い当たっている。
一人になりたくてこの場に来た理由であり、隣のお節介は連れ戻そうとしている理由。
は未だにじくじくと鈍い痛みを持つ脇腹を押さえた。

(「・・・兄さん」)

真実、なのだろうか・・・
心がどうしようもないほどせめぎ合う。
幼い光景と突然目の前に現れた現実があまりにもかけ離れすぎていて考えることすら心が拒む。
優しい笑みを浮かべ撫でてくれたその手が穿った傷は、体以外も蝕んでいた。
生きていたことは嬉しい。
問題はお互いが敵対しているということ。
そして自分は三度相手を殺している。

(「いや・・・過去を含めたら四度、か」)

それを思えば、ザウデ不落宮で殺されかけたとしても因果応報というものかもしれない。
自身が今まで手にかけてきたこと、後悔はないし、いつかはその報いは受けるだろうと覚悟はしていた。
だから・・・

(「・・・いっそーー」)
「ぶえっくしょいっ!」

盛大なくしゃみが響き渡る。
耳に残響が残るほどで、 は闇の底から視線を後ろに移した。

「ううううぅ、寒っ。
、そろそろ戻らない?おっさん、このままじゃ本格的に風邪ひいちゃうわよ」

鼻の頭を赤くしたレイヴンは鼻をすすりながらこちらに訴えてくる。
傍目に見てもそれはとても笑える状況で・・・

「ぶっ!」
「ひどっ!」
「あーはいはい、ごめんってば。仕方ないから戻ってあげる」
「扱い雑!年長者は労わるもんよ!」

年寄扱いしたらそれはそれで怒るくせに。
なんて、さらに騒がしくなるから言わない事にしておき は喧騒に向かって歩き出した。
しばらくして、 は自身の後方からついてくる男に問うた。

「レイヴン」
「ん?」
「もしかしてさ・・・わざと?」

暗い考えに陥ってしまったあの時。
躊躇うことなく身を乗り出していたら・・・
間違いなく、思い詰めていた通りの結果となっていた。

「へ?何の話?」

返されたのは、きょとんとした顔。
演技であれ本心であれ、救われた。
あのまま命を絶つなんて、逃げに等しい。
戦友との約束を違えることにもなるところだった。
それに自分が今更死んだところで、差し迫った世界の現状は何一つ解決しない。
死で楽になるのではなく、生きて地獄の中、自身が成せることを一つでも成す。
その方が、よっぽど贖いになるはずだ。

「ま、どっちでもいいんだけどね。
一つ借りってことにしておくわ」
「いやだから、何がよ?」
「いーから、いーから」
「よくなーい!」

完全に置いてけぼりのレイヴンを尻目に、 は気合を入れるように片腕を振り上げた。

「よーし、今日は私のおごりで、引きこもりのハリー引きずり出して、私の代わりに飲ませ潰すわよ〜」
「お、それならおっさんも参戦〜」

そうだ、立ち止まっている暇などない。
災厄を招いたのが人間なら、人間自身の手で決着をつけなければならない。
それが身内の事に関わるなら尚の事。
自身の手で幕を下ろしてみせる。
例えその結果が刺し違える事になったとしても・・・



























ザウデから落下後、ダングレストにて療養中の話

2017.11.25
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