「どうかしたか?」
「何が?」
「何がって・・・その顔で言うか?」

不機嫌そうな憮然顔に、ハリーは苦虫を噛み潰したように睨め付けた。
ダングレスト、ユニオン元首室。
依頼書を手にした の晴れない表情に、ハリーは再び口を開いた。

「お前にゃ楽な仕事だろ?」
「まぁ、そうなんだけどさ」

歯切れ悪く答えながらも、 は物憂げに重くため息をつく。
依頼書はその手に握られながらも、最初に軽く目を通されただけで既に興味無さげだ。

「だから何が不満なんだ?」
「別に大したことないわ。ただ、気が乗らないってだけ」
「本当か?」
「本当よ」

即答だが、その横顔はやはり何か含みがあるように思う。
付き合いは短くないが、祖父ほど昔の事情を知っている訳では無い。
何より、仕事で上司という立場になってからの付き合いは短すぎた。

「・・・誰か付けるか」
「問題ないってば。単にモチベーションの問題で体調が悪いとかじゃないし」
「だがな・・・」
「そういう気遣いはありがたいけど、今回は間に合ってるわ」

じゃ、行ってくるからと はそそくさと出て行った。
その後ろ姿は、まだ自分が触れられない領域のようで、ハリーのため息は深くなるばかりだった。






















































































ーー想いの先ーー



























































































波止場で時折ウミネコが鳴き声を上げる中、1組の男女が不穏な空気に包まれていた。

「で?」
「でって・・・んな睨むなよ」

といっても、その発信源は片方だけ。
両腕を組み仁王立ちのその姿は、背後に盛大な荒波が合わされば誰もが逃げ出すだろう・・・な、とても穏やかとは程遠い。
とはいえ、両者の上に広がるのは晴天快晴。
威力は半減だが、相手がこの程度で引き下がらない事も承知していた は刺々しさそのままに、鋭い視線を返した。

「人手はいらないって言ったつもりだったんだけど?」
「伝わってなかったんじゃねぇの?」
「邪魔だから帰って」
「依頼料は貰ってんだ、付き合ってやる」

居るはずない男の登場に、 はこの場にいないこの状況をしでかした相手に心中で毒づいた。
目の前、不敵な笑みを浮かべて返された聞き慣れたセリフ。
いつもなら頼もしいものだが、今回ははっきりいって鬱陶しかった。

「不良青年にしちゃ殊勝な言葉で不気味さに拍車がかかってるわね〜
普段らしくサボってくれない?」
「いつもはギルドの掟を守れって煩い真面目なお前から出るセリフとは思えねぇな。
んなニセモノの言いなりになるのはゴメンだね」
「・・・」
「・・・」

無言の応酬。
は目の前の青年、ユーリを睨みつける。
しかし向こうも自分に似て頑固者だというのはこれまでの付き合いから知っている。
と、周囲は何事かとこちらを遠巻きに人が集まり始めた。
これ以上留まれば、嫌でも目立つ上に変な噂を立てられても面倒だ。

「勝手にすれば」
「どーぞお構いなく」

小さくため息をついた は、颯爽とユーリの隣を足早に歩き去る時に捨て台詞を残し大股で桟橋を歩き出した。








































































帝都、下町。
かつてユーリが下宿していた1階の食堂で、顔馴染みの女将さんの料理を口に運びながら は依頼の内容をユーリに伝えていた。

「・・・という訳で、横流し現場の差押え。
ユーリの手を借りるまでもない依頼よ」
「でもこれから調べんだろ?」
「・・・私を馬鹿にしてるの?
そんなのここに来る前に手筈は整ってあとは現場押さえるだけよ」
「相変わらず手際がいいこって」
「当然でしょ」

不機嫌さを隠す事なく、手近のグラスの水を一気に煽る。

「だいたい、ハリーも余計な気を回しすぎよ。
他にもやるべき事は山のようにあるってのに」
「どっかの誰かさんの心配してんだろ」
「その誰かさんは、どこぞの不良青年よか無鉄砲でも無計画でもなく、功績も実績も実力も折り紙付きなんだけどね」
「お前な・・・」

事実だけに言葉もないユーリはげんなりと目の前の顔を見やる。
が、相変わらず会ってから変わらない不機嫌面。

「あのな、お前がそう荒れるのはだいたい昔の事絡んでんだろ。
気遣いに当たるなんざ、らしくねぇ事してんなよ」
「狭量な先輩で悪かったわね、せいぜい見習わない事ね」
「あ、おい!!」

一人出て行ってしまった に、ユーリは慌てて身支度を整える。

「ったく、なんであんな怒ってんだよ」
「おや、 はもう行っちまったのかい」
「ああ。ったく、顔合わせてからカリカリしてやがって、理由も分かりゃしねぇよ」
「女は色々あるのさ。 はギルドでも立場があるんだろ?
考える事も多いもんさ」
「そんなもんかね・・・」

げんなりとため息を零すユーリに、女将はいつもの明るげな声を上げユーリの背中を押した。

「ほれ!さっさと追っかけな。
お代は戻ってきた時に払ってもらうよ」










































































と合流したユーリは、そのまま目的の場所へと向かうという言葉にどんどん人気の無い廃墟へと進む。
まだ日が高いというのに周囲は薄暗い。
だが今、ユーリはそんな事に構ってられる状況ではなかった。

(「・・・おい」)
(「煩い」)

小声の反論はぴしゃりと却下される。
二人がいるのは人が隠れるには無理がある空間に無理に身体を押し込んでいた。
必然、密着状態な訳だがこちらの心情に構う事なく、 は探るように辺りを警戒している。
が、こちらはそれどころではない。

(「なんでんな狭い場所で張り込むんだよ」)
(「私一人用だったからよ」)
(「にしたって・・・」)

尚も続くような不平を は手を挙げて黙らせる。
すると、路地から潜めた声が響いた。

『これで本当に魔導器ブラスティアが使えるようになるのか?』
『試しに見せたでしょう、この照明魔導器ルクスブラスティア
以前通り、ですよ』
『そ、そうか!これで漸くーー』
「はーい、そこまで」

早速と、 はやり取りをしているだろう者達の前に姿を現した。
突然の事に、ギョッとしたように男達はたじろぐ。
数は二。
身なりの良い方が取引相手、ガタイの良い方がこちらのターゲットか。

「誰だ!」
「不正の粛清人ってところかしら?」
「ふざけた事を!」
「偽物掴まされて気付けてない無能成金は黙ってて」
「「なっ!?」」

両者を黙らせ、 の鋭い視線はすいとガタイの良い男へと向いた。

「私が用事あるのはそっちの男」
「ちっ!」
「おっと、こっちは通行止だぜ」
「そっちの通行止なくても、逃げるなら動けなくしてあげるから盛大に抵抗して構わないけど?」
「ぎゃっ!」

短い悲鳴が上がる。
そこには昏倒した身なりの良い男が倒れていた。
は拳大の石を手元で遊ばせながら、もう一人の男から視線を逸らさぬまま続ける。

「それで?どうするの?
ニセ魔導器ブラスティアではした金巻き上げてる、ギルドを騙る盗人さん?」
「貴様らギルドの・・・」
「チンピラ風情がギルドを騙るなんて、よっぽどの馬鹿か死にたがりかしら?」
「くっ・・・」
「止めとけよ、2対1だ」

行く手を阻むユーリが僅かに剣を抜く。
その後ろでは が何をするでもなくひたと状況を見据える。
逃げ場がない事に、男は諦めたように膝をついた。

「・・・」

それを はひどく冷めた目で見下ろす。
そして日が傾きだした空を見上げ、深々と嘆息した。












































































男達を拘束し、事情を話した混成部隊に引き渡し終えた二人は下町へと帰路についていた。

「終わったな」
「軽すぎる依頼だって最初から言ったわ。
荒事にならなくて残念だったわね」

棘のある言動。
会った時から変わらない険のある空気。
それに今日はやけに危なげな、いやきっと言った通りに行動していたであろう容赦ない様子に先を歩く後ろ背に問うた。

「何をそんなにイラついてんだよ」
「・・・」

の足が止まる。
逢魔時に染まる空は徐々に藍を色濃くしていく。
まるで暗い闇をゆっくりと覆いかぶせていくように。
二人の横を多くの通行人が通り過ぎて行った。
続く沈黙にユーリは諦めたように息を吐いた。

「ま、言う気がねぇのを詮索すーー」
「今日はエルを看取った日だった」
「!」

出し抜けの言葉にユーリは虚を突かれる。
が、 はそのまま歩みを再開しユーリは慌ててその後を追った。
エルーー彼女の口から出たその名は、かつての大戦、人魔戦争で唯一人間側の味方をした始祖の隷長エンテレケイアの長の愛称。
そして、そのパートナーを人間に奪われた事で世界を滅ぼそうとしたかつてのデュークの友、エルシフル。
身近とも言える(後者は微妙だが)二人の人生に多大な影響を与えたものの没した日、それが今日だという。
言葉を探すユーリだが、 は喧騒を縫うように歩きながら続けて語り出す。

「と言っても、正確にこの日って訳じゃない。
当時の私は重傷で、記憶も曖昧だった。
でもデュークとあの丘で・・・消えるエルを共に看取ったの」
「・・・」
「だから、この時期は極力依頼を受けない事にしてるのよ。
人間を相手にすると、どうも加減が、ね・・・」

まるで己の力を確かめるように拳を何度も握る。
思えば、今回の依頼で が一度も剣を抜いていない事に思い当たる。
確かに側にいて肌に刺さるようなあの殺気は、かつての英雄や元騎士団長と対峙したあの時と同じ。
目の前を歩く小柄な身体も、間違いなく10年前の大戦を生き抜いた歴戦の兵。
自分は届かない、その世界を経験した者にしかきっと彼女の心情は・・・

「悪い」
「別に、独り言よ」

後ろから続くはずの足音は途絶えたが、 は歩き続けた。
全く、相変わらず聡い。
その上お人好しが過ぎる。
それに・・・

「これ以上嗅ぎ回られると、手元が狂って朝日を拝めなくしてあげちゃうかもよ?」

細い路地の前で足を止めた が面倒そうに言えば、暗がりから足音がこちらに近づいてくる。

「もぉ、そうおっかない事言わないの」
「よく言う。
情報じゃ、数人の手下もいたはずなのに応援もなし。
あの現場で見張りを片付けたのはそっちでしょ」
「およ、気付かれちゃった」

いつもと変わらない、ボサボサの髪に無精髭。
神出鬼没な風来坊。
ぼりぼりと頭を掻いてこちらに現れたレイヴンはへらりと抜けた笑みを向けてくる。

「おかしいわねぇ、気配は消してたつもりだけど」
「あの手の連中にしちゃ、取り巻きが少な過ぎ。
誰かが代わりに片付けたと考えない方が馬鹿でしょ」
「俺様ってば有能すぎって事ね」
「そんな事は一っ言も言ってない」

棘を全面に出した は、小さく嘆息すると自身も細い路地の壁へと背中を預けた。

「ハリーの依頼?」

確認のような問い。
彼がここに居る理由に思い当たるのはそれしかない。
だが、彼までもここに寄越したとすれば、帰ったら厳重抗議だ。
公私混同してもらっては、他のメンバーに示しがつかない。

「うんにゃ、話を聞いた俺様のお節介」
「・・・そう」
「依頼は完了よ、お疲ーー !?」

ズルズルとへたり込んだ にレイヴンは慌てる。
しかし は膝を折り、深々とうな垂れていた。

「はぁ・・・情けな過ぎなんだけど」

ぽつり、と消え入るような声。
俯いた顔からは表情は見えないが、珍しく弱々しい。
の見立て通り、帝都に入ってから二人の動向をずっと見ていた訳で、彼女が殺気立っていた理由も聞いていた。
それは彼女の内面を深く抉る傷跡。
そして自分も同じ傷を受けた過去。
とはいえ、あけっぴろげに誰かに八つ当たりする事など少ない にとっては、今回の依頼は間が悪かった上、組んだ相手も悪かった。

「・・・良いんじゃない?たまにはそんな時があっても」
「八つ当たりのどこがいいのよ」
「およ、八つ当たりの自覚はあるのね」
「・・・」
「当たれる相手が居るのなんて幸せじゃないの」
「・・・私がそれ嫌なの知ってて言うのね」
「人を頼るのも覚えなさいよっと」
「ちょっ!」

強制的に の手を取り立ち上がらせたレイヴンは、相手の手を引き歩き出した。
身構えていなかっただけに相手のされるまま、躓かないようにするのが精一杯で は反論のタイミングを逃した。


「仕事はお終い。
ならやる事は一つよ、ほれ飲みに行くわよ〜」
「まだ報告書が!」
「んなのあとあと〜、まずは乾杯して話はそれからよ〜」
「人の話を聞け!」

吠える声は夜空に響くが、引かれる手の温かさに の厳しい表情も諦めたように和らいでいった。

「・・・」
(「 が酔い潰れるとは、珍しいわね」)

酒場に入って早々、いつもより少ないグラスが空いただけで はすぐにテーブルに突っ伏していた。
なかなかお目にかかれない光景に、レイヴンは羽織をその肩にかける。

「肩くらい、いつでも貸すわよ」

もう聞いてないだろう相手に、小さく呟く。
共に経験した過去の大戦。
奪われたものは数知れない。
生きる事が絶望でしかなかったこの世界を、再び喜びを実感させてくれた。
こうして共に交わせる盃が、他愛もない話がかけがえの無い時間だと思えるほどに。

(「いつか もそう思えると良いわね」)



遠くから響く声。

『肩くらい、いつでも貸すわよ』

どうして私の周りにはこうもお人好しが多いのか。
あの大戦で失ったものは多い。
負った傷から逃れるように、自暴自棄になっても手を差し伸べてくれる。
新たに手に入れたものはかけがえの無いものばかりになった。
だから、もう失いたく無くて今度こそは強くなろうとしてるが、未だに過去の傷が私を捉え続けている。

(「いつか、私もあなたみたいな事言えるようになるのかな」)

毎年繰り返される目の前で失った痛み。
それを乗り越える事ができた時、私もいつか誰かに肩を貸せるそんな存在に・・・

















































本編後、翌年くらい。
心の傷が癒え、強くなれる日の先に想いを馳せる。




Back
2018.9.22