(「うーん・・・参ったな・・・」)
心中で呻いた
は、もう何度目か分からないため息をついた。
(「男ども、は論外。
でも話せる同性ってもな・・・」)
先程から堂々巡りの自問自答が続く。
だが、その答えどころか解決策の片鱗は一向に姿を現してはくれなかった。
ーー嬉しくて不安で言葉にならなくてーー
帝都、ザーフィアス。
カフェのテラス席の一角に腰を落ち着けていた
は、すでに湯気の立っていないティーカップを見つめていた。
さながら内なる問題がこちらと睨み合っているようにその顔つきは険しい。
(「実は冗談でした♪・・・なんて、ある訳なーー」)
「凄い顔ね」
「!」
突然、声をかけられたことで
はビクリと肩が跳ねた。
俯き加減だった視線を上げてみれば、そこにいたのは馴染みある顔。
同性でも羨ましいラインを持つその女性は美しい笑みを浮かべていた。
「一人で百面相できるなんて、相変わらず器用ね」
「ジュディス・・・」
小さな嘆息と一緒にその名を呼ぶ。
こうして会うのはどれほど振りだろうか。
一言断りを入れ、向かいの席に腰を下ろしたジュディスと久々の再会の掛け合いを終えた後、彼女らしい直球が飛んでくる。
「それで?何を悩んでたのかしら?」
「・・・」
微笑が強張る。
相変わらず、容赦がない。
どこぞの才女に似通う踏み込みの良さに
は言葉に迷った。
と、そんな二人の横を母子連れが賑やかに通り過ぎる。
質された答えを口に載せることははばかられ、
はその姿を見つめながら別のことを問い返した。
「ねぇ、ジュディス。母親のこと覚えてる?」
「・・・え?」
切り返された内容は、どうやら相手の意表を突いたらしい。
ジュディスには珍しいきょとんとした表情の次に現れたのは、神妙な顔。
真剣なアメシストの瞳が凝視している事に気付いた
は、妙な勘違いをされる前に先手を打った。
「あ、変な勘繰りしないでね。
ただ、ちょっと・・・ふと思ってさ・・・」
そう続けながらも、
の言葉はそこで途切れた。
朗らかに言ったつもりだったが、その表情はみるみると思い悩むそれへと変わっていく。
そして、再びため息をこぼした
は周りを見やる。
立地的に街の中心にほど近い為か、周囲からは多くの住民が織りなす喧騒に包まれている。
生活を営む、日常の音。
そこにかつての利便性は失われたが、人々は今も懸命に生きている。
懸命に、将来の不安や現実の苦悩と戦いながら精いっぱいに・・・
「あれから三年。
まだまだ魔導器がない毎日で混乱は続いてるけど、少しは余裕がでてきたからか、昔を思い出すことが多くてさ・・・」
「珍しいこともあるのね。あなたが自分から昔の話を、しかも身内に関わる事を話すなんて」
その指摘に
は目を見張った。
言われてみて初めて気付いた。
そう言えば、ユーリからも一緒に旅をしていた折、そのような事を言われた気がする。
あまり自身に関わる事は口にしてこなかった。
・・・いや、口にしたく無かった、が本音に近い。
自分の話をするということは、必然と昔の事を話す事に繋がる。
それは忘れられない痛みを掘り起こすことに他ならない。
かつての、幼い心を抉った悲しき戦いの記憶。
しばらくして
は苦笑をこぼした。
「・・・そうね、ホントに参ってるのかもね」
「参ってる?」
「ううん、こっちの話」
耳も勘も鋭い彼女に、後半の呟きを拾われてしまった。
しかし、こんな場所での巡り合わせも何かの縁なのだろう。
三年前に共に旅をし、共闘した関係だからこそなのか、
は敢えて気軽に口を開いた。
「ま、同年代でこんなこと話せるのはジュディスくらいか・・・」
そう言って、冷めたティーカップに手を伸ばし、口を湿らせると静かにそれを置いた。
「私の母はそこまで体が丈夫じゃなかったらしくてね。
私を産んで・・・しばらくして亡くなったの」
初めて聞いた事実に、ジュディスはわずかに驚きを見せたが、口を挟むことなく黙って耳を傾けた。
「周りは・・・父はひどく悲しんで憔悴してたのはよく覚えてる。
私はその姿を見ている方が悲しくてね。
顔なんてろくに覚えてない母よりも、ずっと・・・
そして幼心に感じた後ろめたさを紛らわそうと、剣の鍛錬を始めた。
そして才能を認められて、あれよあれよという間に腕を上げ、そのまま騎士団に入った。
・・・家には居たくなかったから、私はそれを喜んだわ。
そして・・・」
そこで
の言葉は途切れた。
その続きは言わずともジュディスには理解できた。
『人魔戦争』
数多の命が失われ、世界が傷付いてしまった悲劇。
互いに少なからずそこで失った。
友、家族、故郷・・・
関わった者はどんな形であれ、悲しみの十字架を背負うこととなった。
そして
は当時の始祖の隷長の盟主、エルシフルを帝国の裏切りで失い、さらにその盟主を守る行動をも利用され、家族までもが惨殺されたという話
を三年前に聞かされた。
互いに暗い過去を抱えながら、今こうして向かい合っている運命の巡り合わせは何ともおかしなものだ。
は沈んだ空気を変えるように小さく息を吐いた。
「・・・ま、そんな訳でやっと平和になったから思い出そうとしたら・・・ろくに思い出せないのよ」
ひどい話よね、と
は困ったように笑う。
「母親っていうのは、周りを見てああこんな感じなのか、っていうのは分かるんだけど・・・
私には比較できる思い出がない。
だからって訳じゃないけど、他の人はどんな風なのかなぁってね」
ジュディスに肩を竦め返した
は再び母子連れの後ろ姿を見送る。
もう小さくなっているそれは、遠目から見ても仲が良さそうに見えた。
そんな
の横顔によぎるのは、哀愁と羨望。
それを見つめていたジュディスは出し抜けに口を開いた。
「私の母は、私を産んで亡くなったと父から聞いたわ」
「え・・・あ、ごめん」
まさか教えてもらえるとは思っていなかった
はぽかんと呆けた後、慌て詫びを口にする。
しかしジュディスの方は首を振った。
「気にしないで。
要するにあなたと私は似た者同士ということね。
相談相手としては不足かしら」
「いや・・・きっと相談じゃなくて、今の気持ちを整理したいんだと思う。
命懸けで私を産んでまでして、当の娘には顔すら覚えてもらえてない。
こんな私をーー」
「好きだったんでしょう?」
はギクリと身を強張らせた。
ジュディスはゆっくりと繰り返す。
「あなたは好きだったんでしょう」
向けられた言葉の意味がじんわりとしみわたる。
好きだった・・・?
誰が?誰を?
私は・・・・・・多分そうだった、と思う。
でも屋敷で耳に届いたのは幼心を締め付ける言葉。
『生まなければ亡くなられずに済んだでしょうに』
だから、分からない。
私は、多分・・・好きだった。
なら・・・
「・・・おそらく、ね。
うっすら覚えてるのは大きくて、温かくて・・・多分、優しい人だったんだと思う」
きっと、そうだった気がする。
あえて考えないようにしていた、その先の言葉から逃れるように
は弱々しく答え、再び冷めたティーカップに手を伸ばした。
「だからそんな風になれるのか不安、という事?」
危うくカップをひっくり返すとこだった。
ジュディスの返答に
は目を瞬かせ、怪訝さを深めた。
「・・・あのねお姉さん、私の話聞いてました?」
「あなたが悩むくらいだもの、要点はそこなのでしょう?」
「いやあの、私そんな匂わす事も言ってなかったと思うけど」
「そうね。
あなたの考えは読みにくいけど・・・」
そこまで言って、ジュディスは言葉を濁す。
と、
は目の前の女性が有している生来の能力に思い至り苦虫を噛み潰した表情となった。
「ナギーグ、か・・・
それって他の人の心の中まで読めちゃうワケ?」
「そんな事しないわ、それにそんな事できる人は少ないしね」
「ふーん、そうなんだ。
じゃあ何でそう思ったの」
「勘、ね。
式を挙げて日は経っているし、タイミング的にそんな悩みかと思ってね」
は諸手を挙げるしかなかった。
これでは何の為に話題を逸らしたんだか・・・
自身の目論見が徒労に終わったことで、
は深々とため息をついた。
「・・・ジュディスってば、私の代わりに情報屋の素質があるわ」
「そう?」
一旦言葉を切り、ジュディスは妖艶な笑みで小首を傾げた。
こうして他人を煙に巻くところとか、自分の武器は遺憾無く駆使するところとか、必要に迫られた時の肝の座り様とか、自分よりも素養がある。
まったく、悩みを打ち明けるには厄介な相手を選んでしまったものだ。
「それで、この事はおじ様は知ってるのかしら?」
「いやだから・・・」
「知らないのね」
「・・・あーもう・・・」
ジュディスの言葉に
は頭をガリガリと掻いた。
もはや、どんな反応をしても藪蛇でしかない。
は話の主導権を取り返そうと、姿勢を正した。
「だから、違うって言ってるのに」
「じゃ何を隠してるの?」
「別に隠してなーー」
「こういう状況であなたが冷静になるのは、隠し事がある証拠だもの。
旅を通じて知ったことよ」
その指摘に
は深々と重いため息をつくと、椅子の背もたれにもたれかかる。
しばらく空を見上げていた
は再び視線をジュディスに戻した。
「・・・なら、この状況で私が言いたくないってことも分かってる?」
「そうね。けど、一人で悩むのは良くないわ」
「・・・」
「私でも話を聞くくらいならできるわ」
「・・・」
勝負は決した。
完膚なきまでに・・・
ジュディスの言葉・・・いや、優しげな視線を受けた
はテーブルに突っ伏した。
そのまま動かない
にジュディスは辛抱強く待つ。
ようやく聞こえてきたのは小さ過ぎる呟き。
「・・・怖いの」
「どうして?」
「・・・なんて、言われるか・・・」
「喜ばないと?」
「・・・・・・分からない」
消え入る声で吐かれた心情。
共に旅をしていても、こうした弱音は頑なに見せずにいた。
少なくとも、自分は見た事がない。
相手の機微はこちらでも驚くほど聡い彼女が、どうやら自分となるとてんでその能力は発揮されないらしい。
目の前にある、普段は見せない弱い姿を晒すそれにジュディスは手を置いた。
「あの人がいい歳して素直になれないくせに不器用な気遣いしかできないのはあなたも知ってるでしょ?」
「・・・」
「確かに軽薄で胡散臭さは昔と変わってないけど」
「・・・フォローになってない」
「大丈夫よ」
撫でられたまま、
はようやく顔を上げた。
その表情に浮かぶ弱気な表情に、ジュディスは笑みを返した。
「喜ばない訳ないわ」
それを受けた
の視界は揺らいだ。
不安で仕方なかった。
事実を告げる事も、その先の事も・・・
凶悪な魔物を相手にしてる方が気楽で良いなんておかしな話だ。
再び突っ伏してしまった
に、頭を撫で続けるジュディスの言葉が優しく降ってきた。
「言うのが遅れたわ。おめでとう
」
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2017.5.21