フィエルティア号をバウルに運んでもらえる事になったユーリ達は、大空へと飛び立った。
地上がぐんぐん下に遠ざかり、視界が蒼に覆われる。
清々しい空気がユーリ達の頬を撫で、開放的な気分にさせた。
とその時、何の前触れも無く
の傍にいたジュディスの身体が傾いた。
「っ!ジュディス!?」
慌てて
が片腕で受け止めるが、ジュディスはぐったりとしたまま意識を失っていた。
すぐに船室に運ばれたジュディスを「わたしが介抱する」と言い張ったエステルに任せ、他の皆は甲板で待つことになった。
「疲れたんでしょう。眠っています」
暫くして、船室から出てきたエステルの言葉に一同は肩の力を抜いた。
「いきなり倒れちゃうんだもん。びっくりしちゃった」
「成長の為に動けなかったバウルを寝ずに守ってたんだろう。
魔狩りの剣がいつ襲ってくるか分からなかったろうしな」
「割と平然としてたけど、今までも無理してたのかもねぇ」
「バカなのよ、あいつも。不器用なんだから」
「リタも人のこと言えないと思うけどね」
緊張を解いたユーリ達が言葉を交わし、ひとまず詳しい話は明日にしようとその日は解散となった。
ーーNo.131 破壊の理由ーー
深夜。
目の前は深い闇に包まれ、満天の星空と月明かりが煌めく。
見張りに立った
は吸い込まれそうになる空を見上げていた。
「・・・」
「夜中に黄昏て考え事か?」
「別に、そんなんじゃないわよ」
振り返る事なく
は答えれば、近付いてくる足音を聞いた。
そして、自身の隣に到着したユーリに
は視線を向けることなく聞いた。
「まだ交代には早いと思うけど?」
「知ってる」
「なんだ、寝惚けてるのかと思った」
「・・・」
「ユーリ?」
「人魔戦争でなんかあったのか?」
ストレートな問い。
いつものようなやりとりとは違うそれに、
の表情はわずかに不機嫌さを露わにする。
「詮索屋は嫌われるわよ」
「下手すりゃハゲかけたんだぜ」
「謝ったから清算済み」
「他の奴らも気にしてる」
「私にだって言いたくない事はあるわ」
それだけ言うと、
は再び視線を外した。
「・・・頼む」
「?」
「分かってるよ、お前が言いたくないって事は。
レイヴン見りゃ・・・お前にも相当な事あったって想像はできる。
・・・けど、想像だけだ。
ダメなんだよ、実際どうだったか知らねえと、何も決められねえ。
知らないかったせいで、これ以上事態を悪くさせてたまるか」
「・・・」
ユーリの悔しげな声。
それはいつかの、あの時と同じで・・・
『どうして!なんで教えてくれないの!』
『必要ない。知る事で、お主が無駄に痛みを負う事はないだけのことだ』
『そんなのイヤ!
このまま何も知らないままなんて・・・知らないせいで誰かを傷つけちゃうなら知って、私が痛みを負う!
また、私の所為でーー』
懐かしい、チクリと刺さる胸の奥。
は再び夜空に視線を向けると口を開いた。
「・・・あの戦争は関わった人の数だけ、見方がある。
ドンも息子さんを、ハリーは両親を亡くしたし、ベリウスもたくさんの同志を失った。
おそらく、参戦していたレイヴンも・・・私も単にその一人だったってだけの話よ」
「・・・ああ」
はしばらく瞳を閉じ、静かに口を開いた。
「人魔戦争・・・。
私が知っているのは、始祖の隷長と人間の戦いの中、
人間側に協力してくれた始祖の隷長がいたおかげで人間側の勝利に終わったということ」
「なっ!?」
「でも、被害は甚大だった。
勝利した始祖の隷長も、人間もとても深い傷を負ってしまった。
友を失ったもの、最愛のものを失ったもの、家族を失ったもの、生きる意味を失ったもの・・・
そして、戦争の裏では帝国の権力者の思惑で、罪もない命が奪われ、数々の裏切りが行われた」
「なんで言い切れるんだ?」
「この時期に没落した貴族は異常な数よ。
出兵したから、なんて理由で片付けられないくらい、ね。
それに・・・私は実際に目の当たりにしたもの」
悲しみと憎しみが宿った瞳で夜空を睨みつける
の横顔にユーリはかけるべき言葉が見つからなかった。
「・・・」
「10年経っても・・・ううん、きっと一生忘れられない。
魔狩りの剣なんて大部分が戦時中の魔物による襲撃で傷を負ったメンバーばかり。
恨みはそう簡単に晴れない。憎まずにはいられない。
失ったものが大きければ大きいほど、未来へ足が出ない・・・
守りたかったのに、ただ消えていくのを見ているしかなかった。
そして唯一の拠り所さえも失った・・・
残ったのは虚しさ、自分への憤り、行き場を失った憎しみ、絶望・・・」
「
、お前は・・・」
「振り上げた手を下せなくて、ぶつけようもない激情は矛先を変え誰かに向けられる。
矛盾に苦しんで、必死に忘れようともがいて、逃れきれず身を滅ぼして・・・
悪循環が悪化してどんどん深くなった泥沼にまた人ははまって・・・」
「・・・・・・」
「それが、10年前にあった出来事よ。
程度の差こそあれ、ね」
夜空から戻された
の視線がユーリを射抜く。
それは今まで見たことがない、深い悲しみと傷を負った瞳。
触れる事すら憚れるようなそれに、ユーリはたまらず視線を反らした。
「・・・話、聞いた位じゃ駄目だな」
「そんな事ないわよ」
「無駄な慰めは止めてくれ。余計惨めだろ」
「『無知故の罪に立ち向かうのは尊い』」
「?」
「話を聞かせれば、その相手に痛みを背負わせることになる。
それを覚悟で知ろうとするのは凄い事なんだって、昔大切な人に言われたわ」
再びユーリが視線を戻せば、いつも見ていた
の穏やかな微笑があった。
「だからそんな事ないのよ。
ユーリの行動も、そしてエステルの行動もね」
静かに語り終えた
は再び夜空を仰ぎ、ユーリも同じように倣う。
その話を、船室の影から聞いていた人影は痛む胸元を握りただ黙って目を閉じた。
翌日、起き出した面々は甲板に起き上がっていた。
「きれいな朝・・・でも、今こうしている間にもエアルは乱れ世界は蝕まれているかもしれないんですね」
眼下の景色を見下ろしたエステルがポツリと呟く。
それに応じるように船室の扉が開いた。
「そうよ」
甲板に歩み出てきたジュディスに皆の視線が集まる中、レイヴンは気遣うように声をかける。
「もう大丈夫なのね、ジュディスちゃん」
それに柔らかく微笑むと、ジュディスはエステルに向き直った。
「本来、エアルが多少乱れた所で世界には影響はないわ。
エアルのバランスを取る為に、常にエアルの流れを感じているものがいるから。
それがフェロ―やバウル達の始祖の隷長」
「始祖の隷長がエアルの調整役・・・」
「長い間、始祖の隷長はエアルを調整し続けてきた。
だけど近頃、エアルの増加が彼らエアル調整の力を上回ってきている」
「その一因がヘルメス式魔導器・・・
だからジュディスはその魔導器を壊して回ってたのね」
引き継いで答えた
にジュディスは頷いた。
「ええ、それが私の役目。私を救ってくれたバウルと歩む道。
最近は聖核を求めて始祖の隷長に挑む人さえいる。
彼らはその役目を果たす事がより難しくなっているわ」
「どいつもこいつも聖核を狙う理由は何なんだ?」
ドンに聞く事が叶わなかったことをユーリが訊ねるが、ジュディスは首を横に振った。
「私には分からないわ」
「こっちが掴んでる情報だと、帝国に悪用されない為って聞いてる。
騎士団側か評議会側かは分からないけど」
「でもそもそも聖核って何なの?」
「聖核とは、始祖の隷長が体内に取り込んだエアルを長い年月をかけて凝縮し、
始祖の隷長が命を落としたときに結晶となって生まれるもの。
私が知っているのはこれぐらい。
フェロ―ならもっと詳しいと思うけど・・・」
「・・・聖核は高密度エアルの結晶・・・それが本当なら、もし聖核のエネルギーをうまく引き出す事ができれば
凄まじいパワーを得ることができるわよ、きっと」
それまで黙って話を聞いていたリタが、研究者らしく表情を明るくして答えた。
しかし、その理論がよく理解できないエステルが首を傾げる。
「そんな方法があるんです?」
「少なくともあたしは・・・しらない」
「そんなことがきるヤツがいるなら、誰かが悪巧みしてるのは間違いなさそうねぇ」
レイヴンが胡座をかいたまま顎髭を撫でる。
リタも片手を米神に当てたまま再び考え込んだ。
「でも・・・どうして最初に話してくれなかったの」
「全くだ。
話してくれればこんなややこしいことにはならなかった。違うか?」
カロルとユーリの言葉にジュディスは困ったように眉根を寄せた。
「・・・知っても・・・あなた達には無理な事があるから」
「どういう事?」
再び問うたカロルに、ジュディスはエステルを見つめたまま口を開いた。
「・・・あの時私達がヘリオードへ向かったのは、バウルがエアルの乱れを感じたから。
エアルの乱れがあるところにヘルメス式魔導器はある・・・でも、そこにいたのは魔導器ではなく、人間だった。
そんなこと今まで無かったのに・・・」
困惑する声にそれまで考え込んでいたリタがはっとしたようにジュディスを見た。
「何故、バウルがエステルをエアルの乱れと感じたか。
私は知る必要があったの、私の道を歩む為に。
そんな時、フェロ―が現れた。
彼はエステルが何者なのか、知っているようだった・・・」
「ダングレストで言ってた『世界の毒』か・・・」
は独白する。
ジュディスからの視線を受けていたエステルは、口を挟む事なく話に聞き入った。
「私の役目はヘルメス式魔導器を破壊すること。
だけど、エステルは魔導器じゃない。だから見極めさせて欲しい・・・
私は彼にある約束を持ちかけた。そして彼は私に時間をくれた」
「その約束って・・・」
恐る恐る訊ねたカロルに、ジュディスは一旦口を閉じた。
そして数呼吸の後、エステルから視線を外すことなく再び話し始めた。
「もし、消さなければならない存在なら私が・・・殺す」
「あんた!」
「はーい、ストップストップ」
「落ち着けって。ジュディスちゃん、結局手を下してないっしょ」
とレイヴンからの制止の声が上がり、リタは堪えるように拳を握った。
一方、正面からジュディスの言葉を受けたエステルはきゅっと唇を引き結んだまま視線を落とした。
「・・・」
「話はわかった」
事情を飲み込めたユーリは、気不味い沈黙を破って言葉を返す。
ジュディスは再びエステルに向け口を開いた。
「ベリウスは言ってたわね。
あなたには心あると、フェロ―にもあなたの心が伝われば、これからどうするべきか分かるかもしれない」
言われた提案を考え込むエステルに、リタは気遣うように言葉を選ぶ。
「ね、ねぇ、もうフェロ―に会う必要なんて無いんじゃない?
だって、ほら、問題はヘルメス式魔導器って分かったんだし、聖核も悪いこと企んでるヤツに渡さないようにすればいいわけだし」
「・・・・・・わたし、フェロ―に会いたいです。
そして話を聞きたい」
不安が残る瞳を向けながらもエステルはしっかりと口にした。
「でも・・・」
「リタ、エステル本人がそう言っているのよ?ここは尊重すべきだわ」
「そうだけど・・・」
まだ食い下がるリタに、
は嘆息すると小声で呟いた。
「推論はあくまでも推論でしかないわ」
「!
・・・」
含みのある言葉に驚いた表情で肩越しに振り返ったリタに、
はただ静かに見返す。
二人を取り巻く雰囲気に周りは首を傾げたが、
は説明することなくエステルに視線を移した。
「決意は揺るがないでしょ?」
「はい。
もう・・・覚悟は決めていますから」
上等、と
は頷くとユーリを見た。
「当の本人がこう言ってる。次の目的地は決まったわね」
「よし、フェロ―に会いにいこう。オレ達の旅の最初の目的、それをこなしちまおう。
後のことはそれからだ」
ユーリの言葉にリタだけが不満そうな顔をしていたが、進路は次なる目的地、フェロ―の元へと向けられた。
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2008.7.9