ーードサッーー
「ったく、ヌルい奴らばっかだな。業魔の方がよっぽど歯ごたえあんぞ」
そこかしこに横たわる、いや斬り捨てられた刺客相手に真底つまらなそうな捨て台詞が響く。
そして血糊が付いた大刀を振り払うと鞘に収め、男は街道へと足を戻した。
「あー、つまんねぇ。当主辞めりゃぁ相当な腕利きがわんさか来ると思ったのにとんだ肩透かしだぜ。
こんなんじゃ腕が鈍っちまう、どっかに強ぇ奴は転がってねぇかなぁ」
不満をこれでもかと並べ立て、街道を我が物顔で歩く。
元々人気がないのか、不穏な騒ぎで逃げたのか、街道に人影は見当たらなかった。
と、視線の先。
街道に枝葉が影を作るほどの太い幹のたもとにより掛かる人影があった。
遠目で分かるのは線の細さから、女。
気に留める必要は無いかと思った。
しかし、
「!」
「・・・」
干からびた紙が燃え上がるように、凍えていた血が沸騰するように、表情が悦楽に塗り替わっていく。
ひたとこちらを見据えるそれは見覚えがあった。
いや、正確にはーー
「よぉ、何年振りだ?」
ーー心待ちにしていた。
ーー桜舞い散る下でーー
口端を上げるシグレと対照的に、氷った湖面を思わせる無感情な表情では静かに返した。
「世間話をしに来たと思う?」
「相変わらずかてぇな」
「どうして離反したの?」
「調べた通りだぜ」
「本当の理由を質してるの」
取り付く島もなく、淡々と詰問するその目には何の熱もこもっていない。
それは日向を歩く者ではない証。
だが昏い瞳の奥、何者をも容赦なく狩り取る冷刃な牙を秘めているのをシグレは知っている。
ピリピリと肌に刺さる殺気の心地良さに、シグレはにやりと笑った。
「お前、分かってねぇな」
「・・・」
「知りたきゃどうするのが正しいかなんざ、とうの昔に分かってるだろうが」
互いを包むのは鮮血で染まったいくつもの夜を越えてきた者だけが纏う空気。
とても慣れ親しんだもの。
ようやく訪れた。
ゾクゾクする興奮冷めやらぬまま、楽しげな表情でシグレは手にした大太刀を抜くと、切っ先を相手へ向けた。
「来いよ、調停人」
「・・・参ります」
瞬間、刀を構えたシグレの前から、ふっと姿が消える。
シグレは動じることなく刀を背後に振り下ろした。
ーーギィーーーンッ!ーー
「ははっ!これこれ!こーいうのを待ってたんだ!」
「・・・」
不意を突いたはずの一撃を易々と防がれただったが、その表情にさざなみは起きない。
すぐさま柄を握っていた片手を放すとシグレの刀を掴み、そこを支点に鋭い蹴りが風を切った。
空気が唸る音がシグレを襲う。
「と!」
こめかみの急所を狙ったそれに、シグレは思わず仰け反り、互いの距離は再び開いた。
瞬きの間の攻防。
両者はまた構え合うが、顔を伝う違和感にシグレがそこを拭えば手の甲に乗る鮮やかな紅。
避けたはずの蹴りがこめかみを割いた。
直撃していれば、間違いなく意識を持っていかれていた事実に、更に口端が上がった。
「おいおい、もう10年位経つってのにどうして腕が上がってんだよ」
「・・・」
「無視かよ!」
ーーギィーーーンッ!ーー
再び斬り結ぶ。
体格差からシグレが押し負けることは無い。
が、スピード・身軽さ・計略の高さは全て相手に分がある。
「は!まぁいいか!」
だが、だからこそ望むところ。
剣戟を重ね、死角からの攻撃に、柔軟さを生かされた予想外の一撃に徐々に、しかし確実にシグレの身体に赤い線が重なっていく。
「っ!んの!」
ーーブンッ!ーー
頬に走る鋭い痛みに、太刀を一閃させるも、やはり軽やかに避けられる。
再び睨み合うような両者。
すでに何十合も重ねていたが互いの息は乱れず、しかし命のやり取りは続く。
「は!相変わらず早ぇな」
「・・・」
「どうしたよ?会わねぇうちに喋り方忘れたか?」
「・・・」
会話に応えは返されず、再びの姿は消える。
今度は刀を構えず大きく飛び退いたシグレだったが、急に目の前に姿を晒したは更に踏み込み太刀を一閃させる。
「ととっ!」
再び仰け反ってその一撃を躱したシグレだったが、足元の石に足を取られバランスを崩した。
「のわっ!」
当然、体勢を崩したシグレには容赦なく刃を振り下ろす。
「げ」
「・・・」
「なーんてな」
「!」
ーーギィーーーンッ!ーー
しかし、にやりと笑ったシグレは崩れた体勢のまま重い剣戟を放ちの刀を弾き飛ばした。
初めて表情を変えただったが、シグレは強靭な背筋で体勢を戻し、握っていた大太刀を手放すと同時に細い手首を一掴みにすると手近かとなった大樹に突き飛ばした
「捕まえたぜ」
「・・・っ」
「んだよ、しおらしな。そんなに俺に負けて悔しいか?」
「・・・殺しなさい」
「は?」
両手首を頭上で拘束されたはうなだれたまま、会った時と同じように熱が無い声で続けた。
「『主命果たせざるは死あるのみ』。私はあなたを殺すために来たのよ」
「はぁ?お前キャスパリーグの身内なら、んなの関係ねぇだろ」
「今回、調停人として来たわ」
「だから殺せってか?つまんねぇ話だ」
「・・・そうね」
自身の命がかかっているというのに、興味が一切ないようなの返答。
かつてなら、共に研鑽を重ねていた幼いあの時代だったら、このような状況になっても互いに躍起になって悪あがきを重ね最後まで諦めはしなかった。
そうしてきたからこそ、調停人として、キャスパリーグ家の矛として、互いに実力者と為って肩を並べていたのだ。
気に入らない。
送られてくる刺客は結局、退屈しのぎにもならなかった。
久しぶりに身体に傷を付けるほどの手練、それがかつての好敵手。
それだというのに昔と違ってこの落ちぶれ様、原因となっている相手に腸が煮えくり返りシグレの声に怒気がこもる。
「だったら、んなつまんねぇ家出ちまえよ」
「出たとしても、あなたを殺す追っ手は続くわ」
「構うかよ。強い奴が送り込まれるなら上等だ」
「・・・相変わらずね」
相手に顔が見えないからか、は薄く笑った。
どうしてだろう。
呆れているのに嬉しい自分が居る。
もう長いこと会っていないというのに、この男だけは昔のままだ。
未だに顔を上げないからの呆れたような返答に、まともな会話となってきたことでシグレは口端を上げた。
「まぁな。お前に勝てて気分も良いしな」
「勝った?私はまだ生きてるわ」
「こうやって手も足も出ねぇだろ?」
「この体勢からでもたくさん殺してきたけど」
「けど、俺には通じねぇだろ?」
「・・・」
事実を告げられ、は閉口する。
黙してしまったにシグレは反応を待つも一向に何も起こらない。
どうしてやろうかと逡巡したが、まどろっこしいとばかりにシグレの無骨な手が伸ばされの顎にかかると力尽くで上を向かせた。
「!」
「やっと手に入れたぜ」
間近で交錯する視線。
剣戟を交えた一瞬ではないそれにの胸中が荒れ狂う。
触れられた手が痛いほど心を揺さぶる。
駄目だ。
この手に、これ以上触れられたら・・・
荒れる内心を表情に出さず、勝ち誇る笑みを浮かべるシグレには口端を上げ不敵に笑い返す。
「手に入るかしらね」
「入れたさ」
「・・・!」
突如、互いの距離はゼロとなり唇を塞がれる。
呼吸を許さず僅かのそれすら奪うほど深くなる口付け。
両手を拘束されたままでは、碌に抵抗もできずは酸欠での目の前が霞んだ。
「舌を噛み切らせて死なせるかよ」
「・・・」
肩で息をするしかないに、シグレが苛立つように言い放つ。
そしてシグレは拘束していた手を離し、自力で立てないはそのまま地面に座り込んだ。
「本当に調停人として来たなら、どうしていつもの仕込みがねぇんだよ?それに毒付きの小刀もあの太刀に毒も無しだ」
「さぁ・・・久しぶりで忘れたんじゃない?」
「その腕で久しぶりだ?違ぇだろ、あえて仕込でこなかったんだろうが」
こちらと視線を合わせ膝を折ったシグレは苛立たしそうに鼻を鳴らす。
全く、こういう勘だけは鋭いのは昔から変わらないと、はぼんやりと考える。
そんなを他所に、シグレは揺らがぬ視線をただ真っ直ぐ向けさらに続けた。
「お前がどれほど有能だったか、この俺が忘れるわけねぇだろ」
「・・・買い被りね」
「まして、あんな飾りの主君には持ち腐れだ」
「・・・」
「あの家を出ろ、」
「・・・」
繰り返される言葉。
だが言葉にするには許されない願い。
に返せる言葉は見つからなかった。
キャスパリーグ家を出れば、残されたランゲツ家が責を負う。
体裁を第一とするプライドの塊しかないあの男のことだ、間違いなく関係縁者に手を下すだろう。
それならば、とはせめぎあう心中の葛藤を握りつぶすように地についた拳に力を込めた。
「私は・・・キャスパリーグの人間です。身内の汚点はーー」
ーーザンッ!ーー
一息で紡がれた言葉を遮るように、シグレは小太刀を一閃させる。
同時に、キャスパリーグの家紋が入ったチョーカーが軽い音を立てて地に落ちた。
「これで・キャスパリーグは死んだ」
「・・・」
「お前は、もうただの『』だ」
首元に手を当てれば、そこにあった感触は消えていた。
キャスパリーグの家名を示すものだったが、それはまさしく服従の証としての首輪だった。
だが、その選択は覚悟の上での選択。
かつて共に戦ったこの男が己の信念を曲げずに生きていけるなら、面倒なシガラミは全て引き受けると決めた。
「私は・・・」
そう、覚悟していたはずなのに言葉が続かない。
生まれてからずっと感情を揺らさず冷静沈着に任務を遂行していた日々だった。
家を出てからはずっとこの心は凍っていたというのに。
それなのに、どうして視界が揺れるんだ?
頬に走る一筋の熱はなんだ?
どうして、この男からの言葉に感情が取り繕えなくなるんだ。
静かに涙を流すにシグレは繰り返す。
「散々教わったろうが?強者に従え」
「・・・」
骨身に、魂に刻まれている教訓に返すべき答えは決まっていた。
だが自分の意思は通せない。
通した先にある、戦う力がない者の血に濡れた未来には首を横に降る。
「できーー」
「言ったろ、お前は俺の物だ。そしてただのだ、調停人でも何でもねぇ」
「でも・・・」
「んだよ、まだ他に何かあんのか?」
「・・・」
「あー、だんまり無し。言いたいことは今全部吐け」
はぐらかされるつもりはないとばかりに、シグレは視線を外すを再び強制的に自分に向かせる。
口を閉ざしていただったが、凍った中から掬うようにポツポツと紡いでいく。
「・・・ランゲツ家に、責が・・・」
「は?俺が出奔している時点で今更だろ」
「のこ、てる、家だって・・・」
「あー、それな。取り潰し決まった後、腹括った奴はランゲツ家で引き取ってそれ以外は年季明けつー扱いにした」
「・・・え」
そんな話し、聞かされていない。
事あるごとに自分の身内に近い彼らを盾に取り、あの男は無理難題な任務を吹っかけてきた。
だが、その心配は無用だという最も説得力がある、当主であった男からの言葉。
「なら・・・」
「おう、お前が気にすることはひとっつもねーってことだよ」
「・・・」
肩の荷が下りたとはこのことだろうか。
自身の立場でできるうる限りは果たした事実に収まっていた涙が溢れる。
かつて見慣れた安堵した表情を見せるに、シグレは嘆息すると手を伸ばす。
「言いたいことはそれで全部か?」
「・・・ん」
「ったくよ。お前は昔っから周りに気ぃ遣い過ぎだ。散々他人に遣ったんだそろそろてめぇに遣え」
「・・・ぅん」
乱暴に目元を拭われながらは繰り返し頷いた。
しばらくして、やっと落ち着いたようなに仕切り直すようにシグレは声を張った。
「おーし、言い残すことはもう無ぇな」
「言い方」
「じゃ、答えを寄越せ」
もう雄弁であるはずの問いの返答には苦笑を返す。
「もう分かってるでしょ」
「いいから言えっての。勝ったのは俺だぞ」
口端を下げ強要してくるかつての馴染みの姿には小さく息を整える。
そして、今度はしっかりとシグレを見据え晴れやかな表情で告げた。
「シグレと一緒に行く」
「当然だな」
立ち上がったシグレから無骨な大きな手が差し出される。
木立から溢れる陽光がまるで今までの宵闇を晴らしてくれるようだった。
「お前となら腕も鈍らねぇし面白くなりそうだ」
「ふふ、ご期待に添えるように精進するわ」
闇底から救ってくれるその大きな手に迷いなく自身の手を重ねたは、引き起こされると共に晴れやかな笑みを浮かべた。
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2023.06.11