取付け作業のため、その日はそのままユリアシティで休む事となった。
それぞれが、それぞれの心持ちの中、魔界の時間はゆっくりと流れていくのだった。
ーーNo.48それぞれの夜ーー
時刻は外殻で言うところの深夜。
タルタロスの一室では主と従者が長い一日の開放感に緊張を解いていた。
「はう〜、もうくったくたですよぉ〜。
イオン様、お身体は大丈夫ですかぁ?」
「ええ、大丈夫ですよ」
なら良かったですぅ、と簡易ベッドに横になるアニスはトクナガを抱きしめ笑顔を見せる。
つられるようにイオンの表情が和らいだ。
状況は笑顔を浮かべられるものではない。
しかしその笑顔に今までもどれほど心穏やかになれたことだろうか。
「アニス」
「なんですかぁ、イオン様」
「ありがとう」
「ど、どうしたんですかぁ突然」
突然、告げられた礼にアニスは戸惑い顔を浮かべる。
「アニスが居てくれたお陰で僕はこうしてここに居ることができるんです」
「も、もー、何改まっちゃってるんですか!
イオン様の事はあたしよりカンタビレの方が守ってるじゃないですかぁ!」
「そうですね・・・確かにカンタビレは僕の為に尽くしてくれています」
その事に疑問を抱いた事は少なからずあった。
それを察してか、カンタビレみずから話してくれる機会もあった。
だが、核心はずっと聞けていない。
何故なら・・・・・・怖い。
それを尋ねれば、もしかしたら自分はカンタビレの想いを、捧げられた忠義を裏切る事になるのではないか、と・・・
「・・・」
「イオン様?」
考え込むイオンに、アニスが心配そうに声をかければ、話を変えるようにイオンは声を沈めた。
「今回の件、ルークだけを責められません。僕が封印を解かなければ・・・」
「違いますよ!イオン様は何も知らなかったじゃないですか!」
ガバッと飛び起きたアニスは、その勢いのままイオンの目の前まで飛んで来るとまくし立てた。
「それに総長はどんな手を使ってもイオン様に開けさせましたもん!
あの無愛想だけど腕だけは立つカンタビレだってやられちゃってたし!意地悪だけどチョー頭いい眼鏡大佐はいなかったし!それにそれに!」
「・・・ふふっ」
「ほえ?」
急に笑ってしまったことで、目を丸くしたアニスはキョトンとした顔を見せた。
必死に言い募る少女が自分を慰めてくれる健気な姿。
凝り固まった心が、解けていくのが分かる。
自分に飾ることない素直な心を向けてくれる事が、今は何よりも救われた気がした。
「いえ、すみません。ちょっと嬉しくて」
「・・・もしかしてイオン様、あたしをからかったんですか?」
「そういうつもりじゃなかったんですが」
「ぶー、そんな笑顔で言われても説得力ないですよー。
イオン様、大佐に似てきてますよぉ〜」
「そうでしょうか?」
「そうですよ〜」
「ふふふ、それはそれで楽しいかもしれませんね」
「どこがですかぁ!」
ささくれ立った心が、ゆっくりと和らいでいく。
それは魔界にいる事を少しの間だけ忘れる事ができた。
「眠れないのかい?」
かけられた声に振り返れば、ゆっくりと歩み寄って来たガイが現れる。
問いに答えず、タルタロスの甲板から魔界の空を見上げたナタリアは小さく息を吐いた。
青空ではない、見上げる度に心を不安で満たす色。
それは自責の念をも掻き立てた。
「・・・結局、私はアクゼリュスの民を救えませんでしたわ」
消沈し肩を落とすナタリアの隣に並んだガイも同じく空を見上げた。
崩落から抜け出すのに手一杯だった時と違い、魔界から脱出できる目処がたちこうして時間ができたからこそ改めて突きつけられる現実。
失った命の重さにやるせなさが募る。
「それはナタリアだけの責任じゃないさ」
そうだ。
冷静になってみれば、ルークだけを責めるのも間違っていたかもしれない。
『レプリカ』
そうとは知らずにあのようなワガママ放題に育ててしまった一因は間違いなく自分達にもある。
そして、もしかしたら自分の立場は、一歩間違えていれば・・・
「・・・俺達、全員の責任だ」
確実に増していく苦味に悔しげに顔を歪めたガイは、無力さを潰すように握った拳にさらに力を込めた。
その様子を目の端で見たナタリアは、視線を戻し両手を胸の前で組んだ。
「そう、ですわね・・・だからアッシュも私と口をきいてくださらないのですわ」
「何かあったのかい?」
「いいえ、何も・・・」
「?」
ナタリアの返答にガイは疑問符を浮かべる。
「先ほど姿を見かけて、話そうとしたんですけど・・・すぐにどこかに行ってしまわれたんですわ」
「・・・」
「私がアクゼリュスで何も出来なかったから、きっと・・・」
「違うんじゃないか」
「え?」
断言したガイにナタリアは憂い顔を隣に向けた。
「ナタリアは、どう思ったんだ?アッシュと会えて」
「それは・・・とても驚きましたわ。
アッシュが本当のルークだと知って、何と声をかければ良いか、何を話せば良いか迷うくらい・・・
おかしいですわよね。
私、あんなにルークの記憶が戻ったら昔のようにと、思ってましたのに。
本当のルークが目の前に現れたら言葉が出てきませんの」
悲しげに呟くナタリアに、再び魔界の空を見上げたガイはすいと視線を眇め口を開いた。
「ならあいつもそうなんじゃないか?
ナタリアと同じで整理がつかないから、そんな態度になっただけだと思うね。
ま、当人がどう思ってるかは知らないけどな」
「そうだったら良いのですが・・・」
やや突き放す言葉に込められた冷たさに気付くことなく、ナタリアは祈るように組んだ両手の前で頭を垂れた。
迷い、葛藤、燻る昏い感情。
心中の渦巻く感情に答えを見出せないまま、想いを馳せる者達を呑み込むように瘴気の空はただ重く広がるばかりだった。
ジェイドは明日に控える作戦の最終確認のため、艦橋にいた。
手元のモニターに浮かぶ計算式はあと数分もあれば結果が出る。
取り付けは思いの外、時間はかからなかった。
ユリアシティの技術者、というより共に作業をした者の手際が良かった事が大きかった。
ーー数時間前
「ジェイド、この数値でどうだ」
「ふむ・・・問題ないでしょう」
「なら外殻に支障なく戻れるということだな」
「理論上でもそういう結果ですからね」
「無事に戻れるならそれでいい」
彼らしからぬ言動に思わず面喰らった。
アクゼリュスで見た強硬手段も辞さない目の前の青年。
今回の作戦、陸艦の構造上でも作戦の理論上でも多少の事では失敗しない。
わざわざそこまで念を押すような確認が必要な作戦でもないだろうに。
それが相手の気に障ったらしい。
険のある視線が返された。
「・・・何だ?」
「いえ、貴方がそのような心配をするのが少々意外でしてね。
崩落でも傷一つ負ってませんでしたから」
「ふん。俺を軟弱なレプリカと一緒にするな。
タルタロスには俺以外に訓練を受けてない奴も居るから聞いただけだ」
その答えに合点がついた。
なるほど、彼が心配しているのは特定の人物についての心配だったのだ。
『奴ら』とは言ってもそれは1人だけだろう。
計器への入力や、作業員への的確な指示。
それはすでに消えてしまった街で頼りない姿を見せていた人物とは違う。
似て非なるそれに違和感が募る。
そしてそんな存在を作ってしまった原因は間違いなく自分だ。
「おい、聞いているのか?」
苛立ちがこもった声に現実に引き戻される。
思いのほか物思いに耽っていたようだ。
さっさと答えろ、とばかりな怪訝な顔がこちらを向いていた。
ああ、こういう表情は見覚えがある。
「何か問題でもあるのか?」
焦れた声に応じるようにジェイドは何事も無かったようにメガネを押し上げた。
「いえ、問題ないでしょう」
「だったら俺に出来ることはもうない。残りは任せる」
「やれやれ、人使いが荒いですねえ」
「ふん。どうせ細かい調整はあんたしかできねぇだろうが」
「それは確かに。仕方ありません、引き受けましょう」
遠くなっていく背中。
しゃんとしているがこの青年の人生を自分は歪めてしまった要因を作った。
そう。
自分があの日を、あの人への思いを取り戻そうと作った技術が今の悲劇を生んだのだ。
「アッシュ」
「何だ?」
思わず呼び止めてしまったことに驚いた。
一体、自分は何をしようとしているのだ?
「・・・」
「用がないなら行くぞ」
「・・・いえ、助かりました。私一人ではこんなに早く終わりませんでしたからね」
「そうか」
短くそう言ったアッシュは、さっと踵を返して去って行った。
しばらく誰もいないその空間を見つめながら、ジェイドは艦橋の椅子へと腰を下ろす。
そして言いかけた言葉の衝動を理解しようと腕を組んだ。
「・・・」
そう、思わず口を突いた。
『貴方は私を責めないのですか?』
愚問だろう。
まったく、何を血迷った事を口走ろうとしていたのか。
ジェイドの小さな嘆息は薄暗い艦橋に消えた。
イオンとアニスが居る船室の廊下にカンタビレは背を預けていた。
「・・・」
中でイオンがアニスと談笑する音が聞こえる。
あのような事があった直後でいつも通りとはいかないまでも、黙って落ち込んでいられるよりはマシに思えた。
気掛かりの一つが大した事なくて良かった。
「はぁ・・・」
思わず溜め息がこぼれる。
これまで起こった事、これから起こるであろう事、自身が取れる策、そして目の前に残っている現実。
失われた命の多さに息が詰まる。
アクゼリュスの住民達、自分の命令で駆けつけた部下達、幼い命・・・
視界を埋めるのはただただ渦巻く瘴気の赤黒い闇だけ。
このような景色では気分も余計に滅入る気がした。
「カンタビレ?」
訝る声に視線を返してやれば、そこに居たのはジェイドと一緒に居るはずの青年。
明日の作戦に向け、機材の調整をしてるだろう人物が何故ここにいる。
「んな所で油を売ってる暇あんのか?」
「装置の取付けも計器の調整も終わっている」
「そりゃ何より」
投げやりに返してやれば、カンタビレは再び魔界の景色に視線を投じた。
用がないなら彼のことだ、さっさと歩き去ってこれからの事に考えを巡らせるだろう。
だが、予想に反し動こうとしない相手に、まだ用があるのかとばかりに一つ嘆息した。
「まだ俺に用事か?」
「ねぇよ」
「なら許嫁のとこにでも行ったらどうだ?
向こうは会いたがってるだろうよ」
「・・・だろうな」
だろうな?
微妙な返答にカンタビレが再びアッシュを見れば、いつにも増して気難しい顔だ。
10代にして、眉間のシワがもう取れないのではないかというほど深められている。
(「・・・面倒な奴だな」)
大方、予想はついた。
1.向こうは話し掛けたがこいつは自ら距離を置いた
2.向こうが探してたのを見て尻尾を巻いて逃げた
のどちらかというところか。
相変わらず融通のきかない奴だ。
「うだうだ考えやがって、女々しい野郎だなお前は」
「余計な世話だ」
「何話せば良いのか分からねぇからって俺のとこに逃げ込んでる奴が大口叩くんじゃねぇ」
「なっ!う、うるせぇ!」
肩を怒らせアッシュはズンズンと歩き去った。
予想の間を取った事を言ってみたが図星だったようだ。
方向からして船室の何処かか。
まったく、どれだけ餓鬼・・・
(「・・・ま、自分にとっちゃ餓鬼に変わりねぇか」)
面倒気に息を吐いたカンタビレは、再び廊下に背中を預け瞼を閉じる。
本格的に動くまで時間がある。
ひとまず頭を休ませよう。
準備が整えば嫌でも目まぐるしく動かなければいけなくなるのだから。
漏れ聞こえる談笑を背後曲に、魔界の時間はゆっくりと流れていった。
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2023.06.11