そう、それは10年ほど前の話になる。
故郷を捨て、各地を放浪し、志を共にすると決めた同志がいる神託の盾騎士団へ身を寄せた。
あの頃はダアトの地理にも疎く、騎士団で顔見知りも居るはずもなく、何より過去の忌々しい出来事から逃れようと気付けば酒を飲める場所に足が向いていた。
ーー虚像ーー
(「こんな場所があるのか・・・」)
宗教都市ダアト。
世界の平穏と秩序を守る為、預言を遵守するローレライ教団が設立された都市。
無論というか、この地に暮らす市民は皆、預言を敬虔に守り戒律の類を破るような者は少ない。
故に、他の都市に比べ娯楽と呼べるものはない。
だが、世界にはびこる魔物の脅威から護衛となる傭兵の溜まり場はどこにでもある。
目の前にある酒場も、まるでこのダアトではつまはじき者が身を寄せるに相応しい外観だった。
「・・・」
物怖じすることなく店内に入る。
すると意外にも店は繁盛しているようで、どこからも賑やかな声が響く。
「らっしゃい。お、見ねぇ顔だね兄さん」
「・・・ああ」
運良く空いていたカウンターに座れば、強面にしては愛想の良い店主らしい男に声をかけられる。
「さては傭兵稼業者だろ?この店にゃその手は常連だ。
何にするね?」
「そうだなーー」
「なんだとてめぇ!もういっぺん言ってみやがれ!」
怒声。
店内は水を打ったように静まり返った。
振り返れば、店の隅。
こちらからは大男の背中が、誰かに向けて怒りを向けているようだった。
「同じ事を言う程、俺は暇人でもねぇ」
「お、おい!その辺にーー」
「上等だこのクソガキ!オレ様に喧嘩売る度胸だけ買ってやる。
表出ろや!」
「陳腐なセリフの木偶に付き合う趣味もねぇよ。
俺の気が変わる前にテメェがとっとと失せろ」
「なっ!?」
「その辺にしとけ!」
こちらから見えるのは相変わらず大男の背中だけ。
だが、後ろ姿だけでも相当怒り心頭なほど、スキンヘッドが真っ赤になっていく。
諌めている相手もいるようだが、これでは時間を要さず騒ぎになるだろう。
「あっちゃ〜、またか・・・」
「また?」
「いや、常連さんなんだが喧嘩っ早い人でな・・・」
ほとほと困り顔の店主。
だが、その様子からして止めに入る気配はない。
周囲の客も成り行きを見ているだけで、店を出ようとする者はいない。
どうやら、このような事はこの店では日常茶飯事らしい。
と、大男は目的の相手めがけ、太い腕から拳を振り下ろした。
ーードゴンッ!ーー
拳は容赦なくテーブルを木っ端微塵にした。
巻き添えの食事が乗った皿も床に落ちて不穏な音を立てる。
店主の深いため息が溢れた。
「どうだ、これでもオレが小物だって言うのか?」
得意げな大男の物言い。
その時。
大男の影になっていたその姿が現れた。
目の前の暴挙に不機嫌さを全開にした、片手にジョッキを持つ細身の青年。
その隣には一回りは大きいだろう男が、がっくりと頭を抱えてうなだれている。
「マスター」
立ち上がった青年の不機嫌ながらも、よく通る声。
不意の呼びかけに、店主は返事を返す。
「あいよ」
「先に手ぇ出したのはコイツだかんな」
「ほどほどにな」
ーーブチッ!ーー
何かが切れる音。
どう見ても勝負は見えてる。
体格の違いにラルゴは思わず店主へと言い募る。
「おい、止めないのか?あれじゃ・・・」
「まぁそうだな、持っても1分が良いところだな」
「は?」
「あれじゃぁ、賭けるにも時間が無さすぎだ」
「てめぇ!オレ様をおちょくるのもーー」
その後はまるでスローモーションのようだった。
先ほどよりも勢いを増した大男が、青年の胸倉を潰す勢いで拳を繰り出す。
そしてそれは吸い込まれるように青年を壁へと叩きつけるーー
「・・・」
ーーはずだった。
ーードゴガーーーンッ!!!ーー
大男は壁へと叩きつけられ、失神している。
周囲の客も、呆気ない幕引きに拍手やら歓声やらブーイングの嵐。
それを仕出かした青年は面倒そうに手を打ち払うと、大男を捨て置きカウンターへと陣取った。
「おーおー、これまた盛大に投げ飛ばしたもんだなー。
3秒とは、口だけだったみたいだな」
「ったく・・・やり過ぎだぞ」
「だから、先に手ぇ出したのはアレだっつーの。
目の前に証人いんだろうが」
「お前な・・・」
後から付いてきた連れらしい男にも悪びれる様子はない。
間近でその姿を見れば、漆黒の束ねた髪に意志の強さが宿った瞳。
整った顔立ちだと言うのに不機嫌な表情が人を寄せ付けない雰囲気となっているその者。
「で?何で投げ飛ばされたんだ、あの気の毒な野郎は?」
「セコイ商売で金を巻き上げてたのを指摘したら逆上してきただけだ」
「そりゃ災難」
「俺がな」
「「あの男がだろ」」
店主と連れのハモリに青年は渋面を返す。
そして、新しく出された酒を仕方なさそうに傾ける。
カウンターの中では、メモ帳にペンを走らせていた店主がペンの頭で米神を掻いた。
「ったく、新調したばっかのテーブルと皿に壁の修理と。
あんたが来ると経費がかさむな」
「払いならコレを足しにしてくれ」
「コレは?」
「あの木偶からスった」
「な!?おい!」
「で、これは俺からの払い」
「おいおい、貰い過ぎだろ」
「口止め料も込みなら妥当だろ?」
ニヤリと笑う青年に、店主もまた似たような笑みで返す。
「全く、あんたにゃ敵わん。
マールスの苦労には同情しかないわな」
「何でそうなる」
「もっと言ってやってくれ」
「マールス、てめぇな・・・」
青年の一瞥にマールスと呼ばれた連れは意に介さない。
新しいジョッキを連れに出した店主は再び青年の前で腕組みをした。
その視線は先ほどの伸びた男が、他の客達の手によって外へと運び出されていた。
「ま、最近は小競り合い続きで、ああいうガラも悪いのが増えてな。
片付けてもらえるのは助かる」
「あんま悪名高けりゃ、ヴェルトロに狩られて終わりだろうがな。
あんな小物じゃそのうち魔物の餌が関の山だ」
「おいおい、あんまその名前は言ってくれるなよ」
「せいぜい首を持ってかれんよう、清く正しく商売するこったな。
奴の地獄耳は相当らしいぞ」
首を横に削ぐ仕草をした青年に、店主は渋面を返す。
それを青年はけらけらと笑った。
と、ラルゴの目の前にジョッキが現れる。
青年の連れの男が、申し訳なさそうな表情で隣の席に腰を下ろした。
「悪いな、そっちは飲みに来たのに騒ぎに巻き込んで」
「いや・・・それよりヴェルトロっていうのはあの噂のことか?」
「あぁ。命令に忠実に、目的の首を主人に届ける神託の盾騎士団の幹部の一人の事だ。
分かってるのは大柄だってだけで、詳細は不明・・・
ってことになってる」
連れの男は酔いの回った赤い顔でラルゴに苦笑いを向ける。
「詳しいな」
「いや・・・まぁな」
ガシガシと頭を掻きながら、男はラルゴにジョッキを向けた。
「マールスだ。あっちのがカンタビレ」
「ラルゴだ、よろしく頼む」
二人は杯を打ち鳴らし、共に傾ける。
酒場独特の喧騒の中、飲むペースは早まり互いの語りは饒舌になっていく。
「しかし、大したものだ。
倍近い相手をああも易々と・・・」
「ん?ああ、まぁなんというか・・・いや、あいつは加減を知らん奴なだけだ」
「だが筋が通った事をしているんだろう?」
「それは・・・そう、なんだが・・・」
ーーピシッーー
「おいそこ、陰口なら当人が聞こえないところで叩け」
マールスの頭に木製のスプーンが当たる。
店主と話の区切りがついたのか、カンタビレが相変わらずの不機嫌顔で口を出す。
と、酔いの回ったマールスが言い返した。
「お前が言うか。
そもそもだな、お前があんないかにも短慮な相手に神経逆撫でも当然の言い回しをしたのが悪い。
お陰でまた店への破壊工作を・・・」
「その件は金で片がついてるだろうが。女々しくいちいち蒸し返すな」
「仮にも神託の盾騎士団に所属している身の上で、規律違反を堂々とするなと言っとるんだ」
「ここは酒場だっつーの。んな規律やら規則やらどーでもいいだろうが」
「いいわけあるか!お前には自覚というものが足りん!」
「一々気にしてどうする。預言盲信してる偏執狂じゃあるまいし」
けっ、と頬杖をつくカンタビレにテーブルをバンバンと叩いたマールスは語気を荒げた。
「だーかーら!そういう態度がなっとらんと言っとるんだ!」
「まぁまぁ、落ち着けマールス」
「同意だな。そう口喧しい神経質で狭量な男は女に嫌われるぞ」
「んな!?
い、今はその話は関係ないだろう!!」
「ついでに大事な所でどもる男も幻滅対象決定だろうな」
「・・・」
カンタビレのからかいが含んだ言葉に、盛大な効果音が付きそうなほど、勢いよくまくし立てていたマールスは撃沈した。
ジョッキを傾けるカンタビレに、突っ伏したマールス越しにラルゴが声をかける。
「あんたも、神託の盾騎士団なんだな」
「不本意だがな。あんたもそうなんだろ、ラルゴ?」
「何故そう思う?」
マールスとの会話でも自身の所属を口にしてない。
それにも関わらず言い切ったカンタビレに、マールスはやや目を瞠った。
そうだな、と前置きしたカンタビレは一口酒で口を湿らせる。
「騎士にしては四角四面な角がない。その歳でんな気の利く俺が知らない腕利きの騎士はこのダアトには居ない。
それにあんたのナリじゃ、傭兵と呼ぶには場数をこなした数が他の連中とは違う目だ」
「買い被りだ」
「さぁて、どうかね。
あんたの隙のない身のこなし、本気でやり合えばマールスと良い勝負になる。
そう考えりゃ・・・元傭兵で騎士団に引き入れられたって考える方が筋が通る」
ラルゴに視線を向けず、カウンターを向きながらカンタビレは淡々と語る。
思わず呆けてしまったラルゴは嘆息したように呟いた。
「・・・脱帽だな」
「んな事で感心されてもな」
フンと鼻を鳴らしたカンタビレは、終始つまらなそうな様子でジョッキを置いた。
その横顔は隣で酔い潰れた男より、自分よりも一回りは下だ。
にも関わらず、自身の倍の体格の相手を制圧した力量、相手の正体を看破した洞察力。
年相応さとは乖離した、落ち着き過ぎる2つ隣に思わずラルゴは問う。
「一つ聞きたい」
「内容による」
相変わらず頬杖を付いたまま、愛想のかけらもない、素っ気ない態度を見せるカンタビレにそれで構わないというように、ラルゴは一つ頷く。
しばらく言葉を探すようにしていたラルゴは、がたいに似合わない小さく冷たい声で聞いた。
「あんたは、預言をどう思ってる?」
「・・・」
その言葉に頬杖を付きながらも、カンタビレは初めてラルゴに視線を向けた。
音素灯の下で向けられる、深い黒曜の瞳。
その瞳は陽光の下ではどう見えるのかと思った。
まるでこちらの心の底までを見透かすような、いや既に暴かれているような胸騒ぎを覚えた。
この教団に身を寄せるきっかけとなった男と似通う、真っ直ぐで迷いのない眼光で射竦められる。
視線をカウンターに戻したカンタビレは頬杖を外した。
「世界を見えない力で支配している打ち倒さなければならない存在・・・」
「そうか・・・お前もーー」
「・・・って言やぁ満足か?」
「!」
企てを見破られたようで肩が跳ねた。
まるでラルゴの反応を楽しむように、カンタビレは口端をにやりと歪める。
そしてジョッキを一度傾け空にしたカンタビレは身体ごとラルゴに向けた。
「預言なんざ、忌むも受け容れるも全ては個人の裁量だ。
あんたがどう思い何を考えるかは俺には関係ねぇ」
「・・・」
「教団に弓引きたきゃご勝手に。
ただな、導師に手出しするなら俺は容赦するつもりはねぇからそのつもりでいるんだな」
鋭い、まるで斬られるような眼光。
言葉通り、違えるつもりはないそのカンタビレの様子は先ほど笑ってた時とは違った。
背筋がゾッとするような、身の毛がよだつほどの重圧感のある空気。
ラルゴを剣呑な視線で射抜いていたカンタビレは、はたと我に返ったのか再びカウンターに身体を向けると店主に追加の注文をしようと片手を挙げる。
話を打ち切ったようなカンタビレにラルゴは動揺を隠すように、語調を押さえた。
「不穏分子の可能性を見逃すのか?」
「は?導師に害及ぶ事が決まったわけでもねぇ奴を一々相手にしてられっかよ。
あんたみたいな預言に対して似た考えの奴らはごまんといる。
俺は暇人じゃねぇ」
ひらひらとラルゴに手を振ったカンタビレは、新しく運ばれてきたジョッキを傾けようとした。
その時、
ーーバダンッ!ーー
「カンタビレ!ここに居たのか!」
「・・・うるせぇのが来やがった」
騒々しく酒場の扉を壊す勢いで登場した人物に店内は静まり返った。
対して、一人げんなりとした表情に変わったカンタビレは、面倒くさいの最上級な全顔面全身で滲み出た溜息をしたまま振り返らず問うた。
「何の用だローワン」
「一大事だ、すぐ来い!」
「ならここで話せ」
「無理だ、お前に重要な話なんだ」
「俺には重要じゃねぇ、とっとと帰れ」
カンタビレの肩に腕を回してきた男は真剣顔でにじり寄る。
迷惑全開で相手の顔を鷲掴み返したカンタビレに、相手もそれに負けじとさらに迫る。
「お願いします!オレの話を聞いてください!」
「どうせくだらねぇ話だろうが!壁にでも駄弁ってろ暑苦しい!」
「聞いてくれないならこのまま引っ付いてやるぞ!」
「・・・餓鬼かてめぇは」
ついに根負けしたカンタビレははぁ、と心底嫌々深々と溜息をついた。
やる気皆無な気怠さのまま立ち上がったカンタビレは、酒代をテーブルに置くと店主に声をかけた。
「マスター、また寄る。マールスはいつも通り頼むわ」
「あいよ、まいどあり」
「じゃあな、ラルゴ。
せいぜい命を大事に教団に楯突くんだな」
「あんたは敵にしたくない相手だな」
「そりゃ光栄だ」
そう言ってカンタビレは踵を返す。
と、ああ、そうだと呟くと去り際に振り返った。
「ラルゴ、最後に言っとく」
「なんだ?」
「次から俺に質問に質問で返すんじゃねぇ。
次やったらぶっ飛ばす」
肩越しにピシッと指を突き付けてきたカンタビレ。
最初に会話したやり取りなど、自分でも忘れかけていた。
だが、こちらに向けられた横顔の米神に血管が浮いている。
どうやらご立腹なことは本当のようだ。
「ああ、承知した」
ラルゴの返しに満足したのか、薄く笑ったカンタビレは新たな参入者を引き摺りながら店を出て行った。
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2020.9.17