寒さが緩んできた3月。
場所によっては桜がほころぶ淡い香りが風に運ばれる。
出会いと別れの季節の時期、遠くから現れたあの人も今日この日を迎えた。
「おはようございます、七海先輩」
「・・・おはようございます」
タイミングが良いのか悪いのか、任務へ向かう途中の廊下でばったりと出くわした。
今日の任務のスケジュール的にも、きっと顔を合わせるのはこれが最後だろうなと思いながら、二人並んで廊下を歩き出す。
「今日、卒業ですよね」
「ええ」
「私、これから任務なのでお見送りできないのが残念です」
「いえ、気にしないでください」
そして両者の足が止まる。
が任務へ進む玄関口と、建人が進む廊下の分かれ道。
まるで自分達を示しているようだ、と心中で思った。
「七海先輩」
振り返ったは表情が冴えない建人へと向いた。
「こんな学校なので、こう言うのも変ですが・・・卒業、おめでとうございます」
「ありがとう、ございます」
祝いの言葉を受け取るにはそぐわない、やや顔を歪めた建人と対象的には僅かに表情を緩める。
と、そんなから建人は視線を外しながらも言葉を探した。
「聞いていると思いますが、呪術師にはなりません」
「ええ。七海先輩はそれが良いと思います」
即答で返された返答に、建人は驚いたようにを見た。
建人と再び視線を合わせることになったは、柔らかく笑いながら続けた。
「向いてないです」
「・・・」
「だから、どうぞお元気で」
手を差し出したにゆっくりと建人の手が伸びる。
「身体に気を付けて下さい」
「ありがとうございます・・・さようなら、七海先輩」
ーーウラハラーー
落桜の下では本日のスケジュールを確認していた。
昨日の時点では2件だったはずの任務が、今朝方確認した際は見覚えのない1件が増えていた。
(「追加任務か・・・1件くらいなら別にいいか」)
肩にかけた呪具も本日の階級に見合うストックで揃えてきた。
問題なし。
問題があると言えば、待ち合わせ場所にいつもは遅れないはずの待ち人が遅れていることぐらいだ。
必ず一報入れるはずのその人からの一報も無いことで、何かあったか、と折り返しのないスマホの画面を眺める。
(「それにしても伊地知くん遅いな、渋滞にでもーー」)
「お疲れサマンサ〜」
ーーピシッーー
耳に届いた声を聞いた瞬間、握ったスマホにヒビが走る。
は深ぁく深呼吸を3回すると、元凶に死んだ目を向けた。
「五条さん、お疲れ様です」
「テンション低っ〜い!若人なんだからアゲアゲ☆︎で行こうぜ☆︎」
「・・・・・・」
反比例で下がっていくテンションのが無反応を続ければ、諦めたのか悟はパンと手を叩いた。
「今日の僕はここまでの引率なんだ。今日の任務はこれから合流する子と一緒にやってね〜」
「は?追加の1件だけじゃなくて、この後の私が行く任務もですか?」
「うん」
「・・・無茶振り」
「無茶じゃないから大丈夫v」
「はぁ・・・それで一緒に来る方はーー」
「お待たせしました」
届いた声には硬直した。
そして軋む音を立てるようにして振り返る。
そこには先日から呪術師として復帰している自身の先輩が立っていた。
「よっ、七海。遅かったね〜」
「急に行き先を変えたのはあなたでしょう」
「あれ、そうだーーぐぇ」
あっけらかんとする長身目隠しに、はにこやかな表情ながらもその男の胸倉を勢いよく掴んだ。
身長差から必然的に悟は中腰の体勢となる。
「説明を」
「だからぁ、本日一緒に行く子v」
「御説明を頂けますか?」
「ちょい!この微妙な体勢、腰に来るから止めて」
「だったらそっちが私の目線より下になって下さい」
の静かながらも有無を言わせない圧に、の前で正座となった悟は口を尖らせた。
「だってー復帰戦だもーん、本調子までは単騎は無理っしょ」
「・・・どう言う悪巧みですか?」
「えー、さとるん何言われてるかわからなーいv」
「・・・」
顎の下で拳を並べ、きゃぴっと可愛くもない仕草を返す悟にそれ以上の追求を諦めたは深々とため息をついた。
それを同意の返答を受け取った悟はさっくりと立ち上がると、と共にこれからの任務の話をしているだろう潔高と建人の二人へと近付いた。
「お、そうだ。七海」
「何ですか?」
「言い忘れてたけどお前の階級、高専出た時のまんまだからには敬語ね。
こいつ準1級だかーー」
ーードスッーー
「ふぐっ」
「余計なこと言わないで下さい」
脇腹を突き崩れ落ちる悟を放置しは目的地へと歩き出す。
そして、本来の待ち人である潔高とこれからの任務がまとめられたタブレットを手渡されながら、その当人から平謝りが返される。
「すみませんでしたさん。
五条さんにスマホを取り上げられてしまって連絡入れられずで・・・」
「いえ、あの人が絡んでいたなら仕方ないですよ。
今度からアレですかね。
防犯ブザー的な対五条悟ブザーみたいなの考えましょうか。毎度振り回されるの気力が削がれます」
げんなりとしたままその場で任務の確認を手早く済ませる。
当初の確認通り、追加任務に関しても大きな問題が無かったことで、タブレットを潔高に返すとと建人は目的地へと並んで歩き出した。
「遅くなりましたが、今日はよろしくお願いします七海さん」
「こちらこそ、さん」
「・・・え」
「はい?」
呼ばれ慣れない呼称に思わずの歩みが止まる。
次いで建人も同じように歩みを止め、不思議そうな表情が返される。
どう考えても直前のやり取りの所為だろう。
「あ、いえ・・・もしかして五条さんが言ったこと気にしてます?」
「上の階級の人に敬語は当然でしょう」
「そ、れはそうなんですが・・・」
「・・・」
「いえ、何でも無いです。行きましょう」
ここで言い合っても仕方がないと、は任務を進めることにした。
しかし調子は狂いっぱなしのまま、負傷はないもののラストの3件目の任務となる。
都心から外れた廃ビルの地下。
最後の一体を祓い終えたは、頬に跳ねた血を拭い小さく息を吐いた。
「ふぅ・・・」
周囲を探っても呪霊の気配はなし。
完了したことで建人に電話かけようとスマホを取り出したが、アンテナは最近ではなかなかお目にかかれなくなった二文字。
「げ、圏外って・・・なら階段で一階まで戻るか」
地下階であったことが災いしてしまった。
今日の階級任務ならいくら復帰戦とはいえ建人の腕なら負傷もなく終えているだろう。
とはいえ、実は負傷していたのに気付きませんでした、では後でちゃらんぽらんなあの人になんて言われるか分からない。
足早に階段へと向かい、テンポよく上の階へと向かっていく。
と、B1F辺りに差し掛かった時だった。
こちらに近付いてくる駆ける音に気付いたは、念の為腰元へと手を伸ばす。
だが、予想通り現れたのは上の階を担当していた建人だった。
しかしその表情は緊迫していたため思わずの方が何かあったのかと緊張を高めた。
「
さん!」
「七海さん、どうーー」
ーーガシッーー
「どうして電話に出なかったんですか!」
勢いよく距離を詰められたかと思えば肩を掴まれた瞬間、怒鳴られた。
怒られる意味が分からず、は面食らって目を瞬いた。
「え?」
「まさか怪我を!?」
「いや、その、地下で圏外だったから今戻ろうと・・・」
「けん・・・」
「うん・・・あ、いやはい」
建人の形相に思わずタメ口になるも冷静になったが言葉を戻す。
辺りに落ちる静寂。
それはとてもいたたまれないものとなり、建人は今日一番のクソでかため息を吐くと、バツの悪さを隠すようにサングラスを押し上げた。
「すみません、取り乱しました」
「いえ・・・私こそノロノロ戻っててすみませんでした」
互いに謝り終えると二人は並んで階段で戻り始める。
しかし先程から会話は無く、気まずい空気を変えようとは口を開いた。
「七海さん」
「はい」
「心配してくださってありがとうございます」
「いえ」
「それと、今後私との共同任務だったら昔みたいに呼んでもらってもいいですか?」
空気を変えようと振った話しだったが、再び建人から返されるのは沈黙。
選ぶ話題を間違えたか?
余計に居た堪れなくなった上に、任務開始時のやり取りも思い出され、は慌てて付け加えた。
「あ。あれですよ、階級が上だからの命令的なのじゃなくて、その・・・気心知れている人からの苗字呼びが落ち着かなくて」
「はぁ・・・」
(「う"、またため息つかれた・・・」)
あれ、そもそも私が悪いのだろうか?
動きが止まってしまった建人に、も階段を登っていた足が止まる。
「・・・あなたは」
「?」
「あなたは私が嫌いなのではないですか?」
「ん・・・はい?」
建人からの言葉には盛大に首を曲げた。
言われた意味が分からない。
「・・・私が高専を離れる時、あなたは・・・」
『聞いていると思いますが、呪術師にはなりません』
『ええ。七海先輩はそれが良いと思います』
『向いてないです』
ーー卑怯者ーー
声に出さずとも、そう聞こえた気がした。
お前は逃げるのかと。
青い春の終幕の思い出は苦味を増しているように、建人の表情は曇っていた。
しかし原因がよく分かっていないの方は戸惑うしかできない。
「えーと・・・
私、七海さんのこと嫌いなんて言った覚えがないのですが・・・」
「・・・」
尚も沈黙を続ける建人に、当時の記憶を手繰るようなに建人が気にするようなワードが思い当たる。
「もしかして、卒業式当日に私が向いていないと言ったことずっと気にされてましたか?」
「・・・」
沈黙するということは肯定か。
まさかそんな勘違いをずっとさせていたとは、目論見が成功とはいえ逆に申し訳ない。
だが復帰してしまったのなら目論みを暴露しても時効だろう。
「撤回はするつもりはありません」
そう言えば建人の表情はさらに沈んだように暗くなった。
だって、あの時はただ・・・
「そうですか・・・」
「だって七海さんは優しいから、こんな血生臭い世界から離れてくれるなら幸いだと思いました」
「!」
「それにハレの卒業式に嫌味を言うよう性格悪い後輩がいる業界なら、余計に戻りたくなくなるじゃないですか」
叶うなら、忘れて幸せになってくれればそれで良いと思った。
けど、『忘れて欲しい』と言葉にすればきっとこの人は忘れないし、何より『呪い』になるかもしれないから口にできなかった。
だから、後腐れなく縁を残すことなくするための言葉を選んだつもりだった。
かつて自身にも放たれた言葉。
その裏に隠されたもう一つの道を進むように指し示された願い。
「ま、そんな私の計画は脆くも崩れ去り、七海さんはどうしてかまた戻ってきてしまったわけですけどね」
「あなたは昔から他人ばかりを優先しますね」
「残念でした、全て私の醜いエゴです」
だから、再会したときは正反対の気持ちがないまぜになって胸がいっぱいになった。
どうして戻ったのか、と。
また戻ってきてくれた、と。
おかげで感極まってしまった醜態をあろうことかあの人の前で晒してしまったわけだが。
唯一の救いは、写真に収められてなかったという点だけ。
苦笑を返すを見た建人はサングラスを上げながら小さく嘆息した。
「他の人が居た場合は苗字呼びにさせてもらいますよ」
仕方ない、とばかりな懐かしい語調で呟かれた一言。
妥協案でもこちらに歩み寄ってくれた答え。
建人の言葉を受けたは、影のない花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「はい!」
「それでは帰りましょうか」
「電波来たら伊地知くんに電話しますね」
「お願いします」
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2021.12.01