ーー人間万事塞翁が馬?ーー
処理が終わり今日のことを把握している同期に報告も終わらせた
は広々とした敷地を散策していた。
初めて訪れた場所ではない。
久しぶりに訪れたこの地は懐かしい記憶に彩られていた。
小中高一貫の学校に中学の間だけ通った無駄に色んなことに金をかけていたそこは、庶民では触れ得ない課外活動や部活が多かった。
乗馬もその一つで、他人との共同作業が少ないことを理由に選んだ過去がある。正直、動物は嫌いではなかったし乗馬の技術も下手でもなかった・・・はずだ。
放牧地まで来ると、遠目に多数の馬達がのんびりと思い思いに過ごしているようだった。
と、牧柵に寄りかかっていた
の視界に厩舎に取り残された一頭が目に入った。
(「あれ、あの子・・・」)
「あれまぁ、終わったんかね」
ちょうどその厩舎から白川が現れる。
電話しても良かったが、念のため他の場所のチェックを終えてからと思っていたがタイミングが良かった。
「はい、私で対処可能でしたから手早く済ませました」
「やー、こりゃ助かりましたわ。こんな早く終わらせてもらえるとは」
「後ほど別の者が今後の対処法や緊急連絡先を説明に参りますので、その時はまたお時間をいただきますがそこはご了承ください」
「そりゃそりゃ、きちんと上に伝えますんで」
「よろしくお願いします。それと、話は変わるのですが・・・」
が白川の背後、厩舎に取り残された馬に視線を移した。
「あの子はどうかしたんですか?」
「ん?あぁ、あの子は元々あっちの問題の厩舎に居た子でね。
神経が参っちゃったのか、誰かがそばに居ないと寂しがっちゃってね。人を乗せるのが好きなもんだから乗せてあげたいんだけど、この時期は人が居なくて
ちょっとしょげちゃ・・・」
困り顔で言葉を途中で切った白川は、ぱっとひらめいたかのように
に向いた。
「
さん、■■学園の生徒さんだったっけね?」
「あ、はい。中学だけですが」
「なら経験はあるんじゃね?何鞍?」
「えー、確か100鞍いかないくらいしか」
「十分十分、馬装はこっちでするから少し相手してもらえんかね?」
「はい?・・・は!?い、いやいや!もう5年以上やってませんし流石に無理でーー」
「わははは!この子は大人しいし人が乗ってるだけで嬉しいみたいだから。曳き馬でもいいけど、駈歩くらいは経験あるでしょ?」
「それは、まぁ・・・」
「よし!じゃあ準備してくるんでね!」
「・・・」
引き受けるとは一言も言ってないのに。
嵐のように一人明るく言うだけ言った白川は、本当に手際よく準備を終わらせその馬を連れて来た。
「改めてこの子はゼンカ言います。母親が優勝馬だったんだけど、訓練中に怪我しちゃってね。今はこのクラブで乗馬と競技をメインに活躍してもらってます」
「そうですか」
もうここまで来たらまぁいいか、と
は開き直る。
手綱を受け取った
は、黒栗毛の美しい駿馬の前へと立つとゆっくりと自身の手のひらを鼻先へと近づける。
フンフンと鼻を震わせた様子を確かめると
は穏やかな声を掛けた。
「じゃ、これからよろしくねゼンカちゃん」
すると鼻先を手の平へと押し付けられた事で首元をひとしきり撫でると馬場へと手綱を引き連れ立った。
(「意外と覚えてるもんだなー」)
速歩ができたタイミングを見た白川は早々に「もう問題ないね」、と言って消えてしまった。
まぁ、素人ではないのでそう言うのも分かるが、一般人相手にはあまりいただけない気がする。
とはいえ、勘を取り戻せるか不安はあったがしばらくして足並みはあっという間に駆けるほどになった。
ゼンカも厩舎に居たときと比べ別人(別馬?)かと思うほど、楽しそうに軽やかに足を動かしてくれる。
30分近くは過ぎた頃、もう十分だろうと厩舎に戻すべく馬から下りた
は小さく息を吐いた。
「ふぅ・・・」
「相変わらず器用だね」
「!」
届いた声に身を固くした。
あり得ない、そう思いながら振り返れば予想通りの人物が立っていた。
季節にそぐわない五条袈裟に身を包みマフラーのみを巻いた男はこちらに軽薄な笑みを返す。
「や、明けましておめでとう」
「なん・・・」
思わず腰元に手が伸びたが、声を荒げることも騒ぐことも状況的に好ましく無いため、代わりに
は深々とため息をついた。
「はあぁ・・・」
「おや、随分と疲れた様子だね」
「会いたく無い人に会ったお陰で」
「手厳しいな」
気安い返しに
は鋭く睨み返す。
だがひらりと受け流した傑に蹴り飛ばしてやりたい衝動を抑えながら低い声で質した。
「何してるんですかこんな所で」
「うーん、そうだな。猿の道楽の付き合いかな。あ、後で調べても無駄だよ」
「聞いてませんよ」
「今日は一人かい?」
「答えたくありません」
「それは残念だ」
残念などと思っていない様子の男はその場を動かない。稚拙な嫌がらせに
の機嫌はどんどん降下していく。
厩舎へ戻るための出口にわざわざ立ってる傑に
は平たい声で言い放った。
「そこ退いてください」
「嫌だと言ったら?」
「・・・」
からかう返答を受けた
はくるりと手綱を引き、再び馬場の中央辺りに進むと勢いを付けて跨った。
の心情を汲んだのか、ただ走り足りないだけか息巻いている馬の首元を
は気合いを入れさせるように叩いた。
ーートントンーー
「ゼンカちゃん、ちょっと本気出してみようね」
そう言って手綱を引いて
は反転させた。
「はっ!」
掛け声と同時に脇腹蹴るとゼンカは軽快に足を弾ませる。
トトトトという音が次第にパカラッ、パカラッとリズムを刻んだ。
長方形の馬場を周回するよう徐々にスピードを上げていたが、コーナーの一角から対角線に進路を取る。
そして、
「!」
ーーザッ!ーー
短い滞空時間は重い着地音と高いいななきで幕を閉じた。
入り口を邪魔していた男の頭上を高く飛び越えた
は、馬上から鋭い一瞥で男を見下ろす。
驚き顔を見せていた傑だったが、すぐに感心とも呆れともとれる様子で肩をすくめた。
「やれやれ、随分と強引な事をする」
「させたのは貴方です」
「飛び越えられなかったら大事故だよ」
「この子は現役で競技参加している子です。あなた程度の低さなんて飛び越えられて当
然ですが」
斬りつけるように言い捨て、
は手慣れた手際で馬から下りると労うようにすり寄るゼンカの鼻筋を撫でる。
自身には向けられない優しさを含んでいる横顔を見た傑は拗ねたように呟いた。
「馬には優しいんだね」
「今日はお互い誰にも会わなかった」
男の言葉を無視し、ゼンカにだけ向いていた
は言い捨てる。
「そうですよね?」
肩越しに突き放すように言えば、傑は仕方なさそうに嘆息した。
「あぁ、そうだね」
その言葉通り、踵を返した足音がゆっくりと去っていく。
完全に足音が消えた頃、ゼンカを撫でていた
も馬房に戻し、乗馬に使用した馬装を外し終えたタイミングで
は壁に身体を預けた。
「あー、もう・・・」
そこに先ほどのような氷の表情は無い。
酷く頼りなく崩れ落ちそうな表情を隠すように
はズルズルと蹲った。
ーーブルルッーー
そんな消沈する
に温かい鼻先を押し付けられ力尽くで顔を上げさせられた。
「のあ・・・あー、ごめんね、ホント。妙な事に付き合わせちゃって」
艶やかな黒栗毛の焦茶の瞳がじっとこちらを見つめる。
言葉にない思いを伝えてくれているのか、前脚で床を掻く仕草を見た
は腰を上げた。
「うん、お水持ってくるよ。それとたくさん運動したからブラッシングもしてあげようね」
「なんだ、戻ってたのかい」
厩舎を覗き込んできた白川に、
は馬房から出ると外した道具を持ちながら聞いた。
「はい、1時間弱くらい付き合ってもらいました。襲歩のワガママもきいてもらっちゃって」
「わははは!なんだったらその倍は走りたがるんで構わんよ。馬装まで外してもらって悪いね」
「いえ、こちらこそ。お水はいつもどうされてますか?」
「今日はガッツリ乗ってもらったし塩とふすまかな。用意してくるからちょっと待ってもらえるかね」
「助かります」
「タオルと裏掘りのとかはその辺の使っちゃっていいや。鞍はそのままで腹帯と鐙は房の前に置いちゃって」
「分かりました、ありがとうございます」
そうこうしているうちに、結局日暮れ間際まで過ごすことになった。
乗馬の後のゼンカの手入れ、果ては他の馬の世話に残りの厩舎の見回りetc
本来の仕事よりも余計な仕事の割合が逆転していたが、懐かしさと普段の殺伐さとはかけ離れていたことも手伝ってか割と楽しい時間を過ごせた。
「やー、助かった。仕事以外のことまでたくさん手伝ってもらっちゃって悪いことしたね」
終始陽気な白川に迎えのタクシーが来る場所へ歩きながら、
はショルダーバッグを肩に掛け直しながら応じた。
「いえ、私も久しぶりだったので楽しかったです」
「そりゃ何よりだ。ゼンカも構ってもらってご機嫌だったし、良ければまた乗ってやってよ」
「そうですね、都合がつけば考えておきます」
「そう根詰めてちゃ仕事も何もうまくいかんだろうし気軽にまたおいでなさい」
当たり障りなく応じていたが、聞き留めた一言に
の足は止まる。
「お、そうだ!ちょうど餅もらったんだ、せっかくだしーー」
「あの」
「うん?」
「根詰めてるように見えました?」
ポーカーフェイスという大層なことは言えないが、表情を取り繕うことは苦ではない。
特に非術者相手であれば尚のこと、同僚の目すら躱していることも両の手足の指では足りないほどやってのけている。
要らぬ警戒と思いたいが、余計な人物との再会があったことで額面通りに言葉が受け取れない。
「ありゃー・・・余計な世話焼いちゃったかね」
白川は隠し事がバレたような様子で頭を掻く。
はその一挙手一投足を見逃さぬようにしながらショルダーバッグのサイドポケットに手を伸ばす。
そんな相手の様子に気付かぬまま白川は少し照れた様子で口を開いた。
「こっちは話せない動物相手に年季入った付き合いなもんだから、乗る前と後の騎手の顔見れば調子の良し悪しくらいは察せるもんなんだわ」
「・・・」
「ゼンカはご機嫌だったし、あんたは騎乗の上手い下手で悩むような腕でもなさそうだしね。それなのに浮かない顔してる時ってのは乗り手に他の悩みがある
か、外野に気に障ることがあるか多いもんだ。お節介な老婆心だ、悪かったね」
素直に頭を下げる白川に、どうやら杞憂だった警戒に
は気弱に笑って返した。
「おみそれしました」
「わはは、伊達にヨボヨボに歳食ってないわな」
若々しい仕草と思っているのか、白川は得意げに親指を立てに互いに笑い合った。
終始陽気であるこの男を見ていると、懐かしい先輩の姿を重ねてしまう。
余計な感傷まで湧きそうになり、
は気持ちを切り替えようと懐から普段は出番が少ない名刺を取り出した。
「白川さんこちらを」
「これは?」
「私の連絡先です。緊急で何かありましたら連絡ください」
「いいのかね?」
「万が一の保険があった方が何かと良いですから」
「それじゃ、ありがたく受け取っとくかね」
名刺を拝むようにした白川は受け取った名刺をポケットに入れる。
タクシーを待つ傍ら、時間を持て余した
は本日顔を合わせてからの反応について隣に問うた。
「白川さんってあまり動じられませんね?」
「ん?」
「いえ、このような怪奇現象を抵抗無く受け取られる方は少ないです。ましてこんな若造が来たら大半の方は難色を見せますから」
「わはは、そりゃそうかもね」
明るく笑っていた白川だったが、長く息を吐き神妙な面持ちで腕を組んだ。
「ま、動物相手だと妙な勘が働くようになるんだよね。
ましてや経済家畜相手だとまぁ、人間の業とかも目の当たりにしちゃうしさ。なんていえばいいのか目に見えない感情のこごったもんとかね」
「・・・」
「だからまぁ、オレには見えんけどそういう目に見えんもんも世の中にゃぁあるんだろうなって思うのよ。現に
さんがどうにかしてくれた厩舎は、前みたいな感じはなくなってたわけだしね」
ここの若いもんには笑われそうだがね、とまた白川は快活に笑う。
そして、雑談の間にタクシーが到着したことでそれ以上の会話は打ち切られる。
「それでは、お会いできて良かったです」
「いやいや、こちらこそ。新年早々、お世話様」
白川に見送られ、タクシーはのどかな風景をどんどん後ろに流していく。
新年早々とんだ災難だった。
古より縁起の良い年と称されるようだが、どうやら自分には当てはまらなかったようだ。
「はぁ・・・さっさと厄除けするか」
そう呟いた
はスマホから該当の人物へとこれから向かう旨のメッセージを送った。
ーー厄払い
「おつかれさまです」
家「おー、どうだったよ?」
「とんだ呪霊でした、仕事頑張ったので今日はおごってください」
家「これから来る学長に言え」
「すみませーん、このプレミアム銘柄のリストここからここまで全部お願いします」
家「あ、お兄さんそれ全部2合でよろ〜」
「それとお清めの塩をキロで」
家「酔っ払ってるんで塩は無視で大丈夫っす」
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2026.03.28